第七話:反復の歳月、限界の境界
一日百匹。
かつて八歳の俺が初めて手にしたその数字は、当時の俺にとって、喉の奥まで焼き付くような熱い渇望と、それ以上に重い絶望の塊だった。
木刀を五回振るだけで、俺の魂の種火は消えかかり、泥のような疲労が全身を支配した。四肢の筋肉は悲鳴を上げ、肺は焼けるような熱を帯びて酸素を拒絶する。
だが、俺は止まらなかった。
前世で、一発のパンチを極めるために血の滲むような反復を繰り返してきた俺にとって、限界とは超えるためにある壁に過ぎない。むしろ、その壁が高ければ高いほど、乗り越えた瞬間に得られる効率の果実が甘いことを、俺の魂は知っていた。
九歳。
一振りに込める魔力の配分を、一を振る間に三つの意志を、そして五つの意志を重ねるまで練り上げた。
かつては命を削るようにして放っていた一閃が、次第に呼吸と同じほどに軽く、しかし鋭いものへと変貌していく。
もはや、一匹ずつ獲物を探す時間は無駄でしかない。
サーチの網を広げ、視界に入る全ての核を一息に断つ。
ノルマは百から五百、そして千へと跳ね上がったが、俺の歩みはむしろ加速していった。
村の連中は、毎日泥まみれで森から戻る俺を「取り憑かれたガキ」と呼び始めたが、そんな雑音に割く時間は、俺の計算表には一行も存在しなかった。俺が見ているのは、ただ一点、効率の極致だけだ。
十歳。
村の周辺から、スライムの気配が目に見えて薄れ始めた。
普通なら平和になったと喜ぶべき光景だろうが、俺にとっては死活問題だった。
獲物を探す時間が、実際に振る時間を追い越し始めたのだ。効率の低下。それは俺が最も嫌う毒だった。
俺はより深く、より澱んだ森の奥へと足を踏み入れるようになった。
サーチの範囲は村全体を飲み込み、隣接する山脈の麓まで届く。
この頃になると、俺の肉体は、子供のそれとは似ても似つかない代物に変質していた。表面の筋肉こそ柔軟だが、その奥には魔力によって焼き固められた鋼のような密度が宿っている。ただ立っているだけで、周囲のマナが俺の呼吸に同期して震えるのを感じる。
十一歳。
一振りに数十の意志を乗せる。
一秒で群れが消え、一分で百が消える。
俺にとってのスライム狩りは、もはや戦闘ですらなく、ただの朝のロードワークに過ぎない。
一日に五千匹。その異常なノルマを、俺は午前中の涼しい時間だけで完遂するようになっていた。
余った時間は、ひたすら「型」の微調整に充てる。
いかにして、一動作の予備動作を削るか。
いかにして、魔力の漏出を最小限に抑えるか。
俺の頭の中にあるのは、もはや数字の積み上げではなく、世界の理をどう効率的に利用するかという、無機質な計算式だけだった。
そして十二歳の冬。
冷たく澄んだ空気の中、俺はいつものように庭で木刀を構えていた。
三年前に親父から贈られたあの樫の木刀は、もはや見る影もなく摩耗し、炭のように黒ずんでいた。
俺が放つ魔力の密度に、ただの木材はもう耐えられない。木刀の内部には、無数の微細な亀裂が入り、俺の魔力が通るたびに悲鳴のような軋みを上げていた。
渾身の一振りを放った、その瞬間だった。
メキ、という鈍い音が静寂を切り裂いた。
木刀が、内側から弾けるように砕け散ったのだ。
手に残ったのは、無残に折れた柄の部分だけ。
三年間、数千万回の反復を共にしてきた相棒の最期に、俺は静かに溜息を漏らした。
「……潮時か」
村の木材では、もう俺の「一振りの重み」を支えきれない。
この三年間で、俺はこの領域におけるレベリングの限界に達していた。
同じスライムを数千匹狩っても、もう俺の肉体に変化は起きない。器が飽和し、次なるステージを求めているのが分かった。
その日の夕食時、俺は静かに親父に向き合った。
「親父。もっと頑丈な、鉄の剣が欲しい。……隣村の鍛冶屋へ、行かせてほしい」
親父は、成長し、静かな眼差しに底知れぬ力を宿した俺の姿をじっと見つめていた。
十二歳。この世界の常識では、まだ子供だ。
だが、俺の肉体に刻まれた反復の痕跡、そして折れた木刀が語る真実は、親父の想像を遥かに超えていたのだろう。
「……分かった。明日、発て」
短く、しかし重い承諾。
親父は、かつて自分が使っていたという古い鞘を押し入れの奥から取り出し、俺に差し出した。
中身のない、空の鞘。だが、そこには長年の手入れによる確かな風格が残っていた。
翌朝、俺は村を隠す深い霧の前に立っていた。
よそ者を寄せ付けず、住人を閉じ込める聖域の壁。
これまでは、この霧の向こう側に何があるかなど考えたこともなかった。
だが、今の俺のサーチには、その霧が物理的な現象ではなく、何らかの強大な意志によって構築された境界であることが手に取るように分かった。
そして、その境界に、俺を拒む力はないことも。
一歩、踏み出す。
霧の中は、冷たく、そして心地よい静寂に満ちていた。
数分ほど歩き続けた頃、視界が唐突に開けた。
霧を抜けた先には、見たこともない広い街道が、地平線の彼方まで続いていた。
空気が僅かに薄く感じる。いや、正確には、大気中に漂う魔力の密度が村よりも格段に低いのだ。
これまでは高濃度の酸素の中にいたようなものだった。この「外」の世界こそが、本来の理なのだろう。
「……ここから先は、スライムだけじゃないんだな」
俺は腰に空の鞘を差し、右手には道中で拾った手頃な予備の棒切れを持った。
振り返ることはしない。
村という檻を抜け、効率の怪物がついに外の世界へとその足跡を刻み始める。
十二歳の冬。
俺の、新しいラウンドの幕が上がった。
隣村へ、そしてその先へ。
俺の反復を受け止める、真の得物を求めて。




