第108話 心眼
「ぐ……ぐぅっ……」
「ガガ……ゴギゴ……」
同時刻、闘技場跡で巨人に首を絞め上げられていた仁志は満身創痍だった。
全身から流れる血液が巨人の手を伝い、地面へと落ちていく。
失いかけている意識を何とか保つために視線を回していく。そこに映ったのは、破壊されつくした闘技場跡だった。
(も……もうダメだ……嘘だろ? こんなところで……?)
何とかもがき、手の中からの脱出を目指すものの、堅く握られた巨人の手は簡単に解けない。
視界が点滅する。意識が落ちていく中で、月明かりが二人を照らしていた。
視線が回る。破壊された闘技場跡の壁から外の景色が覗いていた。
ある景色が仁志の眼に留まる。同時に、仁志の中で怒りが湧き立った。
「ざけんじゃねぇ!」
「ガッ……!?」
一瞬の出来事だった。
ある一点を注視して停止した仁志の眼。巨人の締め上げが続く中で、仁志の眼はその一点に向けて大きく開かれる。
血走り、血涙を滲ませる眼は、しっかりと何かを見続けていた。
締め上げられる感覚を忘れたかのように、突然、仁志の脚が巨人を蹴り上げた。
一発の蹴り、先程までならダメージにすらならない一撃。
しかし、何故かその蹴りは巨人の首を引き千切り、鈍重な頭を上空へと飛ばした。
「見つけた……見つけたぞ!」
首が無くなり、霧散しながら倒れる巨人の身体。
力を失くした手の中から無理矢理脱出した仁志は、全身の傷を気にすることなく一心不乱にある場所へと走る。
仁志の目線には、それだけが映っていた。
「仁志!?」
傍らから劉兎の声が木霊する。
けれども、最早耳に入っていない仁志は、そのまま見続けていたノイに向けてドロップキックを繰り出した。
仁志の両足はノイの顔面に深々と刺さり、蹴り飛ばす。
驚く劉兎を他所に受け身すら取らず地面に落ちた仁志は、口から流れる血を乱雑に拭い、立ち上がる。
「ハハハ……いい攻撃だ! やっと来たか、仁志!」
「うるせぇ……お前を斃すためにオレは……!」
攻撃をモロに喰らっていたはずだが、ノイにダメージは無い。
むしろ仁志が来たことに喜ぶと、あからさまに口角を上げて両腕を広げる。その表情は、竜と同じ顔であるにも関わらず、到底竜には見えなかった。
「……動けるよな?」
ノイと先々戦闘を始めていた劉兎は、色々言いたいことを抑えて一言だけ告げる。
本来であれば、仁志の傷を見て回復に専念させるのが通常であるが、今回は相手が相手。勿論、劉兎自身にもノイに対する怒りは深い。それでもやはり、ノイを終わらせるのは仁志か萌葱であるべきだと、心底考えていた。
「当然だよ」
横目だけで劉兎を見た仁志は、鼻血を拭いながら霊力を放出する。
蒼色の霊力が燃え上がる中で、突然付近のビルが大きく崩壊した。
「次は何だ……!」
全員の視線が壊れたビルへと向けられる。
崩壊により発生した埃煙から飛び出してきたのは祥蔵。
その手には霊鞭に巻き付けたままのジュンが掴まれていた。
状況が収束していく。
「死ね!」
カゲの前で静かに目を閉じた萌葱。
左目を潰され、大きくアドバンテージを取らせてしまった中で、右目すら見えなくなる行動に、カゲは嘲笑した。
そんな嗤いを気にすることなく、鞘に刀をしまった萌葱は居合の体勢を取る。
「カウンター狙いかぁ!? もうさっきの手は喰らわないぞ!」
敢えて萌葱には攻撃せず、煽りを続けるカゲ。
ゆっくりと息を吐いた萌葱は、静かに、静かにその時を待つばかり。
やがて、その姿に痺れを切らしたカゲは、わざと音を立てながら萌葱へと迫る。
「良いぜ乗ってやるよ!」
どすどすと地面を踏み、萌葱へと迫る。
わざと萌葱に位置を知らせながら、肉薄を計った。
しかし、萌葱に攻撃を加える刹那、カゲは地面へと潜ってその場から姿を消す。
突然音が無くなった事により、刀を抜くに抜けなくなった萌葱を嘲笑うように、左側から現れたカゲは容赦なく斬りつける。
鞘を持つ左腕に大きな傷が入り、その場でよろめく萌葱。体勢を整えると、再び居合の構えを見せた。
「テメェ……ふざけんなよ!」
萌葱のその行動に苛立ちを隠せないカゲ。
