第3話『月の夜を駆けて』
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。ボディタッチ(尻尾巻き付け)は良くするくせに、言葉では言わないタイプのこじらせラミア。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。天然たらしの側面があり、ベレノの情緒を狂わせる。しかしこっちはこっちでだいぶこじらせている。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっている。なんと今回はセリフが1つも無い。
第3話『月の夜を駆けて』
「なんていうか……ベレノも一応、女の子なんだよな……って思ってさ。」
メイの口から出た言葉の意味を、私はすぐには理解できず固まってしまう。
どういう意味だろうか。一応も何も私は間違いなく女の子……つまり女性だ。
別に中性的な容姿をしているわけでも、男勝りな性格というわけでもないはずだ。
それとも単に今まで、メイは私を女として認識したことが無かったという話だろうか。
思考を巡らせてもやはり、わからない。
「……どういう意味です?」
考えてもわからないものは仕方がないので、私は一度背を伸ばして座り直し、素直にメイへと問いかける。
するとメイはまた目を泳がせ、どこか気まずそうな顔をしてから私の方へ向き直る。
「あー……えっと……ほら、俺ってさ……この身体はともかくとして、魂は男なわけだろ?」
「ええ、私もその様に認識していますが。」
身振り手振りで言葉を選ぶようにゆっくりと説明を始めるメイの言葉を、私は相槌を打ちながら頭の中で反芻する。
確かにメイは肉体こそメイ・デソルゾロットという女の子だが、その魂となっているのはテンセイという男性なのだと言っていた。
初めてその事を聞かされた時はもちろん、すぐには信じられなかったが妹の魔王を見せられてはもはや、今更疑う余地はない。
「だから、えっとその……あんまり、むやみに女の子とべたべたするのは良くないんじゃないか、っていうか……。」
「……そのべたべたというのは例えば……こういう事ですか?」
空中で何かをこねるように動くメイの右手をそっと取り、私は自らの頬へと触れさせる。
途端、メイの身体がわかりやすく強張り、私の頬に触れた手にも力が入る。
「っ……ま、まぁ……うん……。」
やや裏返ったような声でぎこちなく肯定するメイの右手に、私は自分の左手をそっと重ねて、撫でる。
「……じゃあ別に、私に触れられたりするのが嫌になった、というわけでは無いんですか?」
手を頬へと触れさせたまま確認するようにメイへと問いかけると、メイは小さく頷いた。
そんな様子のメイを見て、私は心の内で安堵のため息をこぼしながらこうも考える。
それってやっぱり今までは私のことをそういう意味での女として見ていなかった、という事なのでは?
なんだか腹立たしいような、悲しいような。しかしこれは逆に言えばチャンスでもある。
今メイは過剰に私のことを女の子として意識している筈だ、ここで何か確実に仕留められるような一言を口にできたなら。
「わ、私は……っ……!」
だがいざそう思うと急に緊張して言葉が詰まってしまい、続く言葉が上手く出ない。
大丈夫、私ならできる。いつもみたいに、尻尾を巻き付けるみたいに自然にすればいいだけ。
私はメイに触れてもらえると嬉しい、ただ一言そう言えれば良い、はずなのに。
そう焦る気持ちのせいか、外から聞こえてくる馬車引く霊馬の蹄の音がやけに早く感じられる。
「っ……あなたに──!」
数少ない勇気を振り絞り、前のめりになりながらも思いを伝えようとしたその、瞬間。
「きゃっ!?」
ガタンッという大きな音と共に馬車が激しく揺れ、不安定な体勢になっていた私はそのままメイの方へと倒れる。
だがメイはその細腕からは想像できないほどの力強さで、私の身体をしっかりと抱きとめてくれた。
不意にキュンとさせられてしまうが、今はそんな場合ではない。
「ベ、ベレノ……!?何かこの馬車、さっきから凄い速さで走ってないか……!?」
