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本日は終了しました  作者: 平坂
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「コーキくぅぅぅぅーん! おっ、はっ、ぃよぉぉぉおおおぉっ!」

 もうあと少しで正門だという坂道で、背後からやってきてしまった挨拶に、俺は、清々しい朝の空気の中で、心の底からうんざりしてしまわなければならなかった。

 朝からどうして俺はこんなに疲れなければならないんだと自問自答する。むろん回答はわかりきっているのだが、諸悪の根源にはいくら言っても、のれんに腕押し状態であるのだ。俺はただひたすら自分に言い聞かせなければならないのだ。

 ――『軽くあしらえ』

 駅から学校まで続く緩やかとはいえない傾斜を一気に上ってくる足音が、俺にかけられた挨拶を発した当人のものである。それはおそらく、俺以外の、周囲の生徒達にもおそらく見当がついているだろう事実だった。

「おはよっ、コーキくん。今日も一段といい天気だねっ。ねえねえ、今日の私見てー。ほらほら、ちょっと髪の毛うまくブロー決まったんだー。意外とね、短い髪の方が寝癖がひどくなりがちなんだよね。でも今日は勝った、勝ったよ私、寝癖対策カンペキー、きゃー。あ、ねえ、それとコーキ君、今日のリーダーの訳なんだけどさ、どうしても私わかんないとこあるのー。ほんのちょびっとでいいから、ヒントちょーだい。ダメ? あのね、何ページだったかな」

