第2話『キンジョーの街』
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。女心に疎く、ベレノの情緒を狂わせる。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっている。何か便利な猫型ロボットみたいな扱いをされ始めている。
ジーニア:ジーニア・オウリュ。アルシエラの側近であり、先代魔王の側近でもあった竜魔族の老人。一応魔界トップクラスの魔法技術者のはずだが、スケベジジイ。若い女の子が好き。
第2話『キンジョーの街』
屋敷を出発した私達が最初に向かったのは、屋敷から最も近いキンジョーの街。
まずはここで当分の食料などの物資と、それから移動手段となる馬車か何かを手に入れるつもりだ。
残念ながらデソルゾロット家の所有していた馬車はどれも、所謂貴族階級の者達が乗る為の見た目重視の物ばかりで長旅には適さなかった。
「……なんか、こんなに歩くの結構久しぶりかも。」
キンジョーの街へと真っ直ぐに伸びる街道を進む途中、隣を歩くメイがぽつりと呟く。
ここ半年は、どこへ行くにも馬車での移動ばかりだった。
確かに自分の尾でしっかりと地面を踏みしめて歩くのは、私も久しぶりかもしれない。
「そうですね。私も久しぶりに感じます。……歩き疲れましたか?少し休憩しても良いですが。」
「んー……じゃあお言葉に甘えて。そことかいい感じじゃないか?」
そう言ってメイが指さした先には、休むにはちょうどいい具合の木と木陰。
このペースなら休憩を挟んでも昼頃にはキンジョーの街へ到着できるだろう。
「ふぅ……なんだろうな。絶対ドレスより軽鎧の方が重たいはずなのに、動きやすく感じるのは。」
「ふふっ。確かに、ドレスの時はヒール靴でまともに歩くことも難しそうでしたからね。」
まるで生まれたての子鹿のような足取りをしながら、ヒール靴で歩く練習をしていたメイの姿を思い出して、つい思い出し笑いをしてしまう。
かくいう私もやっぱりメイとおそろいのドレス姿よりも、この着慣れたローブ姿の方がしっくり来る。
今回は別に戦いに行くわけではないのだが、やはり道中用心をするに越したことはないという事で、二人共冒険用の装備で来ていた。
「本っ当に歩きにくいんだってアレ!ましてやあの状態で踊るとかさぁ……。」
「そうですか?結構上手に踊れてましたよ。なかなか個性的なダンスでしたが。」
「……お褒めいただきどーも。」
歩くのでさえやっとの足取りで踊りなど踊れるはずもなく、参加したパーティでのメイのダンスはかなり独特で面白い物だった。
相手役を務めた男性たちの困惑した表情を思い出すと、今でも笑えてくる。
「ベレノは良いよな……ヒールも履かなくていいし、ダンスのステップとか覚える必要無くって。」
少し拗ねたような様子で、メイが私の尻尾へと目を向けてくる。
「……そうですね。……ですけど、私も踊ってみたかったです。」
「ん?でも確かベレノも──。」
確か私も他の相手役の人と踊っていたはずだ、と言いかけたメイの唇を人差し指でそっと止める。
「あなたと、ですよ。」
◆◆◆
二度ほどの休憩を挟みつつ、当初の予定通り昼頃にはキンジョーの街へと辿り着いた私達。
午後からの物資調達のための英気を養う為、まずは腹ごしらえをする事になった。
「……それで、何にするかそろそろ決まりましたか?」
ここ周辺の情報収集も兼ねてレストラン兼酒場へと入った私とメイだったが、かれこれ5分以上もメイが卓上のメニュー表とにらめっこをしている。
節約しないと路銀が足りないというわけでもないのに、何をそんなに悩んでいるのだろうか。
「それとも、お腹空いてませんか……?」
