表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
喉元過ぎれば熱を忘れる  作者: 粗茶の品
63/71

冬休み開始の合図


「それじゃあ、みんな冬休みの間、体調を崩さないように。良いお年を」


 担任の挨拶の後、クラス全員が一斉に礼をすると、雰囲気は一転し教室は騒がしさに包まれた。あちらこちらでこの後の予定を話す声が聞こえてくる。


「道原、ちょっと時間あるか?」


 拓哉が上がっても下がってもいない成績表を眺めていると炭谷が話しかけてきた。炭谷の顔は相変わらずの明るさが灯っている。


 炭谷の噂の件はあの日の翌日、他の生徒の前で松野が炭谷に謝ったことで落ち着いた。あのまま逃げて謝りもしないかもと思っていたから、その時はほっとしたのを拓哉は覚えている。

 松野は何の心変わりかは知らないがこれからは改善されていけばいいと思う。きっと誰かに責められることを待っていたんじゃないか、なんて呑気なことを考えられるほど拓哉の気持ちは落ち着いていた。


「何かあるのか?」


 拓哉は成績表を鞄にしまいながら炭谷に尋ねた。炭谷は口角を上げて笑ってみせる。


「ちょっとしたことだよ。それで空いてるのか?空いてないのか?」


 炭谷は笑っている顔を近づけて質問してきた。


 こんないつもの様子を見ると解決して本当によかったと思う。少し前の炭谷はその顔から明るさが欠けていて少し陰鬱な雰囲気が漂っていた。明るさが取り戻せたのなら頑張った甲斐があるというものだ。


「わかったよ」


 拓哉は荷物を持って席を立つ。炭谷はその近くでまだ笑顔を作っている。

 拓哉はドアに向かおうと体を向けた時に一つやらないといけないことに気づいて顔だけ炭谷に向ける。


「あー、ちょっと先に教室出といてくれない?」


 我ながら急に変なお願いだと思ったが炭谷は少しきょとんとしただけで理由も聞かず頷いた。


「じゃあ、先行ってるから食堂のとこ来てくれ」


 炭谷は言い終わるとすぐに教室を出ていった。


 教室の中はそれほど時間も経っていないのに人は少人数になっている。その少人数も話し合っていて拓哉のことなど誰も気にしていない。


 拓哉がやらないといけないことは姫崎に遅れることを伝える、または先に帰ってもらっておくことだ。いつもならもう先に教室を出ているが今日は珍しくまだ残っている。

 姫崎は拓哉の帰るのが遅くなっていても大体の場合待っていた。炭谷は時間はかからないと言っていたが遅れることに変わりはない。何も知らずに待たせるのは心苦しいので伝えておくべきだと拓哉は思った。


