第3話:学校と兄の秘密
新しい朝が訪れた。
真新しい制服に身を包んだ真壁碧純。
アパートの玄関で靴を履く。
スニーカーの紐を結びながら。
兄に声をかけた。
「お兄ちゃん、朝ご飯テーブルに置いてあるからね」
「ちゃんと食べないと蹴るからね」
部屋から出てこない基氏。
碧純は念を押す。
ドアの向こうから。
眠そうな声が返ってきた。
「うぃ~、気をつけて」
「今日から学校だからね」
「行ってきます」
玄関を出る碧純。
その後ろ姿を。
基氏はドアの隙間からこっそり見送った。
ワンピース型のシンプルな制服。
紺の生地に白いラインが入る。
ポニーテールが揺れる姿。
朝陽に照らされて。
まるでアニメのヒロインのようだった。
「可愛すぎるだろ……」
「こんなの目の前にして欲望抑えられるかよ」
心の中で呟く。
目を閉じた。
額に汗が滲む。
朝ご飯のテーブルへ。
実家から持ってきた野菜の煮物。
山菜の漬物。
ベーコンエッグ。
大皿に色とりどりに盛られていた。
ご飯と味噌汁を温め直す。
湯気が立ち上る。
一口飲むと。
懐かしい味が広がった。
「大子の味噌か……」
「やっぱり生まれ育った味が一番だな」
「ってか、碧純、料理上手くなったな」
箸を動かしながら。
妹の成長に目を細める。
その時。
スマートフォンが振動した。
画面にメッセージ。
佳奈子からだ。
『ヤッた?』
「ゲホゲホゲホ、何だよ!」
味噌汁を喉に詰まらせた。
慌ててLINEを開く。
すぐ訂正が来た。
『ごめん間違った』
『やったね、重版おめでとう』
基氏は仕送りを断る際。
佳奈子にライトノベル作家になったことを伝えていた。
ペンネームは隠したつもり。
叔母夫婦に迷惑をかけないよう。
賞金と印税の入金記録を写真で送っていた。
佳奈子の返信は真面目だった。
『あなたの養育費は姉夫婦の保険で賄ってる』
『結婚するときに残りは全部渡すよ』
『お金の心配は子供がすることじゃない』
だが、ネットに慣れた佳奈子。
印税の振り込み日から逆算。
基氏のペンネーム「茨城基氏」にたどり着いていた。
その妹物作品にも。
「ふふふっ、あなたがシスコンなのは知ってたわよ」
「真壁家の跡取りになるため、碧純と結ばれなさい」
画面の向こうで笑っていることを。
基氏は知らない。
一方、碧純は学校へ向かう道を歩いていた。
アパートから15分。
バスもあるが。
山奥育ちの彼女には目と鼻の先だ。
舗装された大通り。
鹿や猪、野犬に怯える心配はない。
新緑の並木が風に揺れる。
春の匂いが鼻をくすぐった。
私立筑波女子学園の入学式。
共働き家庭を考慮した設計。
親の参加は不要。
オンライン中継される最新式だった。
後日DVDも配られるサービス。
私立ならではの配慮。
碧純は少し安心した。
教室での自己紹介。
みんなが新しい環境に緊張している。
その空気が伝わってきた。
私立ゆえに各地からの進学者が多い。
中学からのグループで固まる雰囲気はない。
上品な女子校。
茨城弁の「だっぺ」や「んだっぺ」は聞こえない。
マウント争いも見られなかった。
自己紹介の形式はシンプル。
「名前」「出身中学」「趣味」「好きな食べ物」「最後に一言」。
失敗のない流れで進んだ。
碧純の番。
立ち上がる。
少し緊張しながら。
口を開いた。
「真壁碧純です」
「出身は大子町の中学」
「趣味は食べることと料理」
「好きな食べ物は大子のりんご」
「田舎から出てきたけどよろしくね」
少し幼い笑顔で締めた。
クラスメイトがクスッと笑う。
温かい空気が流れた。
昼休み。
教室の隅で。
クラスメイトの会話が耳に入った。
「私の趣味はライトノベルを読むことですって言った子がいてさ」
「私も好き!」
「異世界転生物とかスライムに転生するやつ面白いよね」
「私は兄妹物に憧れる」
「兄がいないから」