馬車の異変に気がついたらしいメイが、緊迫した声で私に問いかける。
その視線は馬車の後方、乗り降り口の垂れ幕から覗く外へと向けられていた。
馬車の外は満月の月明かりに照らされて、普段の夜よりも明るく見える。
凄まじい速さで流れる地面を見る限り、馬車はかなりの速度が出ているようだ。
「もしかして……っ」
この状況を生み出した原因に私は心当たりがあり、一度メイから離れると馬車の前方座席側へと顔を出す。
するとそこには、鬣を青白い炎のように激しく揺らしながら爆走し続けている霊馬の姿があった。
「やはり……!ドクロさん、もう少し速度を落として……え!?」
霊的存在であればやはり、夜になれば出力が上がるだろうという予測はしていた。
だがこれはどう見ても上がりすぎという物で、この速度で走り続けられたら馬車が破壊されかねないとさえ思う。
私は馭者席に置かれているドクロへと霊馬を落ち着かせるように指示を出そうとするが、何故かそこにいるはずのドクロが居ない。
「嘘っ……!まさか落とし……っ!?」
最悪の事態を想像し、思わず私は後方を振り返る。
しかしそこに見えるのは揺れる車内で床に這いつくばりながら、よたよたとこちらへ来ているメイの姿だけだ。
「ど、どういう状況だ……これ!?」
「わかりません!でも一度この馬を止めないと!この速度でどこかにぶつかったら馬車ごとバラバラになりますよ!」
よろめくメイの身体を尻尾でしっかりと支えながら、暴走する2頭の霊馬を指差す。
やはり魔王の手など借りるべきでは無かった、と少し後悔し始めていた。
それでも今どうにかできなければ、文句を言いに行く事もできなくなる。
「……前に私があげた指輪、つけてますよね?!」
「え、あ、ああ!もちろん!でもなんで今!?」
その時ふと、この状況を打破できそうな案が頭に浮かび、私はメイへと確認を取る。
サッと上げられたメイの左手薬指には確かに、私が前に贈った髑髏の指輪がはめられていた。
あちこちから馬車の車体が激しく軋む音が聞こえる。中古はやめておくべきだったか。
このままではどこかにぶつかる前に車輪が飛んでいってしまいそうだ。
「合図をしたら霊馬に向かって同時に拘束魔法を放ってください!2匹両方にです!落ち着いて詠唱してください!」
「お、おうっ!?わかった!」
そう短くメイに指示を出して、私は口早に詠唱を開始する。
私から少し遅れてメイが詠唱を終えたのを確認した後、私達は互いに顔を見合わせ小さく頷く。
「「……スネーク・バインドッ!!」」
声を合わせ放たれた2匹の黒蛇が荒ぶる霊馬の頭へと伸びると、しっかりと絡みついた。
そしてメイの放った黒蛇に私の黒蛇が巻き付いて、その強度を上乗せする。
「思い切り引いてっ!」
「う、おおおっ!!」
黒蛇を手綱代わりにして、霊馬の制御を試みる。
思い切り後ろに身体を倒し踏ん張るメイだが、それでも相手は強力な霊馬2匹、そう簡単には止まらない。
必死に手綱を握るメイの手に、私は自分の手を重ねて握り共に全力で引っ張り続ける。
程なくして馬が勢いを失いどこか不満げに鼻を鳴らしながら、やがてその足を止めた。
「っはぁ……っは……。」
「と、止まった……。」
私とメイは小さく息を乱し、手汗でびちゃびちゃになってしまった手を重ねたまま、しばし呼吸が落ち着くのを待つ。
通常、私の得意とするこの束縛魔法は霊体に対しては殆ど効かないのだが、以前にメイへと贈った指輪に霊的存在への物理干渉を可能にする魔法が籠められていた事を思い出したのだ。
結果として上手く行ったが、もしあの指輪が無ければどうなっていた事か。
「……やったなベレノっ!」
「ふ、ぁっ!?」
ようやく呼吸も落ち着きかけてきた頃、突然にメイが私を思い切り抱きしめて来て、私の心拍数は再び跳ね上がる。
その完全な不意打ちに、思わず情けない声まで漏らしてしまった。
「そ、そうですね……なんとか、なりました……。」
緊張と興奮で互いに少し汗ばんでいるのか、いつもより強くメイの匂いを感じられる。
……私は大丈夫だろうか?変な匂いしてない?というか、さっきまで私が女の子だから触るのはどうとか言っていた筈では?
