名前も覚えていない同級生
チャイムが鳴り響き4限目の授業が終わり昼休みの時間となった。
教師が教卓を離れるやいなや皆んながそれぞれ動き出した。
財布を持って食堂へ向かうと思われるもの、弁当箱を持って教室を出ていくもの、はたまた集まって昼飯を食しているもの。
拓哉が鞄の中から財布を探していると1人の男子生徒が話しかけてきた。
「お腹空いたから早く学食いこう」
「ちょっと待ってくれ」
随分と元気な様子で話しかけてきた人物は炭谷蓮。
炭谷は拓哉の友人でクラスメイトの中では彼が一番仲がいい関係にある。
財布を見つけ出し移動するため席を立つとある人物が目に入ってきた。
昨日手帳を図書室に忘れていった人物。
名前は確か姫......
姫から始まったことは確かなのだがうまく思い出せない。
手帳のことはまだ伝えられていない。
彼女は廊下側の後ろから2番目の席に座って黙々と1人で弁当を食している。
昼休みと放課後の図書委員の仕事は別で今は昼休みは他のグループがやっているから図書室に行くような用事もないし忘れ物に関しては帰り際に伝えればいいかと思い、拓哉は炭谷と教室を出た。
***
「もうすぐ期末テストじゃん、ちゃんと勉強してる?」
炭谷はラーメンを啜りながら唐突に尋ねてきた。
この学校は例年7月始めに期末テストがあり、あと1週間ほどしかない。
「まぁ、ぼちぼちね。いつも通りだよ」
「なぁ、今度ちょっと教えてくれん?」
「時間がある時で、できる範囲ならいいよ」
「よっしゃー」
総合順位は拓哉の方が上ではあるが炭谷とは別に点数がそこまで離れている訳ではない。教科にやっては若干負けるぐらいだ。
それでも教えて欲しいと頼んでくるのは炭谷の向上心が高いからだろう。
他の人を当たった方がいい気がしなくもないが。
昼食が食べ終わり、食器を返却口に置いてから壁にかかっている時計を見ると授業開始の15分もないぐらいだった。
今日は食堂が混んでいてメニューが届くまで時間がかかっていたのでいつもより遅くなってしまった。
急ぐ必要があるほどではないがこの後は教室を移動しないといけないためすぐに教室に戻った。
***
最後の授業が終わり、担任が連絡事項を伝えて最後の挨拶をすると教室が一気に明るくなった。
ほとんどの者が明るい顔をしてそれぞれ目的地へと向かってぞろぞろと教室を出ていく。
一部暗いものもいる気がするが見なかったことにしよう。
拓哉は図書室へ向かう前に鞄に荷物を入れ始めた。
「それじゃあ、またな」
「ああ」
炭谷は帰りの支度が終わったらしく拓哉に一言かけてから教室を出ていった。
ふと教室を見回すと例の彼女の姿がなかった。
もう帰ってしまったのだろうか。
結局昼休みの後も忘れ物に関することは伝えられなかった。
拓哉も支度が終わり教室を後ろのドアから出ていった。
「道原」
拓哉が廊下を歩いていると後ろから声をかけられた。
振り向くとそこには水田が立っていた。
「すまん。今日も行けそうにない」
行けないというのは図書委員の事だろう。
「わかった。理由は今度聞かせろよ」
「今週一回も行けなくて本当にすまん」
ここは図書室まであと少しのところだからわざわざ行けないことを伝えに向かっていたのだろう。
本当に律儀なやつだと拓哉は改めて思った。
水田は昨日の質問のように時々よくわからないこともあるが基本的にいいやつだ。
しかしそんな水田に一体何があったのかという興味は絶えなかった。
行けないことに理由があるのなら言うことははないが月曜と金曜は帰りに軽く掃除をしなければならないので出来れば来て欲しいと言うのが本音だった。
図書室に着くと拓哉は周りを見回した。
ほとんど人はいなくて図書室は閑散としている。テストが近いからかいつもよりも人がいない。
その中に昨日と同じ席に座っている1人の女子生徒を見つけた。
拓哉は受付の中に入り、忘れ物スペースを見ると昨日と同じように手帳が置いてあった。
受付の真横、本棚と間反対の位置にある上、壁がそこそこ高くて離れてだと見えないため仕方がないとは思うが彼女はここにあるかとに気づかなかったらしい。
彼女は受付から1番遠い席に座っているとはいえここを見ないものだろうかと拓哉は思った。
ここで無くしたと思っていないのか。そもそも気づいていないのか。はたまた...
