第36話
更に数日が経ち、月音も体力を取り戻していた。
しかし、未だにベッドから立ち上がれない状況に、琴葉の表情が険しいものになっている。
「私が治し損ねちゃったのかな……?」
「いいや、ワタシの霊力が上手く機能してないだけなんだ、気にしないでくれ」
数日で口調も変化し、霊界にも慣れつつある月音。一人称も変わり始めていることに心が弾む思いな琴葉だったが、医務室に入ってくる幸太郎と劉兎を見て気を引きしめた。
「今日は任務だ、琴葉。劉兎君と竜と三人での合同で行くから、少しいいかな? キミだけまだ説明ができていない」
「わ、わかりました!」
優しい幸太郎の口調に引かれるように立ち上がり、パタパタとスリッパを鳴らしながら医務室を出ていく琴葉。
対する劉兎は壁にもたれて静かに月音を見ていた。
暫く見つめ合う二人、やがて月音がため息を着くことで沈黙は終わりを告げる。
「少しは話す気にさせてくれんかの」
「……そんなつもりはなかった、すまない」
「そんなつもりはないって……それだけ睨んでおいてか?」
月音に言われ、掌で顔を覆う劉兎。
頭の中で分かっていても、心は正直なままだった。
悪霊は悪霊。人を殺した事実も、悪霊として劉兎達と戦った事実も変わらない。
過去は変わらない、罪は拭えない。
「長生きはするもんじゃな、数日前まで殺し合ってたお主らと、同じ屋根の下、同じ釜の飯を食っとる」
「嫌か?」
物思いにふけるように、天井を見つめる月音。
息を吐くように呟かれた言葉は、劉兎の疑念を静かに収めた。
「いいな、と思っておるよ」
「そうか……なら良かった」
次第に劉兎の目付きも変わっていく。
眉間に皺を寄せていた表情から、小さく安堵して眉を下げる形に変遷する。一連の流れを見ていた月音は、ふぅ、と一息吐くと、呟く。
「お主は強いんじゃな」
「……急に何だ?」
「妥協ができる」
妥協という言葉が胸につっかえる劉兎。喉から出そうになる別の言葉を無理やり飲み込み、静かに頷いた。
「だからお主はそっち側に居るんじゃな」
「劉兎君」
つらつらと述べられる月音の言葉を、遮るように開かれる扉。その主は幸太郎だった。
驚く劉兎を他所に部屋に入ると、琴葉が居ないことに気づいた劉兎は、任務に行けと言われていると察知し、月音を一瞥して部屋を出ていく。
「……なんじゃ、突然」
「いいや、劉兎君達には行って欲しい任務があるからね」
警戒を隠さない月音に対し、普段と変わらない所作で真っ直ぐ見つめる幸太郎。
しかし両者の間には確実に大きな壁があり、月音も幸太郎も、それは重々承知していた。
「お主は、よくあんな獣を飼ってられるな」
「獣……か」
「だから妾にも上手く適応できた、違うか?」
「ワタシとは言わないんだね」
「話を逸らすな」
月音の眼が鋭く射る。
気にもとめない幸太郎は、向けられる目線にしっかりと答えるように見つめ返す。
一瞬の硬直、その後、バツが悪くなった月音は目を逸らした。
「獣か、そう言われれば、そうなのかもしれないな、キミたちから見れば」
「……まさか、言ってないのか!?」
「ああ、言ってない、言う必要が無いからね」
驚く月音に対し、淡々と答える幸太郎。
二人の間には明確な差があった。
「お主は何を考えているのかイマイチ掴めん、だから妾も警戒が解けないんじゃよ」
「私は組織の長だからね、そう簡単に腹は見せられないさ。その点、梓と琴葉はいい子達だろう?」
「だから話を逸らすな……自分が獣であることを教えずに生活させることになんの意味がある? そんな大義、お主らにはないだろう」
「ああ、無い」
妾はそれを知りたい、と続く言葉に、幸太郎は口を噤む。
ゆっくりと幸太郎の眉間にシワが寄る。
「大義なんて、ないさ」
「ようやく人間らしい表情をしたじゃないか」
目を細める幸太郎に対し、まるでイタズラを成功させた子供のように口角を上げる月音。
異様な空気が漂う中、解くように梓が扉を開いた。
「二人とも、何殺気立ってるの……?」
「おお〜、梓か」
目を擦りながら「目が覚めちゃったよ」と告げて部屋に入る梓。
殺気立っていると聞き、幸太郎は咄嗟に自身の口を手で覆い隠す。
対する月音は人が変わったように梓を迎え、嬉しそうに笑って見せた。
「今日はワタシへの客が多くてな、疲れてしまった」
「ダメだよ、みんな仲良くしてくれないと」