そんな事など忘れてしまったように、喜びいっぱいの様子で抱きしめてくるメイに、私の頭は考える事を放棄する。
「……っと、ごめんまた……!つい勢いで……!」
「もうっ、いいですよ今更……。」
しばし私を抱きしめていたメイが、冷静さを取り戻し慌てて離そうとするので、私はそう言いながらさり気なく抱き返す。
もう少し、あなたとこうしていたいから。
「……えと、それで……何で馬が暴走してたんだ?」
先程よりは少し私を抱く力を緩めたメイが、ぽつりと問いかけてくる。
原因は恐らく夜になって霊馬の出力が高まり、一時的に制御不能になったせいだと考えられるが。
それにしたってここまで荒ぶってしまう物なのだろうか。魔界と地上という環境の違いのせいもあるかもしれない。
「恐らく、日が落ちて夜になった事で霊としての力が──。」
とりあえず現状分かっている事だけでもメイに説明しようと、私が口を開いたその時。
何か青白い塊が私とメイの顔の直ぐ側を通り抜けた。
「ぴっ!?!?」
小さく悲鳴を上げて、飛びつくように再び力強く私に抱きついてくるメイ。
そんなメイを守るように自らの胸へと抱きながら、私は何かが通り抜けた方向を注視する。
するとそこには、やや大きな霊魂のような物がふよふよと浮いていた。
やがてそれは馭者席に設置したクッションの上へと着地すると、その姿を変えていく。
「……ドクロさん?」
見ればそれは、いつのまにかクッションの上から居なくなっていた宝珠つきのドクロだった。
どうやらどこかのタイミングで落っこちてしまった後、自力で戻ってきたようだ。
霊馬の暴走は霊力の高まりと馭者の不在による偶発的な事故だったという事だろうか。
「これは少し……置き方を考えないといけないかもしれませんね。」
私は一旦馬車を路の端に停めさせて、対策を考える事にした。
◆◆◆
「……それで、結局何があったんだ?」
停車した馬車の中、吊り下げたランタンに照らされるメイが、簡素な夕食代わりのパンと干し肉をかじりつつ私に尋ねてくる。
結局魔道具のドクロは、ロープで括って馭者席の背もたれの出っ張りに結びつける形になった。
「そうですね……まず、霊的な存在が夜や闇などの暗い場所を好むのはご存知ですか?」
「ん?まぁ……なんとなくはわかるけど……。」
前提知識を確認するように問い返す私の言葉に、メイも完全にでは無いが理解している様子。
薄暗い洞窟や鉱山の中などの、霊的存在が留まりやすい場所というのはある程度の暗さがある事が多い。
もちろん夜も例外ではなく、開放された屋外であっても夜になればそこには闇が満ちる。
「でも今日は満月だろ?外だって結構明るくないか?」
「ええ、確かに明るいですね。ですが……満月だからこそ、なのです。」
夜の闇と同じように必ず共に姿を現す存在がある。それは星と、そして月。
中でも満月は古来より魔力などの神秘的な力を高める働きがあるとされていて、霊力もその一つであるらしい。
「……まぁ、詳しいことは本人に直接聞いてみましょうか?」
「え……?本人、っていうと……?」
私は馬車の中から前方へと身を乗り出すと、ロープで括られたドクロを回収する。
現在は停止状態であり、その暗い両目の穴に目玉は入っていない。
「何かその括られかた、スイカみたいだな……。」
「……?……私の使える魔法の1つに、死者の声を聞くという物があります。それを使って聞いてみましょう。」
メイの口からまた聞き慣れない単語が飛び出たが、今は一旦スルーして先へと進める。
死者の助言は、死した声なき存在の声を聞くための魔法であり、大婆様が得意とした魔法だ。
もっとも声を聞くためには、骨などの身体の一部が触媒として必要になるのだが。
呪文を静かに詠唱し、私は少しだけドクロに魔力を込めて起動状態にする。
「お……お……」
呼び起こされ、その両の穴に再びギョロ目を宿したドクロが、魔法によって付与された微かな声を発する。
その声を聞き漏らさないように、私もメイも一旦食べるのをやめて耳を傾ける。
「おはようさん……。」
「「!?」」
本当に寝起きのような、やや渋めの声から放たれたまさかの第一声に、私とメイは思わず顔を見合わせる。
