第57話 桜流し
「……なんだよ、これ」
繋がったゲートから帰ってきた劉兎が最初に見たのは、見る影も無くした霊界だった。
肩を貸され、覚束ない足取りで帰ってきた琴葉は、虚ろに動く眼で泣いている梓を見る。
「梓……ちゃん?」
「琴葉ちゃん……」
劉兎の肩を離れ、たどたどしくも歩みを進める。
そんな琴葉の視界に映ったのは、梓の膝で目を瞑る月音。
涙も既に枯れた琴葉は、先程萌葱に告げられた事実を噛みしめるように、その場で崩れ落ちる。
「琴葉ちゃん……月音が、月音がぁ……」
「うん……知ってるよ、教えてもらった」
消え入るような声と、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔をして話す梓に対し、琴葉は既に心のキャパシティを超えており、表情が変わらない。
それは、竜の死を間近で見たから、連戦に次ぐ連戦だったからと理由があるが、一番心を絞めつけたのは別にある。
「これを……月音が?」
項垂れる琴葉の視界には、今もなお火や煙が上がり続け、悲鳴や泣き声、怒号が飛び交う霊界。
そして、何よりも自分が今座している場所が、元々悪霊退散会の詰所があった場所であることに、絶望が加速する。
「……その声は、琴葉か?」
「ッ! 月音! まだ生きて……!」
「ハハハ……勝手に殺すな、と言いたいところじゃが、もう先は長くなさそうじゃな」
ゆっくり眼を見開き、琴葉の方へと向く月音。
虫の息だった月音が息を吹き返したことに驚き、直ぐに話しかける二人だったが、月音の眼には既に何も映っていない。
そして鈍い動きで腕を上げると、仄かに霧散が始まっていた。
絶句する二人に、月音は優しく微笑む。
「すまなかったな……元気になったら買い物でも行こうと話しておったのに」
「……なんで、なんでこんなことに」
「琴葉、お主は本当に優しいな。理由は明白じゃ、妾が、悪霊だからじゃよ」
「悪霊だって、関係ないよ、あたし達は友達だったじゃない!」
「梓……そうじゃなあ、こんな状態になっても、友達と言ってくれるか」
当たり前じゃん! と続ける梓だったが、その表情は芳しいものではない。
月音の身体はゆっくり、しかし確実に霧散しており、既に両脚は膝まで、腕に関してはそのほとんどが粒子になっていた。
「妾は……幸せ者じゃな」
「何ひとりで死んだ気になっているんですか!」
瞼に涙を浮かべ、強く月音の両肩を掴む琴葉。
驚いた梓が止めに入るも、琴葉は無理やり起こそうと月音の身体を揺する。
「悪霊だからなんだってんだ! 貴女は、私達と友人になれたんだ! 友人だったんだ! なのに! なのに! 貴女は裏切ったんだ! 裏切ったんだ! 私達の気持ちを!」
「ちょっと! 止めなって琴葉ちゃん! らしくないよ!」
「らしくないって何ですか! 私だって! 私達だって! ここまで大変だったんだ! なのに、なのに! その結末がこれって……!」
「琴葉ちゃん……?」
叫ぶたびに琴葉の眼からは涙が落ちる。何度も月音の身体を揺すり、完全に錯乱していたが、数秒続けると静かに月音の身体を戻し、嗚咽を手で抑えながら慟哭した。
普段の琴葉では絶対に見せない姿に驚く梓だったが、直ぐに自身の膝に掛かる重さに気付き、月音を見る。
「……月音」
「ああ、もう終わりじゃな」
月音の身体は霧散しきり、頭だけを残していた。
「梓、琴葉、伝えたいことがある」
「……聞くよ」
涙を拭い、意を結する梓と、泣きながらも頷く琴葉。
月音は、見えないながらも笑顔を見せた。
「まずは、ありがとう。そして、ごめんな。もし、妾が生まれ変わったら、その次は、その次は――」
霧散は月音の頭を消し、眼を消し、進んでいく。
そして、最後の言葉を言い終わる前に、無慈悲に、冷酷に、月音の身体は消えてしまった。
刹那、少女二人の慟哭が天を仰ぐ。
その居た堪れない姿を見ているだけだった幸太郎は、萌葱と劉兎に向き直り、何かに気付いて目を見開いた。
「萌葱、竜は?」
幸太郎の問いに、バツが悪そうに視線を逸らす劉兎。
その所作で全てを察した幸太郎だったが、遅れて萌葱が発言する。
「竜は……恐らく、霊の歌に……悪霊にされました」
「なっ!」
萌葱の言葉に、霊界に行かなかった全員が視線を集める。
今回の襲撃事件は、裏で霊の歌が手を引いていたのが周知の事実。
しかし、それでも竜の喪失は、悪霊退散会にとってかなりの痛手となる。
「最悪だ……悪霊になってしまったら、転生は難しい。しかもその様子だと、祓ったんだね」
「はい……なので、竜はもう……」
昴流を治療し、やり取りだけを見ていた華鈴は大きく息を吐く。
昴流を抱えていたカナデも、並々ならぬ雰囲気に息を呑んでいた。
「……これから、俺達はどうしたらいいんですか」
涙も枯れ、表情を曇らせた劉兎が口を挟む。
状況は最悪。霊界は蹂躙され、悪霊退散会も詰所から壊されてしまった。
帰る場所も何もない劉兎達は、既に路頭に迷っている。
「悪いが、直ぐには休めない。これから軍神部を筆頭に復興活動が始まるだろう。我々はそれの支援をする」
「……俺達の住まいはどうなるんですか」
「その点は安心してくださいッス」
視線を落としながらも、絶望に囚われないように何とか思考する劉兎の肩を叩き、現れたのは文音。
バラクラバとの戦闘を終え、無事勝利した文音は、変形していた身体を既に戻しており、普段と同じ佇まいであった。
「軍神部には建築部門がありますし、そこに掛かれば一ヶ月足らずで詰所を戻せるッス。その上、別の場所にプレハブを準備するんで、完成まではそこに」
「何から何まですまないね」
「いいえ、今回の襲撃は想定できるものではありませんでした。その中で各々が適切に動いていただき、【神様】は大変感謝しておられるッス」
では、と言って壊れた街へ帰っていく文音。
視線で追っていた劉兎は、静かに歩き出した。
「まだ火の手があります。消火活動手伝ってきます」
「……ああ、頼んだよ」
「アタシも、何かしてきます」
一言だけ告げ、霊界に消えていく劉兎と萌葱。
しかし互いに距離を置いて向かうと、各々別の場所へと消えていく。
やがて、泣きはらしていた琴葉と梓も立ち上がり、祥蔵と共に霊界の復興へと消えていった。
「みんな……」
「……何が正解かは分からない。でも今は、動いていた方がいい。止まっていればそれだけ考えを巡らせてしまうからね」
詰所跡で、復興に向かった全員の背中を見ている幸太郎と華鈴。
カナデも昴流を背負って街へと消えていき、ついに幸太郎達も動き出した。




