第19話『私のお兄ちゃん』
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。身長はだいたい160cmくらい。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。ついにメイとの仲に進展があった幸せラミア。アルシエラの事は義妹としてなるべく仲良くしたいとは思っている。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。身長は162cm。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。天然たらしの側面があり、ベレノの情緒を狂わせる。自分なりの答えを決め、それらしく振る舞おうと奮闘中。久しぶりに再会した妹に初手で求婚され、混乱中。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。身長147cm(角を含まない)。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっているが、本人は魔王の座にはあまり執着が無い。兄とその恋敵の仲が進展してしまった事をまだ知らない。兄を狙う悪い虫であるベレノの事を強く敵視している。
第19話『私のお兄ちゃん』
フィンゴールの街で出会った魔族の姉弟、サキとアトに連れられ無事に地獄門を抜け魔界へとたどり着いた私達。
初めて目の当たりにした魔界の光景に驚きながらも、とりあえずは魔王に会いに行こうと馬車を走らせた、矢先。
相変わらずな出鱈目な力によって強制的に魔王の元へと呼び寄せられ驚く私達を他所に、何故か魔王は自らの兄であるメイへと求婚してきたのだった。
「……ええと、雪?兄ちゃんにも分かるように言ってくれるか?」
魔王の荒唐無稽な発言に流石の兄も困惑を隠せず、何とも言えない表情で首を傾げながら魔王へと問い返す。
「だから!お兄ちゃんと、私で!結婚するの!ね!?」
「っ……あー……えーと……。」
聞き返しても尚全く情報量が増えなかった回答に、メイは返事に困った後でちらりと私の方を見る。
ここは一つ、メイの家族として私が出向く必要がありそうだ。
「待ってくださいアルシエラ。貴女、結婚相手は既に決まっているという話だったのでは?それも魔族と。」
「はぁ~?あなたには関係ないんですけど~?黙っててもらえますぅ~?」
私の問いかけに対し魔王は物凄く腹の立つような表情で返してくるが、今はそんな事に腹を立てている場合ではない。
だから私は小さくため息をついて、メイへと再度バトンを渡す。
「……雪。ちょっと座りなさい。」
いつになく真面目な声でメイが魔王の物らしき大きなベッドを指差す。
すると魔王はほんの一瞬だけ怯えたような反応を見せた後、不満げな表情をしながらも言われた通りにベッドへと腰掛ける。
「……まず確認なんだけど、雪が誰かと結婚するって話自体は本当の事か?」
「…………うん。」
腰掛けた魔王の前へと立つように移動したメイが、穏やかながらもどこか冷たさを感じさせるような声で魔王へ問い詰める。
そんなメイに対し少しの間を置いてから、バツの悪そうな様子で小さく頷く魔王。
「じゃあ何で兄ちゃんと結婚する、なんて言ったんだ?」
「それは……その……えっと、あの……。」
先程までの威勢はどこへ消えたのか少し屈んで目線を合わせるようにするメイへと、魔王は決して目を合わせようとせずに口籠る。
彼女がそれを望んでいるだろう事は薄々私にもわかっていた事だ。だからこそ、メイ以外の人物と結婚するという話が出た時に心底驚いた。
にも関わらず彼女はここに来て、また違った事を言っている。それは何故だろうか。
「……私がご説明いたしましょう。」
俯いたまま押し黙る魔王に代わって口を開いたのは、魔王の側近である龍魔族のジーニアだ。
どうやら隣の部屋で私達の会話を聞いていたようだが、主人の窮地と見て出てきたらしい。
「ジーニアさん。……お願いします。」
メイはもう一度だけ魔王の方を見て、本人が話す様子が無い事を確認するとその場を離れジーニアの方へと歩み寄る。
これでは魔王どころか、完全にお説教をされて落ち込んでいる子供だ。
「はい……。とある魔族の者が、新生魔王軍を名乗り襲撃を仕掛けてきた事は既にご説明したかと思いますが……。」
「……その二度目の襲撃の後、アルシエラ様はその襲撃者である集団の長と、ある契約を交わされまして。」
「契約……ですか?」
