第9話『妹、魔王やめるってよ。』
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。身長はだいたい160cmくらい。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。ボディタッチ(尻尾巻き付け)は良くするくせに、言葉では言わないタイプのこじらせラミア。お酒が入ると眠くなってしまう体質。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。身長は162cm。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。天然たらしの側面があり、ベレノの情緒を狂わせる。しかしこっちはこっちでだいぶこじらせている。色々な好意を向けられている事には気づいているが、どう向き合って良いのかわからないでいる。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。身長147cm(角を含まない)。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっているが、本人は魔王の座にはあまり執着が無い。兄の事以外は基本どうでも良いと思っている節がある。
ジーニア:ジーニア・オウリュ。今は亡き先代魔王およびアルシエラの側近にして竜魔族の老人。異界より召喚したホムラ ユキという少女を禁術によって魔王アルシエラにした元凶。少女を傀儡にして魔界を治めるつもりが、我儘娘すぎて振り回される立場に。魔術的知識の豊富さは魔界・地上含めても随一とされるスケベジジイ。
第9話『妹、魔王やめるってよ。』
ナリマの街を出て海岸線を目指し、その途中サンナ村のキャンプ地で一夜を明かした私達。
昨晩は焚き火の前で少しだけ眠った後、メイに起こされて馬車に戻り寝直した事までは覚えている。
だが何故メイは私の腕の中で、私の胸に顔を埋めるように眠っているのだろうか。
まさかメイの方から寝ている私に抱きついた、なんて事はメイに限って無いだろう。
だとするとやはり、私が眠っている間に寝ぼけて抱きしめたと考えるのが自然か。
「……。」
私はそっとメイのサラサラとした金の髪を撫でて、起こさない程度に再びメイの頭を抱き締める。
この行為に何とも言えない幸福感を覚えてしまうのは、少し危険だろうか。
しかし一つ気になるのは、私が寝ぼけて抱きしめたのだとしてメイがそれを拒まなかった事だ。
今までのメイであれば私が尻尾以外で多少強めのスキンシップを図れば、何だかんだと理由をつけて逃げた筈。
なのに今回はそれもせず、大人しく私に抱きしめられて眠っているように見える。
遠慮がちに私の背中へと回されているメイの手が、私の抱き締めに対し抵抗しなかった事を示していた。
抵抗する気力もないほど眠かった、という可能性ももちろん無くは無いのだろう。
だけどあえて希望的な予想を立てるのであればそれは、メイが私のことを女性として意識した上で受け入れ始めてくれているのではないか、と。
都合の良すぎる考えなのは自分でもわかっている。それでも私はメイと、もっと。
「……あのー……?」
悶々とした考えに頭を支配された私が只管メイの頭を撫で続けていると、流石に起きてしまったらしいメイが恐る恐るといった様子で私の胸の中で声を発する。
「っ……おはようございます、メイ。」
「……おはよう、ベレノ。」
私は腕の力を緩めてメイの頭を解放しながら、何でも無いように取り繕って朝の挨拶をする。
すると私の胸から顔を上げたメイが、その圧しつぶされて少し平べったくなった前髪を手櫛で梳かしながら苦笑して挨拶を返した。
「……、……すいません。」
