第5話『ジマの都』
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。身長はだいたい160cmくらい。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。ボディタッチ(尻尾巻き付け)は良くするくせに、言葉では言わないタイプのこじらせラミア。メイがすんなり手を繋いでくれるようになって、少し嬉しい。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。身長は162cm。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。天然たらしの側面があり、ベレノの情緒を狂わせる。しかしこっちはこっちでだいぶこじらせている。鈍いなりにベレノの事を学習している。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。身長147cm(角を含まない)。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっている。よく知らない人の相手だと電話越しでも話せなくなってしまうタイプのコミュ障。
リリヤ:リリヤ・フェルトラウエン。年齢不詳。身長172cm金髪長身なエルフ族の女性。先代勇者パーティの回復魔法使いにして、魔法先進都市マジコールの長。人懐っこさが大型犬みたいな人。先代勇者の事はお姉様と呼び慕っていた。おっとりしているようだが、人の気持ちには意外と敏感。
第5話『ジマの都』
次の目的地であるジマの都の跡地に行く前に、その手前のナリマの街で情報収集をしていた私は、偶然にも街の中で先代勇者パーティのメンバーの一人であるリリヤと出会った。
長命な種であるエルフのリリヤならば、何か知っているのではないかという期待も込めて話をしてみた所、リリヤもまたジマの都に用があるのだと言う。
他に聞く宛もない私はリリヤに対する苦手意識を感じながらも、一旦メイの待つ厩へとリリヤと共に戻るのだった。
「あの馬車です。メイはおそらく中で、魔王……妹とお喋りしてます。」
「あら。アルシエラちゃんも一緒なの~?」
もちろん馬車の中にはメイひとりで、魔王なんて居ないのだけれど。
流石の魔法先進都市の長である彼女でも、鱗1枚で魔界と交信ができる術があるなんて言っても信じられないだろう。
私の口から説明するより直接見てもらったほうが早いと考えて、私は馬車の後部幕を開く。
「メイ、戻りましたよ。……リリヤさんも一緒に。」
「はぁ~いメイちゃ~ん?……あら?」
案の定まだおしゃべり中だったメイが、にこやかに手を振るリリヤの姿に驚いて数秒固まる。
「リ、リリヤさん……!?どうしてここに……?」
メイは手に持っていた鱗を何故か手のひらで挟み隠すようにしながら会釈し、やや小声でリリヤに問いかける。
挟まれた鱗からは、魔王の物であろう声が何やら喚いているようだ。
「まぁ!なぁに?!それ!お姉さんにも見せて見せて~!」
強い魔力反応を示す魔王の氷鱗に興味津々なリリヤが、どたどたと馬車に上がり込んでメイへと急接近していく。
見る人が見ればやはり、あのペンダントはかなりインチキな代物である事が伺える。
「あ、いやっ!ちょっ……!」
逃げようとするメイだが狭い馬車の中に逃げ場などなく、あっけなく捕まった。
ぐいぐいと遠慮なしに全身接触するリリヤに、あからさまに照れながらも万更でもなさそうな表情をするメイ。
私が抱きついた時は、そんな顔しないくせに。
「お兄ちゃん!?今の誰の声!?どこの女!?」
魔王の叫び声が、馬車中に響き渡る。
私は小さくため息をついて馬車に乗り、後部の幕を一旦閉じた。
「この声、妹のアルシエラちゃんね?!こんにちはアルシエラちゃん!私はリリヤよ~。マジコールで会ったの、覚えてるかしら~?」
「あっ……えと……。……。」