 あしらうことすら苦痛に思えて、俺はこの場は無視して歩き出すことにした。

 しかし彼が実行に移す前、敵は、いっそ見事と言いたいくらい機敏な動きをしてみせた。

「いやーだー。コーキくんってば、私を置いてどこいくのぉ。待ってよ待ってよ、せっかく追いついたんだから、一緒に教室まで行こうよぉう」

 俺は自らに出来うる限り低めた声を出した。

「い、や、だ」

 しかし相手はその程度のことではめげない。めげてはくれないのだ。

 ここでめげてくれるようであれば俺もそうそう苦労はしない。

 とられそうになる腕を俺はかなり必死でガードした。

 もし彼女に腕をつかまれてしまえば、一巻の終わりと言っていい。自分の腕をそれにからませ、小柄とはいえ全体重を預けてぶらさがってくるのだ。

 俺は、相手の小さな体のどこからそんなエネルギーが沸いてくるのか、不思議に、そして不気味に思いながらせっせと足を動かした。

「まってえ、コーキくーんっ」

 コンパスの違う異性を必死で追いかけてくる敵から、俺はそれ以上必死に教室までがんばった。

 いつの間にか、徒競走のようになっていた。

 これだから、自分達が校内の名物コンビのようにあつかわれてしまうのだ。

 と、わかっているが、どうしようもない。

 俺の何が悪かったのだろう。

 どこに目を付けられてしまったのだろう。

 大きくため息をついていた。






 朝のホームルームが済んでから、俺は行くところがあったので立ち上がった。

 周りの生徒達もちらほらと声をかけあっている。おそらく彼らが意識する先は同じだろう。

 俺が一歩を踏み出しかける前にしかし、立ちはだかる者がいた。

「コーキくんっ、職員室前に行くんでしょ? 一緒に行こうっ!」

 毎度のことではあるが、それでもやはりクラスメイトの中にはぎょっとした顔で固まってる者もいた。

「嫌だね」

 腕を取られないように俺はぴたりと脇をしめ、すたすたと歩く。

「あ、待ってー」

 そのくらいでめげてくれる相手なら、本当に、どれだけ嬉しいかわからないのだが、そうは問屋が卸してはくださらないのが現実だった。


 校舎一階の職員室の廊下側の壁には掲示板がある。そこに定期考査の成績上位者の名前が張り出されるのが、俺達の高校の恒例行事だった。

 今日明らかにされたのは、先日行われたばかりの中間考査の席次である。すでに人だかりができていた。進学校らしい光景と言える。

 俺は少し離れた場所から、二年生の順位表の一番上を見た。見たというより、一応確認しておいたという方が正しいだろうか。

「きゃあああー、すっごーい、やっぱりコーキ君が今回も一番だあ! オメデトー、かっこいー、てんさーい。そんけーい、あこがれー」

 しかし、全教科の合計点にして十点も劣らない得点を得た次点の者の名も、俺の目には必然的に飛び込んでくる。

『緑澤杏子』

 俺の隣で大げさに、それも自分のものでなく他人の点数についてはしゃいでいる少女の名である。やや赤みがかったショートヘアを揺らす。本当に、一体どこにこれほどの情熱が潜んでいるのかいぶかしみたくなるほど、彼女の決めた『アコガレの人』である俺にまとわりつき、リスのような真円を描く両目を輝かせ見上げてくる少女の名だった。

「緑澤」

「やだあ、キョーコって呼んで?」

「おい、緑澤」

「あーん、キョーコかなしー」

「お前、どうしてそんなにバカなんだ」

「ええー、わかんないぃ。私ぃ、そんなにバカかなあ」

 これでも首位と次点の者の会話である。

「どうしてこういう点を取れるくせに、頭はそんなに悪いんだ?」

「わっ、わっかんないよお。コーキくん、一緒に考えてぇ」

 俺はくるりと背を向ける。

「付いてくるな、アホ」

「いやですぅ。お供しますぅ」

 かつて緑澤杏子本人が語ったところによると、俺は彼女にとって理想の人間らしい。

 つまりだ。

『容姿端麗、頭脳明晰(文武両道)、冷静沈着、完璧人間』なのだそうだ。

 白羽の矢を立てられたこちらはたまったものじゃないというのが俺の偽らざる本心であった。

 あのバカに首位を譲るつもりは毛頭ないが、いい加減彼女の『アコガレ』とする『カンペキなお人』が俺以外にも現れないものかと思っているところである。

 あの、自らの欲望に忠実なバカ者は、アコガレに少しでも近付けるようにと付きまとうからだ。






 午後の授業が全て終わり、俺が鞄に教科書を詰めていると、背後から接近する影があった。

「西笹川、今日ヒマ?」

 相手の正体がわかり、ついでに彼の言わんとする先も読めたので、俺は正直にかつ素っ気なく返した。

「暇じゃない」

 歩くスピーカー男の異名を取り、広く浅い付き合いをライフワークとする啓太郎という名のクラスメイトだ。緑澤に比べればはるかにましだが、それでもこいつが放課後予定を聞いてきて、ろくな目にあったためしがない。