「お、おはよう……ございます?」
律儀にメイがドクロへ挨拶を返すとドクロはその口を何度か大きく開閉し、まるでストレッチでもするような動きを見せる。
「あー、あーあー。……おし、ええ感じやね。……ほな、改めてご挨拶や。」
やがてどこかで聞き覚えのあるような喋り方で、ドクロは流暢に喋り始めた。
「ワシは見ての通りのしゃれこうべ。魔界生まれ魔界育ち、地元の悪い奴はだいたい友達のしがないドクロや。」
「元の名前はなんやったか……まぁお嬢ちゃんらの好きに呼んでくれたらええわ。」
「ほんで、何やっけ?なんで馬が暴走したかやっけか。……すまん、ほぼ間違いなくワシのせいやわ。」
渋めの声でノンストップに繰り広げられるマシンガントークに、私は口を挟む余裕もなくただ聞き入ってしまう。
というよりやはりこの喋り方、どこかの女狐を想起させて少し腹が立つ。
「ワシ……その昔に馬車で事故って死んだ後で勝手に魔道具に加工されてなぁ……まぁそれはええねん。」
「死んだんはもう百年以上も前なんやけど、結局最期まで地上には出られへんかったんよ。」
「そしたら今日いきなりあの日夢見た地上に連れてこられて、いきなりお嬢ちゃんらの馬車引けっちゅーてな。」
「あ、もちろんお嬢ちゃんらに不満があるわけや無いで?今のワシはそのために生み出された魔道具やさかい。」
「せやけど初めて見る地上の夜と……それからあのまぁるい奴、満月やっけ?あれにちょいと感動してしもてなぁ。」
「ちょっとテンション上がりすぎて、霊馬トバしすぎてしもたんや……すまんな。」
流暢なドクロが一通り喋り終えたのを聞いたメイが、そっと私に顔を寄せて耳打ちをしてくる。
「なぁ……ベレノの魔法って、死者にこんなべらべら喋らせる物なのか?」
「いえ……流石にこんなに流暢に喋るのは初めて見ました。」
普通は一言二言、こちらの質問に答えるだけの魔法のはずだ。
魔界産のドクロは魂の自我までこんなに強いのか。
「あ、せやせや。それでな、ノリノリで馬走らせてたら何や馬車の方からただならぬ雰囲気がしてな、途中から覗いてたんよ。」
「うわっ!なんかえらい甘酸っぱい場面やん!って思ってついつい見てたら、道に落ちてた石か何か踏んでしもてな。」
「その時の揺れでうっかり馬車から転がり落ちてしもたんやわ!ガハハハ!前方不注意っちゅう奴!」
あけすけな様子で、全ての元凶が自分である事を自白するドクロ。
一度このドクロを黙らせた方が良い気がしてきた。
「ほんでお嬢ちゃんら、結局あの後──」
さらに喋り続けようとするドクロから、かけていた魔法を解除して声を奪い取る。
声をなくしたドクロはカタカタと骨を鳴らしながらまだ口を開閉している。
「……まぁ、原因は大体わかりましたね。」
「そ、そうだな……ハハ。」
私はドクロを再び停止状態に戻して、メイと共に夕食を再開した。
◆◆◆
結局今夜はこのまま停車した馬車の中で一泊する事にした私達。
また暴走されても困るというのもあるが、何より次の街につくまでに自分自身の気持ちをスッキリさせておきたかったからだ。
簡素な夕食も終えて後は明日に備えて眠るだけという頃合い、メイは魔王との定期連絡のお喋りに夢中になっている。
「そうそう、それで馬が暴走しちゃったんだけどさ──」
さっきあった事を楽しそうに魔王へと報告するメイの隣に座って、私は手持ち無沙汰にメイの足首へと尻尾を巻き付ける。
メイは一瞬だけ、横目でこちらを伺うものの然程気にしても居ない様子で、魔王との会話を続けている。
拒絶されるよりはずっといいけれど、反応が薄いのもそれはそれで何か気に入らない。
そんな自分の中の面倒でわがままな気持ちに気がついてしまって、私は独り下唇を噛んだ。
「うん。明日には多分次の街に着くと思うから──」
もうしばらくは魔王と話していそうなメイに、私は頭を預けるようにそっともたれかかる。
するとまたちらりと横目でこちらの方を確認するメイだったが、今度はどういうわけか私の腰にそっと右手を回してくる。
何気ないその行動に、私の胸は静かに高鳴って行く。
これはメイなりの私へのアプローチ?でも全然そんな風な表情はしていない。
だったらもしかして無意識で、私の腰に手を?
