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喉元過ぎれば熱を忘れる  作者: 粗茶の品
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知らない、わからない


 姫崎は道原と別れると少し立ち止まった。


 冬休みの間、そんな資格はないくせに何かに誘おうなんて思ってしまっているところに出会ってしまって、不覚にも嬉しいと感じた。

 その上、少し話そうなどとわがままらしいことを言ったことを姫崎は後悔する。


 姫崎はもう帰ろうと周りを見渡すと水道の近くに何か黒いものが置いてあるのが見えた。


 姫崎ははっとして近づく。それは予想通り、道原が鞄から取り出していた折り畳みの傘だった。姫崎は左手で持ち上げる。


 どうしたものだろうか。届けに行ってあげた方がいいのか。しかし、思い出して取りに帰ってくる可能性もある。

 どちらにしても、ここにこのまま置いておくことは得策ではない。


 姫崎はしばらくこのまま持っておこうと近くにあるベンチに座った。もしかしたら、もう一度会えるかもしれないなんて小さな希望を持ちながら。


 待っていても道原は戻ってこなかった。スマホで時間を確認すると待ち始めてから5分ほど経っている。


 これが長いのか短いのかわからないが姫崎は我慢することができなくなった。


 このまま待っていても戻ってくる保証はない。それに家に持っていってあげれば、途中で会うこともあるかもしれない。そうでなくとも、家に行けばきっと渡すことができる。


 姫崎は思いを固め、立ち上がって道原の家へと向かう。


 何度も訪れたことがある訳ではないので、うろ覚えの道では家に着くのに時間がかかってしまった。その途中で出会うこともなかった。


 押そうとして一度戻ってきた指を無理やり伸ばしてインターホンを押す。インターホンは高めの音を鳴らした。


『はい』


 インターホン越しに声が聞こえてくる。声は若い女性で道原のものではない。


「すみません。道原......拓哉さんが忘れ物していたので届けに来ました」


 インターホンから『少し待ってください』と聞こえてくる。姫崎は固まった足をそのままにして待った。


「ごめんなさい。ありがとう」


 ドアが開くとほぼ同時に女性が喋り出す。


 髪の長い女性で道原の妹でもないから母親だろうか。姫崎には見覚えのない人物だった。


「あ、あの......」


「え?」


 女性は姫崎がインターホンの前から顔を出すと驚いたような顔をして固まった。


「姫崎ちゃん......」


 姫崎は驚きで少し目を見開く。


 どうして名前を知っているのか。おそらくこの女性とは会ったことがない。だとすれば......。


「姫崎ちゃんだよね」


「......はい、そうです」


 姫崎は戸惑いながら肯定する。女性の顔は一気に明るくなった。


「そう。とりあえず上がって」


 女性はドアを開いて中へと誘う。姫崎はよくわからないままその誘いを受けて女性に従いながら中へと進む。

 女性が座ると姫崎もその近くに座る。


「ごめんなさいね。元気にしてた?」


 女性は明るい調子で尋ねてくる。姫崎はその質問にまた戸惑った。


 この調子であればこの女性は会ったことがあるのだろう。しかし、わからない。気づかないうちに会っていたのだろうか。


「......はい」


 最近は体調を崩していないので、元気であったことは間違いない。この女性がどれほどの規模のことを言っているかはわからないが姫崎は頷いた。


「あの、これ」


 姫崎は折り畳み傘を取り出し、鞄を下に置いてそれを差し出す。

 女性は「ありがとう」と言って傘を受け取った。


「まさか、拓哉くんの知り合いだったんだなんてね」


 この口ぶりだとこの女性は道原の母親ではなさそうだと姫崎は思った。


 だとすれば、一体どんな関係なのだろう。そう考えると少し胸が苦しくなる。


「おかーさん」


 少し話をしていると1人の女の子の声が聞こえてきた。


「何?」


 女性が返事をすると同時に女の子が姿を見せた。


「あれ?」


