第8話:逃避と向き合う決意
真壁基氏はアパートの自室に籠もる。
頭を抱えたまま。
動けない。
筑波山での出来事が頭を離れない。
碧純の告白。
心の要石が崩れそうだった。
「俺、お前を汚したくないんだよ……」
「なのに、こんな気持ちが抑えられない」
呟きが部屋に響く。
誰もいない空間。
自分の声だけ。
碧純の言葉が耳に残る。
「私、女だよ」
「お兄ちゃんの前で女でいたいよ」
その一言が。
欲望と愛情の境界を揺さぶる。
胸が締め付けられた。
机の上の原稿。
手に取る。
文字がぼやける。
頭に入らない。
新作の妹キャラ。
確かに碧純の面影。
笑顔や仕草。
彼女そのものだ。
「駄目だ……」
「これ以上書けない」
パソコンを閉じる。
ベッドに倒れ込む。
枕に顔を埋める。
息が荒い。
一方、真壁碧純。
自室で涙を拭う。
スマートフォンを握る。
潰しそうになるほど力が入る。
目が赤い。
「お兄ちゃん、私のこと嫌いじゃないよね?」
「嫌いじゃないって言ってよ……」
ドア越しに呟く。
返事はない。
布団に潜り込む。
毛布を握り潰す。
兄への気持ち。
初めて口に出した瞬間。
心が軽くなった気がした。
胸のつかえが取れる。
でも、基氏が逃げ出した姿。
不安が押し寄せる。
涙が止まらない。
「お兄ちゃん、私のこと女として見てくれるなら」
「それでいいよ」
幼い頃から兄妹として育つ。
実の兄ではないと知った後も。
基氏は変わらず優しかった。
その優しさ。
いつしか恋に変わる。
兄を超えた存在。
大好きな人。
その気持ちを抑えきれなかった。
翌朝。
碧純は目を腫らしたまま。
キッチンに立つ。
包丁を手に持つ。
野菜を切る音。
兄に声をかけた。
「お兄ちゃん、朝ご飯……できたよ」
ノックする。
返事がない。
ドアを開ける。
基氏がベッドで眠っていた。
原稿やノート。
床に散乱。
疲れ果てた様子。
寝顔が青白い。
碧純はそっと近づく。
「お兄ちゃん、寝すぎだよ」
「起きてよ」
「……うぃ~」
寝ぼけながら起き上がる基氏。
碧純の顔を見て。
一瞬固まる。
目が合う。
「目、腫れてるぞ」
「何だよ、泣いたのか?」
「うるさいよ」
「お兄ちゃんのせいなんだから」
「俺のせい!?」
「何だよそれ」
「お兄ちゃんが逃げたからだよ」
「私、ちゃんと気持ち伝えたのに」
「……悪かったよ」
「びっくりしたんだ」
「びっくりするのは私の方だよ」
「お兄ちゃん、私のことどう思ってるか」
「ちゃんと教えてよ」
基氏は目を逸らす。
コーヒーを手に取る。
カップが震える。
「昨日言っただろ」
「お前は大事な妹だよ」
「それだけじゃないよね」
「お兄ちゃん、私のこと女として見てたって言ったじゃん」
「……言ったけど、それは過去の話だよ」
「今は違う」
「嘘だよ」
「お兄ちゃん、私のこと意識してるよね」
「私が近くにいるから、変な気持ちになってるでしょ」
「変な気持ちって何だよ!」
「お前、頭おかしいのか!」
「お兄ちゃんこそ頭おかしいよ」
「私、ちゃんと向き合ってほしいよ」
空気が重くなる。
静寂が漂う。
コーヒーの香りだけが残る。
基氏はカップを置く。
立ち上がった。
「俺、ちょっと出かけてくる」
「原稿進めないと」
「お兄ちゃん、逃げるの?」
「逃げてねえよ」
「仕事だよ」
「嘘つき」