「い、いや……むしろめちゃくちゃに空いてるんだけど、だからこそ何を食べるべきか決まらないと言うか……。」
ぐう。とカウンターの隣の席に座る私にも聞こえるくらい大きなメイの腹の音が聞こえてくる。
真剣な表情で食い入るようにメニュー表を見つめるメイの横顔を、私は頬杖をつきながら眺める。
まぁなんとなく言いたいことはわかる。
ここのような大きめの街でしっかりと食べたい物を食べておかないと、道中で野宿をした時などの簡素な保存食の味がやや辛く感じるからだろう。
ましてや私とメイはつい先日までパーティ三昧の日々で、豪勢な食事を嫌と言うほど食べて舌がかなり肥えてしまっている筈だ。
「はぁ……もう。貸してください。……この中で2つ選ぶならどれです?」
「え、えーっと……これ……と、あとこれかな。」
このままでは埒が明かないので、私はメイからメニュー表を奪い取り、候補を2つに絞らせる。
メイが選んだのは魚の香草焼きと、厚切り牛ステーキ。確かにこれは私でも悩むかもしれない。
「じゃあ、両方注文してはんぶんこにしましょう。……それで良いですか?」
「えっ?いや、もちろん俺は良いけど……良いのか?ベレノだって、何か食べたい物があるんじゃ……。」
驚き半分嬉しさ半分といったリアクションをしつつも、メイは私の顔色を伺うように見つめてくる。
「いつまでも決まらず、空腹のまま待たされるよりマシです。」
「うぐっ!……面目ない……。」
がっくりと肩を落とし落ち込むメイの背中をそっと撫でながら、私は選んだ2品を注文する。
メイは結構濃い目の味付けが好きなのだろうか。屋敷に居た頃は、出された料理を何でも美味しそうに食べていたと思うが。
考えてみると、もうかれこれ1年半近くも一緒にいるというのに、メイのそのあたりの好みを私は知らない。
「……メイは、何か作ってもらえたら嬉しい手料理とかは、ありますか?」
注文した料理が届くまでの間の時間つぶしも兼ねて、私はメイにいくつか質問をしてみる事に。
私は特別料理するのが好きな訳では無いが、里に居た頃によく作ったキノコ料理には多少腕に覚えがある。
「ん、そうだなぁ……うーん……あー……オムライス、とか?昔母さんが……って、ああ前の世界での話な?子供の頃に良く作ってくれて……。」
そう語りながら、遠い昔を懐かしむようなどこか遠い目をするメイ。
もしメイの望む料理を私が作れれば、大きなチャンスだと思ったのだが……。
オムライスとは?聞いたこともない。どのような料理だろうか。
以前メイが皆の前で見せてドン引きされていた、コメと生卵を使うようなタイプの料理だとしたら、一筋縄では行かないだろう。
「オムライス……ですか。初めて聞きました。それは一体どのような料理なんです?」
「えっ、こっちってオムライスも無い!?……あーそっか、このあたりじゃそもそも米が全然無いもんな……。」
メイは私の返答に驚いた後で、すぐ納得したような反応をする。
どうやら嫌な予感が的中してしまったようだ。察するにオムライスというのは、コメ料理なのだろう。
帝都エヴァーレンスような最大規模の街へ行けば、あの路地裏の怪しい店のように珍品として置いている所もあるかもしれないが、中規模程度のここキンジョーの街では入手はなかなか厳しいだろう。
「また、コメですか。……ちなみにコメ以外には何が必要なんです?」
「えっと卵と肉と玉ねぎ……あとはケチャップ……ってわかる?トマトとスパイスを混ぜたソースみたいなやつなんだけど。」
ケチャップというソースは聞き覚えがないが、何となく想像ができる。要はトマト系のソースなのだろう。
メイの前居た世界の人々は、余程卵を使ったコメ料理が好きらしい。
コメの方はあの時見た、植物を編んで作った袋に入れておくという保存形式から想像するに、結構日持ちがする食材なのだろう。