わざわざ魔王へと名乗りに行くリリヤに私は呆れる。
そんな事をしたら、怒り狂った魔王がすぐにでも乗り込んできかねないからだ。
しかし私の予想とは裏腹に、魔王からは沈黙しか返ってこない。
「……あ、そうか。……えーと、もしもし雪?リリヤさんはほら、浮遊城に最初に乗り込んだ時にお世話になったエルフの人で──」
何かを察したらしいメイが、ゆっくりと丁寧に魔王にリリヤの紹介をする。
そういえば魔王とリリヤは接点があまり無かったのだったか。
「すみませんねリリヤさん……うちの妹、かなりの人見知りで……あまり話したこと無い人相手だと、上手く喋れなくなっちゃうんです。」
「まぁ、そうなの~?」
初めて聞かされた、魔王の意外な一面。だがその気持ちは少し、理解できる。
私自身も積極的なコミュニケーションは得意な方ではないからだ。
「……ダメそうか。じゃあ兄ちゃんまた夜に連絡するからな?またな。」
「……うん。」
沈黙を続ける魔王に、メイは一旦交信を終了する判断をしてそう告げる。
すると魔王のものとは思えないほどの小さくしおらしい声で、短く返事が返ってきた。
交信を終えたらしいメイが、首から下げた氷鱗のペンダントを外して、リリヤへと手渡す。
「モニカとは仲良さそうに話してたのは知ってるけど……そっか、リリヤさんとはあんまり話して無かったもんな。」
妹の事を少し案ずるように、メイが口元に手を当ててそう呟く。
正直言って今の魔王の姿からはとても想像できないけれど、マジコールでの初対面の印象は確かに大人しそうな少女であったように思う。
最もあの時はまだ、私のことをメイを巡る敵として認識してなど居なかっただろうが。
「わぁ……すっごいわね~これ!まぁ!ええ!そんなに!?」
メイからペンダントを受け取ったリリヤは、先程から自らの目に何らかの魔法をかけて魔王の氷鱗をリアクション豊かに観察している。
やはり魔法技術者の目からみても、相当凄いものなのだろうか。
「……それ程までに凄い物なのですか?その鱗は。」
「凄いなんて物じゃないわ~!革命よ革命!技術革命!今はまだ難しいかも知れないけど……もしこれを解析、再現して魔道具として量産する事ができたら……いつでもどこでも誰とでも!大型の通信魔法装置無しで通信できるようになるかもしれないわね~。」
「なるほど……確かに言われてみれば、携帯電話みたいなものか。」
とても想像ができない私に比べ、どこかすんなりと納得した様子のメイ。
ケイタイデンワ?また私の知らない異世界ワードが飛び出てきた。
もしかしてメイの世界にはこの魔王の氷鱗レベルのとんでもない物が、当たり前に普及しているのだろうか。
食文化面だけではなく、そういった通信技術面も我々の世界より発展しているようだ。
「……あの、それでリリヤさんは何故ここに?」
「あっ、そうだったわね~。はい、ありがとう~。……貴女達、ジマの都へ行きたいのよね~?」
言われて本来の話を思い出したリリヤが、メイへとペンダントを返却する。
リリヤの言葉を聞いて、メイがこちらをちらりと確認するように見てくるので、私は小さく頷く。
彼女もまたジマの都に用事があるという話だったはずだ。
「私もね、ちょっとジマの都に用事があって……それで、もしよかったら一緒に行かないかしら~?」
「……賛成します。私達だけでは、ジマの都の場所を特定しあぐねていたので。」
相変わらずふわふわとした様子で喋るリリヤの提案に、メイが再びこちらへと確認を取るように視線を送る。
そういえば一応、この旅のリーダーは私の方だったか。
もちろん断る理由もないので、私はリリヤの提案に率先して賛成を表明した。
「そういうことなら……是非よろしくお願いします!」
「ふふ、よろしくね~。」
メイとリリヤがしっかりと握手を交わしたのを見て、これでなんとか最初の目的地には辿り着けそうだと、私は心の内で安堵した。
◆◆◆
リリヤの案内の下、馬車でジマの都へと向かうことになった私達。
話によれば、ナリマからは馬で2時間ほどの距離にあるらしい。
