第62話 萌葱と竜
歩道橋から落ちた萌葱は、程なくして命を落とす。
精神と肉体を限界まですり減らしていた彼女の身体は、生きる気力すらすでに無かった。
「……あれ、アタシ死んだんじゃ」
目の前が暗転したのも束の間、萌葱は再度目を覚ます。
寝不足で狭窄していた視界は晴れており、慢性的な不健康により全身に出ていた不調は無く、息苦しさもない。
そして彼女の身体には、紅い霊力があふれだしていた。
「なんだ……これ、アタシは、なにを?」
最初は理解できなかった萌葱。
しかし段々と己の状態や霊力のことに対する理解を深めていき、数日後には迫りくる小人を簡単に祓えるほどの実力を手にしていた。
それは大学生まで続けた剣道によるアドバンテージなのか、それとも彼女の中で沸々と沸き上がる怒りの所為なのか。
「お前か、最近この辺の小人を狩り回っているのは」
「……何だお前、アタシに馴れ馴れしく話しかけるな、殺すぞ」
「おー怖っ、そんな睨むなよなあ」
そんな荒れ狂う萌葱の前に現れたのは竜。
紅く濁る眼で睨みつける萌葱に対し、透き通るような蒼色の霊力をまとう竜は、わざとらしく笑いながら両手を上げる。
その態度が気に食わなかった萌葱は、即座に創造していた歪な形の刀を構えると、竜の頸に向かって振るう。
「おいおい、いくらお前が強いからって、オレには敵わんぜ」
「……刃を、指でっ!?」
繰り出された刀を、いとも容易く指で掴む竜。
霊力強化で向上した身体能力は、掴んだ刀を引き抜くことも、振るうことも許さない。
いくら力を入れても離れない竜に、全力で引き抜こうとした萌葱は、突然竜が手を離した事により、その場に強く尻餅を着いた。
「お前、こんなところで暴れてたら、いつか悪霊になっちまうぞ」
「悪霊か……悪くないかもな」
「なんでそんなに卑屈なんだよ」
「はあ? お前、アタシの身体を見ても分かんないのか?」
竜の眼に映る萌葱は、お世辞にも健康体とは言えない。
よれよれのスーツに、色落ちしてぼさぼさになった手入れのされていない灰色の髪の毛、どす黒い眼の下の隈、青白い顔、こけた頬。
そして何よりも、淀んだ紅色の眼が、強く敵意を表わし、竜を刺していた。
「……病弱だったのか?」
「いいや、アタシは風邪も引かないほど元気な子供だった……でも、今のアタシはそう見えるんだな」
「あっ、えっとその……悪い」
「いいさ、もう、どうでも」
竜の忌憚ない意見に、思わず俯く萌葱。
それほどまでに不健康そうに見えているという事実は、黒髪を捨てた今でもアイデンティティと思っている萌葱の心を抉る。
そして項垂れてしまった萌葱は、そのまま刀を手放した。
「もういい、どこか行ってくれ」
「そうはいかない。オレ達は悪霊を倒す組織なんだ。お前が悪霊になったら倒さないといけない、それはオレが嫌なんだ」
「知るかよ……悪霊だろうがなんだろうが、アタシにとってはどうでもいいことだ、死ぬなら死ぬ」
ついに横たわる萌葱。
すでに怒りはそこになく、あったのは絶望だけ。
すり減り切った精神では、竜から告げられる言葉など受け止める余裕はなかった。
「……なあ、お前さ、何て名前なんだ? オレは胡堂 竜ってんだ」
「……羽根野 萌葱」
「萌葱か! いい名前じゃないか!」
「うるさい……どっかいけよ」
萌葱の言葉を無視し、横に座る竜。
動く事すらままならない萌葱は、せめてもの抵抗で寝返って竜に背中を見せる。
「オレはさ、悪霊退散会っていう組織に入ってんだ」
「悪霊退散会……仰々しい名前だな」
「そんでさ、お前に会いに来たのは、組織への勧誘だ。ぜひオレと戦ってくれねえか?」
