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喉元過ぎれば熱を忘れる  作者: 粗茶の品
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喉元過ぎれば


「ごちそうさま」


 姫崎は食べ終わり、空になった鍋を拓哉に渡す。拓哉は渡された鍋をひとまずベッドの近くにあるテーブルの上に置いた。テーブルの上にはその他に1冊の手帳が置いてある。


 拓哉が告白した翌日、姫崎は熱を出してしまったらしく、拓哉は心配でお見舞いに来ていた。昨日のあの寒い中雨に当たっていては仕方ないとも思う。

 今日はもう29日。年末だというのに姫崎の両親は仕事でいないらしく、この場には2人っきりという状況だった。


「おいしかったよ」


「それはよかった」


 姫崎が可愛らしい笑みを見せてくるものだから、拓哉もできる限りの笑顔で返す。

 顔色も悪くないしこの様子ならすぐに良くなりそうだ。


「ねぇ」


 拓哉が食器を洗いに行くためにものを持とうとすると姫崎が声をかけてくる。拓哉は「どうかした?」と言いながら姫崎の方を向いた。


「私達って付き合ってるってことでいいの?」


 姫崎の質問に拓哉はポカンとした。


 自分がそう思っていただけで実はそうじゃなかったのかと拓哉は急に不安になってくる。


「やっぱり、俺のこととかなんとも思ってなかった?」


「そうじゃなくて」


 拓哉の言葉を勢いよく食らいつくように姫崎は否定してきた。しかし、急に恥ずかしくなったのか口元を布団で隠す。


「どうして、そんないじわるなこと言うの?」


 姫崎は隠れていない部分も顔を赤くして言う。


 別に意地悪をするつもりで言ったわけではなかったが可愛らしい仕草が見れたものだから拓哉は少し得をしたような気分になった。

 もしかしたらこれはちょっとひどいのだろうか。


「じゃあ、なんでそんなこと聞くの?」


 姫崎は少し黙ると口を布団から出した。


「私、昨日、あの日記初めて最後まで読んだの。それまではなんだか怖くてずっと同じページで止まっちゃってたんだけど。読んだら、やっぱり私でいいのかなって思って」


 拓哉は優しく何度か頷く。


 やっぱり姫崎は最後まで読めていなかったらしい。あの付箋が貼ってあったことや姫崎の自分の過去を見れないという言葉などからなんとなくそんな気はしていた。


「みんな何回も言ってるだろうし、宮口さんたちも言ってたけど姫崎さんは悪くないよ」


 今日の朝帰って行った宮口一家は最後に話させて欲しいと電話をしていった。近くにいたせいで聞こえてしまっていたのだが、「あなたは悪くない」「自分を責めないで」のような言葉を多く使っていた。

 ちなみに昨日の一件の後、宮口一家は姫崎の記憶喪失のことを姫崎母に伝えられたらしい。


「それに、俺は姫崎さんじゃないと嫌だよ」


 拓哉は自分で言った姫崎の視線で気恥ずかしくなった。


「ありがとう、道原くん。ねぇ、一つお願いしてもいい?」


「何?」


 姫崎はまた口元を布団で隠した。拓哉はその様子に首を傾げる。


「付き合って、るんだし、呼び方変えない?」


 拓哉は思わず「え」と声が漏れてしまった。


 呼び方はいつでも変えていいと言ったことはあるが自分が変えることはあまり考えていなかった。

 それに、昨日今と前の姫崎を分けるために『姫崎さん』という呼び方を使った。


 いや、と拓哉は頭の中で小さく首を振る。


 世の中同姓同名の人だっているのだ。それと同じだと考えればそこまで変ではないはず。


 そう思いながら前の姫崎に謝りながら拓哉は緊張する口を動かす。


「あいな......さん」


 いっそのこと呼び捨てで行こうなんて思っていたが拓哉は我慢できなかった。あいなは目の下まで顔を隠してしまっている。


「拓哉......くん」


 あいなも呼び方を変えたが、嬉しさを感じると同時に拓哉は少し安心した。


 あいなが呼び捨てでいくというのならやっぱり自分も呼び捨てにするべきだろうが拓哉はまだ心の準備ができていなかった。このままでは一回名前を呼ぶたびに一呼吸置いてしまうような気さえしていた。

 いつかは呼べるようにならないとなと拓哉は強く決心する。


 ふと、あいなの方を見ると顔の半分ほどが隠れているのに笑顔なことがよくわかった。


「まぁ、他にもお願いしたいことがあったら言ってよ。我慢しなくていいから」


 拓哉は自分で急に何言ってるのかわからなくなった。


 名前で呼ばれた喜びとあいなの笑顔がもっと見たいという願望からだと思うが恥ずかしさからか少しやけになっているところも拓哉はある気がした。


 あいなは顔を布団から出す。


「じゃあ、キスしてもいい?」


「え?」


 拓哉はまた素っ頓狂な声が出た。


 まさかこんな返しは考えていなかった。誰でもこう帰ってくるとは予想できないだろうと拓哉は思う。

 拓哉は生まれてこの方誰かとキスなんてしたことがなかった。こんな時どうすればいいのか拓哉には全くわからなかった。

 素直にすればいいのか、はぐらかせばいいのか、なんにせよ今の拓哉にはできる気が全くしなかった。


「ごめんごめん。そんなことしたら風邪うつっちゃうね。今のは忘れて」


 あいなは笑いながら言う。


 本当に冗談だったかどうかはわからないがひとまず助かったと拓哉はほっとする。それより、風邪がうつるということはもしかしてあそこ同士が前提での話だったのだろうか。


「でも......いつかはしようね」


 あいなは手を口元に持っていきながら恥ずかしそうに言う。拓哉はその姿にドキッとした。


「それより、今年ももう終わるな」


 拓哉は話を逸らすために無理やり話題を振る。あいなは「そうだね」と共感した。


「今年はなんだか、いろんなことがあった気がするよ」


「それは、俺もそんな気がする」


 今年は行事以外にもたくさんのことがあった気がする。拓哉はなんだかこれまでの一年のどれよりも濃い一年だった気がした。


「楽しかったことも辛いこともいっぱいあった気がするよ。やっぱり時間が経てば忘れていっちゃうのかな」


 あいなは少し俯く。あいなにはそれら全てを忘れた実感があるからだろう。


 拓哉はそれは違うような気がした。

 辛いことはピークを超えれば自然と忘れていくことの例えに喉元過ぎれば熱さを忘れるということわざがある。

 しかし、人の感情や思い出というのはそんな単純なものではないと拓哉は思う。別にこのことわざを批判するわけではないし、確かにその通りかもなとも思う。

 でも、きっと本当に楽しかったことや辛かったことは簡単には忘れられないし、薄まらない。あいなが記憶を失っても宮口一家に対して何かを感じたように。

 たぶん時間の経過だけじゃなくて、新しい思い出が次第に忘れさせていくのだろうと拓哉は思った。


「大丈夫だよ。心配だったら忘れられないような楽しい思い出をいっぱい作ろう」


 拓哉はいっぱいの笑顔で伝える。あいなもそれに答えるように笑顔を作った。


「それじゃ、ちょっと、食器洗ってくるよ」


「早く戻ってきてね」


 拓哉が食器を持って立ち上がるとあいなはにこりとしながら言った。


「わかったよ」


 拓哉はそう答えて部屋を出る。


 風邪がうつりそうだと心配していたのにそばにはいて欲しいというあいなが拓哉は愛おしく思った。

お付き合いありがとうございました

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