軽く頭を小突かれ、わざとらしく舌を出す月音。その姿には、先程の殺気など微塵もない。
「……キミは、変われるかい?」
「飼われるの間違いじゃないか?」
「いいや、飼わないさ、キミは獣ではないから」
「妾は悪霊じゃよ」
隣で苦言を呈す梓を気にせず、好戦的な目つきで幸太郎を見る月音。対する幸太郎は少しだけ俯いていた。
数秒空気が止まり、静かに幸太郎が踵を返す。
そんな幸太郎を、月音は呼び止めた。
顔だけ振り返った幸太郎が見たのは、狐の眼だった。
「人形遊びも程々にな、悪霊退散会の会長さん」
「……どういう、意味かな」
「人をコマとして扱うのも程々になと言ったんじゃ、都合のいいことだけの世界なんていつか崩れる。妾らはその砂上の楼閣で堪えて立ってるだけにすぎん」
「……肝に銘じておくよ」
横で膨れる梓の頬を小突き、ケラケラと笑う月音。
幸太郎は何も言わず部屋を出ていった。
「ねぇ〜! もう喧嘩はやめてよね!」
「でも吹っ掛けたのはアイツだよ」
「そういうことじゃないよ! ここは組織なの、組織の長は尊敬しなきゃなんだよ!」
「ワタシら悪霊は群れないから分かりませーん」
もー! と軽く怒る梓を見て微笑む月音。
その表情には先程までの荒さはなかった。
「はぁ……まぁいいや、はい」
「ん? 水か、くれるのか?」
「うん、水分補給」
「ありがとう」
頭をかきながらどうしようも無いとため息を着く梓。手に持ってきていた水の入ったペットボトルを渡すと、月音の寝るベッドに座った。
「今日は買い出しに行くんだよね」
「あの祥蔵とかいう寡黙な男とか?」
嬉しそうに頷く梓を見て、目を細める月音。
さながら少女のような佇まいに、梓の心が踊る。
「梓、悪いことは言わないから、アイツはやめておけ」
「え〜? 喋ればいい人だよ?」
「まず喋らないじゃないか」
本人が居ない中、噂に花が咲く二人。
呼ばれて飛び出てとはなんとやら、扉がノックされ、月音の了承と共に部屋に入ったのは祥蔵だった。
「……梓」
「はーい、今行きまーす」
「ここの扉をノックするような誠実なやつはお前だけじゃよ、祥蔵」
「……」
「マジで喋らんな、お主」
会釈だけして梓を連れていく祥蔵を見て、流石に引く月音。
しばらく一人の時間が流れた後、意を決してベッドから足を下ろす。
床に接地した足は、強く月音の体を持ち上げた。
「やはり、立てないわけではないんじゃな」
ゆっくりと歩き、部屋の窓を開ける。
生ぬるい風が月音の頬を撫でた。
風を楽しむ月音のもとに、トレーを担いだ萌葱が現れる。
「なんだ、もう歩けるようになったのか」
「おお、もう飯の時間か?」
トレーの上には食品が並んでいる。
持ってきている萌葱の眼は光っていない。そして腰にはいつでも抜刀できるように鞘と霊器が携えられている。
月音は何かを察した。
「まぁ歩けるようになったからと言って、別に霊界内を歩けとは言わん」
「なぁ、萌葱」
「……なんだ?」
トレーをベッド横の机に置き、月音に向き直る。
月音の表情は、憂いげだった。
「ここはいいな、ワタシはここで生きていきたい」
「ッ! そうか、なら――」
「でも、そうはいかんようじゃ」
「……は?」
咄嗟に紅い霊力を放出し、眼を紅く染める。
月音の身体は、蠢きまわる漆黒の霊力でいっぱいだった。
「妾は幽霊にはなれない」
「待て月音! 早まるな!」
霊器を構え、刀を創造する。
月音の目は虚ろだった。
「このまま幽霊になれたら、どれだけいいんだろうな」
「まだだ! まだ!」
「お主も悪霊のことは嫌いだろうに、よく接してくれた」
「まだ、なにか手が!」
「無いんじゃよ、何も」
情に訴えかける月音に対し、あくまで現実を見ている月音は動じない。
月音の周りに黒い霊力が漂う。
「ココロは幽霊になりたいんじゃよ、でも悪霊はそんなこと許されない」
「そんなことない、お前は――!」
「梓に、伝えておいておくれ」
漂う黒い霊力は、月音を中心に回り始める。
霊力で全身を強化した萌葱は、地を蹴り走り出した。
「名をくれて、ありがとうと」
「月音ッ!」
刹那、爆発。
辛うじて床に刀を刺した萌葱は、衝撃に身体を浮かせられながら耐える。光と轟音が襲う中、ゆっくりと開いた視界で見たのは、大きく泣き叫ぶ狐だった。
第36話 現実は非情である