だが問題は卵だ。卵は低温下で保存したとしてもすぐに質が悪くなってしまう為、旅の食料として持って行くには適さない。
もし食材を揃えられたとしても、どこか店の厨房を借りるとかしてすぐに調理したほうが良いだろう。
思いの外、オムライスなる料理を作るためのハードルが高い。
「思い出したら食べたくなってきたな……でも無いんだよなぁ……泣けるぜ……。」
「……大きめの街についたら、またコメを探してみましょうか?それで、その……作ってみましょうか、私が。」
「えっ!?良いのか!?」
私の提案に予想外の食いつきを見せたメイが、勢いよく立ち上がって私の手を包み込むように両手で握る。
思わぬ反応に、私の心臓は人知れず高鳴りを見せた。
「え、えぇ……もちろん私だけでは上手く再現できるか怪しいので、メイにも手伝ってもらいますが……。」
「もちろん手伝う手伝う!」
ぱぁっと太陽のように明るい笑顔を見せながら、さらに強く私の手を握るメイ。
そこまで喜んでくれるなら、これはもう応えるしか無い。
上手く作れる保証はもちろん無いが、私はそれでも最大限にメイのために料理を頑張ってみようと思う。
「それで、その──。」
私が言葉を続けようとしたその時、ちょうど頼んでいた料理が運ばれて来て、私の言葉は遮られてしまう。
「おお、来た来た!美味そうな匂いだ……!ん?ベレノ、何か言ったか?」
「あ、いえ……なんでも。……食べましょうか。」
まあそれは後でも良いかと、私とメイは揃って手を合わせてから食べ始める。
最初は知らない文化だったが、メイと共に食事をする機会が多かったのでこれもすっかり慣れてしまった。
だけどもっと、私はメイの色々な事を知りたい。メイの前の世界の事も、メイ自身の事も全部。
それからしばらく食べ進めて、料理の残りが半分ほどになった頃。
「ベレノ。」
「ん……ああ、そうですね。そろそろ料理の交換を──」
そういえば互いの料理をはんぶんこするという話だったのを思い出し、私が自分の前のお皿に手を添えてメイの方を向いた、その時。
「はい、あ~ん。」
「えっ?あ、あーん……?」
メイが自分の前に置かれていた厚切りステーキの一切れをフォークで刺すと、突然私の方へと向けて来た。
私が状況を飲み込めないまま言われたとおりに口を開けると、そのままメイが私の口の中へとその一切れを投入してくる。
反射的に口を閉じてその一切れを口の中に収めるが、何だかこれは……親鳥に餌付けされる雛鳥のようで、少し恥ずかしい。
「美味いだろ?そのステーキ。」
どこか得意げな様子でメイがそう言うので、私は咀嚼しながら小さく頷きそれに同意する。
正直言ってメイの突然の行動に頭が追いついておらず、味にまで気が回らない。
「……んく。……あの。」
「ん?どうしたベレノ?」
なんとか咀嚼を終えて飲み込んでからメイに改めて声を掛けると、メイの手には既に次の分であろう一切れが刺さったフォークが握られている。
「……お皿ごと交換するのでは、ダメなのですか?……なんというか、その……これは少し恥ずかしいです。」
自分の顔がじわりと熱くなっているのを感じながら、私はメイへと問いかける。
途端、メイは何かハッとした様子で、私と同じ様に顔を赤くした。
「あ、っご、ごめんベレノ……!つい雪に昔してたみたいに……!そ、そうだよな。普通はお皿ごと交換すれば良いんだよな……!」
どこか気恥ずかしそうに目を逸らしながら、メイはそそくさと互いの料理皿を交換する。
あれ?なんだか今とても惜しい事をしてしまったような。
結局私はその後、メイからの”あーん”の衝撃が大きすぎたあまりに、最後まで味が全くわからないままステーキを食べたのだった。
◆◆◆
