第100話 術中
「アタシ達はこの結界に入ってから、既に二日程度経ってる」
「ふつ、か?」
萌葱からの衝撃的な言葉に息を飲む梓。
勿論、梓の中では萌葱達の突入と同時にデバイスの信号が無くなり、慌ててゲートに飛び込んでいるため、多く見積っても経過時間は十五分そこらであり、ましてや二日間など経過していない。
「とりあえず移動するぞ、詳しい話はそこでしよう」
頭上の崩壊した部屋の中に未だ女性が隠れているのも事実。萌葱の命令でそそくさと路地裏から走り出した二人は、身を隠すために射線が通らない場所を探していく。
「アタシ達が生界に突入して直ぐ、気づいた時には祥蔵さんと分断されてこの結界に落とされていた」
「そこは同じですね……デバイスの反応が消えたのも突入してスグです」
「そうだろうな……ただお前の反応を見るに、外とココの時間の流れは違うみたいだな」
「ええ……あたしからしたら、萌葱さんたちの反応が消えてスグに突入してます」
「アタシからしたら、突入して既に二日経ってる……由々しき事態だな、これは」
射線から逃げるように、建物と建物の間を左右に曲がっていく二人。
背後から女性が追ってくる気配がないことを確認しながら、やっと足を止めた。
「じゃあ……ここは電波が通らないって訳じゃなくて、ただ単に異空間だから途切れただけ、なんでしょうか」
「そうなるな。現にここは普通の結界じゃない、アタシ達はこの二日間、三回ほど合流を果たしてる。でも、今はどこにいるか分からない」
「それって……どういう……」
「この結界はな、生きてるんだ」
建物を背に、大通りを垣間見る。
やけに閑散としたビジネス街は、先程大きな戦闘があったとは微塵も感じさせなかった。
しかし、空は暗く、月明かりが煌々と照らしている。
陰鬱で湿っぽい空気が漂い続ける空間で、梓は少しずつ意欲を削がれていた。
「生きてるって、どういうことですか?」
「この結界は、不定期に更新される。大きさも今の物より大きくなって、景色も場所も変わるんだ。まるで、結界が意識を持っているようにな」
「面倒な結界ですね……」
「ああ――」
話しながら全方位警戒を続ける二人。
萌葱とは逆の方向を警戒するために、梓が踵を返したその直後だった。
一瞬視界が暗転し、晴れた時には萌葱が居なくなっていた。
「萌葱さんッ!」
咄嗟に振り返った梓。景色も変わった事により、もちろん萌葱は居ない。
こめかみから流れた汗が顎に伝い、地面に落ちていく。不意に、水が滴るような音がして視線を戻した。
そこには、全身を紫色の液体で水浸しになった身長の高い男が佇んでいる。到底整えられているとは思えないバサバサのまつ毛から覗く瞳は漆黒、瞳孔だけ紫に光り、同じく整えられていないボサボサの紫色の髪の毛からは絶えず紫色の液体が滴り落ちている。
「可愛いなぁ~それ、猫耳? 凄く可愛いよぉ」
「……狐です」
品定めでもするように梓を舐めまわすように見る男。
緊張から唾を呑み込みつつ、梓は毅然と相対した。
しかし、男の口元は歪にせせり上がっている。
「華奢な身体……狐耳……ふわふわな髪の毛……僕の好みだ……お名前は? 僕は極悪霊のドク、よろしくねぇ」
「教えなくても知ってるんでしょ、極悪霊なら当然」
「いいや? 君のことは知らないよ。僕らが知ってるのは、会長の加納 幸太郎とかいうジジイと、柊 劉兎とかいう冴えない男だけ」
「……何で劉兎くんを」
「さあ? 僕らに課された任務はこの二人を殺すことだ、それ以上でもそれ以下でもないし、僕は元来男には興味が無くてねぇ」
嘲るように両手を振るうドク。身動きする度に紫色の液体が飛び散り辺りを汚していく。
注意深く観察する梓はその液体が気になって仕方なかった。