 同じ歳ぐらいの女の子が驚愕の様子を見せると同時に姫崎も戸惑いに包まれた。


 知らない人だ。そのはずなのに見ているだけでこんなにも苦しくなる。どうしても気になるのに、まともに見ることができない。


 姫崎は我慢できずに立ち上がる。このままここにいることはできないと思った。


「どうしたの?姫崎ちゃん」


 女性も女の子も困惑しているような顔を見せる。女の子にいたっては立ちすくんでいた。


「すみません。私はもう、帰ります」


 姫崎はそう言い残して歩き出す。2人は止めるようなことはせず動くことはなかった。


 玄関のドアが閉まると同時に姫崎は走り出した。


 耐えることができなかった。気持ちが晴れない。胸が焼けるように痛い。どうすればこの気持ちを朝あることができるのだろう。このどうしようもない感情はどうしたらいい?


 姫崎は目的地も定まらず走り続ける。


 ***


 拓哉は家のドアを開けて中に入る。


 折り畳み傘を見つけることはできなかった。


 リビングに行くと宮口母と麗奈の間に何やら重い空気が流れている。2人は互いの顔を見つめ合っていた。


「あ、おかえり。拓哉くん」


 宮口母は神妙な顔つきで言う。


「どうかしたんですか?」


 拓哉が尋ねると宮口母と麗奈2人の間に少しの沈黙が流れた。


「......拓哉くんって姫崎ちゃん、姫崎愛菜ちゃんと知り合いなの?」


「はい。そうですけど」


 おそらく知っている人で間違い無いだろう。同姓同名の人は聞いたことがない。しかし、一体なぜその名前が出てきたのだろうか。


「実はさっき、忘れ物だって姫崎ちゃんが届けてくれたんだけどね」


 宮口母はテーブルの上から折り畳みの傘を取り、拓哉に差し出す。


「ありがとうございます」


 拓哉は傘を受け取る。すると、宮口母はゆっくり口を開いた。


「だけど、なんだか様子がおかしくて。すごい深刻そうな顔をするの。拓哉くん、何か知ってる?」


 言葉を綴りながら宮口母は心配そうな顔をする。


 何か知ってるかと言われても、さっき会った時はそんな様子はなかったと思うし、あったとすればその間の時間にだろう。

 拓哉が姫崎と別れてから今になるまでの間で特別そうなことといえば、思いつくのはこの2人に会ったことぐらいしかない。

 しかし、この2人に会ってそんなことになるような感じはしない。少なくとも、この2人はそんな顔をさせるような悪い人ではないはずだ。

 つまり、この2人絡みであるのなら、姫崎が何かを一方的に持っているのか、はたまた2人が無自覚のうちに姫崎の何かを踏んでしまったかだ。


 何にせよ拓哉は心配で仕方がなかった。考えれば考えるほどモヤモヤしてくる。


「あれ、それは?」


 拓哉は床に置いてある鞄を指差した。このデザインは見たことがある。


「あ!姫崎ちゃんのだ。忘れて行っちゃったのかも」


 宮口母は驚いて言う。どうやら気づいていなかったらしい。


 となると拓哉はますます心配になった。


 忘れ物をしてしまうほどの出来事。それは一体何なのだろう。答えは探せど見つかる気配は一向にない。


 宮口母が持とうとすると手を滑らせて鞄を持ち上げる途中で落としてしまった。鞄は開いていたらしく、落とした衝撃で手帳が出てきてしまった。

 拓哉はその手帳に見覚えがある。夏休み前、姫崎が図書室に忘れていったあの手帳。姫崎と出会うきっかけとなった手帳だ。


「ごめんなさい」


 宮口母は手帳を中にしまい、鞄を持ち上げる。


「俺、届けてきますよ」


 拓哉が手を伸ばしながら言うと、宮口母は「お願い」と言って鞄を渡した。


「わ、私からも、お願いします」


 拓哉が鞄を受け取り、振り返って歩こうとすると麗奈が口を開いた。


 お願いするとは何のことだろう。単に、鞄を届けて欲しいという意味だけでは内容に感じる。


「わ、私も、心配だから」


 麗奈は胸の前で強く手を握りながら言う。


「わかった」


 拓哉はそう言ってその場を去り、家を出る。


 空は昼間よりも一層曇ってきている。拓哉の足は自然と速くなった。

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