第四話:二十五匹のノルマと、拭えぬ違和感
八歳の誕生日の翌朝、俺の頭の中に数年ぶりの明確な指示が響いた。
庭で新しい木刀の重さを確かめ、最初の一振りを放とうとしたその瞬間だ。
《個体名:シン・カミシロ。管理システムより通達。本日のノルマ、スライム二十五匹の処理》
無機質なその響きは、かつてのリングで聞いた開始のゴングよりも冷徹だった。
二十五匹。
昨日、森の入り口で一匹仕留めたばかりの俺にとって、それは未知の数だった。
だが、前世で地獄のような練習メニューをこなしてきた俺の魂は、その数字を「こなすべき作業」として即座に受け入れた。
俺は木刀を握り直し、朝露に濡れる村の外縁へと足を向けた。
森の境界線。
昨日の今日だというのに、俺の感覚はさらに研ぎ澄まされていた。
木々の隙間、茂みの影、湿った土の上。
そこかしこに、あの水色の粘体が放つ独特の気配が漂っている。
視界の端で何かが動く。
俺は無駄な動きを排し、最短の歩法でその場所へ肉薄した。
一匹目。
スライムがこちらの存在に気づく前に、木刀を一閃させる。
パチン、と乾いた音がして、中心の核が砕け散る。
霧散する魔物。
腕に残る手応えを確かめる間もなく、俺は次の気配へと意識を向けた。
二匹、三匹、四匹。
処理は順調だった。
三年の素振りで体に叩き込んだ型は、実戦という名の舞台でも寸分の狂いもなく機能していた。
スライムが跳ねる予備動作。
核が移動する軌跡。
それらすべてが、止まっている的を叩くように容易く感じられる。
十匹を数えたあたりで、俺の呼吸は全く乱れていなかった。
だが、その代わりに、腹の底で名状しがたい苛立ちが首をもたげ始めた。
(……効率が、悪すぎる)
十一匹目のスライムを仕留めた直後、俺は木刀を下げて足を止めた。
一匹を探し、間合いを詰め、一振りを叩き込む。
確かに確実だ。一撃で仕留めているのだから、これ以上の正解はないはずだ。
だが、前世で一秒の隙、一動作の無駄さえ嫌ってきた俺の合理主義が、この「一対一の繰り返し」を時間の浪費だと断じ始めていた。
森の奥を見れば、まだ多くの気配がある。
それを一匹ずつ、同じ手順で処理し続けるのか。
二十五匹ならまだいい。だが、これが百、千となった時、このやり方では日が暮れてしまう。
もっとまとめて、一気に終わらせる方法はないのか。
たとえば、一振りの動作の中に、複数の打点を作るようなことはできないのか。
十五匹目。
目の前に二匹のスライムが並んで現れた。
俺はそれらを一度に視界に入れ、一本の木刀を構え直す。
一振りで二つの核を貫く。
イメージを膨らませ、鋭く横になぎ払う。
だが、結果は非情だった。
最初の一匹の核は砕けたが、その衝撃で木刀の軌道が僅かにそれ、二匹目の核は捉えきれずに弾かれるだけに終わった。
結局、二振り目が必要になった。
一振りに、一撃しか乗らない。
それが今の俺の肉体と技術の限界だった。
二十匹。
作業は後半に入っていた。
一匹ずつ処理する速度は上がっているが、心の中の違和感は膨らむ一方だ。
三年間、庭で繰り返してきた素振り。
あの時、時折感じた「重なり」の正体は何だったのか。
ただの棒を振るだけで、周囲の草がなぎ倒されたあの現象。
あれを意図的に引き起こせれば、この非効率な現状を打破できるのではないか。
二十四匹目を倒し、最後の一匹が茂みから這い出してきた。
俺はそのスライムを前にして、あえて攻撃を遅らせた。
じっと見据える。
核の位置を確認し、体内の力を一点に集中させる。
その瞬間だった。
これまでのレベルアップとは明らかに違う、全身が内側から沸騰するような熱い感覚が俺を襲った。
「……ッ!」
手のひらから溢れ出した見えない力が、木刀へと吸い込まれていく。
樫の木で作られたはずの得物が、生き物のように不自然に震え始めた。
熱い。
体中を駆け巡るこの「何か」が、行き場を求めて暴れている。
俺は、その奔流を抑え込むように最後の一撃を振り下ろした。
手応えはなかった。
ただ、木刀がスライムの核を通り抜けた瞬間、これまでにはない鋭い衝撃が足元まで伝わった。
パシィィィン!
スライムは霧散するどころか、その衝撃の余波だけで周囲の草木ごと吹き飛んだ。
《本日のノルマ達成。……個体内の魔力循環を確認。次段階の解放を準備します》
脳内に響く無機質な宣告。
魔力循環。
システムの言ったその言葉が、俺の中にすとんと落ちた。
この体の中に流れる、熱く、重いエネルギー。
これが魔力であり、俺が求めていた「効率」を底上げするための鍵。
俺は自分の両手を見つめた。
まだ震えが止まらない。
一振りに、一撃。
その常識が、いま音を立てて崩れようとしていた。
二十五匹を倒し終えた静寂の中で、俺は次なる段階への扉が開いたことを、確信を持って感じ取っていた。