「えー、何か用でもあるん?」

 俺は鞄を持って立ち上がる。

「あいにくと」

 今日は塾に行く曜日だ。

「こないだのお礼してへんだなと思って」

 啓太郎は俺に食いつくように話しかけながら付いてくる。

「こないだ?」

「俺様幹事のさ、合コンにご出席いただいたやんけ。その節は本当にどーもでしたっすよ、西笹川殿!」

「どうせ撒き餌なんだろ、俺は」

「いや、それも西笹川殿のルックスあってのことやで。本当にありがとうございましたーっ」

「いいよ、もう。あれっきりだっていう話だから出ただけのこと」

「お相手の女子高の皆さんも多分に満足いただけた様子。でも、西笹川殿は女の子選り取りみどりだったのにお持ち帰りせなんだな?」

「嫌々出てるのに何でそんな面倒なことまでしなきゃならないんだよ」

「うーん、そういうちょっぴり女嫌いムードなところがより女性の興味をかきたてんやろなあ。ま、それはそれとして、俺は今日、そんな西笹川殿にお礼を持ってきてん」

 嫌な予感というものほど的中するというのが世の摂理だ。

「遠慮しとく」

「まあまあ、ダンナ、そう言わずに。今日はもう、社長さんのためにトックベツによりすぐっておきましたのんよー、はっはーん」

「だから合コンはもういいって」

 啓太郎はへたくそなウインクをばちんと一つしてから、声をひそめて言った。

「今日はそんな面倒な手順も必要ナシの、もっと気楽に手早くオタノシミになれる余興を用意させていただきましたんでっせー、いえーい」

 さらに声をひそめて言った啓太郎の誘いに、俺はさすがに一歩退いた。

 と、ちょうどその先に下駄箱に続く段差があったものだから、俺はみっともなくよろけるはめになった。

「っと、だーいじょーおぶ? 西笹川殿」

「別に」

 俺は素早く体勢を整える。

 啓太郎にはきつく返しておいた。

「そんなやばいとこ付き合いきれるか」

 しかし啓太郎はもみ手の調子でにじり寄ってくる。

「安心と安全が売り物のアットホームなお店でっせえー、ダンナ。ケータローの紹介といやあ、そりゃまあイイ感じの女の子がとっとと出てくる。もちろん今日はオレっちのおごりやし? ええでぇええでぇ、西笹川殿ー、女の子相手にいちいち面倒な話もせんでええのんよ。単に無言でサービスしてもらうだけでオッケーなんよー」

 さすがに学校の敷地からいたが、昼間からこんな話を堂々としてくる啓太郎の神経は恐ろしいものがある。

 こいつは確かに、知り合いは多いようだが、その方面にまで通じているとはだ。

「なあ、高貴君、男なら一辺こういうとこで遊んどくのも悪ないで。ほら、あの貧相なガキにひっつかれまくりじゃ、キミのカノジョとも楽しむヒマ作れやんやろ? それに、カノジョってやつとは、あれや、女の子は精神的なつながりとゆー、腹の足しににならんよーな要素を求めるやろ。やりたいよーにガンガン突っ込んどるだけじゃ、ヘソまげていずれやらしてくれんよーになる。でもプロはええで。好きな時に好きなように好きなだけ、金さえ払えば、な?」

 無茶苦茶な話だ。







 ポケットの中に突っ込まれた紹介状を俺はもてあましていた。

 塾講師が、ホワイトボードに書かれた定理を指差し、唾を飛ばしてレクチャーする。白熱灯が、室内を隅々まで照らしている。受講生達のシャープペンシルを走らせる音が響く。

 捨てればいい。捨てればいいとわかっている。

 ――カノジョと楽しむヒマ作れんやろ?

 俺にも一応、彼女という立場の人間はいることになっている。

 同じ学校の同級生で、長身でスタイルのいい長いストレートの髪の女だ。向こうから付き合ってくれと乞われた。美人だし、落ち着いた雰囲気は好みだと思ってOKした。

 その選択は悪くなかったと思う。

 ただ、悪いのは緑澤だと思う。

 あのうるさいチビガキのことを彼女は俺以上にうっとうしがっている。

 俺だって十分うざったがっている。だが彼女はそれ以上だ。俺だって十分嫌がっているというのに、彼女は嫉妬と疑いの目で俺を見る。

 どう見ても、どう見てもわかるはずじゃないのだろうかね?

 緑澤の俺に対する執着はあくまで『完璧な理想の人』という崇拝であって、恋愛対象とは全くの別物だということに。

 好きだ好きだと緑澤は俺に連呼するが、あのクソチビガキが『そういう』意味で言っていないということは、言っている本人も言われている俺だって承知していることだ。

 しかし俺の彼女には面白くないらしい。

『女』はしつこい。あの嫉妬というやつは何故こうもねちこいのだろう。最近では、彼女と顔を合わせるたびに、緑澤のことで責められる。嫌になる。

 ちなみに、緑澤自身は『女』ではない。彼女のようなねちこさとは無縁だ、からりと晴れた夏の青空のように暑苦しいクソガキだ。

 まったく嫌になる。

 俺の彼女サンにも緑澤にも。

 彼女サンのご機嫌を取るのもそろそろ面倒くさくなってきた。

 でも、別れを切り出そうとすると、またぞろ緑澤のことでとやかく言われるのだろうと思うと、バイバイと言うのも面倒になる。

 俺だって憂さも晴らしたくなるぜ。

 ポケットの中の紹介状に触れた。






 予備校からの帰り道、日はどんどん長くなる季節だけれども、とっくに暮れた道を行く。繁華街のネオンはきらびやかで目にうるさいほど。

 しかし、一つ角を折れると、一気に暗い風景になる。暗いだけではなく、いかがわしさの漂う道のり。

 堂々としていればわかりゃしないさ。

 俺は自分にそう言い聞かせて歩いた。きょろきょろと首と目を動かし、辺りの雑居ビルを観察したい衝動を抑えながら。

 裾を切ったジーパンと黒い革ジャンの女と、長い髪を金色に染めた女が煙草をくゆらせていた。その脇に改造バイクにまたがる男がいて、二人の女と頭の悪そうな笑い声を上げていた。