本人に直接聞ければ早いのはわかっているけど、そんな事ができたらこんなに悶々としていない。
「そういえば魔界のドクロってもしかして皆、関西弁なのか?え?いや──」
ぐいぐいと自らの頭をメイへと押し付けるようにもたれ続けていたら、メイが突然体勢を変えたことで力の行き場が無くなってしまう。
そうしてそのまま私の頭は流れるようにメイの身体を滑り落ちて、着地したのはメイの太腿の上。
「っ……、ほらあの、モニカも同じような喋り方だったから気になって──」
もちろん私も驚いたが、これには流石にメイも少し驚いたようで、太腿の上の私と数秒目があってしまう。
それでもまだ話し続けているメイの腹部へと、私は少し顔を埋めるようにして目を閉じる。
メイの身体の柔らかな感覚と程よい温もりが、私を強く微睡ませる。
……
…
「──ノ……ベレノ……寝るならちゃんと横になって寝たほうが良いぞ。おーい……。」
いつの間にか途切れていた意識が、私を呼ぶメイの優しい声音で呼び戻される。
どうやら私はメイの太腿に頭を乗せたまま、眠りに落ちてしまっていたようだ。
魔王との通信はもう終わったのだろうか。
しかもまた無意識なのか何なのか、メイが私の頭を優しく撫でている。
きっと今ここで目を開けてしまったら、メイはすぐに頭を撫でるのをやめてしまうだろう。
それは少し、惜しい気がする。だからもう少し、もう少しだけ。
そうして結局私の意識は、再び心地の良い眠りへと落ちてしまったのである。
◆◆◆
幌馬車の幕の隙間から差し込んだ陽の光が私の顔を照らし、もう朝である事を告げている。
だけどまだ眠気は強く、もう少しだけ眠っていたい。
差し込む光を拒むように手で遮ろうと動かした、その時。
私の手に何かふにっとした柔らかな感触があった。
「……?」
薄目を開けぼやけた視界のままその正体を探るように、しばし手を動かす。
丸くて、柔らかくて、2つある。
「……っ!?」
そこでようやく意識が覚醒し、その何かの正体が隣で眠るメイの身体であった事に気がついて、慌てて手を引っ込める。
いつのまにか私は、メイに腕枕をされるような形で横になって眠っていたのだ。
どうしてこんな状態に。いや、メイの脚に頭を乗せてそのまま寝落ちしてしまった所までは覚えている。
でもその後で、何がどうなって──。
「ん……。」
ぐるぐると思考を巡らせる私の耳に、もそりと動くメイのくぐもった声が響き、思わず身体を強張らせる。
メイは私に腕枕をしながら、まるで抱きかかえるように横向きに向かい合って眠っている。
そのせいで、なんというか……あまりに距離が、近い。
手を繋いで添い寝をした事はあっても、こんな風に抱き合うような形で眠ったことなど一度も無かった筈だ。
あまりに近すぎる距離故に、メイの体温が、匂いが、その静かな寝息までもが感じられるようだ。
「……綺麗な寝顔。」
ぽつりと呟いた自分の言葉に、既に理性が溶けかけている事を自覚する。
このままではまずい。具体的に何がとは言わないが、とにかくまずい。
ここは一旦静かに離れて、自分を落ち着かせる必要がある。
「……、……っ」
山の中で大きな獣に遭遇したときのように私はメイから目を離さず、ゆっくりゆっくりとした動きで上体を起こしていく。
だが、そこで1つ問題が発生する。
私の尻尾がメイの脚に絡みついて……否、メイの脚が私の尻尾に絡みついている事に気がついたからだ。
どうやら寝ている間に私が先にメイの脚に巻き付いて、そこにさらにメイが両足で私の尻尾を挟み込むようにしたらしい。
なるべくメイの脚を動かさないようにしながら、自分の尻尾だけを抜き去る高難度のパズルが始まってしまった。
「っはぁ……ふぅ……。」
自分の胸に手を当てながら、一旦静かに深呼吸をする。
何て事は無い。ラミアは木登りだってできるくらい、尻尾の扱いに長けた種族なのだから。
絡まった尻尾を静かに抜き取るなんて余裕で──。
そんな風に考えて勝利を確信した瞬間、私の尻尾は体勢を変えたメイの太腿にしっかりと挟まれてしまう。