大体の場所を地図にマークしてもらったのでそれをドクロさんに見せ、あとの操縦は一任する事にした。
今はまだ昼過ぎで外も全然明るい。また暴走してしまったりする可能性は低いだろう。
ジマの都まで行って帰ってきたとしても4時間ほどなので、今日はナリマの街で泊まる事になりそうだ。
「さて……何から話しましょうか~?」
道中の暇つぶしに、せっかくなのでリリヤに先代勇者パーティでの旅の話をしてもらう流れになった。
過去に綴られた先代勇者の伝承や逸話はいくつもあるが、何れにも大婆様の存在は記されてはいない。
恐らくはその時代特有の様々な問題があったのだろう。
だからこそ当人の口から聞ける話には、そこらで聞ける噂話より何百倍もの価値がある、と私は思う。
「まず、私が先代勇者と出会ったのは……まだ私が若く、見習いの回復魔法使いとしてマジコールの病院で働いていた時ね~。」
今も十分若く見えるが、リリヤの言っているのは数百年前の話だ。
一流の魔法技術者としてマジコールの長も務める彼女は、昔は病院に務めていたらしい。
「病院、ですか。……俺もリリヤさんの回復魔法にはお世話になったな。その節はどうも……!」
「ふふふ、どういたしまして~。」
リリヤの話を聞いて思い出したらしいメイが、深々とリリヤに頭を下げて感謝を述べる。
そんなメイの頭に優しく手を置いて、撫でるようにしながら微笑むリリヤ。
残念ながら私には回復魔法が扱えないため、そういった時は回復魔法使いの力を借りるしか無い。
「あの時お姉様は……あ、そうそう。一番最初にお姉様の仲間になったのは、当時エヴァーレンスの中で一番強かった剣士のユウリなのよ~。」
「それでね、二人は優秀な魔法使いを求めてマジコールにやってきたんだけど……当時のマジコールには今みたいに強力な魔法結界なんて無くって~。」
「ふふ……襲撃されちゃったのよね、魔族に。」
笑いながらさらりと言ってのけるリリヤに、私とメイは顔を見合わせて驚く。
先代勇者が先代魔王を打倒し、地獄門が我々地上側の世界の管理下に置かれるまでは、魔族は地獄門から自由に出入りが出来ていたとは聞いていた。
だがそれでも、地獄門が存在している場所から遠く離れたマジコールが魔族に襲撃されたというのは初耳だ。
「それでもう街の中はめちゃくちゃで、み~んな怪我だらけ。病院なんてあっという間に手が回らなくなっちゃって……このままじゃ戦える人が不足してマジコールはおしまいになっちゃうかも~。って時に現れたのが、お姉様達なのよね~。」
「なるほど……それで先代の勇者パーティに救われたって事か。」
メイの相槌にうんうんと頷きながら、懐かしむような目でリリヤはメイの顔をじっと見つめ始める。
「襲撃してきた魔族はなんとか全員やっつけたんだけど……そのせいで、お姉様は大きな怪我をしてしまったのよ~。」
「歴代最強とうたわれた勇者サンが?それ程までにその魔族たちは強かったのですか?」
リリヤの口から語られる話に、つい私も食い入るように質問をする。
「ううん。お姉様達に比べたら、大した強さじゃなかったと思うのだけれど……お姉様が怪我をしたのは、私のせいなの。」
「……病院が襲撃されちゃった時、お姉様が助けに来てくれたのだけれど……逃げ遅れた私を魔族の攻撃から庇って、それで……。」
「そんな……!まさか……!」
かなりリリヤの話をのめり込んで聞いているらしいメイが、不安げな顔をしている。
まさか死んだわけ無いでしょう。死んでたらメイはここにいませんよ。大婆様もまだ出てないのに。
「それでその時私は、何が何でもお姉様を助けなきゃ!って強く思ったのよね~。そしたらぁ……。」
そう言いながらリリヤは手につけていた白い手袋をおもむろに外し、手の甲をこちらへと見せた。
「……それって、紋章!?」
見ればそこには確かに、紋章が刻まれていた。
先代勇者サンと双璧を成したユウリが紋章持ちであったことは有名な話だったが、まさかリリヤまでもが?