 啓太郎に押し付けられた名刺大の紹介状、裏の地図に従い俺は進む。

 一旦家に帰って着替えてから予備校に行ったから、俺の服装自体には問題がないはずだった。

 ちょっとした気晴らし。

 たまにはこんなこともなきゃやってられない。

 俺は何度も自分にそう言い聞かせる。

 手の平の中の地図が示していたのは、辺りのまぎれる形で建つ、雨の跡が伝う暗い灰色のビルだった。見上げると三階まである。

 が、図にはB1フロアとある。見ると人一人がやっと通れるというくらいの幅の傾斜の急な階段で階下に下りていけるようになっていた。

 地下一階のドアを開けると、そこは俺の想像していたようなものとは異なり、いかにも『店』といった感じのものでなく、ただのアパートの一室といった感じだった。

 俺を迎えたのは、タンクトップの剥き出しの腕がいやに黒い男だった。鼻ピアスをしている。いかにもその道のといった風でなく、ただの大学生の遊び人にしか見えなかった。

「まーた若い奴が来たよ。あんた、誰かのショーカイ?」

 俺は啓太郎の紹介状を差し出した。

「あ、これなら前払い扱いだから、今日はそのままタノシんでってくれていいぜー」

 鼻ピアスは言った。

「ここでは、兄さん、あんたの好きなように女の子を扱ってくれていーんだけど、いいからこそ言っとくけど、ここでのことは一切他言無用。啓太郎の紹介状を持ってきたってことは、あんたの口の堅さは信頼できると俺も信じるけど、一応な」

「ああ」

「じゃ、しつこいようだけど、最後にもう一度確認しとくな。ここでのルールは二つだけ。女の子は再起不能にさせるな、その一歩手前くらいまでで遊ぶのは可能だがな。プラス、秘密厳守。オッケ?」

 再起不能の一歩手前まで?

 本気か?

 けれど俺はうなずいていた。すると、鼻ピアスは廊下の奥に俺を導いた。

「今、一人帰ったとこだから、女の子も一人だけ開いてる。その子でいいよな? つか、ここでの場合、二人以上待機してることなんてほどんどないから、選択の余地もすでにないって感じなんだけど」

 鼻ピアスは特に悪びれるふうでもなく。

「でもま、いいじゃん? どんだけいたぶっても跡腐れなく楽しめるんだからさ。ニーサン、好きなようにいたぶっちゃってくれていいから」

 歌うように説明し、鼻ピアスは病院の待合室のような空間から続く一つのドアに向かって言った。

「マイー、お客さん来たから、よろしくなーっ」

 返事はなかったが、鼻ピアスは仕事終了とばかりさっさと背を向け廊下の向こうに消えた。

 どうでもよくなっていた。

 ここまで来たら、もうどうでもいい。

 鼓動が早まる。手に汗がしっとりにじむ。

 俺は扉を開けた。部屋の中央にはダブルのベッドがでんと居座っている。それ以外に何もないそのためだけの部屋だった。

 部屋を確認するより先に、まず先に俺が凍った。

 くしゃくしゃにからまったシーツ。

 うつぶせにベットにしずめられた細い体。

 小さな体。

 白いキャミソール。

 その体が腰をひねる。

 身を起こす。

 ぱさりと音がして髪の毛の先が目にかかる。

 うっとうしげに振り払う。

 紅を掃いた唇。

 言った。

「いらっしゃい」

 知らない声。

 見知らぬ姿。

 けだるげにうつむいたまま。

 まだ客の姿は確認せぬまま。

 俺は相手の名をこぼしていた。

「……緑澤」

 その次の瞬間には、目が合っていた。

「高……貴……く……」

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