第3話 図書都市デルヴの封書
翌朝。図書塔の最上部、禁書庫。
塔守の老婆が背を丸め、両手を震わせながら鉄扉を開ける。
「封書は古王国の遺物。……英雄の証なくば開かぬと伝わる」
「証って、勲章とか?」
「皆、勲章を持って挑んだが、開かなかった」
石台の上に、それはあった。黒い蝋で封じられた厚い羊皮紙。蝋印の模様は円の中に家の形――まるで、家マーク。
俺は喉が少し鳴る。帰る家の絵だなんて、あざとい。
「触れてみても?」
「どうぞ。ただし、拒まれた者は三日三晩、塔で道に迷う」
脅しは聞かなかったことにする。俺は封書に手を伸ばし……そして、引っ込めた。
指先に、じわじわとした拒否感。ああ、これは違う。
俺は代わりに、封書の下に指を差し入れる。石台のわずかな隙間、埃の層の中に、折れたリボンの切れ端があった。
「……開く場所、そこじゃないよね?」
リボンを軽く引っ張ると、石台の脚がカチ、と鳴って位置をずらす。石台は玄関マットみたいに半回転し、床の目地とぴたり噛み合う。
途端に、蝋印から家の形の光がほどけ、鍵穴が現れた。
「鍵穴……! どこに?」
「ここにあります」
俺はポケットから、王都でもらった宿の鍵を取り出した。
まさか、と思いながら差し込むと——回った。
蝋封がぱきりと割れ、封書がふわりと開く。中に挟まっていた薄い金属板が光を反射した。地図だ。
そこには、砂漠に描かれた円形のオアシスと、その中心に「門」の文字。条件は三つ。
一、乾いた竜の涙。
二、浮かぶ石の心臓。
三、還りたいと願う者の外聞。
「外聞?」
「名誉……とか評判のことですか?」
「捨てるって書いてあるね」
塔守が息を呑む。「帰郷の門は、世の期待を脱ぎ捨てて初めて開く。古書にそうあった」
俺は肩をすくめる。名誉とか、元から要らない。帰るだけだ。
地図の余白に、小さな注記があった。
——「乾いた竜の涙は、砂漠の水竜が守る呪いのオアシスに。」
——「浮かぶ石の心臓は、空に浮かぶ島の核に。」
つまりルートは砂漠→空と続く。遠回りっぽい。ため息が漏れる。
「ところで……三日三晩迷うやつ、どういう仕組み?」
「封書を正面からこじ開けようとした者には、塔の通路が繰り返し……」
言い終える前に、禁書庫の棚がぎぃときしんだ。並んだ背表紙が一斉にずれ、廊下の床板がすこし浮く。
塔全体が、まるで「帰路」を再建するみたいに目地合わせを始めた。
俺が鍵を回した副作用で、迷路の呪いが逆流したのだろう。塔の迷いが外に漏れ、図書都市の路地裏が勝手に最短路に再配置されていく。
「外の人が……勝手に最短で市役所に着いてる!?」
「迷子が全滅した……!」
市民の歓声。俺は苦笑した。
封書の最後にもう一枚、細い紙切れが挟まっていた。くしゃっとした猫の毛にくっついて。ノクス、お前……。
紙には短く一文。
——「門を開く者は、帰り道を笑い飛ばす者であれ。」
笑い飛ばす、ね。俺の得意分野だ。
必要な情報は出揃った。次は砂漠へ。水竜の涙をもらう。
その前に、旅の資金と情報を得るため、リリィの提案で冒険者ギルドに寄ることになった。
「登録しておけば、安宿も紹介してくれます!」
「じゃ、さくっとFランクで」
塔を出ると、デルヴの人々が道を空けてくれた。「英雄様」「書庫の護り手」。
俺はそれを聞こえないふりで、心の中で外聞を一枚脱ぐ練習をした。