第112話 霊峰
悪霊退散会付近の大きな草原で、拳を交える劉兎と仁志。
未完迷宮戦を経て、また一段階動きが良くなった仁志に対し、どこか動きがぎこちない劉兎。
普段なら鋭い一撃を繰り出す拳も、今日は何故か身が入っていない。
軽く避けた仁志が回し蹴りを放つ。咄嗟に翻して避ける劉兎だが、その一瞬で肉薄した仁志が右拳を振るった。
「ッ!」
即座に左腕でガードしにかかる劉兎。
激突する直前、仁志の右拳が不用意に停止する。
「なっ――」
「これはブラフっすよ!」
右拳はただの囮。しかし嵌まってしまった劉兎は思考を一瞬硬直させる。それが決定機となった。
間髪入れずに繰り出される左脚の蹴りが脇腹に突き刺さり、意識が飛ぶ。
刹那、止めていた右拳が再び動き、劉兎の鼻っぱしを叩いた。
勢いのままに尻餅を着く。勝負は決していた。
「どうしたんすか劉兎さん、らしくないっすね」
劉兎に手を貸し、立ち上がらせる。
仁志の言う通り、身に入っていない劉兎は鼻を啜りながら自身を垣間見ていた。
「いや、先の戦いで俺だけ戦績残せてないからそれが気がかりでな……あと……」
「あと?」
催促するように言葉を繰り返した仁志に、無意識に首元を擦った劉兎は呟いた。
「あの結界での戦いが終わってからというもの、なんか最近頭にノイズが走る時があるっていうか、変に集中できないタイミングがあってな」
「へぇ……劉兎さんでもそういうことがあるんですね」
物思いに耽りながら話す劉兎に対し、ペットボトルの水を飲み干した仁志は軽く頷く。
しかし、劉兎の挙げた理由は本質的ではない。それも本人は気づいていたが、上手く説明できないというのが現状だった。
「考えても仕方ないことはありますから、そういうモヤモヤは運動で晴らすもんっすよ」
「……そうだな、そうかもな」
溌剌に笑う仁志を見て、深く頷いた劉兎は考えを忘れるように頬を叩く。
もう一度手合わせを始めようかと構えたところで、幸太郎がやってきた。
「梓が起きた。渡米の説明をするから集まってくれるかい?」
その言葉で手合わせは打ち止めとなる。
少し不完全燃焼感が残るものの、会長の指令であることも事実、梓の容態も気になるのも事実であるため、素直に従う。
医務室に入ると、丁度琴葉が梓の容態を見ているところに出くわした。
「どう?」
「うーん、きれいさっぱり毒は無くなってるみたいだね、体調はどう? 怠いとかはない?」
「ちょっと眠いくらいかなぁ」
「そっか、なら大丈夫そうだね」
琴葉の診察の通り、梓の身体からドクの毒は消え去っていた。
そもそも、いくら極悪霊と言えど幽霊であるのもまた事実。
倒されてしまえば霧散してしまうし、その力もまた然り。
いくら毒が強力で即効性があると言っても、本体を斃してしまえば意味はない。条件下で危害を加えてくる呪いの悪霊同様、幽霊の常識は通じるものであった。
梓の無事を確認した劉兎達は、会議のためにカフェテリアに足を運ぶ。
「劉兎くん、ちょっといいかしら」
「……華鈴さん?」
だが、そんな劉兎を呼び留めたのは華鈴。
いつになく真剣な表情になっている彼女を見て、劉兎は只ならぬ気配を察する。
そのまま別室に呼び出されると、劉兎が入室するや否や、部屋全体に結界を張った。
「これは?」
「【神様】のとこと同じ性能の結界よ、流石にあのゲートは作れないけど、あの会議室で使ってた傍受防止、電波切断、防音くらいにはできるの」
「そこまでするってことは、あの話ですね?」
察しの良い劉兎に頷く華鈴。
仰々しい準備をして、この二人が話すことと言えば、先日の謁見で得た霊界に忍び込む悪霊の件についてだった。
「……あれから、劉兎くんは誰かに話した?」
「いいえ、勿論他言無用ですから話してませんよ」
「よろしい。私も同じく誰にも話してない。色々考えたんだけど、やっぱりこの問題は私達二人で解決しましょう」
華鈴の決断に眉をしかめる。
顎に手を置き、少しだけ思案する。
「やっぱり、誰かには言った方がいいのでは? それこそ会長とか」
「前も話したと思うけど、幸ちゃんの左腕は霊の歌のもの、奴の好きな時に情報を抜き取られる可能性があるかもしれない。私達には到底分からないけど、ここまで私達の動きに合わせて悪霊の事件が発生しているんだし、可能性は高いわ」
「じゃあやっぱり俺達二人だけで?」
「正確には昴流さんとカナデさんもだから四人だね」
「華鈴さんは良いとして……心許ないなあ」
「そう言わないの。仕方ないでしょう? これは敵にも味方にもバレてはいけない秘匿任務よ」
現状の捜索メンバーは悪霊退散会と軍神部合わせて四人の隊。
もしかしたら【神様】は別で周知者を増やしている可能性はあるが、そうであれば劉兎達と謁見の日を分ける理由が無いため難しい。
更に、実際謁見日を分けているのであれば、相手からも知っているかどうか分からないため、結局この考察は意味のないものである。
仲間の少なさと心許なさに萎む劉兎だったが、華鈴は何故か自信ありげにウインクをして見せる。
「そろそろ行きましょうか」
華鈴が指を鳴らす。
すると、まるで何事も無かったかのように部屋の結界が解かれ、いつも通りの喧騒が聴こえてきた。
あまり長居しても他のメンバーに怪しまれるのが現状であるため、二人はそのままそそくさとカフェテリアに帰っていった。
カフェテリアでは、既に全員が集められていた。
先程起きたこともあり、未だ微睡みから解放されず欠伸を繰り返す梓。それ以外の面々は険しい表情で前を向いていた。
劉兎達が入ってきたことを確認し、幸太郎が口を開く。
「単刀直入に言う。我々は二日後、アメリカの悪霊退散会との合同訓練をしに渡米する」
紡がれた言葉、その中でも二日後という言葉に全員が息を呑む。
異議を申し立てる者は居ないが、空気が一瞬ヒリつくのを劉兎は感じた。
「アメリカに行く目的は、純粋な会の強化だ。主にまだ【研ぎ澄まし】に成れていない会員を中心に連れていく。メンバーは萌葱、梓、琴葉、劉兎、仁志の五人。琴葉はあちらでの無尽蔵持ち要員だ」
メンバーに選出されたこともあり、一層身が引き締まる思いがする。
そして更に、幸太郎は続けた。
「アメリカの悪霊退散会には、私の古くからの友人が居る。現在そのものは会長をやっている。そして、会員数は五名……少数精鋭だが、全員が【研ぎ澄まし】だ」
全員の表情が凍る。
全員が【研ぎ澄まし】。つまりは自分達より強いということだ。
「当日は胸を借りる思いで挑むように! 特にメンバーはコンディションを整えておくように! 待機組は華鈴と不在時の対応をしてもらう! 以上が渡米の概要だ……そして、もう一つ君たちに話しておきたいことがある」
「話しておきたいこと、ですか?」
渡米の内容は前乗りで知っていた琴葉が声を上げた。
幸太郎は呼応するように呟く。
「極悪霊との戦闘が当たり前になった以上、必要な知識だ。我々悪霊退散会を最初に開いたとされる男――『霊峰』という者の存在を……」
初めて聞く名、霊峰。
聞きなじみのないその単語は、何故か全員の意識に深くのしかかった。