味がわからないながらも、とりあえず腹を満たした私達は、さっきの店で聞いた情報を頼りに物資の調達を始める事にした。
この街で確保すべき物資は、当分の食料と移動手段となる馬車だ。
食料はそこらの店で適当な保存食を買えば良いとしても、問題なのは馬車の方。
長旅をすることを考えるなら、雨風をしのげる屋根がついた幌馬車が良いだろう。
「先に馬車と、それを引いてくれる馬を探しましょうか。せっかく物資を買い込んでも、移動手段が無くて運べませんでは意味がありませんし……。」
「そうだな。……ところで馬車って事は運転手が必要なんだよな?……ベレノ、やったことあるか?」
メイの言葉で、私はすっかりその存在を失念していた事に気がつく。二人旅に浮かれて忘れていたのだろうか。
確かに馬車にはそれを操る馭者が必要不可欠であり、馭者無しに自由に歩く馬が引く馬車など、目的地へ辿り着けるはずもない。
しかし──。
「馬車どころか、馬に乗った経験もありませんね……メイの方はどうです?」
「俺も、記憶によると乗馬はしたことあるみたいだが……馬車の操縦は流石に無いな」
もしかすればと思ったが、メイの返答にあてが外れてしまう。
となると馭者を雇わなければならないが、それには問題が1つ。
「となると、人を雇うしか無いかー。」
「ええ、ですけど……1年もの長旅に付き合ってくれる馭者がいるかどうか。」
厩に行けば確実に馬と荷馬車はあるだろうし、交渉すればそれを借りるないしは買い取る事も可能なはずだ。
後は魔界まで送ってくれるような物好きな馭者を雇えるかどうか。
出だしから躓きかけているこの旅の行く先を少し不安に感じながら、私達は街の厩へと移動した。
◆◆◆
「……どうでした?」
厩の管理人へと交渉に行っていたメイが戻って来る。
その表情はどこか暗く、あまり上手く行かなかったようだ。
私が交渉をするよりもこのあたりの領主の娘であるメイの方が多少有利だろうと思って任せたのだが、やはりそう上手くは行かないようだ。
「うーん……馬と馬車はなんとかなるらしいけど、やっぱり運転手はダメみたいだな。」
「そうですか……となると、どうしましょう。まさか歩いて行くわけにも……。」
馬などの移動手段を使わず徒歩でとなると、移動に掛かる時間は一体どれ程かかるのか想像もつかない。
何より肉体的疲労と物資の消耗も大きくなってしまう上に、徒歩では持ち運べる物資に限りがある。
そうなれば節制だらけのかなり過酷な旅を強いられる事となる。
私とメイがうんうんと唸りながら頭を悩ませていた、その時。
「もしもーし!おにいちゃーん!?」
どこからか、あまり聞きたくない声が鳴り響く。
「おわっ!?……あ、やば!昼過ぎの連絡するの忘れてた……!」
そう言いながらメイは首から下げていた氷鱗のペンダントを慌てて鎧の下から引っ張り出す。
どうやらさっきの声の主は、やはり魔王だったようだ。
「も、もしもし?どうした、雪?」
二人が謎の揃いの言葉を使いながら定期連絡を始めてしまったので、私は一旦口を閉ざし静かにする。
正直言って、この待ち時間はあまり好きじゃない。その理由は自分でもはっきりとしないけれど。
「どうしたじゃないよお兄ちゃん!もうお昼とっくに過ぎてるよ!?」
「ご、ごめんごめん!ちょっとバタバタしててさ……!」
突然自分のペンダントに向かって話しかけ始めた奇人を、街行く人々が不審がるような目で見ている。
魔王とのお喋りに夢中でそんな視線には当然気が付かないメイの腰に、私は尻尾を巻き付けて厩の陰へと引っ張り移動させた。
やはり魔王と話しているときのメイは、普段よりかなり楽しそうだ。
私はそんなメイに、背後からそっと腕を回しておもむろに抱きついてみる。
「っ……!?」
