第59話 残滓
霊界を悪霊が襲った、後に『霊界襲撃』と呼ばれる事件が収束し、半日が経過しようとしていた。
「……寝れない」
幸太郎から休むように指示された劉兎含め悪霊退散会だったが、簡易ベッドの上で横たわるだけで眠れないでいた。
疲労困憊、緊張の糸も解け、身体は睡眠を欲している。
それでも劉兎は眠る気になれなかった。
「水……」
何の気なしに起き上がり、乱雑にシーツを放る。
水分を求めて立ち上がった劉兎だったが、物音に気づき、その足を止めた。
「隣の部屋からだ」
呟く言葉が反芻するほど静謐とした部屋の中で、聞こえた物音は劉兎の隣の部屋から。
劉兎以外は皆寝ているであろう時間帯に、不審な物音は劉兎に嫌な想像をさせる。
また悪霊が忍び込んだのではないかと考えた劉兎は、脇に置かれていた霊器を手に取り、静かに部屋を出た。
一歩、二歩と隣の部屋に歩みを進めると、電気が着いていることに気づき、霊器をしまう。
「アタシは……竜が好きでした……!」
「……ッ! 萌葱さん……」
部屋の外からでも聞こえたのは、紛れもない萌葱の慟哭。
扉が閉まっているものの、その部屋の中には幸太郎と華鈴も居ることが伺え、萌葱の言葉が立ち尽くすだけの劉兎の心を抉る。
「ですが、既に竜は悪霊の手に落ちていました……アタシは、アタシが一番霊界の状況を知っているはずなのに、動けなかった」
短い相槌だけで萌葱の言葉を聞いている幸太郎達。
外に居る劉兎も、半日前の出来事を逡巡させていた。
「月音が悪霊化して、こんなことになっていたのに、アタシは心のどこかで、竜を助けたいと、そう思ってしまいました……」
言葉の節々に嗚咽と、鼻をすする音が混じり、劉兎の心を一層抉る。
萌葱よりも先に現実的思考で竜の祓除にかかったのは劉兎であり、最終的に竜の首を落としたのは萌葱。
そんな萌葱は、劉兎達が加入する以前よりも竜との親交があり、好意まで抱いていた。
だからこそ、萌葱に好き人を祓除させたことに、息苦しくなるくらい追い込まれる劉兎。
「……劉兎さん?」
「ッ!」
劉兎を呼んだのは琴葉。
先程まで寝ていたのか、半開きの目を擦りながらゆったり歩く琴葉に、萌葱の話に集中していた劉兎は驚く。
そして同時に、いたたまれなくなった劉兎は、琴葉から逃げるように踵を返した。
「えっ!? 劉兎さん!」
琴葉の呼ぶ声に、部屋の中にいた萌葱達も気づく。
「……劉兎君?」
「まさか、聞いてたのか……!?」
咄嗟に部屋を出る幸太郎と萌葱。しかしそこには琴葉しかいない。
目を見合わせる琴葉と萌葱、琴葉は俯くように首を振った。
「……あ」
逃げるようにプレハブから出た劉兎。
いたたまれない気持ちをそのままに、霊界の街へ足を運ぶも、眼前に現れたのは瓦礫だらけで、痛々しい戦禍の残る街だった。
瓦礫を協力して撤去していく軍神部。その中に祥蔵を見つけ、駆け寄る。
「祥蔵さん、休んでないんですか?」
「……それを言うならお前もだ劉兎。休めと命令があったろう」
「半日ありましたし、もう大丈夫です」
「……嘘だな、寝てないだろお前」
瓦礫を片付けつつも、劉兎の顔を見てすぐに気づく祥蔵。
核心を突かれた劉兎は観念して頷き、誤魔化すように瓦礫に手をかける。
「俺も……手伝います」
「……話くらいなら聞くぞ」
「いいえ、大丈夫です」
おおよそ大丈夫などとは言えない顔色の劉兎だったが、祥蔵はそれ以上詮索することなく復興作業に戻る。
黙々と作業を続ける中で、ふと劉兎は気づいた。
「あれ? 梓は?」
「……梓ならまだ寝ていた」
「寝ていたって……半日ですよ?」
「それほど疲れたんだろう、琴葉もそうだが、梓はまだ十代だ。その上信じていた月音が悪霊化して、心身ともに疲労困憊だったはずだ」
ひたすら瓦礫を片付けていく二人。
たまに一言二言会話があるだけの空間は、劉兎の心にあるわだかまりを大きくするだけだった。
悪霊退散会プレハブ。
未だに眠る梓は、夢を見ていた。
「ここは……どこだろう?」
暗闇。一切の明かりのない部屋のような場所で、梓は佇んでいた。
どこを見渡しても何も無いとしか思えない状況に、焦りが募る。
「やあ、梓」
「……えっ?」
そんなことを数分続けている中で、突然梓を呼ぶ声に身体が止まる。
その声は、聞いたことはあれどもう二度と聞くことは無いはずの声。
「――月音」
振り返る梓を待っていたのは、今回の戦いの元凶であり、梓の手の中で祓除されたはずの月音。
祓除される時の姿をそのままに、黄金色のしっぽが目立つ彼女は、ゆっくりと立ち上がると梓に抱きついた。
「なんで……月音、が?」
数秒の硬直。
しかし、段々と現実を受けいれつつあった梓は、即座に月音を突き飛ばした。
「月音は祓われた! アナタは誰!」
「……そう思うのもやむなしか、安心しろ、わら……ワタシだよ」
突き飛ばされて尻もちを着いた月音。
少し憂うように微笑みながら立ち上がると、まっすぐ梓を見つめる。
しかし梓の中にある疑念は晴れない。
「もう許さない! 竜さんだけじゃなくて、月音まで死んでも利用するっていうの!? 霊の歌ァ!」
「……違うと言っとるだろ。でも、そう思うのも仕方ないか」
鋭い目つきで月音を睨み、咄嗟に霊鞭を構えようとする梓。
しかし、いくら構えようとも出現しない霊鞭。
それどころか霊力すら放出されず戸惑いを隠せなくなる。
「霊鞭も霊力も出せない、ここはお前の夢の中だよ」
「……夢の中? あたしはまだ寝てるの?」
「ああそうだ、ここは夢の中であり梓の心の中」
「心の中?」
「そう、ワタシは消え入る前に、お前とひとつになることを選んだんだ」
憂いげな表情で説明を続ける月音。
同じく霊力を出せない様子の月音は、祓われる間際と同じ微笑みで、梓を見つめる。
段々と理解が追いついてきた梓は、不意に流れた涙を皮切りに月音に抱きつく。
「月音ぇ……!」
「……すまなかったの、勝手にお前の中に入る選択をしてしまって」
「今の月音は、生きてるの? 死んでるの?」
「悪いが、ワタシの本体はあの場所で終を迎えた。今ここにいるのは、消え行く魂の残滓、その成れの果てだよ」
優しく抱き返す月音。その表情は暗い。
梓の抱きしめる腕に力が入り、月音は眉をしかめつつも梓の頭を撫でた。
「これからワタシは、お前の一部として生きる。お前の中で、お前と一緒に戦うんだ」
「一緒に戦う?」
「ああ、ワタシの名前を呼んでみろ、いつでも駆けつける」
「分かった……月音!」
「えっ! 今はダメだ! 止めておけ!」
「……え?」
月音が止める暇もなく、月音を呼ぶ声で梓の目が覚める。
同時に、梓を中心とした爆発が悪霊退散会を襲った。




