第83話 どうにもならないこと
「ん……もう朝?」
八月十四日。精霊馬に連れられて生界に降り立ってから翌日。
琴葉は実家の自室のベッドで目を覚ます。
琴葉の家は二階建ての一軒家で、琴葉の部屋は二階に位置する。生前から一切変わりない自室に最初こそは感動したが、一度ベッドで眠ってみると完全に住めば都で、直ぐに慣れた琴葉は懐かしさを噛みしめる。
眠い目を擦りながら傍らに置かれた時計を見ると、時刻は八時を回った所だった。
控えめに欠伸をしながら身体を伸ばし、ベッドから降りる。その脚で階段を降りると、丁度母親が料理をしている姿が見えた。
「あら、起きたのね、おはよう琴葉」
「……うん、おはようお母さん、お父さん」
先に食卓に着いていた父親は新聞を読んでいる。琴葉の来訪に気付いた母が優しく挨拶をすると、父も同じように挨拶を返した。
そんな何気ない一幕。昨日はもちろん琴葉もよく泣いたものだったが、変わらず自分を迎えてくれる両親に胸が締め付けられる思いだった。
母に促されるまま席に座ると、目の前に朝食が置かれる。
ほかほかと湯気の立つ食パンと目玉焼きが食欲をそそるが、生憎幽霊である琴葉には食すことができなかった。
「昨日も言ったじゃん、私は幽霊だから食べられないよ」
「いいじゃない、雰囲気だけでも味わいなさい」
「そうだ、久しぶりの団欒だ。父さんの顔に免じて付き合ってくれよ」
「そんな……顔に免じるとかそういうのは良いよ」
控えめな笑みを見せる父親に自分が死んだことを再度自覚する。
全員の食卓に朝ご飯が揃い、全員が手を合わせた。
合掌と共に始まった日常の一幕を、琴葉は眺める。
「昨日も聴いたけど、仕事は大丈夫なのか? その、亡くなった先輩も居たじゃないか、これからも続けていくのか?」
「……うん、私は私のするべきことがあるんだ」
探るような父親の目線に、しっかりと視線を返していく。
やはり死んだ後だとしても、娘が危険な仕事をしているとなれば親として気になるのは当然のことだと、現実を飲み込んでいく。
先日来訪した時にはある程度幽霊や霊界の仕組みなどを話していたが、それでも納得はされないだろうと琴葉は高をくくっていた。
「琴葉の、するべきことって? 母さんとしては、やっぱりそういうのは控えて欲しいかな」
「うん、そう言われるって思ってた」
「お盆になら帰って来れるなら、毎年精霊馬準備するからさ、平穏に暮らしていてはくれまいか?」
「そう……だよね、二人ともそう思うよね」
でも……と呟きつつ立ち上がる琴葉。
何事かと箸を止めた両親をよそに、身体から桜色の霊力をあふれさせる。
霊感が無いため、霊力までは見えない両親だったが、その後の琴葉の呟きと変化には敏感だった。
「悪霊憑依『優香』」
「えっ――」
優香という単語に反応した母親を尻目に、悪霊憑依を発動させた琴葉の髪色が茶髪から白髪へと変わる。
そしてどことなく我が子の雰囲気を超越したその姿を見て、父親は驚きで口を抑えていた。
「琴葉……いったいどうしたんだ? まだ白髪になるような年齢では無かっただろ?」
「違うよ、これは老化じゃないの。昨日説明した霊力って言う幽霊の力が進化したもの」
「ねえ……母さんの機器間違いじゃなければ、今『優香』って――」
「言ったよ、これは優香と一緒に培った力なんだ。でもね、優香は悪霊になっちゃった」
琴葉の口から発せられる事実は、両親の心を深く抉る。
もちろん琴葉の死後、優香がどうなったのかなんて言うのは両親も知っていたが、それが最悪な形として琴葉の前に立ちふさがった事実は知り得ない。
しかし琴葉から紡がれる重々しい話に、朝飯が入らなくなってしまった両親は完全に箸を置いてしまった。
タイミングを間違えたと察した琴葉は謝罪するが、それよりも頼みたいことがあった。
「ねえ、優香の御両親はどうしてるのかな」
「……結城さんかい、何故そんなことを聞くんだい?」
優しく問いかける父。けれどもその眼は強く据わっていた。
