第二話 その三 魔の悪行が続く中、彼が微かな反撃を試みる。ただ、そんなことが通用するのか……しかし、やるしかない。この魔界では、それしか……
3 幻覚
辺りは砂埃で霞んでいた。
そんな中、近くで隠れて見ていた人々は、そーっと目を凝らし達夫たちの結末を窺った。
そして、「見てっ!」1人の女が叫んだ。「大丈夫、あの人たち、まだ生きているわ」と。
確かに、達夫たちはその場にしっかりと立っていた。達夫、友也、傷ついた健太、その後方に西田、全員無事だ。
ただし、ピエロも……。
さっきの衝撃は、友也がピエロを突き飛ばしただけのことだった。ただ、そのお陰で達夫たちは奴の蹴りを受けずに済んだのだが。
一方ピエロの方は、思わぬ妨害を受けて苛立ちを見せていた。
ゆっくりと首を回しながら、小刻みに唇を震わせ文句を言い始める。
「困ったボクちゃんたちねえ。何で私の邪魔をするのー? 他人なんかどうでもいいんじゃない、助ける意味あんの?」と。
対して達夫の方は、すぐに口を真一文字に結んで強い決意で反論した。
「僕はどうしてもここにいる人々を助ける。お前なんかに、魂を奪わせはしない」
すると奴は、呆れた様子で答えた。
「嫌だねえ。こういう人間。きみのようなのを偽善者と言うのだよ。人間は太古の昔から戦争を続けて、自分の利益のためなら他人を傷つけ、憎み、平気で殺してきたよね。そんな悪魔の心を隠して時には善人面する。全く人間という生き物は、悪魔も舌を巻くほどの大化け者の悪党だよ。それも生まれつきのね。勿論、きみも同族だ。違うかい?」
流石にその言葉には、達夫も一時消沈する。なるほど、奴の言い分にも一理あると思ってしまった。……が、ただちに顔を前に向け、
「お前の言う通り、そういった面もある。しかし人は、何千年もかけて善人になろうと努力してきたのも事実だ。……今も残念ながら精神的に成熟してはいないけれど、でもその気持ちは変わらない。きっと未来では、平和な世界を構築できるはずだ。人には明日への希望がある、新たな人類に望みを託せるんだ。だから僕も偽善者と呼ばれても構わない、善人になろうと努力し続ける!」と言い返していた。
坦々と手を叩く、拍手の音が鳴った。そして、
「御立派だねえ、精々頑張ってくれ。所詮、魔と人で話が合うはずもない。さーて、もういいかな。きみと話していても全くつまらないので、そろそろ転生してくれない。早くここから消えてほしいね」と痺れを切らしている様子で奴は言った。達夫の話など眼中にすらないのだろう。
ところが、達夫の方は魔の催促を聞いても、恐れることなく落ち着いていた。と言うより余裕さえも感じていた。彼は徐に話し始める。
「今の争いで、分かったことがあるんだ。しかも2つ……」
「ほう、こんな時に何でしょうかねえ?」意に介さない表情でピエロは相槌を打った。
達夫は構わず続けた。
「1つは、意外な気もするけど、魔物は転生する人間に手出しできないということだ。もちろん、その魂も同様に傷つけられない」
ピエロは少し眉を動かしてみせたが、動じないようだ。
「それは何とも言えないねえ。私は地獄の魔王ですよ。私の地で不可能なことなどある訳ないが」と異を唱えた。
それを聞いた達夫は、友也の方を見て尋ねてみた。
「友也君、サタンに何かされたかい?」
「いいや、奴は俺には何もしなかったよっ」と即座の返答を得る。
「やはりな。……僕を蹴ろうとした時も、一瞬ためらった。それで分かったんだ。そしてもう1つは、もっと重要なことなんだが」と達夫は自分の推理が当たっていることに満足して微笑んだ。さらに話を進める。
ピエロは、ソッポを向いたままだ。
「人の転生は、サタン、お前が起こしている訳ではないということだ。転生はその人間本人が自分の意志で成し遂げるもの。つまり人の魂が、次の生物に宿ることを納得したうえでないと起こらない」達夫は核心を突いて語った。「そこでもし仮にだ、僕が転生を承知しなければどうなる? たぶん一生、いや数百、数万、数百万年も、僕はここにいられるんじゃないのか。となると僕が居座れば、お前はこの場を無にするのに数百万年も待たなければならなくなる。何故なら転生する者を処分できないからだ」
その言葉にピエロの顔が、少し歪みだしたか?