少しの沈黙の後、謎の罪悪感に耐えきれなくなって謝罪の言葉を口にした私を見て、メイがまた苦笑いを浮かべる。
メイにしては珍しく言わなくとも何の事か察しているようで、何も言わず意趣返しのように私の頭をぽんぽんと撫で返してくる。
「まぁ確かにびっくりはしたけど……その、寝心地は結構悪くなかったし……。」
自らの頬を指で掻きながら少し目をそらし、やや小さな声でそんな事を漏らすメイの声を私の耳は聞き逃さない。
悪くなかった。というのはつまり、次のチャンスがあるという事でいいのだろうか。
だがここで具体的にどこが良かったか等とメイに聞いた所で、はぐらかされるのは目に見えている。
なので私は、少し意地の悪い質問をする事にする。
「……悪くはなかったが、良くもなかった、と?」
私はメイの右手をそっと取ると、そのまま自らの胸元へとそっと触れさせるように誘導する。
すると案の定どう答えるべきか迷っているようで、メイは落ち着き無く目線を泳がせる。
そんな中で不意に私と一瞬だけ目が合うと、まるで動揺を表すように私の胸元でメイの指先が小さく動いた。
「っ……どちらかと言えば、かなり良かった……です。はい……。」
幾度か口を開いては閉じを繰り返したっぷりと返事に迷った後でメイは諦めたようにそう述べて、恥ずかしさからか眼にほんのりと涙など浮かべ顔を赤くする。
そんなメイの反応を見て私は何かに突き動かされるように、再びメイを抱き締めた。
「な、なんだよぉ……?!」
「いいえ、何でも……ただ何となく、です。」
その後も弱々しく困惑するメイを胸に抱きながら、たっぷりとメイを可愛がった。
◆◆◆
朝食を終え出発の準備を整えて、南へ向けて馬車を走らせ始めた後もメイは馬車の隅で足を抱えて小さく座っていた。
どうやら少し可愛がりすぎて拗ねてしまったようだ。
こちらから何を言っても応えてくれず、静かに目をそらされてしまう。
拗ねている姿も可愛いメイをもう少し眺めていても良いのだが、そろそろ機嫌を戻してもらわないとどこぞの魔王から氷の槍でも飛んできかねない。
「……先程は失礼しました。あまりにもメイが可愛かったので、つい。」
自分で言いながら思い出し笑いをしてしまいそうになるのを、ぐっと堪える。ここで笑ってしまったら台無しだ。
「可愛かったってなぁ……一応俺、男なんですけど?」
そう言いながらも小さく頬など膨らませて拗ねている事を愛らしく改めてアピールしてくるメイ。
もしかして無自覚にやっているのだろうか。
「……やっぱり、可愛いと言われるのは嫌ですか?」
そういう所だと言いたくなるのを我慢して、私はメイへと問いかける。
確かに通常であれば男性に対して可愛いという言葉を使うのは、場合によってはバカにしていると取られても仕方がない。
だが事実メイは可愛いので、他に言い表しようが無いのだ。
「嫌ってほどじゃないけど……なんかあんまり、どういう反応していいのかわかんないっていうか……。」
「……嬉しいなら喜べば良いんじゃないですか?」
複雑そうな表情をしながら床の木目をいじいじと指でなぞるメイ見て、私はある推察を立てる。
もしやメイは妹を可愛がる事は得意でも、自分が可愛がられる事には慣れていないのでは無いか。
「で、でも俺は男だし!それにっ……!」
「……別に私の前でまで”カッコいいお兄ちゃん”である必要は、無いのでは?」
頑なに自分が可愛がられる事を否定するようなメイの様子に、私は思った事を素直に口にする。
途端、その言葉を聞いたメイが驚いたようにぽかんと口を開けたまま私の方を見つめて来る。
ありのままのあなたで居ても良いと前にも言った気がするし、私としてはそんなに変なことを言ったつもりはないのだが、何か不味かっただろうか。
「……それは、そう……なんだけどさぁ……。」
一瞬納得しかけたメイだったが、それにはもう一歩足りないようで頭を抱えながら崩れるように床へと転がる。