「『妹のためならなんでもしたいお兄ちゃん』のお兄ちゃん素敵だよね」
「わかる~!」
「茨城基氏先生の読んでるよ」
「『お兄ちゃんのためならパンツもあげるよ』はないよね~」
「ギャグが面白くて読んでるけど」
碧純は顔を真っ赤に。
咳き込んだ。
「ゲホゲホゲホゲホ!」
「真壁さん、大丈夫?」
隣のクラスメイトが心配そうに。
背中をさすってくれた。
「うぅ、大丈夫」
「ちょっとお茶が入っちゃって」
ピンクの水筒を見せる。
ごまかした。
だが、心臓がバクバクしていた。
「お兄ちゃんの本が女子高生に人気って何!?」
昨日知ったばかりの兄のライトノベル。
こんなに話題とは信じられない。
教室を出る。
中庭のベンチへ。
スマートフォンを取り出した。
「茨城基氏」と入力。
ウィキペディアがヒットした。
「えぇ、お兄ちゃんが載ってる!」
『累計発行部数50万突破』
そう書かれていて。
碧純は混乱した。
頭がクラクラする。
教室に戻る。
ライトノベル好きのグループに近づいた。
「あの、ごめんね。聞いてもいい?」
「真壁さんよね、何?」
「茨城基氏の作品って売れてるの?」
「興味あるの?」
「うん、ちょっと読んでみようかなって」
「すごいよ!」
「今一番売れてる新人作家の一人」
「面白いから絶対買った方がいい!」
興奮気味に語るクラスメイト。
碧純は安心と戸惑いを感じた。
「お兄ちゃん、理系だったはずなのに……」
「何が起きたの?」
午後の授業。
学級委員や係が決まった。
本好きな碧純。
図書委員に立候補。
受験で読書から離れていた分。
再び楽しみたい気持ちもあった。
学級委員長は背が高い。
透き通る肌の美人。
「筑波のエルフ」と呼ばれた有名人。
弓道の名手でクオーターらしい。
「近寄りがたいけど美人だよね」
隣の席の子が教えてくれた。
碧純は少し憧れた。
学校を終え。
アパートに急いで帰る。
玄関を開けると。
基氏が上半身裸。
パンツを下げた間抜けな姿。
もぞもぞしていた。
「お兄ちゃん!」
「何してるの、裸になって!」
「早かったな、お帰り」
「それより服着なさいよ!」
鞄を投げる。
基氏はすっと回避。
慣れた動きだった。
「肩こりと腰痛の薬塗ってるから裸になるだろ」
「薬箱はリビングにあるから必要な時は使えよ」
「絆創膏、湿布、虫刺され薬、風邪薬、痛み止めはあるけど」
「生理痛用は自分で買ってくれ」
「学校途中に薬局あったろ?」
「あ、うん、ごめん」
「動揺した」
薬を塗り終えた基氏。
シャツを着る。
ストレッチを始めた。
苦痛の表情。
農作業で疲れた忠信に似ていて。
碧純はつい口に出した。
「踏んであげようか?」
「妹に踏まれて喜ぶ性癖はない」
「バカ!」
「足踏みマッサージの話だよ」
「パパに教わってよくやってたんだから」
「父さん、どこで覚えたんだ?」
「農協のボランティアでタイに行った時」
「本格タイ式マッサージを習ったらしいよ」
「変な海外土産届いた理由か……」
「変な店行ってないよな?」
「バカ兄貴、妄想やめて横になりなさい」
逆らうと何が飛んでくるかわからない剣幕。
基氏は絨毯にうつ伏せに。
碧純は右足でゴリゴリ踏み始めた。
「痛くない?」
「意外と気持ちいいな」
「でしょ、パパも喜んでたよ」
「碧純、成長したな」
「昔は肩たたきだったのに」
「今はタイ式マッサージか」
「お兄ちゃんが全然帰ってこなかったから」
「成長見逃したんだよ」
どこか切なげに言う碧純。
基氏は返す言葉がない。
胸がチクリと痛んだ。
「どう? 気持ちいい?」
「うん、マジでいい」
「肩甲骨も頼めるか?」
「ここかな? えいっ」
「おぉ、痛気持ちいい!」
「ははっ、気持ちいいでしょ」
「でもあえぎ声は禁止、キモいから」
熱くこみ上げる不思議な感覚。
碧純は感じながら。
マッサージを続けた。