第十五話:五千の作業、常識の崩壊
森の奥へと続く獣道。俺の背後には、先程助け出した三人の少女たちが、まだ困惑の色を隠せないまま付いてきている。
弓を背負ったエルナ、杖を握るメル、そして聖印を抱えたセシル。彼女たちの目的は、この森の深部にのみ自生する希少な薬草の採取だという。本来なら数日がかりで慎重に進むべき道程だが、俺の体内時計はそれを許さなかった。
「……薬草の場所まで最短で道を空けます。」
俺は、彼女たちの返事を待たずに歩き出した。
村で三年間、数百万回と繰り返してきたあの歩法。一歩踏み出すごとに、足の裏から伝わる振動がサーチの網となり、周囲数百メートルの「核」を次々と脳裏に浮かび上がらせる。
右前方の茂みにスライムが四。左の樹上にゴブリンが三。
俺は歩みを緩めることすらしない。
腰の真剣を抜く動作に、十の意志を重ねる。
パパパパパンッ!
抜刀と納刀が、一息の間に行われる。
物理的な刃が空を断ったのは一度きりだが、俺の意志を宿した魔力の刃が十の方向に飛び、茂みや樹上の核を正確にブチ抜いた。
背後で、少女たちの息を呑む音が聞こえる。
「……何が起きたの? 今、何か音がしなかった?」
アーチャーであるエルナが、震える手で弓を握り直すが、狙うべき敵はもうどこにもいない。
彼女たちの目には、俺がただ普通に歩いているだけで、周囲の魔物たちが勝手に霧散して消えていくように見えているはずだ。
「シン君、待って! 早すぎるわ! 索敵もせずにそんなに突き進んだら……!」
魔法使いのメルが、息を切らしながら叫ぶ。
彼女の常識では、魔力感知とは精神を集中させ、数秒の時間をかけて周囲を探る儀式のようなものなのだろう。だが、俺にとってそれは、瞬きをするのと同じほどに無意識な「生活習慣」に過ぎない。
「……索敵は終わっています。前方、五十歩先に次の群れ。左右の警戒は不要です」
俺は淡々と答え、再び剣を閃かせた。
一振りに二十の意志。
森の澱みが、俺が通る道に沿って、面白いように掃き清められていく。
一を一として倒していた頃のあの不自由さは、もうどこにもない。
一を振り、十を討つ。
それが重なり、百を断ち、千を沈める。
彼女たちが数日かかると踏んでいた距離を、俺たちは一時間足らずで踏破した。
薬草の群生地が見えてきた頃、三人は肩で息をし、地面に座り込もうとしていた。
「……ふう。信じられない。一度も武器を構え直す隙さえなかったわ……。シン、少し休みましょう。これなら予定よりずっと早く着いたし……」
セシルが、額の汗を拭いながら穏やかに提案する。
だが、俺は彼女たちを振り返ることなく、森のさらに深部へと視線を向けた。
「休んでいる時間はありません。……まだ三千五百匹、残っていますから」
俺の言葉に、三人が一様に動きを止めた。
「……三千五百? 何の話をしてるの?」
メルが、眼鏡の奥の瞳を丸くして問い返す。
「今日のノルマです。一日に五千匹倒さないと、体がなまるんです。村にいた頃からの日課ですから」
「……五千? 一日に……?」
エルナの声が、裏返った。
彼女たちの常識では、冒険者の一日とは、数匹の魔物と死闘を繰り広げ、命を懸けて一つの目的を果たす「物語」なのだろう。
だが、俺にとってのそれは、ただの「作業」だ。
一発のジャブを磨くために数万回サンドバッグを叩くように。
一振りの精度を保つために五千の核をブチ抜く。
そこに美学も、英雄譚も、スリルもありはしない。
「……まさか。あなた、あのギルドでの言葉、冗談じゃなかったのね」
エルナが、戦慄した顔で俺の背中を見つめている。
彼女たちの瞳に宿っているのは、称賛ではなく、理解の及ばぬ怪物に対する、根源的な恐怖だった。
「薬草の採取を始めてください。その間、俺はこの周囲の『掃除』を続けます」
俺は真剣を正眼に構え、サーチを最大範囲まで広げた。
森の奥、俺の到来を察知して集まってくる無数の気配。
《個体内の魔力循環、極めて良好。……本日の作業効率、過去最高を記録》
脳内に響く声に、俺の魂が静かに共鳴する。
もっとだ。もっとまとまって出てきてくれ。
一振りで五十。一振りで百。
核を断つたびに流れ込む魔力の奔流が、俺の器をさらに大きく、さらに強固に作り替えていく。
少女たちが必死に薬草を摘む傍らで、俺は無言で剣を振り続けた。
爆発も、叫び声もない。
ただ、パチン、パチンという、泡が弾けるような「死の音」だけが、絶え間なく森に響き渡る。
返り血一つ浴びぬまま、事務的に命を刈り取る少年の横顔。
八歳の冬に始まったあの狂気が、いま、王都の森を完全に沈黙させようとしていた。