まぁメイも私も誰かの一言できっぱりと切り替えられるような性格をしていない事は十分わかっている。
時間が、あるいは慣れるための経験が必要なのだろう。
「確かにあなたは身体は女性なのに魂は男性で、元は異世界のヒトで、シスコンで、本人は勇者なのにその妹は魔王で……卵を生で食べるような変な人ですけど。」
「今更あなたのどんな一面を見せられたって、私はきっともう驚きませんよ。」
床へと転がったメイの頭にそっと手を置きながら、私は優しく語りかける。
私の前でくらいは正直なあなたで居て欲しい。きっとそう言えれば良いのだろうけど。
それは私自身にも言えてしまう事で、簡単には口にできそうにない。
「……だったら、言うけど実は俺──」
身体を起こしてぽつりと語り始めたメイの言葉に、私は耳を傾ける。
「っ……好き、なんだ……こんな風に……誰かに頭、撫でられるの。」
そう言いながらメイは恥ずかしそうに目を伏せつつも、私の右手を自らの頭の上に乗せる。
そんなメイの行動に、私の右手の指先がぴくりと反応を示した。
今すぐ思いきりメイの髪がくしゃくしゃになるまで撫で回したい。
瞬時にそんな欲求が沸き起こったのを何とか我慢する。
「……そう、ですか。」
何でも無さそうな顔をして優しくメイの頭を撫でながらも、私の尻尾はやり場のない衝動を誤魔化すように忙しなく動き回る。
これで可愛くないと言う方が嘘になるだろう。許されるのなら今すぐ全身巻き付いて撫で回したいが。
「……やっぱ変だろ?」
打ち明けながらもどこか悲しげに笑って誤魔化そうとするメイに、治まりかけた発作が再発する。
やっぱり本人も撫でられるのが好きだと言っているし、めちゃくちゃに撫で回しても許されるのでは?
頭の中で一瞬そう考えた次の瞬間には、私の両手はメイの頭へと触れていた。
「いいえ。変じゃありません。」
私はメイの問いかけをきっぱりと否定しながら、両手を使って余すこと無くメイの頭をわしゃわしゃと撫で回し始める。
「……えっ?ちょ、ベレノッ!?あのッ?」
途中で幾度もメイが悲鳴にも似た声を上げても、私は撫でるのを止めることは無く──。
しばらくして、そこにはまるで頭髪を鳥の巣のように乱されまくったメイの姿があった。もちろんやったのは私なのだが。
少しだけ反省はしているが、途中から心地よさげに目を細めて大人しくなっていったメイの姿を見ていたら止める事などできなかった。
「……大丈夫ですか?」
自分でこんな状態にしておいて何だが、撫で回され続けて少し蕩けたような表情をしているメイが心配になって、私はメイの乱れた髪を手で軽く直しながら静かに問いかける。
メイはこちらへと一瞬目を向けた後で、小さく頷いたかと思えば何も言わないままに私の方へと倒れ込むように頭を預けてくる。
さらには私の胸元へとぐいぐいと猫のように頭を押し付けてきている。もしかしてこれはもっと撫でろという催促なのだろうか。
私があまりに撫ですぎたせいで、メイは少し壊れてしまったのかもしれない。でも責任は取りますからね。
◆◆◆
あれからしばらくして、時刻はだいたい正午を過ぎた頃。
私とメイを乗せた馬車は、今日最初の休憩地点であるスエゴの街へと到着した。
地図によればここから南には村があと2つあるだけで、それを越えれば目的地であるレイヴィアまではもう少しだ。
できるなら今日も飛ばし気味のペースで、レイヴィア手前の村までは行きたい所。
しかしその為にもここでしっかりと休憩を取っておきたい。
「……メイ、休憩がてら少し街を歩きませんか?」
馭者席側から馬車の中のメイへと声をかけると、メイは未だに馬車の隅に向かって膝を抱えて丸くなっていた。
魔王からの連絡で冷静さを取り戻しいつもの”お兄ちゃんらしいメイ”に戻った後で直前の自分の行動を思い出し、恥ずかしさで落ち込んでいるのだ。