「……お兄ちゃん?聞いてる!?」
「あ、ああ……聞いてる聞いてる!」
メイは私のその行動に驚いたらしく、魔王との会話を一瞬途切れさせたものの、またすぐに再開した。
平静を装ってはいるが、明らかに私を意識しているのが背中からでもはっきりとわかる。
そんなメイの反応が少し楽しくなってしまった私は追撃するように、腰に巻き付けた尻尾をさらにメイの足にまで巻き付けていく。
別に兄妹の会話の邪魔をしているわけではない。ただ私は、メイに抱きつき巻き付いているだけだ。
太腿に尻尾を巻き付けて気がついたが、出会った頃に比べて少しメイの身体が筋肉質になっているような気がした。
修行の成果か、過酷な旅の結果か、はたまた両方か。すべすべとした柔らかさの中に、しっかりとした硬い筋肉の芯のような感触がある。
「ちょっ……ベレノ!?何してるんだ……!?」
「……お兄ちゃん?もしかしてあの女に何かされてるの!?」
メイがその両腿で私の尻尾を挟み込むように、忙しなく動かしながら小声で私に問いかける。
そろそろやめてあげようかなんて考えていると、何かを察したらしい魔王が声を荒げた。
これ以上続けて乗り込んでこられても面倒だと思い、私はメイを解放する。
「な、なんでも無い!大丈夫だから!……っあ、それより雪!ちょっと相談したい事があるんだけど……!」
「そう……?何でも言って!お兄ちゃんのためなら雪、何でもするから!」
さっきの不意打ちで警戒されてしまったのか、メイは私の方を向いて魔王との会話を続ける。
「実はさ……今ちょっと困ってて……。」
そう言って話を切り出したメイは魔王に、現在私達が直面している馭者不在の問題についての相談を始めた。
魔界から馭者ができそうな魔族を送ってもらうとか?もちろん冗談だけれど。
確か魔族は、定期的に魔界に戻らないと衰弱してしまうのだと何かの本で読んだ気がする。
馭者を必要とせずに勝手に走ってくれる、そんな都合の良い馬でもいれば話は早いのだが。
「うん……うん……ああ、わかった。」
「……何ですって?」
一旦魔王との会話を終えたらしいメイに、相談の結果を尋ねる。
「じいや……ジーニアさんに聞いてみるってさ。」
「ああ、あの竜魔族の……。」
それだけの言葉を交わした後、私とメイはどこか気まずさを感じて互いに沈黙してしまう。
さっきのは少しやり過ぎだっただろうか。だけど自分でも何故あんな事をしたのか、いまいちわからない。
「……あのさ、ベレノ。……その、俺の身体に尻尾巻き付けてくれるのは別にいいんだけど……もうちょっとTPOを……。」
「てぃーぴーおー?ですか?」
やがて沈黙に耐えきれなかったのか、メイが重い口をゆっくりと開くが、その聞き慣れない言葉に私は首を傾げた。
「あ、えっとTPOってのはつまり──」
「もしもしおっにいちゃーん!」
”てぃーぴーおー”なる物の意味について説明してくれようとしていたメイの言葉を、戻ってきたらしい魔王の声が遮る。
「……ああ、もしもし?どうだった?」
また謎の揃い言葉を口にして魔王との会話を再開するメイだが、横槍を入れられたせいかその顔は何だかもどかしそうだ。
やはりメイの前の世界には、私の知らない言葉や文化がまだまだたくさんあるらしい。
その異世界とも呼ぶべき存在に、正直言って私は興味が尽きない。
何とかしてそれらを学ぶ手段はないだろうか。もちろん旅をしながらメイに直接聞いたって良いのだけれど。
「えっ?操縦しなくても勝手に走ってくれる魔界の馬がある?それって……え?餌も魔力だけでいい?」
魔王と通信をしながら興味深い反応をするメイに、私も思わず近寄って氷鱗のペンダントに耳を傾ける。
「うん。魔界のえらい魔族達がよく使う、レイバ?っていうの?らしいよ。邪魔な時はしまっておけて便利なんだって。ねっ!じいや?」