驚いたメイが、すぐに自分も手の甲を出して並べて見比べる。確かに同じ紋章だ。
「そう~。まぁ紋章が出てるなんて気づいたのは、お姉様の治療を終えた後だったんだけどね~。」
「それまで私は別に、特別に回復魔法の腕が良いわけでも無かったのよ~?でもどうしてだか、お姉様のために!って思うといつも以上の力が出せたのよね~。」
「それって──」
何かを口走ろうとしたメイの唇に、リリヤの人差し指がそっと待ったをかける。
「正直言って、一目惚れ……だったのかもしれないわね~。」
「……それで私はこの紋章が出た事を理由にして、お姉様のパーティの回復魔法使い担当として志願したの。……もちろん本当は紋章とか関係なく、お姉様について行きたかったからなのだけれど。」
小さく笑うリリヤが、メイに向かってウィンクを飛ばすと、メイはタジタジとした反応をしている。
近年の研究では紋章には特別な力があるという説と、紋章自体には特別な力は無いとする説の両方が囁かれている。
しかしリリヤの話を聞いている限りは、やはり紋章の覚醒に必要な条件は何かに……あるいは誰かに対する強い思いなのではないだろうか。
だとすれば、もしかしたら……。
そんな事を考えながら、私は自らの手の甲を見つめる。
「……どうした?ベレノ?」
「……いえ。」
自らの手の甲を見つめる私の様子が気になったらしいメイが、突然顔を覗き込んでくる。
私はそっと手を下げて何でも無いふりをした、のだが──
「……手、どっか痛いか?」
その私の手をそっと掬い上げると、心配そうな表情でそんな事を聞いてくるメイに、私の頬は不思議と熱くなっていく。
どうして急にそんな、あなたは。
違うんです。ただ私は少しだけメイとリリヤさんが羨ましくて。
「か、回復魔法いるか?!リ、リリヤさん!」
「あらあら……これは私の回復魔法じゃ、ちょっと治せないかも~。」
慌てふためきながらリリヤに助けを求めるメイと、私の心などお見通しな様子のリリヤ。
それ程までにわかりやすく私は表情に出てしまっているだろうか。
「そ、そんな……どうしたら……!?」
「ん~そうねぇ……優しく握って、さすってあげたら~?」
「こっ、こうか……!?」
リリヤの指示通りに私の手を握ってさすり続けるメイの真剣な様子に、私は思わず笑ってしまいそうになるのを堪えるように顔を伏せる。
ダメだ、メイは真面目に心配してくれているのだから、笑ったりなんか……。ああやっぱりダメ。
「ふ……!ふふっ……変な人。」
「なっ……!?」
結局こらえきれずに笑ってしまった私は、顔を上げ目を細めてメイの方を見つめる。
何故笑われたのかわかっていない様子のメイが、驚いた顔をしていた。
「お、俺はベレノを心配して……っ!」
「ええ、わかってます。だけど、もう治まりました……おかげさまで。」
私は手を小さく閉じると、メイのその指先をきゅっと握る。
「……もしぶり返したら、またお願いしますね?」
◆◆◆
ナリマの街を出発してから1時間半程経った所で、唐突に馬車が止まる。
もう到着したのかと馬車の前方側へと顔を出すと、そこには背の高い草が地面からびっしりと生え、行く道を塞いでいる光景が見えた。
このあたりまでは辛うじて道が残っていたようだが、ここから先はもう何年も誰も通っていないようだ。
馬車で無理やり通ることは出来なくは無いかもしれないが、安全を取るならやはり草をどうにかした方が良いだろう。
「うお……すっげー雑草。向こう側が見えないな……。」
「そうね~……前に来たのは10年か20年か……私も久しぶりなのよね~。」
「どうします?このまま進みますか?迂回しますか?」
「う~ん……迂回しても多分このあたりは、どこもこんな感じだと思うのよね~……。」
高々と生い茂る草むらを見ながら、私達は3人で少し考える。
燃やしてしまえば早いのだろうけど、それでこのあたりが火の海になっては元も子もない。
するとメイがおもむろに馬車から降りると、その腰のミスリル銀の剣をスラリと抜いた。
「うっし、じゃあ草刈りするか!」
ヒュンヒュンと数回素振りをして、気合を入れるメイ。
そういえばメイが剣を握っている姿は、かなり久しぶりに見たような気がする。
「気をつけてくださいよ。剣を握るのなんて久しぶりでしょう?」
「きゃ~!かっこいいわメイちゃん~!」
「わかってるって。……まぁ見ててくれ!」
馬車の中から声を掛ける私とリリヤに軽く手を振って応えると、メイは草むらの前で真っ直ぐに剣を構える。
そして一呼吸置いて、ほんの一瞬だけ身体が動いたかと思った次の瞬間。
メイの前方にそびえ立っていた背の高い草むらが、バサバサと音を立てながら崩れていった。
「きゃ~~!!」
大興奮しながら拍手を送るリリヤの隣で、私は自分の目にはメイの剣筋が全く見えなかった事に驚いている。
そのお世辞にも屈強とは言えない細腕を使って、これ程の量の草むらを一瞬で?