メイが私に甘える事に慣れさせるには、もっと時間が必要なようだ。
「……折角の街ですし、何かお昼に美味しい物でもどうです?」
私は小さく息を零しながらメイに近づいて、優しく肩をゆする。
するとようやくゆっくりと振り向いたかと思えば、メイはこちらにジトりとした目を向けてくる。
まるでこうなっているのは私のせいだとでも言いたげな目。実際そうなのだが。
ここで頭を撫でたりしたら、また拗ねてしまうだろうか。
「お詫びと言ってはなんですが……何でもメイの好きな物を食べましょう。ね?」
小さく笑いかけながら、私はそっとメイの右手を取る。
そんな私の言葉にメイは少し唇を尖らせて歪ませた後、小さくため息を零して頷いた。
きっと美味しい物を食べればメイの機嫌も直るだろう、と思っていた矢先。
「もしもしお兄ちゃん!?聞いて!」
今朝も聞いた、あまり聞きたく無い声がメイの胸元から鳴り響く。
なんとなく出鼻を挫かれたような気持ちになりながらも、私はメイへとジェスチャーで掌を向けて、応答するように促した。
「……もしもし?雪?どうした?」
先程までまだ少し拗ねたような顔をしていた可愛いメイが、瞬時にお兄ちゃんの顔に切り替わった。
そのあまりの切り替えの速さに、思わず笑ってしまいそうになるのを私は口元に手を当てて堪える。
「あのね、お兄ちゃん!私、魔王やめる!」
「「えっ?」」
突如として放たれた魔王からの衝撃の一言に、私もメイも思わず声を揃えて驚く。
そんな私達を置き去りにして魔王はさらに続ける。
「あとね私、結婚する事になったから!来てね!」
「は、え……?え?」
続けざまに放たれた更なる衝撃の言葉に、メイが完全に固まってしまう。
私の耳が確かなら今、魔王が誰かと結婚すると言ったように聞こえたが。その上魔王を辞任するとも。
「お兄ちゃんがこっちに到着したら、式を始めるから!待ってるね~!」
時間が止まったように固まってしまったメイへと嬉しそうにそう言い残して、魔王の声は聞こえなくなる。
そこから数秒遅れて魔王の言葉の意味を理解したらしいメイが、激しく動揺して震え始めた。
「メ、メイ……?」
大丈夫かと声をかけようとしたが、明らかに大丈夫ではない。
激しく目を泳がせ大量の冷や汗をかき、この世の終わりかと思うような絶望した表情を見せている。
そのうちその青い瞳いっぱいに涙を溢れさせ、ついには大粒の涙をぼろぼろと零しながら泣き始めてしまった。
私はそんなメイがいたたまれなくなって、思わず強く抱き締める。
最愛の妹が突然結婚報告をしてくるなんて、メイにとっては何よりも辛い現実だろう。
こちらとしては勿論、敵が1人減るかもしれないという事なので喜ぶべきなのだろうが、今のメイを見ているととても素直には喜べない。
しかも魔王が魔王を辞めるという事は、私にとっての天敵が魔界から解き放たれるという事でもある。
そうなった場合色々と、私としても都合が悪い。
「大丈夫……大丈夫ですよ。」
根拠のないそんな言葉を繰り返しながら、私はメイが落ち着くまで只管優しく抱き留め続ける。
魔王が結婚するという話もそうだが、それ以上に気になるのは魔王を辞めるという発言についてだ。
いつか調べた魔界に関する記録では魔王という役職は代々、血みどろの殺し合いの果に襲名されてきた筈だ。
つまりはその代の魔王が誰かに殺される事でしか、次の魔王が誕生しないという事だ。
例外的に先代の魔王は地上侵出の野望の末に、先代の勇者である勇者サンに討ち滅ぼされてしまったのだが。
「……とりあえず昼食にしましょう。それからもう一度、魔王に連絡してみましょう。ね?」
私はそうしてメイをなんとか納得させて、馬車からスエゴの街へと連れ出す。
きっととびきりに美味しい物を食べればメイも元気を取り戻してくれる筈だ、と。
◆◆◆