気圧されかける琴葉だったが、琴葉も同様に強い意志を持っているため、何とか堪える。
「優香は悪霊になってしまった。魂も私が祓除しちゃってて、今やもう私の中に流れる霊力が彼女の一滴なの。だから、私でもいい、仮でもいいからご両親と――」
「琴葉」
食い気味に父に呼ばれ、琴葉の言葉が止まる。
決心を半ばで折られる感覚に、琴葉は顰め面を返した。
「結城さんは、もうこの街には居ないよ」
そして紡がれる父の言葉に、琴葉は酷く絶望する。
視線を下に逸らし、悲哀に満ちた表情になる父を見て、嘘を吐いているなんて思えなかった。
「そんな……生きては、いるの?」
「……辛うじて、と言ったところかな。心身の療養で今彼らは辺境の地で暮らしている」
「住所は、わかる?」
「……行く気かい?」
それでもあきらめない琴葉は、父の言葉に強く頷いて見せた。
数秒の沈黙がリビングを包み、先に音を上げたのは父。軽く嘆息したあと、立ち上がる。
「分かった、連れていくよ」
「あなた!」
「良いんだ、琴葉は明日までしか居られない。できる限り娘の頼みは叶えてあげたい……でもね、いいかい琴葉」
「はっ、はい!」
「この世にはどうしようもないことが沢山ある、それだけは理解しなさい」
父の言葉は、強く重く琴葉にのしかかる。
先日までの出来事で理解できていたつもりだったが、それでも喰らった言葉は琴葉の表情を険しくさせる。
準備を整え、父の出す車で二時間、琴葉達は海のよく見える場所に来ていた。
ひっそりと構えられたログハウスを見て、直ぐに察すると歩いて迫る。
「優香」
悪霊憑依を発動し、その身に優香を纏う。
草木を踏み、ログハウスの入口へと歩いていたが、先に窓越しに見えた光景に、琴葉は絶句した。
「優香の……お母さん?」
そこに居たのは、面影がほとんどない程焦燥しきった優香の母だった。
頬はやつれ、ロクに寝ていないのか目の下には漆黒の隈があった。そしてその傍らからコップを持ってやってくる優香の父親。父親も同様に、焦燥しきっていた。
(私は……なんて酷いことをしに来たんだろう)
想像よりもひどい状態に即座に踵を返す。
優香になった自分に会えば、少しは元気になるだろうと過信していた自分を殴るように振り返ると、父の腕を掴んで路肩に停めた車へと走る。
「……分ったかい?」
「うんっ……私は、私は残酷なことをしようとしてた。今のあの人たちに、自分の娘の命を奪った人間が、会えるわけがないんだ」
琴葉の吐き捨てる感情を、父は何も言わず聞く。
そして再度出発した車は、そのまま自宅へととんぼ返りをした。
「あら……優香?」
「母さん、変な冗談はよせ」
琴葉がログハウスを後にして数分。結城家でも変化が起きていた。
突然目にハイライトを戻した母がソファーから立ち上がり、窓の外を見る。
揺れる桜色の霊力、その残滓はもちろん二人には見えない。それでも感じる我が子に、縋るように母は外に出た。
怪訝な表情をしながらついていく父親は、そんな母親の小さくなった背中を見つめて瞳を淀ませる。
「お父さん……優香が、居ますよ」
「……そうか」
その返事に覇気はない。過去に何度も同じやり取りをしていたこともあり、真に受けはしなかった。
しかし、その日は違った。
「ほら、ここに」
「……優香?」
母の指さす方向、そこには揺らめき続ける桜色の残滓。
漂うそれは、見えない筈だった。
しかし、残り続ける霊力はゆっくりと人型を創り出すと、父に目線を合わせる。
どことなく優香に似たその人型に、思わず父の瞼からは涙が溢れだした。
「こんな……所に居たのか……お盆だから、帰ってきたんだな」
何かを言うわけでもない、教えてくれるわけでもない、当の琴葉は既に帰っている。
それでも残り続けた残滓は、優香の存在を二人に教える。
この日、優香が死んでから停滞し続けていた結城家は、精神的に一歩前に進めるようになった。
治療は続く、それでもその一歩は、たった一歩だったがとても大きく、そして革新的なものだった。




