第二十話:静かなる波紋、効率の聖域
暴君と呼称された巨大な個体を仕留めた翌朝。王都の街並みが喧騒に包まれるよりも早く、俺は宿の裏手にある誰もいない空き地に立っていた。
朝靄が立ち込める中、俺の手には黒く光る真剣が握られている。昨日、あの巨躯を貫いた際の手応えが、まだ掌の皮一枚隔てた奥底に熱として残っていた。
《個体内の魔力密度、安定を確認。……一動作に百の意志を重ねる調整、成功率八割。継続します》
脳内に響く無機質な報告を、俺は深く吐き出す息と共に受け止めた。
一を振り、五十を討つ。昨日の戦いではそれが限界だった。だが、あの壊れにくい大きな的を叩き続けたことで、俺の魔力循環の路はさらに太く、強固に作り替えられた。
一動作の中に、百の結果を閉じ込める。
俺はゆっくりと腰を落とし、剣を構えた。
振り下ろされる一閃。
パシィィィン……ッ!
空気が爆ぜる音さえ、もはや一つの和音のように重なり合っている。一振りの軌道が描かれる僅かな間に、俺の意志は百の座標を正確に、かつ事務的に断ち切っていた。
村でスライムを数千万回叩き続けてきた反復の積み上げが、いま、王都の希薄な空気の中でも完全に再現されようとしている。
俺にとって、昨日の勝利はただの通過点に過ぎない。より多くの「数」を、より短い時間で片付ける。そのための調整に、終わりなどなかった。
朝食を済ませ、ギルドへと足を向けると、そこには昨日とは明らかに異なる空気が漂っていた。
門をくぐった瞬間、談笑していた冒険者たちが一斉に口を噤み、俺のために道を開ける。その視線に含まれているのは、称賛というよりも、理解の及ばぬ天災を眺めるような、拭い去れぬ恐怖だった。
「あ、あの……シン様! ギルドマスターがお呼びです。二階の執務室まで……どうか、すぐにお越しいただけますか?」
受付嬢の女性は、俺と目が合った瞬間に肩を跳ねさせ、上擦った声でそう告げた。
彼女の指先は、カウンターの下で小さく震えている。昨日、俺が持ち込んだ素材の山と、その「一寸の狂いもない断面」を一番近くで見たのは彼女だ。俺に向ける視線には、もはや新人を見るような侮りはなく、正体不明の天災を前にしたような、切実なまでの懇願が混じっていた。
二階の執務室の扉を開けると、そこにはギルドマスターのガルドだけでなく、見慣れぬ数人の男女が控えていた。
彼らは、王都の紋章が刻まれた白銀の鎧に身を包んだ、王都騎士団の面々だった。
「シン・カミシロ君、と言ったかな。君の昨日の活躍は、既に王宮の耳にも届いている。……だが、あまりに信じがたい。あの暴君を、子供が一人で、しかも無傷で倒したという報告を、そのまま信じるわけにはいかなくてね」
騎士団の千人隊長を名乗る男が、鋭い眼差しで俺を射抜くように見た。
彼らにとって、俺のような存在は「管理できない不確定要素」でしかないのだろう。彼らは俺の実力を疑い、あるいはその力を組織の下に置こうとする政治的な意図を隠そうともしなかった。
「提案がある。王室直轄の禁忌領域、原生林『常闇の揺り籠』。そこへの立ち入りを許可する代わりに、我が騎士団の精鋭一名を同行させてもらう。君の立ち振る舞いを、この目で見届けさせてもらうのが条件だ」
男の背後から、一人の若い騎士が進み出た。
鍛え抜かれた肉体と、一切の隙がない構え。騎士団でも若き天才と目される実力者なのだろう。だが、俺にとっては、それが誰であろうと関係はなかった。
「断ります。集団行動は、俺の作業を著しく遅らせる。……と言いたいところですが、場所を借りるための条件なら、勝手についてくる分には構いません。ただし、足は止めませんし、守りもしませんよ。俺の反復に、ついてこられるならどうぞ」
「……随分な物言いだな、少年」
同行を命じられた若い騎士が、不快そうに眉をひそめた。
彼らがどれほど自負を持っていようと、一日に五千の命を刈り取る「実戦」を、ただの作業としてこなす俺とは、見ている世界が違う。
ガルドが苦笑いを浮かべ、俺に通行証を手渡した。
「……悪いな、シン。あいつらも立場がある。……だが、あの森の深部を見れば、疑う気も失せるだろうよ。場所は最高だ。いくら間引いても、翌朝には元通りになる化け物の巣窟だからな」
「最高ですね。ようやく、まともな作業場が手に入りそうだ」
俺は許可証を懐に入れ、執務室を後にした。
一階へ下りると、そこには昨日の三人――エルナ、メル、セシルが待っていた。
「シン! 私たち、決めたわ。……あなたの足手まといになるかもしれないけど、あなたの『作業』を、もう少し近くで見せてほしいの」
そこへ、先程の若い騎士が重厚な鎧の音を響かせて加わる。
エルナたちは、現れた騎士団員の威圧感に身を縮めたが、俺は既に意識を「北の森」へと向けていた。
「……では、行きましょうか。人数が増えても、俺のやるべきことは変わりません」
王都のさらに深部。人跡未踏の原生林へと、俺たちの足跡が刻まれていく。
騎士団の監視、少女たちの好奇心、それら全てを背景の雑音として切り捨て、俺は自分の右腕に宿る「百の意志」を確かめる。
《新領域:原生林『常闇の揺り籠』を検知。……魔物反応、計測不能なほど多数。……素晴らしい効率が期待できます》
脳内に響く声に、俺は静かに応えた。
八歳の冬に始まったあの反復が、いま、新しいリングを求めて、さらなる次元へと突入した。
「……よし。まずは五千匹、一気に片付けましょうか」
俺の言葉に、三人の少女と一人の騎士が、同時に理解の及ばぬ絶句を浮かべた。
効率の怪物による、本当の意味での「乱獲」が、いま幕を開ける。




