第十二話:実戦の証明、一秒の終焉
訓練場の土を踏みしめる。
周囲の観覧席からは、下卑た笑い声と、俺を嘲笑う野次が降り注いでいた。
「ガキ、遺言は考えたか!」「試験官殿、手加減してやれよ、死体が汚ねえからな!」
それら全ての雑音を、俺は意識の表層で切り捨てた。
俺の目の前に立つ、元Bランクの重戦士――試験官の男は、身の丈ほどもある大剣を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべている。
男の体から溢れ出す殺気は、周囲の空気を重く歪めていた。だが、俺のサーチが捉える世界では、その殺気こそが最大の無駄だった。
威圧するために魔力を垂れ流し、相手を萎縮させるために筋肉を強張らせる。
そのすべてが、一分一秒を争う作業においては、ただの不純物でしかない。
「おい、ガキ。その木刀、いや、鉄屑か。抜かなくていいのか?」
男が嘲笑いながら、地面を大剣の先で叩く。
係員が木剣を差し出そうとしたが、俺はそれを手で制した。
「……寸止めは苦手なんです。いつも消滅するまでやるのが日課なので。……真剣で、実戦をしませんか?」
俺の言葉に、訓練場が静まり返った。
試験官の目が、一瞬で冷酷な光を宿す。
「……真剣だと? 貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか。俺のこの一振りで、お前のその細い体は二度と繋がらなくなるんだぞ」
「構いません。その代わり、あなたも全力でお願いします。……でないと、俺の『作業』の邪魔なので」
俺は、腰の真剣の柄に手をかけた。
鉄の重みが、手のひらを通じて魂に染み込んでくる。
サーチを開始する。
男の全身が、赤く点滅する無数の点(核)に埋め尽くされる。
顎の先端、喉仏、右肩の関節、左脇腹、膝の皿。
スライムの核よりも大きく、そして鈍い標的。
三年間、一日数千回の反復を繰り返してきた俺にとって、この距離でこれを外すことは、呼吸を忘れるよりも難しいことだった。
「……死ね、クソガキが!」
男が地を蹴った。
重厚な鎧を着ているとは思えない速度。大剣が頭上に掲げられ、太陽の光を反射して白銀の軌跡を描く。
だが、俺の目には、その全てが泥の中を這う亀のような遅さに見えていた。
振りかぶる際の両足の荷重移動。
大剣の重さに振り回される、体幹の僅かなブレ。
俺は一歩、前へ踏み出した。
相手の間合いの中へ。
抜刀。
シュッ、という断裂音さえ鳴らない、無音の一閃。
俺はただ一振りの動作の中に、十の意志を重ねた。
一動作に、十の死。
物理的な木刀では不可能だった、多重の意志の投影。
男の大剣が俺の脳天を叩き割るよりも早く、俺の真剣が、男の鎧の隙間を縫うようにして、その「核」を次々と撫でていった。
パシィィィン!
空気が爆ぜる音が、十回、重なり合って一つの大きな衝撃音となった。
俺の真剣は、既に鞘に収まっている。
男の動きが、唐突に止まった。
振り下ろそうとした大剣が、握力を失った手から滑り落ち、石畳の上で轟音を立てて転がる。
「……あ、が……?」
男は、自分の体に何が起きたのか理解できていなかった。
首筋に、一筋の赤い線。
両手首の腱、両膝の裏、そして心臓の直上の鎧の隙間。
すべて、皮一枚だけを斬り裂き、しかし肉体の全機能を一時的に停止させるための、完璧な精密打撃。
ドサリ、と重い音がして、Bランクの重戦士が地面に這いつくばった。
血は流れていない。ただ、神経を直接断たれたような衝撃によって、彼の肉体はもはや自分の意志では指一本動かせなくなっていた。
訓練場を埋め尽くしていた野次馬たちが、凍り付いたように沈黙した。
誰も、俺が何を成したのかを理解できていない。
ただ、一瞬の交差。
その後には、圧倒的な実力差という冷酷な結果だけが残されていた。
「……終わりました。登録、いいですか? 早く森に行きたいので。……ノルマの五千匹が、まだ残っているんです」
俺は、立ち尽くす受付嬢に向かって、無機質に告げた。
彼女の背後、ギルドの奥深くから、一人の老人がゆっくりと姿を現した。
ボロボロの服を纏いながらも、その瞳には、かつて俺が聖域で感じた「強大な意志」の片鱗が宿っている。
ギルドマスター、ガルド。
彼は地面に倒れ伏す試験官の傷跡を一瞥し、それから俺の腰にある黒い真剣をじっと見つめた。
《個体名:シン・カミシロ。対人戦闘データの収集を完了。……これより、適正ランクの再定義を開始します》
脳内に響く声。
王都での最初の「作業」は、こうして一秒にも満たない時間で幕を閉じた。
俺の反復は、まだ始まったばかりだ。