「私と向き合うの怖いんだろ」
基氏は黙る。
玄関へ向かう。
ドアを閉めた。
足音が遠ざかる。
碧純は涙を堪える。
テーブルを片付ける。
手が震えた。
その日。
基氏は喫茶店へ。
窓際の席。
原稿に向かう。
だが、進まない。
ペンが止まる。
碧純の言葉が頭を巡る。
集中できない。
コーヒーが冷める。
窓の外を眺める。
「俺、どうしたいんだよ……」
「お前を妹として守りたいのか」
「それとも」
過去の葛藤が甦る。
碧純への欲望。
抑えるため実家を離れた。
二次元に逃げ込む。
ライトノベルで発散。
心を安定させてきた。
だが、碧純がすぐそばにいる今。
逃げ場がない。
欲望が疼く。
抑えきれなくなる。
夕方。
アパートに戻る。
玄関を開ける。
碧純がリビングで待っていた。
ソファに座る。
目が合う。
「お兄ちゃん、遅いよ」
「夕飯できてるから」
「……悪いな」
「いただきます」
テーブルに並ぶ。
実家から送られた山菜の天ぷら。
味噌汁。
湯気が立つ。
箸を取る。
「美味いよ」
「いつもありがとうな」
「うん」
「お兄ちゃん、私のことちゃんと見てよ」
「何だよ、またそれか」
「うん、私、お兄ちゃんに気持ち伝えたんだから」
「逃げないでよ」
「……俺、お前を傷つけたくないんだよ」
「傷つけるって何?」
「お兄ちゃん、私のこと好きなら、それでいいよ」
「好きだよ」
「妹としてな」
「またそれ!」
「お兄ちゃん、正直になってよ」
「私、女だよ」
「お兄ちゃんの前で女でいたいって言ったよね」
基氏は箸を置く。
目を閉じる。
深く息を吐く。
「……正直になるって、どうすりゃいいんだよ」
「私を見てよ」
「お兄ちゃん、私のことどうしたいの?」
「俺……お前を抱きたいよ」
言葉が飛び出す。
基氏は顔を覆う。
手が震えた。
「何!?」
「お兄ちゃん、今なんて!?」
「忘れろ!」
「言わなかったことにしろ!」
「無理だよ!」
「お兄ちゃん、私のこと抱きたいって言ったよね!?」
「……言ったよ」
「悪かったよ」
碧純は顔を赤らめる。
目を潤ませる。
心臓がドクドク。
「お兄ちゃん、私のこと女として見てくれるんだね」
「見てたよ」
「ずっと前からな」
「でも、それじゃ駄目なんだよ」
「お前は大事な妹なんだから」
「私、妹でもいいけど、女でもいたいよ」
「お兄ちゃん、私のこと好きなら、それでいいよ」
「碧純、お前……頭おかしいのか?」
「お兄ちゃんが好きだからだよ」
「変だと思うなら、それでもいいよ」
基氏は立ち上がる。
部屋に逃げ込もうとする。
足が重い。
「お兄ちゃん、待ってよ!」
碧純が腕を掴む。
強く握る。
目が合う。
「俺、駄目だよ」
「お前を汚しちまう」
「汚してもいいよ」
「お兄ちゃんになら、私、全部あげてもいいよ」
その言葉に。
基氏の理性が崩れかける。
欲望が溢れる。
だが、最後の力。
碧純の手を振りほどく。
部屋に籠もる。
ドアを閉めた。
頭を抱える。
「駄目だ……」
「俺、お前を壊しちまう」
碧純はリビングに残る。
泣きながら呟く。
涙が床に落ちる。
「お兄ちゃん、私のことちゃんと見てよ……」
その夜。
二人の心は近づく。
だが、大きな壁に阻まれる。
静かなアパート。
それぞれの部屋で。
基氏は封印を保てるのか。
碧純の愛は届くのか。
決断の時が近づいていた。