「左様でございます、アルシエラ様。」
後ろにいる誰かに確認を取るようにしながら説明する魔王の言葉を聞きながら、私はメイの方を見て小さく2度頷く。
そんな便利な物があるなら、使わない手は無い。……魔王の手を借りるというのは少し、複雑だが。
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて、そのレイバ?っていうの貸してもらおうかな。……ああ、今?今俺達はキンジョーって街の厩の傍に──」
メイがそこまで答えた所で、突如としてメイのすぐ傍に見覚えのある魔法陣が出現。
まさかまた魔王が直接メイに会いに乗り込んできたのかと、私は少し身構える。
「……一応、魔族は地獄門を通らないと地上に出てはいけない約束になっていますので。手だけで失礼しますぞ、お二方。」
そんな声と共に魔法陣からは、額に深紫色の宝珠が埋め込まれている怪しげな頭蓋骨を持った、黄色い手が出てくる。
竜人族のような鱗と鋭い爪がついているものの、少しやせ細ったような年季を感じる手。
私がその手から、その謎のドクロをそっと受け取ったその瞬間。
突然その枯れ枝のようにやせ細った手が、私の手を掴んだ。
「きゃっ!?」
思わず小さな悲鳴を上げて、私は危うくドクロを落っことしてしまいそうになる。
「……おや?失礼。テンセイ殿かと思ったのですが。ふぇふぇ……柔らかい手ですなぁ……。」
とぼけたようなような事を言いながらその手は、私の手の触り心地を楽しむように握る。
もちろん振り払う事はできるだろうが、それでもし相手の魔族の機嫌を損ねたら、この魔道具をやはり貸さないなんて事になりかねない。
どうすべきかと、私が一瞬考えていたその時。
私の手を掴む黄色い手の手首を、さらに掴むようにしてメイの手が割り込んで来た。
「……ジーニアさん?いたずらが過ぎますよ?」
「ぁ痛たたたた!?ろ、老人虐待はダメですぞテンセイ殿!?」
少し微笑むような落ち着いた様子でそう言いながらも、メイはその掴んだ枯れ枝をへし折らんとする勢いで締め上げる。
ああ、メイのこの表情は前にも見たことがある。確か私とメイが初めて帝都エヴァーレンスに行った時、嫌な感じの門番達に見せた顔だ。
メイの締め上げ攻撃に、たまらず私の手を解放する黄色い手。
「……じいや?何してるの?」
「あ、いえ何でもありませんぞアルシエラ様……では、はい……お二方、失礼いたしまする。」
黄色い手はメイの締め上げから解放されるや否や、逃げるように魔法陣の向こうへと引っ込む。
「じゃあお兄ちゃん!また夜にねー!」
魔王のそんな言葉と共に魔法陣が消え、私の手元には受け取ったドクロだけが残った。
何だったのかと内心呆れながらも、ちらりとメイの方を見る。
途端、メイが私の両肩を強く掴み、真剣な表情で見つめてくる。
いつになく真剣なその眼差しに、落ち着きかけていた心拍数が再び急上昇する。
「ベレノ。」
「っ……は、はい。」
名前を呼ばれただけのはずなのに、私は自分の顔がじわりと熱くなっていくのを感じた。
まさかこのタイミングで?でもどうして急に。
だけどさっきもすぐに助けてくれたし、やっぱりメイは私の事を──。
「嫌なことをされたら、すぐに嫌って言わなきゃダメだ。……さっきのも、本当は困ってただろ?」
夢見がちな乙女のように思考をぐるぐるさせていた私の頭が、優しく諭すようなメイの言葉で冷静さを取り戻す。
確かに先ほど対応に少し困っていたのは事実だが、それでも私はそれを露骨に表情に出していたつもりはない。
掴まれていたのだってそう長い時間ではなかったし、すぐにメイが助けに入ってくれたので不快さを感じる程では無かった。