達夫は気にせず話した。
「この島、……それより異次元の穴? とでも言った方がいいのかもしれないが、この場所は非常に稀な空間であるためすぐにでも閉じる、いわゆる"無"にしなければならない。それが秩序を保つ法則のようなもので、そして次が肝心なところだ。その役割を負っているのが魔であり、それこそが魔界の者の存在理由である訳さ! だからもし僕が残ったせいで、何百万年も役目を果たせなかったら、どうなるんだろうな? きっとそんな奴はこの世に必要ないから消去されるんじゃないのか?」と自信を持って言い放ったのだ。
「…………」その言葉に、ピエロは明らかに動揺しているかのよう。
「そこで相談だ。……現世に戻せと言っても、無理なんだろう。それならせめて、お前が重苦の地獄に落とす魂だけでも救ってくれ! 前回の健太君たちのように、彼らが行った安住極楽の、エーリュシオン『天界』へ渡してくれるなら、僕は転生を受け入れてこの地から消えるてやる。それでお互い手を打たないか……?」とここまで言って、ふっとピエロを見た時、達夫は恐怖した!
もはやその場にいる者は、元の容姿と似ても似つかない、目は赤く不気味に光り、耳まで裂けた口からは青い炎を噴出し、鋭利で異常に長い爪と鱗状の角までも生えた、まさに奇獣となって彼の前に忽然と姿を現したからだ。
次いでおどろおどろしい声で、「このガキ、わしの庭で、好き勝手なことをほざきやがってー!」と烈火のごとき勢いで怒号を発した。
どうにも、相手が悪過ぎる! いくらこちらが有利でも悪魔と交渉するのはちょっと無謀だったと思ったが、疾うに遅過ぎた。サタンの怒りが周囲に渦巻き、地面が沸き立つほど熱風が吹き上がった。
サタンは自身が空中に浮き上がり、そして達夫たちの遥か頭上から、友也と健太に向かって手を突き出した。
するとその直後、2人の体が何かに押さえつけられたみたいに固まった?
「おい、なんだ!」友也が叫ぶ。
「いててっー、やめろ!」健太も暴れた。だが全く身動きが取れなくなったようだ。
(ど、どうして?)それを見て、達夫は慌てた。申し出が無駄に終わったとしても、全く想定外の攻撃に出てくるとは思いも寄らなかったのだ。自分の考えは正しいはずで、友也に対しては何もできないと高を括っていたのに!
そこにサタンの声が響いてきた。
「よく聞け、小僧。お前は大ばか者じゃー! 何も分かってはいないわ」と。
達夫は、サタンに睨まれ息を呑んだ。
そして奴の指が、上下に動いた途端、友也たちの腹の中に光る球体が現れた。しかも、徐々に胸、喉と上がっていく。これは、まさか!
「いいかお前の、転生する魂など……」サタンの言葉が続いた。「そんな物、傷つける間もなく、人間の肉体から容易に抜き取ってやるわー!」と口から不気味な炎を出しながら轟き吠えた!
「な、何だって!」
なおも奴は話す。
「わしはどんな魂も抜き取れるのだ。魂がなくなれば、当然お前の肉体も消え失せる。後は労せず、島諸共、全て無にできてしまうのじゃ! お前らがどう足掻こうと、消え去る運命よ。うわぁははははは――」頭を振り回し、異様な笑い声とともに言葉を吐いた。
何ということだ! 達夫は心底焦った。まさか奴の魔力でそこまで可能だとは、転生を経験した達夫でも知らなかった。だとすると達夫たちに勝目がない。彼らは魂を取られ転生が途絶えさせられる。そのうえ、この地は消え去り、残った全員は地獄の底に落ちるしかないのだ。
達夫は友也を垣間見た。友也たちの魂が、もう喉を通過している。……駄目だ、魂が盗られる! 達夫はそう思った。
「食えもしないが、お前らの魂を取り出して、わしの“ネックレス”にでもしてくれるわ」サタンの最後の雄叫びが聞こえた。
絶対絶命だ!
必死で考える達夫。(ううっ、どうする、どうするんだ? やはり到底、悪魔に敵いはしないのか!)
