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霊ノ謳  作者: しろくろあめ
第6章 黄昏時に思い馳せ

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第82話 父の背中

「……どうする」


 精霊馬(しょうりょううま)に運ばれるままに生界(せいかい)にやってきていた劉兎(りゅうと)だったが、『(ひいらぎ)』と表札のかかった門前で降ろされると、入るかどうかを決めあぐねていた。

 

 家の中にまでは連れて行ってくれない精霊馬は、劉兎の戸惑いもよそにその場で霧散してしまう。

 

 そんなことを気にする素振りも見せない劉兎は、恐る恐る門から家の中を覗いてみた。


「バカ息子が……」


 劉兎の眼に最初に入ってきたのは、自身が幼い頃からあった仏壇。そしてその前で項垂れる父親の姿。

 

 正座をして目を閉じ、手を合わせる父親には、勘当される前の苛烈さはどこにもない。


 ただただ悲しそうに項垂れる姿勢に、居た堪れなくなった劉兎は思わず一歩前に出る。

 

 瞬間、突風が劉兎の身体を突き抜け、庭を吹き荒らして縁側の扉を叩き、まるで父を呼んでいるようだった。

 

 怪訝な表情で庭の方を向く父親、視線の先には劉兎が立っている。

 

 鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開く父親は、素早く立ち上がると劉兎をしっかりと見つめた。


「われさん……誰だえ?」

「俺だよ……劉兎だよ、信じられんかもしれんけど」


 劉兎の返答に、文字通り開いた口が塞がらない父親。

 劉兎も劉兎で、前に出て自己紹介してからの次の話題をなにも考えておらずその場で立ち尽くす。

 

 数秒の硬直、どちらも沈黙を貫く中、履物すら履かず庭に降りた父親は、噛みしめるように足を回し劉兎に抱き着いた。


「大きんなったな、劉兎」


 劉兎を強く抱きしめ、涙を流す父に、自分が考えていた懸念はただの杞憂だったと感じる。

 そのまま父を抱きしめ返し、感極まった劉兎も涙を流していた。

 

 沈んでいく夕日が二人を照らしている中、一切微動だにせず涙を流し続ける。

 

 そんな中、背後で何かが落ちる音を聞き、涙でぐしょぐしょの顔のまま劉兎が振り返ると、そこには驚いた様子で買い物袋を落とし、手で口を覆い隠す母が居た。

 

 母の登場に同じく気づいた父は、咄嗟に劉兎を離して涙を拭うと、勢いのままに劉兎を殴りつける。


「……ってえな! クソ親父!」

「あん!? なんだその口の利き方は! このクソガキが!」


 売り言葉に買い言葉、突然始まった殴り合いは、着地点を見失う。

 しかし、離別した頃より数倍筋力の付いた劉兎の一撃は重く、二、三発でその場に倒れる父を見て、我に返った。

 

 それでも気が済まない父は、立ち上がりざまに劉兎を蹴ると、劉兎自らの制止すら厭わず拳を繰り出し続ける。

 

 慌てて防ぐ劉兎だったが、嫌な気はしていなかった。

 むしろ会えていなかった分のフラストレーションを発散するには最適とまで思っている。


「勝手に都会なんかに行きやがって! こっちの気も知らんで!」

「あんたこそ、おらの気も知らんで! 誰のために都会に行くって言い出えた思ーちょ!」


 昔を思い出すように、方言をマシマシで罵詈雑言を飛ばす二人。

 

 大学に進学してからという物、長い間劉兎は地元の方言から身を引いていたが、こうして父と対面したらスラスラと出てくることに少しだけ感心する。

 

 それでも続く殴り合いは、二人の顔に傷を付けていく。

 見かねた母が息巻いて二人の間に立つと、一発ずつ平手をお見舞いした。


「おやめなさい」


 母の凛とした声で我に返った父は肩で息をしていた。

 同じく肩で息をしていた劉兎は鼻血を拭うと一息つく。


「何があったか知らんども、劉兎、あんたは本物でええよね?」

「もちろん、劉兎だよ」


 劉兎の返答を聞いた母は大きく頷くと、涙ぐんだ眼をそのままに買い物袋を拾うと、家へと戻っていく。


「晩飯の準備する」


 それだけ言ってそそくさと台所へ消えていく母を見て、昔を思い出す。

 

 いつの間にか父も縁側に座ってタバコを吸い始めており、穏やかな口調で劉兎を隣に促した。

 

 記憶に残るいつもの風景に、再びあふれる涙を拭い、鼻を啜りながら隣に座る。

 

 匂うはずもない煙草の匂いに鼻腔を擽られながら、劉兎は笑みをこぼした。その表情は、霊の歌との戦いに向けて緊張し続けるものではない。


「俺、ずっと父さんに嫌われてるものだって思ってた」

「息子を嫌う親は居らん」


 目を瞑りながら煙を吐く父親は、劉兎の疑念を真正面から打ち砕く。

 

 確かに、混沌としたこの世の中では、自分の子供が嫌いだという親が居ないとは言い切れない。しかし、劉兎の家族はそこには該当しなかった。

 

 嬉しさと共に積み上がる後悔に胸が焦がれる思いをする。もっと早く立ち会っていればよかったという思いで苛まれる中、笑顔とも苦しみとも取れない歪んだ表情で父親を見つめる。


「すまんかった」

「え……?」


 傍らの灰皿に吸殻を押し付けて火を消す。

 そのいつもの動作に見惚れていた劉兎に、突然父親は頭を下げた。


「おらはいつもこげな感じで、口下手だし人の話最後まで聞かんし、頑固だし、誤解されえことも多え。たども、血の繋がった息子にまでそうさしぇるのは、親として失格だった」


 優しく吹いた風が父の残り少ない白髪を揺らす。

 

 煙草の残った煙も風に揺れて消えていき、残ったのは強く見つめる父親の目線だけ。

 

 感極まる心を落ち着かせ、改めて両手を膝の上において父と向き直る。

 

 同時に、劉兎も頭を下げた。


「俺も、最後まで言わだった。俺はただ、家業を継ぐために都会に行きただけなのに、最後まで親父に説明せず死んじまった。俺こそ、親不孝者だよ」


 言い終わり、閑散となった縁側で劉兎は頭を下げ続けた。

 

 蝉の声と母が台所で包丁を使う音だけが木霊する中で、胸の中に滾る熱い思いを噛みしめるように唇を噛む。

 

 数秒なのか数分なのか、しばらく時間が経った後、父からの返答は掌だった。

 

 頭に置かれた暖かい感触に、劉兎の涙腺が熱くなる。

 流れた涙は次第に縁側を濡らしていき、抱き寄せられ当たった胸板は厚く劉兎を受け入れる。


「死んじまったものはもうどうにもならん。色々聞きてえことはあーが、こーからは定期的に会いに来てごせ」

「……うん、約束する」


 流れる涙は留まることを知らず。鼻声で応答する劉兎の声は蝉にかき消される。

 

 しかし、父にだけはその言葉は届いていたのか、頭を軽く小突かれると、いつの間にか陽が沈んでいた。

 

 食卓には三人用の食器が並んでいて、劉兎は何も言われずともそこに加わる。


 疑念は杞憂だった。その真実が劉兎の心を軽くする。

 

 ずっと心に蔓延っていたわだかまりが消えていくのを感じながら、死んでからあった事、死ぬまで大学で学んでいたことを二人に話す。

 

 既に月が出ていて、コオロギの合唱が始まっていた。

 

 涙は、もう流れない。

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