やはり歴代最強と言われ、最速の剣士と肩を並べるほどの実力であったとされる先代勇者の肉体のポテンシャルは伊達では無いという事か。
もちろんそこには、メイがユウリとの修行で身につけた剣の腕も含まれてはいるのだろうけど。
「んー……やっぱちょっと鈍ったかも。……丸太に比べたら全然軽いはずなんだけどなぁ。」
肩をぐるぐると回しながらそんな事をぼやくメイ。
本人的には今のでも納得が行っていないらしく、その意識の高さに再度驚かされる。
真剣な様子で幾度も剣を振るうメイの姿に、私は少しだけ見惚れていた。
「よっし、こんなもんかな……うわっ!剣が草の汁まみれだ……。」
馬車が通れるくらいの道幅を剣で切り開いて確保した後、草の汁でベトベトになった剣を握ったメイが戻って来る。
地面にはメイに切り倒された無数の雑草がカーペットのようにひしめいていた。
これ程の量を切ってなお切れ味が落ちないのは、流石は先代勇者の愛用したミスリル銀の剣と言った所か。
その子孫は今それを草刈りに使ってましたけど。
「お疲れ様です。どうでしたか、久しぶりの剣は。」
「あの時は必死だったってのもあるけど……やっぱ平和になってから腕が鈍った気がするな……。」
剣の汚れを拭き取る用の適当な布をメイに手渡しながら尋ねると、やはり腕が落ちたとぼやくメイ。
パーティ三昧の半年間、剣を振るう機会など無かったのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。
「でも平和になったのは良いことよ~?」
「それはそうなんですけどね……。」
ふわふわと喋るリリヤの言葉に苦笑いを浮かべながら、メイは手入れを終えたミスリルの剣を腰へと戻す。
ともかくこれで馬車のままジマの都へと入ることができそうだ。
「……ところで、リリヤさんの野暮用って?」
「ああ、そういえばまだ聞いてませんでしたね……。」
先代勇者パーティの思い出話ばかりを聞いて、リリヤがジマの都へ何をしに行くのかを結局聞きそびれていた事を、メイの言葉で思い出す。
「え~っとね~……ジマの都はその昔、他の都とは少し違う特別な場所だった事は知っているかしら~?」
「特別な場所?」
「……たしか大婆様の手記には、”多様な種族と文化が入り交じる場所”と書かれていましたね。」
私はリリヤの言葉を聞きながら大婆様の手記をパラパラと捲り再確認する。
確かにこの手記にはそのように書かれているようだ。しかしそれは……。
「そうなのよ~。あの頃としては珍しく……ジマの都は、どんな種族でも関係なく受け入れていたの。それこそ人間やエルフ以外にも、ラミアや獣人……果ては魔族までもね。」
普段はニコニコとした笑みのリリヤの顔が、少し憂いを帯びたような表情を浮かべる。
だから大婆様はジマの都に居たのだろうか。
「だからこそ、クリノスとお姉様は出会えたのでしょうね~。……だけど、それからしばらく後に問題が起きたの。」
メイと私の方をちらりと見て微笑んだ後、リリヤは再び語り始める。
「今から200年くらい前だから……お姉様が亡くなってから少し後の話ね。」
「色んな種族が行き交うこの街で、とある疫病が流行したの。」
どこか遠くを見つめるようなリリヤのミントグリーンの瞳が僅かに潤み、揺れる。
「もちろんすぐに対策が取られたし、当時まだ病院で働いていた私も回復魔法使いとしてジマの都に派遣されたわ~。」
「……だけどね、治療はそう簡単には行かなかったの。」
「そんな……リリヤさん程の回復魔法使いでも……?」
胸を締め付けられたような表情で、メイがリリヤへと問いかける。
疫病ということは、恐らくは。
「実はね、回復魔法っていうのは……何でも治せるわけじゃないの。」
「あくまで、その生き物の力だけで自然治癒できる病気や怪我なんかを、無理矢理に治癒を早めて治してるだけなのよ~。」