メイを連れてスエゴの街へと繰り出した私は、こういう時はメイの好きそうな味付けの濃い物を食べさせるべきだと考えて、ステーキが名物らしいレストランへと飛び込んだ。
「……メイ、ほら食べましょう?折角の料理が冷めてしまいますよ……。」
「ああ……うん……。」
注文したステーキが鉄板皿に載せられて運ばれてきて、目の前でじゅうじゅうと美味しそうな音を立てている。
しかしメイの視線はどこか宙を見ていて、熱々のステーキには目もくれない。
これは思ったより重症だ。
「……ほら、メイ。口を開けてください……。」
ナイフとフォークを握ったまま呆けているメイを見かねて、私は自分のナイフとフォークでメイのステーキを切り分け、そのままメイへと差し向ける。
いつかメイがしてくれたように、今回は私がメイへと”あーん”で食べさせるのだ。
私がメイの口へとステーキの一切れを入れると、メイは口を閉じてゆっくり咀嚼し始める。
だがそんなに呆然としたまま食事をして、メイが肉を喉に詰まらせるのでは無いかと心配になってしまう。
とりあえず、メイが食べ始めたのを確認して私も自分の分を口にする。
「……、……っメイ!?」
一口食べ進めた後でちらりと再び横目でメイの様子を確認すると、そこには咀嚼しながらまたボロボロと涙を流しているメイの姿があった。
ステーキを食べながら突然泣き始めたメイの様子にレストランの調理スタッフも困惑している中、私は懐からハンカチを取り出してメイの涙を拭う。
「うぅ……このステーキ、美味いはずなのに……味がしない……。」
小さな声でそうぼやいたかと思えば、メイはそのままやけ食いでもするように切り分けていないステーキをがっつき始める。
メイのおかしな様子に店員や他の客のざわつく声が聞こえてくる。これは早急に食事を済ませて店を出たほうが良さそうだ。
ステーキをがむしゃらに食らうメイに負けないように私も急ぎ目で食べ進めた後、カウンターに料理の代金を残してメイの手を引き逃げるように店を後にした。
「……少しは落ち着きましたか?ほら、口の周り……。」
店から少し離れた所まで進んで、私はメイの様子を伺う。
大きな塊のステーキをがっついたせいかメイの口の周りが酷く汚れていたので、私は再びハンカチを取り出してそれを拭う。
もう泣いてはいないようだが、依然として呆然としたような暗い表情のままだ。本当にあの魔王が絡むと、ロクな事がない。
「とりあえず食事も終えましたし、もう一度連絡してみては……?ほら、そこにちょうど良さそうなベンチもありますし。」
広場のようになっている場所まで移動した私達は、休憩するのにちょうど良さげなベンチを見つけた。
もう一度魔王に連絡を取って、詳しい事情を聞いてみなければわからない……のだが。
聞いた所で魔王が結婚するという事実が覆るという保証はどこにも無い為、かえってメイの傷を抉る事にもなりかねない。
「……。」
胸元から氷鱗のペンダントを取り出して、それを握りしめたまま動かないメイを私はそっと見守り続ける。
魔王が結婚するのだとして、相手は一体誰なのか。そして魔王は何故最愛の兄たるメイではなく、その相手を選ぶに至ったのか。
昨日連絡が来た時は何やら騒がしそうにしていたから、もしかしたらそれと関係があるのだろうか。
「……私が代わりに連絡しましょうか?応えてくれるかはわかりませんが。」
そんな提案をしながら、私はメイの背中を優しくさする。
寝起きからのあの流れだった事もあり、今日はまだ鎧類を着込んでいない。
いつもは頼もしく見えるメイの背中が今ばかりは、とても小さく見えた。
少し考えるような仕草をした後、メイがおもむろに私の方へと氷鱗のペンダントを差し出し、私がそれを受け取ろうとしたその時。
突如として私とメイの足元に拳大程の小さな魔法陣が現れた。
「!?」