それでもメイは、瞬時に私が困っていると判断して助けに来てくれたのだ。
普段は鈍感なくせに、どうしてこういう時ばかり本当に、この人は。
「……思ったより、ちゃんと見てるんですね……私のこと。」
「ん?」
ぼそりと小さな声で呟いた私の言葉に、何か聞き漏らしたと思ったらしいメイが、耳を傾けるように顔の側面を向けてくる。
だから私はそんなメイの鎧の襟首に尻尾の先を引っ掛けて、ぐいっと引き寄せる。
私の唇がメイの頬に触れて、小さく音を立てた。
「……助けてくれてありがとうございます。……これはその、お礼です。」
そう言いながら私は、逃げるようにメイへ背を向ける。
何でも無いように振る舞っているつもりなのだが、自分でもはっきりとわかるほどに頬が熱い。
しかし私の勇気を出した行動に、メイは何の反応も示さない
恐る恐る振り返ると、そこには手を宙に浮かせたまま私と同じくらい顔を赤くして、唖然とした表情で固まっているメイの姿があった。
◆◆◆
魔王の助けもあり、次の街へ進むための足となる魔界の魔道具をなんとか手に入れる事に成功した私とメイは、街の厩で買い取った中古の幌馬車を街の出口のところまで運んでもらい、キンジョーの街で買い集めた旅の物資を積み込んでいた。
「ふぅ……これで届けてもらった分は最後かな?」
「そのようですね……お疲れ様です。」
旅の物資が入った木箱類の最後の1つを幌馬車へと積み込み終わったメイが、軽く腰をさすりながら小さく息を漏らす。
手元のチェックリストによれば、街で購入した物品の数と今積み込んだ荷物の数はぴったりと同じだ。大丈夫だろう。
そんなメイを労おうと、私はメイの腰をさするようにそっと手で触れた。
しかし──。
「っ!?……あ、いや……ベレノもお疲れ。」
まるで私の手から逃げるようにメイは数歩前へと進んで離れ、誤魔化すように笑う。
明らかにさっきから……具体的に言うと厩での一件の後から、メイは私に触れられるのを避けている様に思う。
積み込み中、大きな箱を一緒に運んでいる途中で偶然、互いの手が触れてしまった時もこんな反応をしていた。
今更私に触れられるのが嫌になった、とは考えにくい。というより考えたくない。
だがこんな反応を繰り返されては何だか、もやもやとした心苦しさを感じてしまう。
「……それで、このドクロの使い方なのですが。」
「え、あ……お、おう。何かわかったか?」
私はあえてその事には触れず、魔王から借りた魔道具の使用方法と効果についての説明を始める。
簡単な使い方と性質は、先程メイが街へと買い付けに行っている間に軽く試したので、大凡は把握できている。
「このドクロの顔をあちらへ向けて、ぐっと魔力を流し込めば……。」
馬車の先頭の方へと手に乗せたドクロの顔の正面を向けて、魔力を注ぎ込む。
するとカタカタという骨を鳴らすような音と共にドクロが浮かび上がり、その口から青白い霊魂のような物を2つ吐き出した。
「お、おお……っ!?」
「よく見ていてください……。」
吐き出されたもやもやとした霊魂が徐々に形を変えていき、やがて青白く半透明な身体を持つ2頭の馬へと姿を変える。
魔王との通信でメイが言っていたレイバというのは要するに、幽霊の馬の事だったのだ。そう、幽霊である。
それも可視化を使わなくともはっきりと視認できるほどの濃い魂を持った亡霊の。
「……お、おば……!?いや、馬……んん?」
霊馬を見てもっと悲鳴を上げ腰でも抜かすかと思っていたが、意外にも冷静なメイ。
もしかして怖いのはヒト系の幽霊だけで、動物霊は大丈夫なのだろうか。
「そうですね、おばけの馬です。馬の幽霊……霊馬ですね。……大丈夫そうですか?」
「あ、うん……確かにおばけなんだろうけど何ていうか……やけに輪郭がはっきりしていて、あんまり幽霊って感じがしないな。」