「……!」
メイの太腿ってやっぱり──じゃない。そんな事を考えている場合ではない、本当に。
まだ大丈夫。ここからゆっくり時間をかけて引き抜けば問題ない。
そして私は慎重に慎重に、メイを起こしてしまわないように気をつけながら、自分の尻尾をメイの脚から抜き去った。
「……。」
自分は朝から何をしているんだと、落ち着いて冷静になった私はひとり馬車の中で頭を抱える。
別に朝なのだから、普通にメイを起こして尻尾を放してもらえばよかったのに。
それなのに何故?いや、もう少しこの綺麗な寝顔を見ていたかったという気持ちが無いわけでは無いけれど。
だってこんなに……。
差し込む陽の光に照らされたメイの金の髪が、きらきらと輝いて見える。
絵物語の中で語られるお姫様のような、特別さを感じさせる存在。
そして何より私にとっては──。
「ん……んぁ……朝……?……ふぁ~あ……。」
ゆっくりと開かれたメイの瞼から、宝石のような青い瞳が顔をのぞかせる。
眠たげな声で目をこすりながら身体をゆっくりと起こすと、メイは大きなあくびを1つした。
「……おはようございます、メイ。昨晩はその……」
「ん、おはようベレノ。いやいいよ……ベレノ、疲れてたんだろ?」
脚の上で勝手に寝てしまったことを謝罪しようとするが、メイは優しく笑って許してくれる。
それを言うならメイだって同じように疲れているはずだと思うのだが。
「それにさ、つい寝ちゃうのもわかるっていうか……膝枕って何でか知らないけどすっごく安心するんだよな。」
「んー……っ!あ、もちろん前の世界で小さい頃に、母さんにやってもらったことしか無いけどな?」
昔を懐かしむように言って、軽くストレッチで身体をほぐしながら苦笑するメイ。
確かに何とも言えない安心感というか、安らぎのような物を私もメイに感じていた。
膝枕という文化は脚の無いラミアにはあまり馴染みがないが、メイは結構膝枕をされるのが好きだったりするのだろうか。
「……じゃ、じゃあ……えっと、今度はお返しに私がメイにしますね……その、膝枕。……膝は無いですけど。」
「……ふっ!はははは!確かに……っくく!ベレノに膝は無いな……ふふっ。」
私の言葉が余程ツボにハマったのか、メイはお腹を抱えるほどに大笑いする。
そんなに今の言葉は面白かっただろうか。こちらとしては結構真面目に言っているのだけれど。
「っ……嫌なら別に良いんです……忘れてください。」
「あーいやいや!嫌なわけじゃないんだけど!なんていうか……ラミア的にそのあたりって、触れていい部分なのかな、って思ってさ。」
少しむっとして提案を撤回しようとする私に、メイは慌てたように否定した後で、私の腰下あたりを指差す。
ラミアと人間の上半身は殆ど同じだが、下半身は大きくその形状が異なっている。
しかしそれでもデリケートな部分の位置関係という物は、然程変わらないはずだと私は思っている。
それにラミアの下半身である蛇体の腹部分はプレートのように重なっているため、人間のように服を脱いだら丸出しというわけでは無いのだ。
「……試しに触ってみますか?」
「っ!?」
自分では何気なく提案したつもりのその発言が、人間の基準で言えばやや……というよりかなり危険な発言であった事に、顔を赤らめて固まるメイの反応を見て数秒後に気がつく。
これではまるきり変質者だ。
「っじょ、冗談です!ほ、本気にしないでくださいね……!?」
慌てて否定をするものの、これはこれでまた話がややこしくなる。
別に触られる事自体は良いのだ。誰にでもというわけでは無いけれど。
「あ、そ、そうだよな!じゃあえっと!……その、尻尾の先の方で尻尾枕でもさせてもらおっかな、なんて……ハハ……。」
「……わかりました。」
もちろんわかってると言うようにメイは無理に笑って、私の尻尾の先端の方を指差す。
それに対し私は小さく頷いて、了承の返事をする。
何だか互いに少し気まずくなってしまって、そこで会話が途切れる。
「あー……とりあえず朝ご飯でも食べて、出発の準備しよっか。」
