第二話 その二 現われし魔の驚異、どう対処すべきか。誰も分かるはずもなく……しかし、彼らは!
2 道化師
ついに奴が――来た!
「皆、隠れろ!」達夫は有りっ丈の声で叫んだ。
全員、疑心暗鬼のようだったが、未知の物が近づいてきたことで恐れを表し、我さきと逃げ出した。
しかし、達夫の側には友也と健太が強気の姿勢を見せてその場に残った。その後方にも、西田、山本、井上が興味深そうに覗き込みながら、それぞれ小岩の陰に隠れている。
すると、明るい声が薄霧の中から近寄ってきた。
「ホホホホー。ドウシタノ? ボクチャンタチ、イッショニアソボウヨウ」
むっ、こいつは! 以前と違う容姿だ。鼻には赤い玉、眼や口の回りを白く塗り、ダボダボの水玉の服。そう、ピエロとなって登場していた。
「ミンナ、ドウシタノ?、デテオイデー。カクレルノナシ、ダヨ」
その姿に、友也は拍子抜けした様子で、「あれがサタンなのか?」と訊いてきた。
達夫は友也の方を見向きもしない。手には汗をびっしょりかいて目を見開き、首を縦に振るだけだった。それでも恐怖を隠し、意を決してピエロに言った。
「お、お前の正体は既に見抜いているぞ!」
ピエロは、それを聞いても惚ける仕草を見せる。
「ショウタイ、テッ?」
「誤魔化すな、お前はサタンだ!」達夫のさらなる暴露が飛んだ。
「…………」ピエロはその言葉を聞いた途端、一瞬動きを止めた。そして、達夫を上から下まで見透かすように見てから、「……デジャブか」今までとは全く違う図太い声を吐いた。
次にピエロは、こうなるとおふざけをしている暇はないと感じたのか、
「ならば邪魔をするな」と言うなり達夫の後方を睨んでは、値踏みをしているがごとく、長く鋭い爪を生やした指で指し示したなら、続いてゆっくりと腕を上げていった。
その直後、予期せぬ叫び声が聞こえてきた。
「うわー! 何だ? 体が勝手に浮いていく」
「ぎやー! わあー、助けて。嫌だ」
山本と井上だ。隠れていた男2人が、突然ピエロの手に合わせて宙に浮きだすという、奇怪な現象が起こったのだ。
それには、達夫たちも驚いた。うしろを振り返ると、自由の利かなくなった2人が空中でもがいているのだから。しかも、事はそれだけで終わってくれなかった。何と、ピエロが広げた指を握り締めた瞬間、2人の足元から燃え盛る火の手が上がったではないか!
「熱い! 足が、熱い!?」
「うわー、熱いよっ! 誰か、助けてくれ―」
火は容赦なく燃え広がり、2人が熱さで悶絶する。
一方達夫たちは、この惨劇に己の目を疑った。何が起こっているのかさえ理解できず、狼狽えた。
「ギーヤーグガー、ガガッツクー」
「ウーギャ、ブクベラベロプー」
そうする間に、2人は炎の中で体をグラグラ揺らすとともに苦しみ始める。目や鼻や耳がバチバチと音を立てて炎症する様は、見るに耐えない光景となって達夫に訴えかけてきた。
「止めろー、止めないか!」漸く達夫は叫んだ。とはいえ、恐怖が全身を駆け巡り、どうすべきか皆目分からない。そのため、手をこまねいてその場に立ち竦むしかなかった。
「ギギーボロボロボボボ」さらに山本たちは、篝火のように全身を焼かれ……、もう虫の息だ!
「クソッー!?」達夫は嘆いた。何の救済もできないまま、ただ時間だけが虚しく過ぎていると思いながら。
そして気づいた時には、とうとう2人の体は炎に焼き尽くされ、手足首が溶けてなくなっていた。
……息絶えたか!
