第61話 痛みと悼み
「今日も手掛かりはなしか」
「この悪霊も何も知りませんでしたね」
二日後、生界で任務をこなしていた劉兎と琴葉。
今しがた祓った悪霊が霧散していくのを眺めながら、先日の情報共有で聞いた【ゲート】を使う悪霊について、思いを馳せていた。
「こうやって地道にやっていくしかない。相手も悪霊だ、黒い霊力が突発的に増える地域にいるはず」
「……そうですね、早く見つけて祓わないと」
華鈴の使役するゲートに入り、霊界に帰還する二人。
悪霊退散会に帰るや否や、全員が揃っていることに疑念を抱いた劉兎。
そんな劉兎を見た幸太郎は、すぐに二人を目の前に促す。
促された劉兎達は、周りの真似をして目を瞑る。
「今から、竜に対して黙祷を捧げる」
幸太郎の「黙祷」という合図で、全員が祈る体勢を取る。
約二分間。静謐に流れる時間と共に、全員が思い思いの黙祷を竜に捧げた。
「竜さんは、どこに行くんですか? 黄泉の国、なんでしょうか」
黙祷を終え、それぞれが自身の仕事に戻る中、劉兎は幸太郎に問う。
以前幸太郎から聴いた幽霊の死後の歩み。しかしそれはあくまで幽霊のもの。
悪霊へと転じてしまった竜はどこに行くのか、劉兎は分からなかった。
「普通ならね、霊界で魂を浄化して黄泉に行く。しかし今回は無理矢理悪霊に変えさせられ、その上で死んでしまった……転生はするだろうが、悪霊として死んだ場合は、黄泉には行かず、また別の場所で魂の浄化を行うらしいということだけは聞いている」
「つまり、竜さんは全く別のところに行ってしまったんですね……」
告げられる事実に、劉兎の心が締め付けられる。
少なくとも、あの時竜を止めることはできた。
嫌な予感は劉兎も察知していたのだ。その上で、怪我を理由に竜だけが先に偵察に行ってしまった。
そして竜は霊の歌と遭遇し、戦闘を開始してしまった。
「竜さんなら、一人だろうが奴と遭遇したら戦闘を選ぶことは、分かっていたはずなのに……」
「おい、劉兎」
俯きながら、痛みだけを感じる胸を強く掴む。
心臓の鼓動が早くなっていく中、突然劉兎を呼んだのは萌葱だった。
「ちょっとアタシに付き合ってくれ」
萌葱の表情はあの日以来変わらない。
竜の死後は取り乱しもしたが、その後は気丈に振舞っていた。
それは今も同じ、真っすぐに劉兎を見つめ、力強く言葉を発している。
自分だけがまだあの日に取り残されている感覚を抱きながらも、萌葱の誘いに劉兎は乗った。
「いいじゃないか! だいぶ様になってきたみたいだな!」
「相変わらず……強引!」
萌葱に連れられたのは、プレハブの外にある草原。
地下の訓練場が無くなってしまったこともあり、戦闘訓練は基本的に外で行っている。
萌葱から叩きつけられる木刀を軽く往なし、即座にカウンターへと転じる。
しかし、それよりも早く繰り出された右脚が劉兎を襲い、攻撃の半ばで防御へと転じる。それでも脚は木刀ごと劉兎を蹴り飛ばした。
「よくこの短期間で成長した」
「……でもまだ萌葱さんには敵いませんね」
「当たり前だ、アタシを誰だと思っている」
蹴り飛ばされ草原を転がる。
訓練終了の合図をした萌葱が劉兎の横に座り、ゆっくりと視線を空へと上げた。
「そういえば、この前はすまない。見苦しいところを見せてしまったな」
先に火蓋を斬ったのは萌葱。
この前と聞き、劉兎の脳裏には部屋で幸太郎達にしがみついて泣く萌葱の姿が写る。
「いいえ……俺は、竜さんを尊敬していました」
「アタシは好きだったよ……幽霊同士だけど、異性として」
「……すみません。萌葱さんの手で殺させてしまって」
「気にするな。お前は連戦で立っているのもやっとだったじゃないか、だから適任だったんだよ」
沈黙が流れる。
優しい風が二人を撫でていた。
「それによかったって、今は思っているよ。もうあの時には竜の意志なんてなかったかもしれないけど、逆の立場ならアタシもさっさと殺してほしいって思うから」
憂い気に微笑む萌葱を見て、劉兎は萌葱が心底そう思っているようには感じられなかった。
それでも、萌葱は劉兎に笑顔を向ける。
ぎこちなく、それでいてあまり笑えていない顔を。
「アタシさ、社畜だったんだ」
「……え?」
突然のことに間抜けな声を上げる劉兎。
しかし気にしない萌葱は話を続ける。
「今でこそこんな灰色の髪の毛だけど、昔は艶のある綺麗な黒髪だったんだ。アタシの自慢だった」
髪の毛を撫でる風。なびくのは傷みきった灰色の髪の毛。
「よかったら、少しアタシの話を聞いてくれるか?」
「ええ……聞きますよ。いくらでも」
萌葱の真っすぐ見つめる眼に、劉兎も真っすぐ見ることで答える。
承諾された萌葱は、見たことも無い優しい笑みで、静かに息を吐いた。
「退職させてください」
羽根野 萌葱は生前社畜だった。
いわゆる『ブラック企業』という過労必須の企業に就職し、日々精神と肉体をすり減らす。
小さい頃からのアイデンティティであった艶のある綺麗な黒髪。
『大和撫子のようだ』と言われ続けて育ってきた萌葱は、大学に入っても染めることは無く、黒髪を貫き、手入れを怠らずに生きていた。
しかし最近ではその手入れもできなくなっており、ストレスが増えすぎたことでいつの間にか色も落ち、キューティクルも死んでいた。
このままではいけないと気づいた萌葱は、二年間働いた今、退職を決意する。
「あっそ、どうでもいいけど、引継ぎだけはしてけよ」
「……はい」
けれども、そんな萌葱の変化も露知らず、上司から言い渡されたのは冷たい言葉。
それすらも気にならないほどすり減っていた萌葱は、言われるままに三ヶ月間、引継ぎの資料を作成する。
そして三ヶ月が経ち、無事引継ぎを終え、退職を完遂した。
その帰路で、事件は起きた。
「あ……お母さん」
ふと見たのはスマホ。
いつの日か心配する声が鬱陶しく感じた萌葱は、母の連絡先を着信拒否にしてしまっており、家に帰れることも少なく、訪問も断っていた。
すべて解放された今。安堵や喜びすら感じる余裕もなく、それでも残った母の存在に、やっと着信拒否を解除しようと指を伸ばす。
「……え?」
刹那、萌葱の視界が揺らぐ。
次いで感じたのは、痛み。
スマホに注視したことにより、歩道橋の階段を踏み外した萌葱は、そのまま地面へと落下した。
何度も階段に全身を打ち、血があふれだす。
通行人の悲鳴が聞こえ、雨が彼女の身体を濡らしていく。
そんな中で、萌葱の中にはある感情が芽生えていた。
「……殺してやる」
それは、行き場を無くした激しい怒りだった。