気まずさに耐えられなくなってしまったらしいメイの切り出した言葉に私は数回大きく頷いて、諸々の準備を始めたのだった。
◆◆◆
「……それで、これからの予定ですが。」
「ああ、とりあえず次は……ナリマって小さな街に行くんだっけ。」
私は馬車の中で大婆様の手記を読み返しながら、メイにこれからの行動について説明する。
朝食を終え、メイと魔王の定期連絡も終えた私達は、次の目的地であるナリマの街へ向けて馬車を出発させていた。
ナリマの街はキンジョーの街よりも小さく、規模で言えば少し大きめの村と言ったほうが近い。
しかしながら各方面へ行く前の休憩ポイントとしてちょうど良い位置にある事もあって、人の出入りは多いらしい。
「はい。そこからまずは、ナリマの南西に位置する……ジマの都の、跡地に行きます。」
「ん?ジマって都の……跡地?」
程よい高さの木箱の上にここ周辺の地図を広げると、メイも一緒に地図を覗き込む。
この地図は比較的最近に作られた物のようで、キンジョーやリマチはしっかりと載っているが、ジマの都らしき物は地図のどこにも見当たらない。
「恐らくはもうすでに無い物と……何らかの理由で滅びたのか、人が居なくなったのかは不明ですが。」
「なるほどね……まぁ先代やクリノスさんが旅してたのって、何百年も昔だもんな。」
大婆様の手記に書いてある情報を基に、私はおおよそジマの都の跡地があるであろう場所に丸をつける。
都と言われていたくらいだから、例え廃墟になっていたとしてもそれなりに建物などは残っているはずだ。
跡地の近くまで行けば見つかるだろう。
「ここは大婆様と先代の勇者が初めて会った、出会いの地でもあるそうです……いったいどんな街だったのでしょうか。」
「そうだなー、それが見れないのはちょっと残念だよなー……。」
数百年前と言うと、酷い種族差別が当たり前に行われていた時代だと聞いている。
当時は人間・エルフ・ドワーフ以外の種族はヒトとは認められておらず、街に入ることさえ拒まれる事もあったとか。
そんな苛烈で暗い時代に、大婆様と先代勇者はこのジマの街でどのような出会いをしたのだろうか。
想像もつかない遠い時代に思いを馳せていると、ふとメイからの視線を感じた。
「……なんです?」
「いや……ベレノって結構、おばあちゃんっ子だよなって思ってさ。」
「おばっ……はい?」
唐突なメイの言葉に、私は思わず聞き返す。
恐らくは大婆様の事を指しているのだとは思うが。
「だって今回のこの旅だって、クリノスさんからのお願いだろ?」
「それはそうですが……先代とのあんな話を聞かされたら、断ることなんて……。」
私は大婆様の手記をきゅっと小さく胸に抱える。
大婆様への最初の印象は、自分と遠い血縁があるが時折里で見かけるだけの謎の多い人物というくらいの物だった。
印象が変わったのは、私が16歳の時。
当時の私は閉鎖的な環境の里に嫌気がさして、外へ出る憧れをこらえきれない多感な年頃だったと思う。
もちろん里の皆は私が外に出ることに反対したが、唯一里長であった大婆様だけが私の意見に耳を傾けてくれた。
それから私は18歳になるまでの2年間、大婆様の下で修行を積み様々な魔法を教えてもらったのだ。
「大婆様への恩義はもちろん感じています……だけど、それ以上にもう少し……旅がしてみたかったのかもしれません。」
「へぇ?てっきり俺、ベレノはインドア派かと思ってたけど、意外と旅好きだったり?」
広げた地図へと目を落としながら、この先の旅路を想像する。
メイはそんな私を興味深そうに見ながら、問いかけてくる。
「……いいえ。きっと一人で行けと言われたら、断っていたでしょうね。」
「ですから私がこの旅に出る事を決めた理由を上げるとするなら……あなたと、メイと旅ができるから、ですよ……きっと。」
自然と頬が緩んでしまうような暖かな気持ちが胸いっぱいに広がって、私は思わずメイへと笑いかける。
そんな私にメイはどこか嬉しいような恥ずかしいような表情をして、照れくさそうに笑った。