突然の出来事に驚きつつも、私が身構えて懐の短杖へと手を伸ばした所で、何やら魔法陣からヒソヒソとした話し声のような物が聞こえる事に気がつく。
「……殿……テンセイ殿……。」
メイを本名で呼ぶその声は、恐らくあの魔王の側近を名乗っていた竜魔族の老人の物だ。
「……ジーニアさん?」
「はい……如何にも、私でございます。」
声の主の正体に気がついたらしいメイが、一応周囲を確認してから声を潜めて魔法陣へと問いかけると、すぐに返事が返ってくる。
魔王からではなく、その側近であるジーニアから連絡が来るという事は何かまた魔王側でトラブルが起きているのだろうか。
「実は少々お伝えしたい事がございまして……今、お時間よろしいですかな?」
「は、はい……大丈夫ですけど。」
ちらりとメイが横目で私の方を確認してから、やや前屈みになって地面の魔法陣へと耳を傾ける。
伝えたい事?改まって何だろうか。もしや魔王の結婚話が破断になったとか?あり得なくは無いが。
私はメイと同じように、ジーニアの声に耳をすませる。
「アルシエラ様からご結婚のお話は既にお聞きの事かと思いますが……。」
「っ……はい、さっき聞きました。」
ジーニアの口から結婚というワードが出た瞬間、メイはまるで何かに刺されたような苦しそうな表情をしながら胸を押さえて肯定する。
メイの心中は察する所だが、こちらからどうにかできるような問題でも無い気はしている。
「実はこちらとしてもその話……何の相談も受けておりませんで、困り果てている所なのです。」
「……?どういう事です?」
困っていると言うジーニアの言葉の真意をいまいち理解できず、私は思わず問い返す。
側近にも相談せず勝手に物事を進めるというのは、あの魔王の性格的に有り得そうな話ではあるのだが。
それによって困る事とは、一体何なのであろうか。
「実は先日、魔王城が新生魔王軍を名乗る魔族の集団によって、襲撃を受けまして……。」
「襲撃!?」
さらりと明かされた衝撃の事実に、メイも私も驚かずにはいられない。
そうか、あの時氷鱗の向こうから聞こえていた爆発音は魔王城が襲撃されている音だったのか。
「はい……もちろんアルシエラ様に敵うはずも無く、その賊らは完膚無きまでに叩きのめされたのですが……問題はその後でして。」
「その後……?」
愛しの兄とのお喋りの時間を邪魔されて大暴れしたであろう魔王の姿が、容易に想像できる。
「……あろうことかその賊の首領であった魔族の者が、アルシエラ様に求婚をなさいまして。」
「きゅ、求婚ッ!?」
ジーニアによって語られた内容に驚き、思わず立ち上がってしまったメイへ私は服の裾を引いて座るように促す。
昨日求婚されて、今日結婚を決めたという事だろうか。それもほぼ初対面であろう相手に対して。
普通の恋愛であったとしても、あまりに性急すぎると言わざるを得ない。
「もちろんアルシエラ様はその場で即座に拒否なさったのですが……その者が今朝再び魔王城へと訪れまして。」
「ちょ、ちょっと待ってくださいジーニアさん……!その魔族っていうのは……男……ですか?」
今聞くべき質問だろうかと思いつつも、メイにとっては重要な事であろう事を察して私は何も言わない。
「……なんと言いますか、殿方……でした、昨日までは。」
「……昨日までは?」
予想だにしないジーニアの返答に、私はついつい割って入って聞き返す。
その言い方ではまるで、今朝来た時には女性になっていたような言い方では無いか。
男だと答えられたら立ち上がって激昂していたであろうメイが、中途半端な中腰の体勢のまま怪訝そうな顔で固まっている。
「これはその場に居合わせた城の者たちの証言からの推察なのですが……。」
「アルシエラ様はその者からの求婚を拒否なさった後、その者から”ならばどのような者がタイプなのか?”という旨の質問をお受けになったようで……。」
魔王の好みのタイプについての話に怪訝そうな顔をしていたメイの表情が、急に真剣な顔つきに変わる。
