第69話 考えうる上で一番
優香による『ゲートの悪霊』事件が幕を引き、復興中だった霊界は直ぐに作業を再開する。
戦闘のために人掃けがされていた地域も、直ぐに人々が戻り、復興に勤しんでいく。
戦闘後の後片付けは軍神部および昴流の厚意によって一任され、悪霊退散会は再度簡易的な会議室に集められる。
ただ一人、劉兎を除いて。
「みんな、忙しい中集まってくれて感謝する。昨日祓った『ゲートの悪霊』もとい、結城 優香くんの祓除を持って、長かった襲撃事件も幕引きだ」
「ちょっと待ってください」
劉兎以外の全員が集まったことを確認した幸太郎は直ぐに会議を始めようとするが、遮るように挙げられた手が皆の視線を集める。
挙手をしたのは琴葉。鋭い目つきで幸太郎を睨みつける琴葉の眼差しは、お世辞にも穏やかとは言えないものだった。
「劉兎さんがまだ来ていませんよ、彼が来るのを待つべきでは?」
「彼ならまだ休んでいるよ、私が休むように命令した」
「なら劉兎さんが起きてからにしましょうよ、何でこのタイミングで蔑ろにするんですか?」
元々険しい表情だった琴葉の眉間に、更に深いシワが入る。
その強い視線を、幸太郎は真正面でしっかりと受け止めていた。
「蔑ろにはしていないさ、少なくとも今回は彼のことを考えて、彼が居ない場で話した方がいいと判断したからに過ぎないよ」
「それは彼が悪霊かどうか、という話ですよね? もし本当に彼が悪霊なら、私達が彼に対してどのような対応を取るべきなのかは分かりませんが、どっちであろうとも、劉兎さんがそれを受け止められないほど弱いとは思えません」
「それはどうかな」
「私には確信があります」
立ち上がった琴葉の言動はさらにヒートアップしていく。
幸太郎以外の誰もが黙っている中で、オドオドしながら琴葉の袖口を引っ張る梓が琴葉を止めるために宥め続ける。
険悪な空気が重々しく漂う中で、幸太郎と琴葉の視線だけがぶつかり合っていた。
「じゃあ琴葉、もし本当に劉兎が悪霊側の幽霊だとしたら、お前はどうするんだ?」
そんな空気を切り裂くように、傍らから声を上げたのは萌葱。
少し意地の悪い質問だったが、その質問に刺されてもなお琴葉の眼に揺らぎはない。
それどころか萌葱まで睨んでみせると、間髪入れずに口を開く。
「関係ありません、私は劉兎さんを信じてる。彼が悪霊側の幽霊だとしても、彼の中には正義の心があって、今までそれに助けられてきました」
「かなり私情が入っているようだが、惚れたか?」
「それは今関係ないでしょう……」
萌葱の指摘で頬を少しだけ赤く染めた琴葉は、しおらしく俯く。
形成は逆転したかに思えた直後、琴葉の隣で椅子を倒しながら梓が立ちあがった。
「それを言うなら、あたしだって劉兎くんを蔑ろにはしないよ! みんなもそうじゃないの!?」
「梓、声を荒げるな」
「……でも、こんなのおかしいよ。確かに月音の一件で、みんなが悪霊に対して嫌悪感を持っているのは分かる。でも、今まで仲間として戦ってきた劉兎くんが、もし悪霊だとしてもさ、除霊しちゃわないよね? そもそも、あの悪霊が言っていた事なんて、本当がどうかすらも怪しいのに……」
祥蔵に宥められながらも、こらえきれなかった梓は自分の意見を述べる。
琴葉と梓は特に同期であった事もあり、他の会員に比べて関わることも多かった。だからこそ、今回の件を信じたくはなかった。
しかし、現実は非情である。淡々と意見を聞くだけだった幸太郎が再度言葉を紡ぐ。
「分かるさ」
「何故?」
再び琴葉の冷たい目線が幸太郎を刺すものの、微動だにしない。
言葉足らずな幸太郎を補助するように、華鈴が口を挟む。
「ごめんね、みんな落ち着こう。少しヒートアップし過ぎよ、このままだと私達は組織として崩壊しちゃう……それによく考えて? 悪霊が言ったことを鵜呑みにするわけないじゃない」
