第二十四話:玉座の威圧、断絶の領域
近衛騎士たちに先導され、俺は王城の深部へと足を踏み入れた。
白石で築かれた回廊を歩くたび、肌を刺すような独特の感触が全身を包み込む。それは単なる空気の冷たさではない。城内に幾重にも張り巡らされた、侵入者の精神を削り取り、肉体の自由を奪うための防衛術式が放つ重圧だ。
並の人間なら、門をくぐった時点で心拍数が跳ね上がり、膝を突くほどの魔力的干渉。だが、俺の体内を巡る熱は、その不純な外部刺激を即座に「異物」として認識し、自動的に相殺していく。
《個体名:シン・カミシロ。王宮結界内に進入。……運動機能への干渉、および意識混濁の術式を検知。魔力循環を反転させ、これを中和します》
脳内に響く無機質な報告。俺は歩みのテンポを一切乱すことなく、磨き上げられた廊下を淡々と進む。先導する近衛騎士たちは、俺が結界の影響を微塵も受けていないことに気づき、兜の奥で動揺を隠せないようだった。
彼らにとって、この城は神聖な「王の居所」なのだろう。だが、俺のサーチが捉えているのは、その豪華な装飾の裏に隠された術式の「核」の配置図だけだ。どこを断てばこの空間が崩れるか。どこを叩けばこの重圧が消えるか。俺は歩きながら、無意識に城全体の構造を「解体対象」として仕分けていた。
やがて、巨大な黄金の扉が開かれ、俺は玉座の間へと足を踏み入れた。
高い天井から降り注ぐ光。その下には、この国の最高権力者である国王が鎮座し、その周囲には王宮魔道士団と、選び抜かれた近衛騎士たちが整列している。
俺が中央まで進むと、居並ぶ者たちから一斉に「殺気」が放たれた。それは、村の森で出会ったどの魔物よりも洗練され、鋭く研ぎ澄まされた意志の刃。
だが、俺の感覚は、それら全てを「質の高い標的の群れ」として処理した。
(……右に十、左に十二。後方に伏兵が三。全員、急所の位置が明確だな)
サーチによって、彼らの全身にある「核」が赤く点滅し、俺の脳裏に焼き付く。喉、心臓、関節の継ぎ目。豪華な鎧や法衣など、俺の目には存在しないも同然だった。
今の俺にとって、ここは威厳に満ちた広間ではない。
全方位を囲まれた、これ以上ないほど過密な「練習場」に過ぎないのだ。
俺は国王の数歩前で立ち止まった。
膝を突くことも、頭を下げることもしない。ただ、自分の重心を安定させ、いつでも「作業」に移れる姿勢で立ち尽くす。
その不遜な佇まいに、玉座の脇に控えていた近衛騎士長が、怒りに顔を染めて一歩前に出た。
「不遜なり! 陛下の御前であるぞ! その薄汚れた足を折り、土下座の作法を教えてやろうか!」
騎士長が怒号と共に、その手に持った杖を地面に叩きつけた。
その瞬間、俺の頭上から巨大な石の塊を押し付けられたような、凄まじい圧力が降りかかった。
「重力魔法」。
石畳が耐えきれずにメキメキと音を立てて砕け、俺の足元に深い亀裂が走る。
並の冒険者なら、その瞬間に全身の骨が砕けて平伏するはずの、王宮秘伝の拘束術。
だが、俺の心拍数は一拍たりとも乱れなかった。
俺は、腰の真剣には手をかけない。
代わりに、俺の意識が「対人モード」へと瞬時に切り替わった。
スライムの核を撃ち抜くための広域サーチを、目の前の一点、騎士長の喉元へと凝縮させる。
重力によって地面に縫い止められたはずの俺の体が、次の瞬間、音もなく前方へと滑り出した。
「……なっ!?」
騎士長が驚愕に目を見開く。重力に逆らい、なおかつ予備動作の全くない、最短の踏み込み。
俺は、剣を抜かない。
ただ、腰の回転を、肩を、そして魔力を一点に集約した拳を、迷いなく突き出した。
一を振り、十を討つ。
その理を、俺は剥き出しの拳へと乗せた。
バシィィィィィンッ!
衝撃が走ったのは、騎士長の顎の先端だった。
ただの一発。だが、その瞬間に、俺の意志を宿した十の打撃が、脳を揺らすための最適解として叩き込まれた。
騎士長は、自分が殴られたことさえ理解できなかったはずだ。
全身を包んでいた重力魔法の術式が、術者の意識の断絶と共に、糸の切れた凧のようにバラバラに霧散した。
ドサリ、と。
王都最強の一角と謳われた近衛騎士長が、一度も剣を抜くことさえ許されず、石畳の上に這いつくばった。
玉座の間を、死のような静寂が支配した。
「……邪魔」
俺は拳を引き、再び平然と立ち尽くした。
周囲の騎士たちが、抜剣のタイミングさえ失い、幽霊でも見るような目で俺を凝視している。
「なるほど……面白いな、少年。」
静寂を裂いたのは、玉座に座る国王の、低く重厚な笑い声だった。
国王は、跪く臣下たちを制し、その鋭い眼光で俺を射抜いた。
「守護竜を屠ったという報告、疑う余地もなし。……貴様の瞳には、王の威厳も、富への欲望も映っておらぬ。映っておるのは、ただ終わりのない『反復』の渇望だけか」
国王は玉座から身を乗り出し、初めて俺を対等な「存在」として見定めた。
「望みを言え。爵位か、領地か。それとも、わが娘を娶るか?」
俺の答えは、最初から決まっていた。
「折れない鋼を。……俺が、一振りに千を超える意志を込めても、内側から弾けない本物の剣を打つための、最高級の素材をください」
王は一瞬だけ呆気に取られた後、腹の底から響くような大笑いを上げた。
「はははは! 褒美に『材料』を欲しがる者など、開国以来初めてよ! いいだろう、狂信者。……其方の望み、叶えてやる」
国王は自らの首にかけていた、金色の重厚な鍵を俺に向かって放り投げた。
俺はそれを片手で受け止める。
「王室宝物庫の最深部への鍵だ。そこには、建国以来一度も加工されることのなかった、神代の鋼が眠っている。……ただし、そこを守る『守護者』を退けられるのならばな」
「ありがとうございます。……的がいるなら、ちょうどいい」
俺は一礼もせず、鍵を懐に収めると、そのまま踵を返して出口へと歩き出した。
後ろから聞こえる臣下たちの非難の声も、今の俺には届かない。
サーチの先。
宝物庫の奥に潜む、かつてないほど強大で、かつてないほど「頑強な的」の気配。
俺の新しい練習台が、そこにある。
王城の廊下を叩く一歩一歩が、新しい鋼を手に入れるためのカウントダウンとなって、俺の胸の中で静かに、しかし激しく刻まれていた。