 しかし、と拓哉の頭の中にそんな思考が出てくる。


 しかし、今日はそんなつもりなどなかったと言われたらどうしよう。今日一緒に帰るなんて言っていないと言われたのならどう反応すればいいのだろうか。

 どうしてこんなに怖く思ってしまうのだろうと拓哉は少し不思議な感じも抱いた。


 拓哉はそうだとしても、万が一のため伝えるべきだと考えを振り払うように頭を2、3度振って歩き出す。


「姫崎さん」


 拓哉が話しかけると姫崎はゆっくり顔をあげる。その瞳は一直線に拓哉の視界に入ってきた。


「帰らないの?」


 拓哉の質問に姫崎の動きが止まった。そして、急に動き出して鞄を手に持ち立ち上がる。


「ご、ごめん。それじゃあ、帰ろっか」


 姫崎は顔を拓哉に向けたが目を合わせないように絶妙に避けてくる。


 様子がおかしいような気がする。何か考え事か悩み事でもあるのだろうか。


 それよりも、今は事情を説明することが先だろうと拓哉は口を開く。


「ごめん。今日は先に帰っててくれる?」


「え?」


 姫崎が声を漏らすと同時に拓哉は姫崎と目が合った。拓哉はその目から何と言えばわからないような雰囲気を感じた。


「そ、その。ちょっと友達に話があるって呼び出されて、待たせるのは悪いから」


 拓哉は不思議と焦って理由を説明する。姫崎と目を合わせるのはなんだか気まずくて目を逸らす。


「そ、そっか」


 姫崎は胸に手を当てて声を出す。さっきよりは明るさが戻っている気がする。


 さっきのは何だったのだろうか。どこか悲しいとも言えそうな目をしていた。それに早く説明しないとと焦燥感に駆られた。


「じゃ、じゃあ。待っててもいいかな?」


 姫崎が恥ずさしそうに言葉を続けると拓哉は驚いて思考が一瞬止まった。


「いや、でもそれは、申し訳ないよ。外は寒いしさ」


「じゃあ、中で待ってるから」


「でも、それは......」


「だめ、かな?」


 拓哉はそれ以上何も言うことができなかった。


 自分が好きな相手が一緒に帰るために待ってくれると言っている。申し訳ないけど、拓哉は嬉しく感じてしまっていた。


「わかったよ」


「それじゃあ、下駄箱の辺りで待ってるね」


 姫崎はそう言うと教室の外に出ていった。


 失敗した、でもこれでよかったのかもしれないそんな風に思っている自分に拓哉は小さくため息をついた。


 拓哉は用を済ませるために食堂の辺りへと向かう。向かっている途中はほとんどひと会うことはなかった。


「よ。道原、来たな」


 食堂前に着くとそこには炭谷ともう1人見覚えがない女子生徒がいた。炭谷は女子生徒を手で指し示す。


「道原、紹介するよ。この人は俺の彼女で」


「山口恋華といいます」


 山口は自己紹介と共に丁寧に頭を下げる。拓哉もそれにつられて頭を下げた。


「道原拓哉です」


 拓哉が自分の名前を言うと2人揃って笑顔を見せてくる。その一瞬だけで拓哉は仲がいいと理解した。


「道原さん。話は聞いてます。本当にありがとうございました」


 山口はお礼を言いながらもう一度丁寧に礼をした。しかし、先ほどよりも深く頭を下げている。拓哉は「顔をあげてください」と少し戸惑いながら言う。


「お前のこと話したらお礼を言いたいって言われてな。俺からももう一回言うよ。ありがとう」


 炭谷もその横で頭を下げる。


 拓哉は訳がわからなかった。

 お礼を言われることと言えば噂の件で間違いないだろう。しかし、それは充分お礼は言ってもらった。これ以上は必要ないと拓哉は思っていた。


「もういいよ。俺はしたかったことしただけだから」


 炭谷と山口は同時に顔をあげて互いの顔を見合う。そして拓哉の方を見ると優しく微笑んだ。


「相変わらずだな、お前は」


「ほんと、お優しいんですね」


 2人が仲良く立っていると、本当にお似合いだなと拓哉は思った。この縁が長く続くことを拓哉は少しばかり祈る。


「それだけなら、俺はもう行くよ」


「あ、何かお礼させてください」


 拓哉が去ろうとすると山口が手を伸ばして引き留めてきた。


 いつもならその話を受けるかどうか迷ったかもしれないが今日の拓哉の答えは一つに固まっていた。


「そういうのはいいよ。人待たせてるからもう行くね」


 今度は引き留めることはしなかった。拓哉は振り返って歩き出す。


「ありがとう」


 拓哉はその言葉を背中に受けて前へと歩いた。


 下駄箱にはもう人がいなかった。自分のクラスの場所に行くとそこに姫崎はいた。


「お待たせ」


「予想より早かったね」


 拓哉の言葉に姫崎は笑いながら即座に返した。


 靴を履き替えて、校舎を出る。姫崎と並んで校舎を出るなんて滅多にないというかほとんどなかったから拓哉は変な感じがした。


 姫崎と話しながら並んで帰る。内容はいつもと変わらない他愛のない世間話。拓哉は冬休みに入ってしばらくないと思うと少し寂しくなった。


「冬休み何か予定あるの?」


 姫崎が帰り道の終わり際にその話題を持ち上げてきた。


「今のところは何もないかな」


 冬休みはクリスマスとお正月がかぶる忙しい人にとってはとても忙しい季節だ。しかし、拓哉には予定がない。できれば......なんて考えもあったがここでは口にできなかった。


「そっか。私も何もないんだよね」


 姫崎も何気ない風に予定を話してくる。


 何もないのなら遊びに誘ったりしてもいいのだろうか。いいのか悪いのかどちらなのかわからず、どちらか気になった。


「それじゃ、また」


 拓哉が聞こうかどうか悩んでいるといつもの分かれ道に着いてしまった。


「......また今度」


 拓哉が言葉を返すと姫崎は道を曲がって歩いていく。


 拓哉は結局聞くことができなかった。その決断をすることができなかった。

 その1番の理由が姫崎の言った「付き合えない」というあの言葉。それが最後に喉に引っかかった。


 拓哉も少し後悔の念を抱きながら帰り道を歩いた。


 ***


「あら、拓哉。降りてきたのね」


 夕陽が落ちてきてリビングに行くと母が拓哉に話しかけた。母は夕食の支度をしているのかキッチンにいる。紗良も母から遅れて「よぉ、兄貴」と言葉をかける。


 いつの間にか帰ってきているが、上で熱中して本を読んでいたから全然気づかなかった。


「あ、お父さんは今お風呂入ってるから」


「今日は早いんだね」


「そうね。今日は同僚みんな張り切ってたみたいだから」


 母の口調はいつもよりも楽しそうにしている。


「あ、そうだ」


 拓哉がソファに座ると母は両手をパンと叩いた。


「明後日、宮口さん達が来るから」


 母はウキウキした口調で告げる。


 宮口と言うと京都で会った親戚の苗字だ。そんないきなり来るなんて思っていなかったから拓哉は心底驚いた。


「宮口さんって親戚の?」


 拓哉は少し戸惑って確認をとった。母は「そうよー」とはっきり言う。


 明後日に親戚が家に来るらしい。あの時言っていた麗奈は元気だろうかと拓哉は考えに耽った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