「じゃあ何でこんなあからさまな迫害を?」
「それは……萌葱」
華鈴に呼ばれ、やっと重い腰を上げた萌葱。その眼は紅く光っていた。
「アタシの眼は特殊なんだ。霊力を纏うと幽霊の中にある霊力の色が見えるんだよ……だから、最初に劉兎と会った時、直ぐに気づいたんだ、アイツには最初から黒い霊力が入っていた」
「最初……から?」
「ああ、最初からだ」
どうしようもない事実に膝から崩れ落ちる琴葉。
険悪な空気が無くなった代わりに、倍以上重くなった空気が全員にのしかかる。
庇っていた梓も同様に表情を凍らせ、何も言わず椅子を起こして座ってしまった。
「アタシと会長、そして華鈴さんはこの事実を深く捉えた。その上で劉兎を勧誘してこっち側に呼び込もうとしていたんだ」
「あの時は彼はまだ小人程度だったわ……その証拠に、彼だけが死んだ時生界に留まっていた」
「劉兎さんが、霊体なのに生界で留まっていた……?」
「ああ、普通の幽霊であれば、死んだら自動的に霊界に魂が飛ばされて、その場で肉体に回帰する。生界で幽霊になった者は、残念ながら等しく小人となる……お前と梓の研修では教えたことだ」
萌葱の表情も暗くなっていく。
琴葉も梓も、劉兎が事故で死んだことは知っていたものの、自分と同じように霊界で目覚めたものだと思っていた。
同じく劉兎も死直後のことなど鮮明に話すことも無く、生界で目覚めることも普通であると考えていた。
ゆえに起きたヒューマンエラーに、琴葉と梓の顔が更に曇り、ついには青白く変色していった。
「最初は我々も小人になっている彼をどうにかこちら側に戻そうとしていた。しかし彼の言動が日に日に悪霊を想起させていくものに変わっていくことにも気づいていた。そして決定的だったのは、彼が漆黒の怒槌を使ってしまったと言った時」
皆の脳裏によぎったのは、劉兎の霊力が変化した出来事、正しく『桜木下の死体』との戦いを終えた劉兎。
漆黒の怒槌という、本来黒い霊力を使役できる者しか使うことのできない秘儀を、不完全ながら使用することができていたこと。
そして何よりも、劉兎が創造するナイフに黒い霊力が混入してしまい、時限爆弾のようになってしまったこと。
その全ての辻褄が、点となり線で繋がり、先の戦闘後に響いた悪霊の言葉がトドメを刺す。
本来は荒唐無稽と一蹴できるような出来事であったはずが、掘れば掘る程事実に近づいていくことに、琴葉の心には絶望が渦巻く。
それは月音を思い出してのことだったが、それよりも竜のように祓除するのではないかという懸念が勝っている。
「でも、ここでこんなことを明かして絶望するために皆を集めたわけじゃない。むしろここからは希望を持って欲しい」
幸太郎の言葉に、全員の視線が再度集まる。
横に立ったままの萌葱はわざとらしく咳払いをした。
「あんなことを言ったが、実はアタシも元小人だ。悪霊になりかけたところを竜に救ってもらった。だからこそ思うんだ、アタシは『無償の愛』に飢えていた。そして竜がそれを満たしてくれたことで、アタシの中の黒い感情は消えた」
「……つまり、劉兎さんにも何か黒い感情を出す『原因』があるってことですか?」
一縷の望みに縋るように、潤んだ眼で萌葱を見上げる琴葉に、優しく頷く。
そして幸太郎が一歩前に立った。
「まだ彼の『原因』が分からない。恐らくは生前の未練に当たるものだろうが、彼の場合は『無償の愛』ではなかった。だからこそ断言する。劉兎くんは紛れもなく悪霊に近い幽霊――」
だが――。と続けようとする幸太郎の言葉を遮るように扉が開かれる。
全員の視線が扉の方へと向き、幸太郎も驚きで硬直してしまった。
扉を開けたのはもちろん、劉兎。
ハイライトのない眼で全員を一瞥した劉兎に対し、全員が一様に同じことを考えていた。
最悪のタイミングだと。