「つまり……自然治癒困難な大きな怪我や病気は治せない、ですよね。」
私の補足にリリヤは静かに頷く。
様々な系統の魔法の勉強をした時に確かにそう大婆様から習った覚えがある。
回復魔法で治せるのは、出血や骨折、軽い風邪などの自然治癒可能な怪我や病気だけ。
腕を丸ごと失くしてしまうような大怪我や、投薬無しでは治せない病気などは回復魔法による治療が困難なのだという。
「それで、治療のために薬ももちろん使われたのだけど……当時の薬は人間やエルフ、ドワーフの為に作られた薬だったから……。」
「患者さんの種族によっては、効かなかったり思わぬ副作用が出たりしたのよ……。」
「だから治療が思うように進まず、都に居た多くの人たちが病によって命を落としてしまったわ……。」
リリヤは静かに涙ぐみながら、祈りを捧げるように手を胸の前で組む。
そこで私はようやくリリヤの野暮用が何なのかを、なんとなく理解した。
恐らくは墓参りのような物なのだろう。自らが救うことが出来なかった、命達に対する。
「……ふふ、なんだかしんみりしちゃったわね。ごめんなさい。」
「いいえ、そんな……。」
静かに祈る彼女を私とメイが黙って見届けていると、リリヤが涙を拭いながら微笑む。
救えたはずの命を救えなかったという後悔や不意の別れの悲しみは、寿命の長い種族ほど多く重く心にのしかかるのだろう。
命が短いほうが幸せだとは思わないけれど、私はなるべく後悔が無いように生きて行きたい。
できれば、自分が思う最も幸せな形で。……あなたがどう考えているかは、まだ知らないけれど。
「……?どうした、ベレノ?」
隣の私からの視線に気がついたメイが、不思議そうな顔をして小首を傾げる。
私はそんなメイから一度視線をそらしてから、改めて顔を向ける。
「……いえ、ただ……メイはこの旅が終わったら、どうするつもりなのかな、と思いまして。」
同じ質問をされたら少し困ってしまうような問いかけを、私はメイへと投げかける。
旅が終わるまでにメイにちゃんと気持ちを伝えて、私は勝手にその返事をもらうつもりでいた。
だけどもしメイが旅が終わった後の事を何か明確に考えているなら、そのやり方を少し考える必要があるかもしれない。
「え?そうだなぁ……んー……とりあえず妹と、雪とはまた一緒に暮らせたらなって考えてはいるけど……。」
容易に予測できたメイの回答に、私は心の内でやはりと呟く。
そこは全く……いや、大した問題ではない。魔王が居たとしても、それで私の気持ちが揺らぐ事はないからだ。
「……あー、後は……農家。コメ農家になるのも良いかなって少しだけ考えたりはした。」
「農家、ですか……?」
続けざまに放たれた、少し予想していなかった答えに私は思わず聞き返す。
コメが好きだという事は散々メイから聞いていたが、自ら畑を作って栽培したい程だとは。
「ああ、いや具体的な計画があるわけじゃないんだけど、さっきナリマの街に入る時にずらっと並んでた畑を見て思いついたんだ。」
「良いわね~!私もずうっと昔に、1度だけ食べたことあるわ~。あれは確かオ・ニギリとかって名前のコメ料理だったかしら~。」
小さく拍手をしながら、メイのコメ農家案へと賛同するリリヤ。
確かにコメ農家になって手軽にコメが手に入るようになれば、メイが好きなコメ料理を好きなだけ作ってあげられる。
それはつまりメイの胃袋を私が掌握したも同然だ。
「そ、それって……ラミアでも、できるでしょうか?」
「うーん……多分?俺もコメ作りなんて小学校の……前の世界で子供の頃にやったきりだから、詳しくは無いんだけどさ。」
苦笑しながらそう説明するメイをじっと見つめ、私は色々と思考を巡らせる。
農家になるならばそれなりの土地と人員が必要になる事は確実だ。そうなると問題なのは初期投資の為の資金。
土地代や人件費はともかくとして、正直言ってコメの種?がどのくらいの値段の物なのかは想像もつかないが……こちらの地域での入手難度の高さと希少性を考えるなら、覚悟はしておいたほうが良いだろう。