確かに地上で見られるような霊的存在に比べると、魔界産という事もあってかかなりはっきりとした存在感を放っている。
実体である馬車を引くようなパワーを持つ霊魂ともなれば、そこら辺の浮遊霊とは比べ物にならないほどの上位の霊と言えるだろう。
「大丈夫そうなので続けますが……どうやらこのドクロの方が馭者の代わりになるようで……。」
そう言って私はドクロの額に埋め込まれた深紫の水晶へと指先で触れながら、再び魔力を流し込む。
すると、深い暗闇だったはずのドクロの両目の穴にギョロリとした目玉が現れた。
「めっ……!?」
小さく悲鳴を上げて縋り付くようにくっついてくるメイを、私は尻尾で優しく抱きとめながら説明を続ける。
「現在地はここです。そして今からこの街へと向かってください。」
街で仕入れたここ周辺の地図をドクロへと見せながら、地図を指さして命令する。
しばらくその地図をギョロギョロとした目で凝視していたドクロが、やがて返事をするように激しく骨を鳴らした。
「ど、どういう……?」
「理解したのだと思います。では、後ろに乗ってください……もう出発しますよ。」
怯えながら困惑の表情を浮かべるメイの頬を、私はそっと撫でてから馬車を指差す。
馭者の調達に手間取ったり、物資の運び入れに時間がかかったのもあり、時刻は既に夕暮れへと差し掛かっている。
安全を優先するならこの街で一泊して、翌朝次の街へと向かうのが得策だろう。
「え、でも夜の移動は危険なんじゃ……。」
「そうかもしれません。ですが大丈夫です。この霊馬達、結構強そうなので。」
馬車への乗り込みを渋るメイの腰に尻尾を巻き付けて、半ば引きずるように車内へと連れ込む。
今からの出発では、次の街に到着する頃には確実に夜になっているだろう。
だが、私にとってはその方が都合が良い。
「……じゃあ、後はお願いしますよ……ドクロさん。」
馬車の中から仕切りのカーテンを開くと、馭者用の座席へとクッションと共にドクロを設置する。
ドクロはそのギョロ目で一度私の方を見た後、進行方向である前方へと目を向けた。
そしてその口からまた青白い何かを吐いたかと思えば、それは馬車と霊馬を繋ぐリードとなった。
「ベ、ベレノ?本当に大丈夫なのか?や、やっぱり出発するのは明日の朝にしないか?」
「大丈夫です。……出してください。」
やはり不安なのかやや震えた声で捲し立てる様に尋ねてくるメイを一蹴して、私は馭者へと合図する。
すると霊馬が嘶き、馬車はゆっくりと進み始める。
ここから次の街までの道はそれなりに整備されていて、例え夜でも危険はそう多くはないと聞いた。
だからこその、夜の実験なのだ。
「……ところで、もう良いのですか?私に触れても。」
夜が来るのを待つ間に、私は今抱えている問題の解決を図ることにする。
さっきから私のローブの袖を握りっぱなしのメイへ、その握る手を指差す。
「へっ?……あ、いや……えと、ご、ごめん……。」
「どうして謝るんです?何か後ろめたい事でも?」
指摘されて慌てて私のローブを放したメイへ、追撃するように質問を重ねていく。
ここは走行中の馬車の中。どこにも逃げ場など無い。
「そ、そういうわけじゃ……無いんだけど。」
「だったらどういうわけです?」
それでも逃げるように後退するメイに、私はゆっくりと這って近づく。
すぐにそのまま馬車の最後尾まで追い詰め、完全に逃げ場を無くす。
私のじとりとした視線に、しばし目を泳がせて落ち着かない様子のメイだったが、やがて何か諦めたように小さくため息を付いてこちらに目を合わせてくる。
そしてメイはその重い口をゆっくりと開き理由を語り始めた。
「……っ、お、怒らないで……聞いてほしいんだけど──。」