2人の魂はすぐに口元から出そうだ。
達夫は目を閉じ懸命に思案した!……けれど、いくら考えても悪魔に勝てる人間なんか存在しない。それが結論だ。――達夫に残されている策はなかった。
絶望感に苛まれ、自身の無力さを感じ、達夫はその場に平伏した。悪魔に逆らうことなどできる訳ないと今さらながら認識して。
それでも、2人だけは、救いたいと! どうしても救いたいと! 思わず(誰か、助けてくれ。彼らを救ってくれ!)と助けを求めていた。
達夫にできる最後のこと、誰かに助けを願うしかなかったのだ。
(誰でもいい、お願いだ、助けっ?……)だが、その思いが強いばかりに、ついうっかり懇願してしまった!――悪魔に!? そう、魔王サタンに帰依するという失態を犯していた!
そうしたところ……、一時の間が過ぎた後で、何か状況が変化したような雰囲気を感じ取る。
達夫はうつ伏せのまま、ゆっくりと目を開けてみた。
すると、どうしたというのだ! 今までいたサタンが消えている?……否、それどころか、驚きで、「えっ?」彼自身の目を疑った!
何と、そこには達夫の母、典子が、笑みを浮かべ立っているではないか!
「か、母さん!?」声が、無意識に口をついて出ていた――。
達夫は本当に仰天していた。どういう訳で、母が目の前に現れたのだと。
「母さん、何でこんな所にいるんだ!」
「嫌だねえ、お前が遅いんでワザワザ迎えに来たんだよ」
(えっ、そんな……、サタンと対決していたはずなのに。今、自分はどこで何をしているのか?)と達夫は混乱し始めた。
とはいえ、目前には母がいて、「さあ、いいから、一緒に帰りましょうよ」と笑って手招きしている。
おかしい、これは違うと達夫は思った。しかし疑うにはあまりにも現実的だ。
母の顔で、「なんだい、この子は。さあ行くわよ」と催促する声。確かに何度見ても紛れもなく母、典子だった。
「ああ……」少しずつ麻痺する感覚が、達夫を覆う。
「小さい時は母さんの言いつけをよく守ったわよね」
「うん、そうだったね」達夫は小学生の思い出の中にいる感じになった。
そこに典子が、「あっ、そうそう帰るのにお前の魂が必要なのよ」と“唐突な話”を持ち出した……が、達夫は会話に違和感を持たない。
「えっ、母さん、何故だよ? 僕の魂なんか要らないだろ」変だと思いつつも拒否することさえ困難になっていた。
「それが要るのよ。良い子だから母さんに渡しなさい」
「だけど……」全く疑問も抱かなくなってきたか。
「いい加減にしなさい、お前のために来たんだよ」
「…………」
そうしたところ、突如、友也と健太の声が聞こえてきた! 彼らはまだ魂を取られていなかった。
「達夫、そいつは違う。そいつはサタンだー!」体は動かせなくとも、必死の形相で叫んでいる。
「達夫さん、目を覚ませ!」健太も腕の痛みを堪えている様子で、懸命に言葉を発する。
けれど、達夫の耳には届かない。
片や典子は攻める。
「そうだ、父さんも来てるんだよ」
「やあ、達夫。家族一緒に帰ろう。魂をお母さんに渡すだけでいいんだから」と父の声だけが、どこからともなく聞こえた。
「……父さんも」
その言葉に、もう抵抗はできそうになかった。
「さあ、強情張らずに渡しなさい」なおも典子が追い討ちをかけたことで、
「うん、分かった、そうするよ」達夫は完全に術中に嵌ってしまったのだ。
彼は、徐に掌を上にして、母親の目の前に出した。すると光る半透明な球体が、徐々に掌から現れた。
「駄目だ、確りしろ。サタンに負けるんじゃない!」友也の声がする。
「頑張れ、頑張れ! 達夫さん」健太の声も虚しく響く。2人とも、半べそ状態で叫び続けていたが、もはや達夫に正常な思考は望めない。
母は微笑んでいる。
達夫の魂は、手の上で完全に実体化していた。
そして遂に、その魂を、母に渡そうと突き出した!
ところがその時! 別の手が、咄嗟に魂を包み込む!?
「えっ!」
……西田、恭子?
何と、彼女が達夫の魂を大事そうに護っていたのだ!
途端に、「ウギャギャギャーガーガー!」サタンの怒りが地を揺るがすほど噴き上がった! まさか最終局面で邪魔が入るとは想像だにしなかったはず。
次いで奴は、一層恐ろしい顔を曝け出し、気が違ったみたいに荒れ狂ったなら、怒気に任せて、〈キサマ――――!?〉西田へ、鋭く尖った鋼のような爪を、突き立てたー?……
否、一歩早く、満天の光が射していた。
世界の果てまで照らすのではないかと思える閃光の放射が、目さえ開けることもできない光となって、いつの間にか彼らを覆っていたのだ――!?