結局、彼らを見殺しにしてしまったのだ。達夫はこの惨たらしい仕打ちを見せつけられ、心の底から怒りと無力さが込み上げてきた。絶対に許せはしないと悔やんだ。
そうした中、山本たちの亡骸からテニスボールぐらいの半透明な球体が現れ、ピエロの方へ飛んで行くのを目にした。――彼らが死んで、魂が奪われたようだ。後には、焼け爛れた真っ黒な体だけが、まるでぼろ雑巾のごとく残っていた。ただ、それも忽ち地上に落ちてきた。ゴミくず同然となった姿で。
「きゃー!」ところがその時、突然の悲鳴が辺りに響いた!
えっ? 達夫はすぐさま声の方を注視してみた。
そこには……西田がいたのだ。彼女が2人の死骸を見て、そのおぞましさに悲鳴を上げたみたいだ。
(これはまずい!?)咄嗟に彼は危惧した。西田が次の標的になるかもしれないと!
すると予想通り、「もう1人いたのか?」とピエロの方も、すぐに気づいた様子だ。奴は何の容赦も見せず、同じように彼女に向かって手を翳そうとした!
大変だ! 今度は彼女が犠牲になるぞ。こうしてはいられない。そう思った達夫は、ピエロと戦おうと――それでも、「うっくく?」一瞬、躊躇った――ものの、何とか勇気を取り戻し、死さえ覚悟して奴の元へ突っかかって行こうとした!
が、否、先を越された? 誰かが目の前を走り抜けていった! それも物凄い剣幕で走る。
途端に、強打撃音が鳴った! 何と、その先行者が、ピエロの顔面にパンチを食らわせたのだ! 奴はもんどりうってうしろに吹っ飛ぶ。
誰が?……健太か。そう、彼が達夫よりも早く、危険も顧みずに打って出たのだ。まさに勇者そのもの。
「健太君、なんて奴だ……」これには達夫も、ただただ感服するしかなかった。そして隣で立ち尽くして見ていた友也の方も、その表情から想像するに同等の感情を持ったに違いない。
そこに、「いたたたたたー」と悲痛な声が聞こえてきた。しかも目の前には、あのピエロが酷い姿で倒れ込んでいた。奴の顔が首から真横に折れ曲がり、頭がほぼ直角に右肩へ乗るという、人間ならば有り得ない状態で寝そべっていたのだ。
達夫は、それを見た瞬間、(やったのか?……、彼がやっつけたのか?)と思った。どうにか魔物の息の根を止めたのだろうかと……
とはいえ、相手は底知れない悪魔だ。一概には信じられない。
ただ、こんな痛々しい格好で倒れているところを見れば、相当なダメージを与えたに相違ない。……だったら、もしかして本当に退治したのではないのか? という考えが脳裏を掠め、希望も相まったことで、やはり魔に勝ったのだと思い始めた。
(そうだ、そうだよ。健太君が倒したんだ!)彼は心から安堵するとともに喜びが湧いてくるのを感じた。やっとこの後は、誰も犠牲にならなくて済むのだから。
「んっ?」
……だが、少し様子がおかしい? ピエロの近くで蹲る健太の姿を垣間見たせいか。
とその寸刻、「腕が砕けたー!?」たちどころに大声が、虚を突いて聞こえてきた!
何! それは、健太の悲痛な叫び。まさか、彼が傷ついている?……と言うことは、さっきから痛がっていたのは健太の方か!――達夫は一瞬で己の考えの甘さに落胆する――
何ということだ。ピエロは、全くの、無事だー!
途端に奴は、すっくと立ち上がり、顔を手で戻しつつ、「きみ、邪魔ねーえ」と言って健太に近づいていった。そして間髪入れず、背を丸めてしゃがむ健太に向かって、大岩をも破壊しそうな足を振り上げ、容赦なく蹴りつけようと構えた!
これには、とうとう達夫も我を忘れて飛び出した! もう黙って見ている訳にはいかないとの思いで、健太の体を護るため覆い被さったのだ。
されどピエロは、そんなことで怯みはしないようだ。例え達夫が上になろうとも、躊躇なく大木のごとき足を振り下ろした……
――衝撃音が響いた!――
いいや、これは……、友也もピエロに組みついていた!