となれば旅の終わりまで少しでも多く資金を残すため、節制をする必要が──。
「ベ、ベレノさん……?」
「……決めました。今回の旅、この先はなるべく節制していきましょう。」
困惑気味な表情で名前を呼ぶメイへ、私は小さく拳を握ってそう宣言した。
「え、えぇ……?」
「あらあら……うふふ。」
今ひとつ飲み込めない様子のメイとそんな私達を見て笑うリリヤを乗せて、馬車は野道を進んでいく。
◆◆◆
「これは見事な廃墟……っていうより、半分くらい森だな。」
「そうですね……一定間隔に並んだガレキの山で、なんとなくかつての通りが想像できるくらい……。」
あれから程なくしてジマの都の跡地へと辿り着いた私達は近場に馬車を止めて、そのかつて都だった場所へと足を踏み入れた。
まともに姿を残している建物など1つも無く、崩れたガレキの間からは草木がたくましく生えている。
都が無くなってから、出入りをする者も殆ど居なかったのだろう。
そもそも現在を生きる人たちは、その存在すら知らないかも知れない。
まさしく、忘れられた場所だ。
「前に来たときより、ちょっと緑が増えたかしら~。……私は供える用のお花を摘んでくるけれど、メイちゃん達はどうするの~?」
「私達は……、少しこのあたりを見て回ってきます。」
花を摘みに行くというリリヤの問いかけに、私は隣のメイへとそっと右手を伸ばす。
メイは左手で私の手をしっかりと握り返すと、リリヤへ静かに頷いた。
「そう~、じゃあまた後でね~。」
「リリヤさんもお気をつけて!」
軽く手を振ってどこかへ歩いていくリリヤをメイと共に見送ってから、私達もゆっくりと進み始める。
殆どが緑に飲み込まれた、舗装されていたはずの大通り。
崩れたガレキから生えた木の先に、巣を作っている名も知らない白い鳥。
そこそこ大きめな建物があったらしい高いガレキの山と、その頂で静かに風化を待つ何かの宗教的シンボル。
察するにここはかつて、教会のような場所だったのだろう。
「凄いな……。」
「ええ……。」
普段通るような街では決して見ることのない非日常的な光景に私もメイも口数が減り、すっかりとその雰囲気に呑まれていた。
かつてここにあったはずの営みはとうに無く、ただただ自然に飲み込まれて行くのを待つだけの場所。
静かで穏やかで、少しだけ怖さと寂しさを感じる。
その時、不意に近くの草むらが揺れ、緊張から繋いだ手を握る力が強くなる。
「っ……!」
メイは私を守るように自分の背中側へと引っ張りながら、空いている右手を静かに腰の剣へと伸ばす。
だが、その草むらから顔をひょっこりと出したのは、兎のような小動物だった。
その小動物はこちらに気がつくと慌てた様子で草むらの奥へと消えていく。
「……なんだ、動物か。」
「そ、そのようです……。」
剣から右手を離し安堵するメイとは反対に、私の心音は何故か高まったままだ。
私はメイに気付かれないように、静かに息を整える。
「俺はてっきり、またゴブリンでも出るのかと思ったよ……。」
「……ふふ。そうですね。」
なんて冗談っぽく笑いながら言うメイに、つられて私も笑ってしまう。
いくらゴブリンと何かと縁があるからと言って、こんな所でまで──。
そんな風に考えたのがいけなかったのか、私達は曲がり角でばったりと出くわしてしまった。
小柄な体格に緑色の肌、額に小さな角を持つのが特徴的な魔物、ゴブリンに。
「あ!?」
「え!?」
「!?!?」
どうやらちょうどガレキで互いの姿が視認出来ていなかったらしい。
メイも私も驚いているが、それ以上にゴブリン側も驚いている。
その手にはガレキから引っ張り出したであろう歪んだ金属の棒が握られており、もはや戦闘は避けられないだろう。
かくして私達にとって約1年ぶりとなるゴブリン戦が、突如として始まるのであった。