第十話:鉄の咆哮、真剣の産声
職人が約束した一週間。俺はその間、鍛冶屋の裏手に積み上げられていた、使い道のない重い鉄の残骸を借りて過ごした。
それはかつて何かの支柱だったのか、あるいは巨大な門の閂だったのか。表面は赤錆に覆われ、歪に曲がった無骨な鉄の棒。だが、それを手に取った瞬間、俺の肉体は歓喜に近い震えを覚えた。
これまでは、自分の放つ力が強すぎて、道具が壊れないように無意識に加減を強いられていた。全力で振れば、木刀は内側から弾け、折れる。その「加減」という名の枷が、俺の反復を僅かに、だが確実に鈍らせていたのだ。
俺は、その鉄の塊を裏庭で振り抜いた。
重い。だが、それでいい。
俺はこの一週間、新しい肉体の重心と、鉄の質量を完全に同期させるための調整に全てを費やした。
一振りに込める魔力の密度を、さらに高める。
木刀では耐えきれなかったあの「重なり」を、鉄の芯へと力任せに流し込む。
一回、千回、一万回。
隣村の喧騒の中で、俺はただ一人、鉄の棒が風を切る「断裂音」だけを聞き続けていた。
不思議なことに、鉄を振れば振るほど、俺の体内の魔力はより純度を増していくように感じられた。
軽い木刀では誤魔化せていた僅かな力み。
一振りの軌道に混じる、ミリ単位のブレ。
それらすべてが、鉄の絶対的な重さによって暴き出され、強制的に修正されていく。
俺にとって、この一週間はただの待ち時間ではない。
真の得物を受け入れるための、過酷な「予備動作」だった。
《個体内の魔力密度、上昇。……鉄の質量への適応を確認。循環効率、次段階へ》
脳内に響く、一度きりの淡白な報告。
俺の筋肉と神経は、もはや「木の枝」を振るう柔な構造を脱ぎ捨て、重い鉄を羽毛のように扱うための、強靭な導線へと作り替えられていた。
皮膚の奥で魔力が脈打ち、鉄の棒を握る掌の皮は、石のように厚く、硬く変質していく。
そして、約束の七日目の朝。
鍛冶場へ足を踏み入れると、そこには一週間前よりもさらに煤け、充血した目をした職人が待っていた。
男の足元には、数えきれないほどの失敗作の鉄屑が転がっている。
一晩中、いや、この七日間、彼は俺の言葉に応えるためだけに、火の粉の中で鉄を叩き続けていたのだろう。
職人は一言も発さず、ただ、作業台の上に置かれた布包みを指し示した。
「……できたぞ。坊主、いや、シン」
俺は、その包みを解き、現れた剣を手に取った。
装飾は一切ない。
ただ、鈍く黒光りする鋼の肌と、通常の剣の倍以上の厚みを持った、圧倒的な質量の塊。
鍔は無骨な円形で、握り(つか)には滑り止めの粗い革が巻かれている。
手に伝わる冷たさは、これまで俺が触れてきたどの道具よりも、深く、鋭く、俺の魔力を求めていた。
「銘はねえ。だが、俺が打った中で最も重く、最も頑強な一振りだ。貴様のあの『重なり』に耐えられるのは、この世でこれしかねえはずだ。……その代わり、並の人間が持てば、三振りもせずに腕が千切れるぞ」
職人の声には、一人の打ち手としての矜持と、それを使いこなせる者への僅かな危惧が混じっていた。
俺は、その剣の柄を、ゆっくりと、しかし確実に握り込んだ。
噛み合った。
まるで、失われていた自分の右腕が、長い年月を経てようやく戻ってきたかのような錯覚。
魔力を流し込む。
木刀の時のような、内側から弾ける不快な振動は微塵もない。
俺の放つ熱が、鋼の芯を通って剣先まで、淀みなく、一気に加速して駆け抜ける。
重い。だが、俺の意志に同期したその瞬間、剣は羽毛のように軽くなった。
俺の全力を預けるに足る、真の半身がそこにあった。
「……いい剣だ。これなら、俺の『作業』を邪魔しない」
俺は短く礼を言い、鍛冶場の外へ出た。
広場に立ち、冷たく澄んだ冬の空を見上げる。
俺は、一度だけその真剣を正眼に構え、真っ直ぐに振り下ろした。
爆発も、派手な音も起きない。
ただ、木刀の時よりも遥かに深く、鋭く、世界そのものが「断裂」したかのような、低い重低音だけが辺りに響いた。
俺が振った軌道に沿って、空気そのものが押し潰され、真空の隙間が生まれたような、そんな感覚。
振り抜いた先にある石畳が、剣に触れてもいないのに、風圧だけで真っ二つに割れた。
音もなく。ただ、そこにあった理が書き換えられたかのように。
職人は、鍛冶場の入り口でその一振りを見つめ、静かに息を呑んだ。
自分の打った鉄が、正しく主を選んだことを、彼はその眼で悟ったのだろう。
彼が一生をかけて磨き上げた技術の結晶が、俺の「一振り」によって、最高の形で産声を上げた。
「……鞘に納めてくれ。俺の反復は、まだ終わっちゃいない」
俺は、親父から預かっていた古い鞘に、新しい鉄の剣を収めた。
ガチリ、という硬質な音が、俺の新しい人生の開始を告げるゴングのように響いた。
十二歳の俺にとって、この剣はもはや武器という枠を超えていた。
さらなる高み、さらなる「数」へと至るための、唯一の鍵だ。
職人に再び礼を言い、俺は隣村の門を抜けた。
街道に出ると、サーチの範囲をさらに広げる。
王都へ続く道のりには、村の周辺とは違う、未知の気配が点在している。
だが、今の俺に恐れはない。
この真剣があれば、一振りに乗せる「意志」の数はさらに増やせる。
十を討ち、百を断ち、やがて五千の領域へ。
《サーチ範囲を拡張。……王都方面、個体反応多数。……これより、移動しながらの『作業』を開始します》
俺は腰の真剣の重みを確かめながら、迷いのない足取りで街道を歩き出した。
一日に五千。
その異常な数字を、誰に誇るでもなく、ただの「日常」としてこなすための、本当のレベリングが始まる。
道のりは遠い。だが、俺の一振りは、もはや何者にも止めることはできない。
鉄の咆哮を携えた少年は、夕日に向かって、ただ黙々とその影を伸ばしていった。