もっとも私にはその答えに容易に予想がつくのだが、だからこそわからない事もある。
「それに対しアルシエラ様は恐らくテンセイ殿の事をさして、”カッコよくて可愛い女勇者”というニュアンスの返答をなさったようでして……。」
ジーニアの言葉から察するに、メイは魔王にさえ可愛いと思われているらしい事実に、思わず笑いがこみ上げる。
まぁメイは可愛いですよね、わかります。とても。
「それを聞いて何を思ったのか、その魔族の男が今朝は女性の姿で再度求婚に現れましてね……。」
「ええ……?」
メイが困惑したような声を上げながら、何とも言い難い表情をしている。
魔族と言うのは一晩でそんな手軽に性別を変えられるような種族なのだろうか。
「だったら尚更何故、彼女は結婚を決めたのですか?女性であれば誰でも良い、という訳では無いはずですよね……?」
話を聞いても不可解な部分が多く疑問が止まない。私が再びジーニアへと問い返すと、メイは激しく頷いて同意する。
少なくともあの様子では、魔王はメイの事以外そもそも眼中に無いように思えたが。
「それが……私にもわからないのです。二度目の求婚をお断りになった後、何やら人払いをしてその者と2人だけで密談か何かをなされたようで……。」
気苦労を表すような大きなため息が、魔法陣の向こうから聞こえてくる。
求婚を再び断ったにも関わらず、密談後にはその意思を翻したという事だろうか。何とも不可解な話だ。
だとすればその密談において、魔王側にとっては結婚を受け入れても尚手に入れたいと思える何か大きな利点があったと考えるのが自然だ。
果たしてあの魔王は、何を企んでいるのか。
「と、なるとやっぱり雪に直接聞くしか無い……か。」
難しそうな顔をして、メイは魔王の氷鱗のペンダントを強く握りしめる。
「……ちょっと待ってください。それで側近である貴方が困る事とは、何ですか?」
「ん、確かに。ジーニアさんも妹の結婚には反対なんですか?」
さらりと自らのスタンスを表明したメイは一旦置いておくとして、以前ジーニアと話した限りでは彼は魔王の幸せを願っていた様にも思う。
それに今回の話は勝手にとはいえ魔王側が進めている話のようだから、本来であれば喜んで後押しすべき事の筈だ。
だが現にジーニアはそうせず、メイへと相談を持ちかけて来ている。これは一体どういう事か。
「そうですなぁ……私としてはアルシエラ様自身がお決めになってご結婚なさるのであれば、もちろんお祝い申し上げたい所存なのですが……。」
「問題はご結婚を機にアルシエラ様が魔王の座から退く、と宣言している事にありまして……。」
側近であるジーニアの意見を聞いて、改めて魔王の発言を思い出す。
魔王を辞める。結婚する。というのはつまり、結婚するから魔王を辞めるという事か。
もしそうなった場合次の魔王となるのは、その結婚相手の魔族ということになるのだろうか。
「既にご存知かも知れませんが、魔界の王の座というのは闘争と血の歴史でございます……もっとも、先代の魔王様は勇者に討たれてしまった事で、数百年もの間魔界に王は無く荒れ放題だったのですが。」
曰く、先代魔王の側近でもあったらしいジーニアの口からそんな話が出た途端、メイは少しバツが悪そうな顔をする。
「……仮にもアルシエラ様のご婚姻相手にこんな事を言うのもアレなのですが……とても魔王の座が務まるような力は、無いように思うのです。」
不条理が服を着て歩いているような存在の魔王と比べられるその見知らぬ魔族に、私はほんの少しだけ同情する。
実際話を聞いている限り、その魔族は1日ともたずにアルシエラに完全敗北をしているようなので、それも無理からぬ事だろう。
「まぁうちの妹は最強ですからね。」
何故か得意げな顔でそう言いながら鼻を鳴らすメイに、私は少し呆れながら思考を整理する。
