第27話:バーチャルな誤解と雷雨の出会い
真壁基氏と真壁碧純は、兄との生活も学校生活も一ヶ月が過ぎ、慣れ始めた頃を迎えていた。
その夕方、碧純は夕飯を呼びに基氏の部屋へ向かったが、ドアの外から話し声が聞こえてきた。
「編集さんかな? お仕事の電話? 邪魔しないように待たないと…」
碧純はそう思い、部屋の外で待機した。
ライトノベル作家の家に担当編集が訪れることは稀だ。都内なら原稿のやり取りや打ち合わせで来ることもあるが、つくば市のように離れていると、メールや電話で進むのが普通。基氏との何気ない食事中の会話で、編集者と会ったことのない作家もいると知っていた碧純は、少し未来的な仕事だと感じていた。
部屋には荷物がよく届く。見本本、重版の献本、特典のSS、グッズの見本などだ。しかし、編集者が訪ねてきたことは一度もない。
待っていると、部屋から聞こえてきたのは、
「茨城先生、大好き~」
「僕もだよ、大好き」
「愛してるでござる」
「ははっ、それは作中出てこないよ」
「はっ? 何今の?」
こっそりドアを開けて覗くと、基氏はパソコンの前で二次元美少女と話していた。茨城公認バーチャル美少女『茨ひより』のようなキャラクターだ。
「お兄ちゃん、妹が一緒に住んでるんだからエロゲはやめてよね!」
焼きもちと自家発電姿への不安から、碧純は思わずドアを開けて叫んだ。
「うわっとっとっと! 何だよ、びっくりした!」
やましいことはなく、パンツも履いた基氏が椅子をくるりと碧純に向けた。
その姿に安心する一方、少し期待していた自分に気づき、碧純は動揺した。
「え? そちらの女の子は誰?」
パソコン画面のバーチャル美少女がリアルに反応した。
「え? 何それ、パソコンゲームじゃないの? 最新のAI技術とか?」
不思議がり画面に近づく碧純に、画面から声が響いた。
「えっ? …ま…か…べさん? どして! 先生、急用です、ごめんなさい」
青い画面になり、美少女が消えた。
「え? 今の何? お兄ちゃん?」
「お兄ちゃんの彼女」
「…わかんない、バカ兄貴がまた変なこと言い出した~」
「彼女は冗談だ。今のはバーチャルアバターを使った女子高生で、取材協力してもらってる。流行りのことや作中の服、デートの場所、食べ物の話を聞くんだ。会わないから合法だろ? お兄ちゃんは何も悪くない」
「リアルな女子高生ならここにいるじゃん」
「田舎から出てきたばかりで、イナゴの佃煮で締めのお茶漬けを楽しみにしたり、コゴミのマヨネーズ和え作ったり、ヤモリを串刺し黒焼き計画したり、ゴキブリをティッシュで握り潰す女子高生を書いても万人受けしないだろ」
「だから、バーチャルな人と?」
「そうだよ。担当編集の猿渡さんの知り合いで、ちゃんと取材費払ってる。アイドル声優を目指してる女子高生らしい。事務所通じて契約してるから、エッチなゲームじゃないぞ」
「期待なんかしてない、バカ兄貴」
「さっきからバカとは何だ。ちゃんと仕事だぞ」
「絶対、中の人はネカマだよ。おっさんだよ、編集部の誰かだよ」
「ネカマじゃない。編集さんが保証してる。親戚で会ったことあるって。事務所通じて月3万の契約書もある。碧純と同じ歳だ」
「で、そのバーチャル美少女に『大好き』って言われてたの?」
「それはヒロインの台詞を頼んで言わせた。雰囲気感じるためだ」
「で、お兄ちゃんも『大好き』って?」
「物語の構成上、やり取りをシミュレーションして…」
「変態…」
「碧純、それは違うって」
「もう、お兄ちゃんの言ってることわかんないよ~。リアルな女子高生なら目の前にいるじゃん。私でいいじゃん、私が言ってあげるから~」
大泣きする碧純に、基氏は困り果て、佳奈子に電話をかけてなだめを頼んだ。
冷めた空気の中、冷めた夕飯を食べる二人。食卓には生サラダではなく、碧純手作りの春の山菜料理が並んでいた。
「美味いけど違うんだよ、碧純…好きだけど違うんだよ…」
翌日、モヤモヤが収まらない碧純は学校へ向かった。
どんよりした雲が泣き出しそうな空を映し、徒歩で登校する碧純は視線を感じた。
クラスメイトで学級委員長の結城有紀がこちらを見ていた。ほとんど話したこともなく、接点もない相手だ。
目礼を返すと、結城有紀も軽く返し、前を向いた。
「何だったんだろ?」
特に深く考えず、碧純は友達と話していた。一方、結城有紀は授業中、顔を真っ赤にして保健室を勧められるほど動揺していた。
「やっぱり真壁碧純さんだ。どうして先生の部屋に? 裏バイト? 寂しさから? 止めなきゃ…」
誤解が膨らむ結城有紀だった。
放課後、図書委員の仕事を終えた碧純は校舎出口で立ち止まった。外は雷を伴う豪雨だ。
「あちゃ~、迎えに来てもらうかな…でも、あの車は嫌だな…大家さんの軽トラなら…」
「真壁さんは両親と離れて暮らしてるんですよね?」
結城有紀が反応した。
「あっ、委員長」
「誰に迎えに来てもらうんですか?」
「お兄ちゃんと暮らしてるんですよ」
「嘘、冴えない作務衣の作家に迎えに来てもらうんでしょ?」
「どうして知ってるの?」
「やっぱり。寂しさから男の部屋に上がり込むなんて、ふしだらよ。今すぐやめなさい」
「私、そんなことしてない」
「嘘よ。私、見たんだから」
「どこで見たの?」
結城有紀は言い出せず、無言の時間が流れた。雷鳴と豪雨が強まる中、校内放送が「雷が危険です。校内に留まってください」と流れた。
すると、白い雨のカーテン越しにヘッドライトが点滅した。痛車RX-7が横付けされた。
「おっ、ちょうどいいタイミングか? 碧純、迎えに来てやったぞ。お兄ちゃんポイント高いだろ」
「あちゃ~、お兄ちゃんポイント低い。この車で学校来ないでよ」
「仕方ないだろ、これしか持ってないんだから。雷もすごいし、さっさと乗れ。お友達か? 送ってくよ」
結城有紀は絶句した。『お兄ちゃんのためならパンツもあげるよ』のラッピングに衝撃を受け、白い肌が青ざめた。
「ごめん、委員長、お兄ちゃんの車変だよね。できれば内緒にして」
結城有紀が首を振った。彼女もその作品の読者であり、バーチャルユエルとして関わっていたからだ。