「はっ……こんな今にでも事切れそうなやつをよく誘えるな、それとも上の御命令か?」
「いいや、オレの個人的な興味だな。オレが命令されたのはお前の祓除……要はお前を殺せって言われてる」
「……なら殺せよ」
「嫌だね」
「なんで」
「単刀直入に言う、オレはお前のことが好きだ!」
竜の突然の告白に、驚きのまま硬直する萌葱。
ゆっくりと言われた言葉をかみ砕き、段々と頬を染めると、即座に竜へと振り返る。
「はあ!? 何言ってんだお前! もっと、もっとこうあっただろうが! アタシが『好き』とか言われ慣れてなさそうだからって、そう言えばノコノコついてくると思っているんだな!」
「……ほんっと、卑屈だなあ」
「それはお前がアタシのことを知らないからだ! アタシのことなんて一ミリも知らないくせに! 知った様な口をきくな!」
「なら教えてくれよ、お前のこと。それでも好きになってみせるさ」
真っすぐ向けられた蒼い眼に、萌葱の霊力が静まっていく。
淀んだ紅い眼も鳴りを潜め、対照的に萌葱の頬の赤さだけが明るみになる。
「……なんで、そんな真っ直ぐになれるんだ、お前も死んだんだろ、その若さで」
「ああ、死んださ」
「だったらもうちょっとあるだろ! 生前の後悔とか、遺していった人への居た堪れなさとか!」
「あるよ、いくらでも」
「じゃあなんで!」
「オレは、自分の事をよく理解している。お前みたいにストレスを押し込んでないし、自分が一番かわいいと思って生きてきた。要は、オレはオレのことが好きなんだよ」
竜の言葉に、目を見開く萌葱。
それ以上何も言えなくなり、その場に体育座りをした。
「そのままそこでいじけててもいいかもしれねえ、でも小人と戦ってたんなら、何かしらの後悔とかあるんじゃないのか? それを果たさずに死んでもいいのかよ」
「……もう死んでるじゃないか」
「ハハッ、それもそうかもなあ。でもオレ達は生きてる。矛盾しているかもだが、幽霊として今ここに顕在してる」
おもむろに立ち上がった竜。
静かに萌葱の頭を撫でると、精悍な笑顔を向けた。
「オレのことを好きになれなんて言わない。まずは自分を好きになってみようぜ」
「……なれるかな、アタシはずっとアタシを苦しめてた。なんでも抱え込んで、心配する人を無視して……挙句の果てに死んだんだ」
「なれるさ、あいにく死んじまったけどさ、これからでも遅くない」
そうして手を差し伸べる竜。
潤んだ眼をそのままに、竜を見上げた萌葱は、数秒考えてその手を取った。
「こうしてアタシは悪霊退散会に入ったんだ」
「……素敵な話ですね」
萌葱の過去話を聞いていた劉兎。
そんな過去のあった二人を、萌葱自身の手で終わらせたことに、更に劉兎の心は沈む。
「だからアタシは竜の言葉を継ぐ。自分を好きになれない奴は、他人から好かれる訳が無い。劉兎、お前も自分を好きになれ」
萌葱の言葉に、自分が悔恨を抱いていることを悟られていると感じる劉兎。
皆が踏ん切りをつけていく中で、自分だけがその場から動けていないと分かっていた。
しかし今、萌葱の話を聞き、ついに踏ん切りをつけようと大きく息を吸う。
そんな劉兎の眼前に現れたのは、萌葱の刀だった。
「ここからはアタシの個人的な質問だ。お前は何だ?」
「……質問の意図が分かりません」
「もう分かってるだろ、お前は何で死んだ時――」
萌葱が言葉を言い終えるよりも早く、二人のデバイスが緊急のアラートを鳴らす。
追随した華鈴の声に、二人の表情が強張った。
「【ゲート】の悪霊が現れたわ! 皆、戦闘準備!」
デバイスに記された地図を見て、走り出す二人。
人掃けの行われた霊界の一角で、煌びやかなゲートが口を開けていた。




