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喉元過ぎれば熱を忘れる  作者: 粗茶の品
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偽物じゃない


 拓哉は咄嗟に声が出なくなった。


 先程まで会ったら伝えたい事が沢山あったのに、いざ会うと何から話せばいいのかわからなくなった。


 少し沈黙が続き、気まずいような雰囲気が拓哉を包む。拓哉は覚悟を決めて口を開く。


「俺は、姫崎さんが好きです」


 その言葉を聞くと同時に姫崎は頬を濡らした。両手で流れる涙を姫崎は拭う。


「私は、あなたとは、付き合えない」


 姫崎は震える声で伝える。


「どうして?」


 姫崎は目線を下にずらし、黙ってしまう。拓哉は言うべきかどうか少し考えてから、口を開く。


「それは、姫崎さんが記憶喪失なのに関係があるの?」


 姫崎は驚いたように顔を上げる。


 どうやら会っているらしい。姫崎はぱっと見でもわかるぐらい戸惑っているように見える。

 自分が知らないところでこんなことを知られていたらこんな反応にもなるだろう。


「どうして、それを?」


「姫崎さんの忘れ物を届けに行ったら、姫崎さんのご両親が教えてくれたんだ」


 姫崎は「なんで?」と呟く。その目には悲しみが入り混じっているように感じる。


「そうだよ。私は姫崎愛菜じゃないの。今の私が持ってるものは借り物ばかり。自分の過去すらまともに見れない臆病者だよ」


 姫崎は自分を嘲笑するように話す。


「だから、私にはあなたの好意に答えることはできない。ずっと偽物を演じてきた私には」


 姫崎は力強く拳を握っている。


 姫崎はずっと嘘をついてきたと自分で思っているのだろう。

 自分は何もしてないのに、それをしたという過去はあって、どうしたらいいのかわからなかったのだろう。姫崎が時々自分のことをぼやかして言うのはそういったことが関わっているのだと思う。

 そう考えると可哀想に感じる。きっと日記が過去の自分を教えるから新しい自分になりきれなかったのだと思う。

 きっと姫崎は今の自分が作り出したものなんて一つもないと思っている。


「姫崎さんは、俺のこと嫌い?」


 拓哉は優しい口調で姫崎に質問する。姫崎は「そんなわけ」と言うがそこで言葉が止まった。


 嫌いだと思われていない、それだけで拓哉の心は少し救われた。そして、自分は姫崎のことが好きなんだと再確認する。


「俺が好きなのは、姫崎愛菜じゃなくて、姫崎さんだよ。だから、そんなに自分を悪く言わないで」


 拓哉が言い切ると姫崎の手に入っていた力が抜けていった。


「姫崎さんは姫崎さんだよ。きっとそれ以外の何者にもなれない」


 前の姫崎はもっと活発だったと姫崎母は言っていた。しかし、これまで一緒に過ごしてきた姫崎はそうではなかっただろう。つまり、ずっと姫崎は姫崎さんだったと思う。


「でも、もし私が記憶を取り戻したら?道原くんはどうするの?」


 姫崎は手を振るわせながら質問する。


「じゃあ、姫崎さんは記憶を取り戻したら、俺とはもう関係なくなるの?友達じゃなくなるし、嫌いになるの?」


「そんなわけないよ」


 姫崎は拓哉の言葉をすぐに否定する。


「俺もそうだよ。記憶が戻ったって一緒にいた時間は消えないよ」


 拓哉は一緒に帰ったり、どこかに出かけたりした時間が大切だった。その時間があったから好きになった。たとえ、記憶が戻ったってそれは失われるものじゃない。


「姫崎さん」


 拓哉は改まって姿勢をただし、姫崎に向き合う。姫崎は「はい」と緊張しながら言った。


「俺はあなたが好きです。俺と付き合ってくれませんか?」


 拓哉は右手を姫崎に差し出す。姫崎は何度か拓哉の顔と右手を交互に見て、ゆっくりとその手を取る。


「私もあなたが好きです。よろしくお願いします」


 姫崎の声は震えていた。


 拓哉は姫崎を抱きしめそうになったのをグッと堪える。急にこんなことをしたら、ちょっと引かれるかもしれない。


「姫崎さんのお母さん達も心配してたし、今日はもう帰ろうか」


 拓哉はなぜだか急に恥ずかしくなって姫崎から目を逸らす。姫崎は「そうだね」と少し名残惜しく言った。


「また、明日会おう」


 拓哉が笑顔で伝えると姫崎も笑顔で返してくれる。


 今日別れるからって明日会えないわけじゃない。明日も明後日も明々後日も何度だって会えばいいのだ。


 拓哉と姫崎はいつものように別れた。


 拓哉はハッと思い出す。


 そういえば、姫崎を探すことに夢中で今日の夕食をまだ作っていなかった。

 拓哉は早足で家へと戻る。雨はもうほとんど降っていなかったから、拓哉は傘を閉じた。

次回、最終回です

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