要するにジーニアとしても今回の魔王の結婚話には賛同できず、彼女が魔王の座から退く事を阻止したいのだろう。
そしてそれができるとしたら、それはこの世にただ1人。魔王にとっての最愛の兄たる、メイだけなのだ。
妹の結婚に反対の姿勢を見せる兄と、結婚はどうでもいいが魔王が自由に動けるようになる事は望ましくない私に、同じく魔王にはこのまま魔王で居て欲しいと願う側近。
ここで地上側と魔界側の利害がぴたりと一致した。
「今回のこの騒動……穏便に収められる者がいるとしたらそれはテンセイ殿、貴方だけなのです。」
「……わかりました。俺の方からも、妹ともう一度良く話してみます。」
懇願するようなジーニアの声に、メイが力強く答える。
「……これは老いぼれの独り言ですが、私は……アルシエラ様の治める今の平和な魔界が好きなのです。」
「ジーニアさん……。」
ジーニアの独り言に、城に襲撃者が来るような世界が平和?と一瞬疑問に思ってしまうがそれは恐らく彼が永く見てきたであろう血に塗れた魔界の歴史に比べて、という事だろう。
メイもそれについては色々と思う所があるらしく、少し複雑そうな表情をしている。
魔界を平和に保つためには絶対的な強さを持った魔王が必要で、それはつまりメイにとっては自分の妹が魔王の座という椅子に縛り付け続けられる事を意味する。
もし今回の話に魔王の結婚が絡まずただ単に妹が魔王を辞めるという話だったのなら、メイは反対などしなかっただろう。
「……少々長話が過ぎましたかな。では私はこれにて……あ、くれぐれもこの会話はアルシエラ様にはご内密に……ふぉっふぉっ……。」
そんな言葉を残して、ジーニアの声が魔法陣と共に消えていく。メイに密告した事が当人にバレると、またややこしい事になりかねないからだろう。
「……メイ。」
「ああ、わかってる。……まずは、しっかりと雪の話を聞かないとな。」
すっかりと元気を取り戻したメイがその手に握っていた氷鱗をまっすぐに見つめ、強く決意したような勇者らしい表情を見せる。
私はそんなメイの横顔を見ながら、この旅と魔界の行く末を憂うのであった。
どうか、これ以上面倒な事になりませんように。
おまけ
魔界関連のざっくり歴史
・数百年前
先代の魔王が地上の支配を目論んで魔界から侵出。
しかし先代の勇者サン・デソルゾロットに討ち倒される。
その際に持ち去られた3本の魔王の角は地上へ。
先代魔王の側近であったジーニアは、勇者へ復讐を誓う。
・先代魔王討伐後~
突如として空席になった魔王の座を巡って、名だたる魔族たちによる戦争が激化。
争いが争いを生み、魔界全土が荒れ果てる暗黒の時代に突入。
幾人もの自称魔王が誕生するが、熾烈な殺し合いの果に居なくなる。
荒廃していく魔界を見て、ジーニアは嘆き悲しむ。
・時期不明
年老いた先代勇者サンが魔界へと訪れるも、そのまま魔界で力尽きる。
サンの肉体は死後、魔界の研究者達によって回収される。
・約20年前
数百年の歳月をかけて新たな魔王の確実な擁立方法を研究したジーニア。
魔界に眠っていた古代の遺物の力によって、まずは異界よりホムラ ユキを召喚する。
その上で自らの魔術の集大成とも言うべき禁術を用いてその少女を新たな魔王へと仕立て上げる。
アルシエラはその圧倒的な暴力によって魔界を瞬く間に統治。魔王アルシエラの名が響き渡る。
・最近
自分と同じように異界から兄のホムラ テンセイを呼び出す事を思いついたアルシエラが、遺物を探すために地上侵出及び地獄門の奪還を決定。あっさりと奪還に成功する。
しかし思わぬ形で兄と再会し、一時目的を見失う。
そこに目をつけた先代魔王の支持者である旧魔王派の襲撃を受け、アルシエラは浮遊城へと囚われる。
その後なんやかんやあって転生した兄と無事再会、旧魔王派をボコボコに叩きのめし今に至る。