考えられる可能性はいくつもあるが手帳がここにあることは事実だ。
拓哉は受付から出て手帳を取り、彼女のところへと歩き出した。
「あの」
拓哉が声を掛けると彼女はこちらを向いた。
「あなたは昨日の」
彼女は少し驚いたような表情を見せた。
昨日はほとんど意識してはいなかったが長い髪はさらさらで、長いまつ毛に目もパッチリしていてかなり整った顔をしている。正直学年の男子たちの中で1位2位を争っている人物に引けを取らないと拓哉は思った。
髪で少し顔が隠されているし今まで顔をしっかり見るような機会もなく、そんな話も聞いたことがなかったし基本いつも1人でいる感じがあったから少し驚いてしまった。
「これ、昨日忘れていきませんでした?」
手帳を見せると彼女はそれを見つめながら何とも言えない顔をした。
「ありがとうございます。探してたんです」
彼女は手帳を受け取り、拓哉に笑顔を見せた。
拓哉は先程見せた顔に違和感を覚えながらも「どういたしまして」と軽く返事をした。
「そういえばあなた同じクラスですよね。えーっと......」
「道原拓哉です」
「道原さん。ごめんなさい、まだクラス全員の名前覚えられていなくて」
「仕方ないですよ」
自分は貴方の名前覚えていません、という言葉を飲み込んで拓哉は一笑した。
「私は姫崎愛菜です」
彼女はにっこりとした笑顔を見せながら自分の名前をこちらに伝えた。
正直拓哉はありがたいという気持ちが心中にあった。
「姫崎さんは今週毎日ここに来てますよね」
「はい。わからないところが結構あって、テストまでにどうにかしときたくて」
彼女のノートをチラッと見ると赤色で間違いを訂正しているところがいくつかあった。
昨日と引き続き数学をやっているようで間違っている問題は基礎とちょっとした応用でこれぐらいなら少し教えることはできる。
「できる範囲でよかったら教えましょうか?」
「いいんですか?」
「自分にできるのはほんとに多少ですけど。まぁ、図書委員の仕事があるので今日はほんとに少ししかできないんですけどね」
今日は特に人がいないし、受付には何故あるかわからない呼び出しのベルがあるし多少は構わないだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか。まず、この問3がわからなくて」
以外とぐいぐいくるなと思いながら拓哉は横の席に座り勉強を教えて始めた。
その後本を借りる人が来なかったらしく、姫崎も結構遠慮なく質問してくるので気がつけば1時間ほど経っていた。
拓哉が時計を見ていると姫崎も顔を上げて同じ方向を見つめた。
「あれ、もうこんな時間。もう帰らないと」
彼女は勉強道具をそそくさと片付け始めた。
「今日はほんとにありがとう。私数学がちょっと苦手で。すごく助かった」
彼女は片付け終えるとそう言って席を立った。
「別にいいよ。これぐらい。大したことじゃないし」
拓哉も席を立ちながらそう言った。
拓哉は勉強を教えているうち相手の敬語が少し抜けてきているから自分も自然と抜けていったことに気がつき少し笑ってしまった。
彼女は「それじゃあ」と言って会釈してから図書室を出て行った。
拓哉は姫崎が出ていくのを見届けてから受付に戻った。
因みに水田以外のもう1人は図書室に来る前に教室に寄って聞いてみたが今日も休みだったようで来なかった。