ギリギリとあからさまに歯ぎしりを立てると、カゲの身体が変異していく。
萌葱の影を象ったものから、悪魔のような化け物へ、刀をしまい、肥大化した両手の爪を鋭く構えた。
背中から生える翼を揺らし、再度萌葱に攻撃を加える。
「さっさと戦え! その下らない虚勢を止めろ!」
鉤爪となった手で萌葱を何度も斬りつける。
傷だらけとなっていくものの、未だ刀は抜けない。
鋭い無数の痛みに苛まれながらも、萌葱は強く歯を食いしばっていた。
自身の血の匂いが分かるほど出血する中で、脳裏に映るのは、あの日の光景。
竜と修行をしていた、あの日。
「萌葱はさ、視覚に頼りすぎなんだよ」
「……はぁ? 意味が分からん。視覚に頼らないなら何に頼るんだ」
刀と拳、その圧倒的有利な中で行われた竜との模擬戦。
しかし、勝者は竜。しかも、萌葱の攻撃を一度も喰らわずの勝利だった。
身体中に痣を作り、草原に寝転ぶ萌葱に対し、竜は無傷で笑っていた。
「何でオレに刀が当たらなかったと思う?」
「……視覚に頼っていないからか?」
「その通り」
得意げに指を鳴らす竜。
萌葱は先程の言葉を復唱しただけにすぎず、感覚では理解できていなかった。
「オレは目だけじゃなくて、全身を使って気流の変化から敵の動きを察知して動く。一見この戦いだと刀の方が有利かもしれないけど、獲物がどこから動くか分かれば当たることなんかない」
竜の言葉を聴き、唖然としてしまう。
何て感覚的な話なんだと笑った当時の萌葱。
しかし、今、その技術が必要となっていた。
「舐めやがって!」
一通り萌葱を攻撃し続けたカゲ。
肩で息をして、鉤爪にはべっとりと血液が付着していた。
全身に夥しい傷を抱えた萌葱は、それでも刀を抜かない。
(全身で感じる……全身で……)
紅く光る霊力を穏やかに揺らし、できる限り身体で気流の変化をキャッチできるように薄く纏う。
それが薄氷と同義であることに、萌葱は気づかない。
しかし無意識下の行動は、着実に萌葱の感覚を研ぎ澄ませていた。
「もういい」
そんな中、冷酷に告げたのはカゲ。
萌葱の姿を見て、大きく嘆息すると、地を蹴った。
「死んでくれ」
(――今だ!)
萌葱に迫るカゲ。
鉤爪でトドメを刺そうと翼をはためかせた瞬間、萌葱も動き出した。
咄嗟に察知したカゲが後方に跳ぶ。同時に萌葱の一閃が空を斬った。
「テメェ……ふざけてた訳じゃねえんだな」
再度刀を鞘に戻す萌葱は笑みを浮かべている。
カゲの身体には刀が掠ったのか、血が流れていた。
「血が、流れているな」
「……なに? 見てないのに何故分かる!」
「視えているからさ」
要領を得ない萌葱の返答に苛立つカゲ。
地団駄を踏むと同時に、黒い霊力が噴き出された。
「本当は覚悟を決めるために右眼も潰そうと思ったんだがな、それは今後の生活に支障があると思ったからやめた」
「なにを言ってやがる……舐めてるだろ!」
「舐めてないさ」
「いいや、舐めてるね! 何故なら、お前に今後があると思っているからな!」
地面に沈むカゲ。
一瞬の隙に萌葱に背後に移動すると、咄嗟に萌葱も背後を向いた。
「かかったな」
しかし、それを読んでいたカゲは、萌葱が刀を抜くよりも先に上空に跳び上がる。
上空で狙いを定めたカゲが、萌葱の首に向かって鉤爪を向けた。
「視えてんだよ」
突然、振り返る萌葱。
カゲは上空に居るのに、あらぬ方向へと身体を向ける。
刹那、鯉口が斬られた。
「『心眼・紅花残映』」
走る紅い一閃。残像だけを残す神速の居合が空間を断つように繰り出された。
同時に、何かが斬り落とされる。
「な、ぜだ……」
空間が歪み、現れたのは萌葱の形をした影。
空中に跳んでいたカゲはいつの間にか居なくなっていた。
「跳んだ影はブラフだな。何も感じなかった」
萌葱の一撃はカゲの首を捉えていた。
落ちる頸と共に、萌葱の影が戻っていく。
「お前、目を瞑った相手に視覚でしかできないブラフ使うなよ」
刀を鞘に戻し、無意識下で行っていた薄氷を解く。
カゲが霧散していく中で、右目を開いた萌葱は、その場に膝を付いた。