「でも、君みたいな可愛い子が居るんなら話が違うなぁ……それにさっき『劉兎くん』って呼んでたよね? じゃあ僕のことも『ドクくん』って呼んでよぉ」
「呼ぶわけないでしょ、敵なのに……それに良いの? そんなに詳しく自分たちのことを話して、あたしに負けて報告されるとは思わないの?」
「思わないね、もう終わってるから」
「ッ!」
今までにやけ面だったドクの表情が急に真剣なものになり、反射的にその場から飛び退く。
同時に、数刻前まで梓が立っていた位置から紫色の蛇が大きな口を開けながら生えてきた。
「へぇ……いい反応だ! それとも、狐耳が関係しているのかな?」
霊鞭を四方に放出し、規則正しく並んでいるビルの壁に刺す。
着地の判断をしなかったことは正解だった。
地面から生えてきた蛇は空を食べるとそのままドクの方へと這い寄る。蛇の通った道には紫色の液体がこびりつき、忽ち地面を溶かしていった。
「まぁ、どれだけ避けたって関係ない、いつかは君も僕の一部になる」
刺激臭と共に、立ち上る煙が溶けて行っていることを教えてくる。
無臭のハズであった紫色の液体は、今や脅威となっている。そしてドクは、それを全身に纏い、あまつさえ自分の立っている場所に水溜りすら作っていた。
緊張から流れる汗が留まるところを知らない。
梓は完全に術中に嵌まってしまった。
「はい、おしまい」
「ッ――『円華』ァ!」
同じくどこかへ飛ばされた萌葱。視界が晴れたと同時に眼前に見えたのは銃口。
すかさず紅い霊力で空中に円を描き『円華』を発動させた。
間髪入れずに発砲された散弾銃は萌葱の目の前で火を噴き、寸前で完成した『円華』の防御と共に萌葱を押し出した。
弾は防げても、その衝撃までは防ぐことができない。押し出されるままに空中に身を投げた萌葱は、即座に落下を開始した。
「本当にアンタたちってしぶといね、もう二日戦ってるんだけどなあ、いつ集中切らすのさ」
発砲したのは、先程の女性悪霊。
場所もいつの間にか、梓と遭遇したビルの部屋になっていた。
梓にした攻撃と、萌葱が繰り出していた『星雷花』により吹き抜けになっている部屋の中で、女性は不敵な笑みを崩さず銃を萌葱に向ける。
「空中じゃ身動き取れないでしょ」
「それはどうかな――」
勝ち誇ったように、腕に纏われた廃材が分解され、瞬く間に狙撃銃に形を変える。
落ちていく萌葱に狙いを済ました女性だったが、即座に違和感に気付いた。
「アンタ、またそれか!」
「『星雷花』!」
萌葱の霊力が付与された刀が空中を一閃する。
瞬く間に迫る『星雷花』に眉をしかめ、女性は照準を刀に移して発砲。
刹那。銃弾と激突した刀はその場で花火を上げ、結界内を明るく照らした。
その隙に、付近のビルに着地した萌葱は姿をくらませる。
「チッ! また逃した……! いい加減にしろよあの女!」
隠れた萌葱に憤慨する女性。
思慮深く周りを見渡すも、見つかるはずも無かった。
不意に、彼女の背後で瓦礫が落ちる。
「ッ!」
振り返り、狙撃銃を向ける。
しかし、崩壊した壁が音を立てただけであり、そこには何もいない。
安堵したその瞬間だった。
背後から風を切る音が響く。
「そういうお前達も、転移するの止めてくれないか」
「ッ! 霊鞭使い!」
太く硬い霊鞭を壁に刺し、巻き戻すことで跳び上がり、矢庭に現れたのは祥蔵。
幾多もの傷が生々しく残る中、強く食いしばった歯が女性に憎悪を向けている。
反射的に狙撃銃を構えるも、近接では意味を成さない。
直ぐに散弾銃に組み替えようとするも、もう遅い。
壁に刺していた霊鞭を引き戻し、女性の足元に逆手の霊鞭を刺す。戻した霊鞭を硬化させ、刺した霊鞭を巻き戻すことで女性に突進。すれ違うように腹部を霊鞭で切り裂いた。