ちらりと魔王の方を見たメイの視線が気になったのか魔王は少しだけ顔を上げるも、私と目があってしまいすぐに顔をそらす。
仮にも魔王である彼女が、他の魔族と勝手に何かしらの契約を結んでしまうというのはそれだけでも結構な大事の筈だ。
しかも聞いた話によれば周囲への相談も無く、独断で決定したという話だったか。
「それが……その者の一族に伝わる秘伝の魔法を教えて貰う代わりに、その者と結婚し魔王の座を譲渡する……という物でして。」
「なるほど……となるとやはり結婚の話までは本当だったんですね。……それで、その秘伝の魔法と言うのは?」
2人の会話を私と同じように黙って聞いている魔王が、次第に落ち着きを無くしたようにそわそわと身体を動かし始める。
まるで自らの悪行を、親や知人に洗いざらい報告されてしまっているような反応だ。実際そうかもしれないが。
「まぁ何と言いますか……簡単に言えば、性別を反転させる魔法……ですな。」
「性別を……?」
ジーニアの口から出たその言葉で、私は大凡魔王が何を企んでいたのかを理解する。
要するに魔王はその魔族から性別反転の魔法を教えてもらった後でそれをメイへと使用し、メイを自分の知る本来の兄の姿に近づけようとしたのだろう。
そして当然男女となり尚且つ今は血が繋がっていないとなれば、彼女的に考えれば結婚を阻む理由はどこにも無い。
最終的には件の魔族との結婚話を反故にして自らは兄を連れてどこへなりと逃避行、という魂胆だったと推察できる。
「……う、うぅ……お兄ちゃんに、男に戻って……ほしかったの……。」
タイミングを図ったように泣き始めた魔王だが、俯いて顔を手で覆ってはいるものの恐らく涙は流していない。
要するに同情を誘うための悪どい嘘泣きだ。
「……雪。」
妹なりに自分を思っての行動だったと知ったメイは、少し優しい顔になって魔王の方へと戻ろうとする。
だがそんなメイを私は手で制し、それを阻む。
「待ってくださいメイ。まだ何も解決してませんよ?」
「え、あ……そうか。」
そのまま雰囲気に流されてしまいそうだったメイが、私の一言によって何とか冷静さを取り戻してくれる。
そう、魔王の企みが明るみになっただけでまだ事態は何も解決していないのだ。
結婚相手を決めるための魔界一武道会なる謎の大会の事や、その秘術を教えて貰ったという謎の魔族についての話が何も進んでいない。
「ちぃっ……!こうなったら!喰らえッお兄ちゃんッ!性転ビーム!」
「うわぁっ!?」
泣き落としが通じないと分かると、魔王は舌打ちしながら即座に次の行動へと移る。
束ねられた指先から怪しげなピンクの光が放たれ、それはメイへと着弾。
メイが眩い光に包まれ、私は思わず目を閉じる。
「はぁっ……はぁっ……!これでお兄ちゃんがお兄ちゃん……に?」
やがて光が収まりそこへ立っていたのは、魔王の魔法によって男性になってしまったメイ──ではなく。
見慣れたいつも通りの姿のメイであった。
「……あれ?」
「……何も変わっていないようですが。」
「えっ!?何で!?嘘!?」
何故か自らの魔法を受けても何の変化も無い様子のメイに、魔王は完全に想定外と言った様子で慌てている。
もしや魔法が失敗したのだろうか。
「も、もう1回!喰らえッ!性転──」
「させませんッ!」
懲りずにまたもや怪しげな光をメイへ向けて放とうとする魔王の手を、私は尻尾で叩く。
それによって狙いのそれたピンクの光は床へと着弾するかに思われた所、何故か床で跳ね返り私の方へと飛んできて、そのまま命中してしまう。
「っく……!?」
怪しい光に包まれながら全身が軋むような奇妙な感覚の後、やがて光が収まっていく。
心配そうに私の方を見上げるメイが、何だかいつもより小さく見えるような。
「ベ、ベレノ……?!」
「ええ、大丈夫で……っ!?」
返事をしようとして自分の口から出たと思わしき聞き慣れない声に、私は慌てて口を抑える。
今のは何だ。私の声?それにしては随分と低いような。
まさかと思いそのまま私は自らの胸へと手を当てる。
するとそこには平べったく、逞しささえ感じるしっかりとした胸板があった。
「ベッ!ベレノが、男になっちゃった!?」
「……そのようです。」
唖然とした表情のメイにはっきりとそう言われて、ようやく自分の身体の変化を認識する。
背はメイよりも高くなり、肩幅や手も大きくなっているようだ。
普段あまり見えていなかった自分の下半身が、障害物が無くなったおかげでよく見える。
それになんだか、メイがいつもよりももっと可愛く見える気がする。
「メイ……。」
「えっ?!ベレノ……!?」
私は思わずそんなメイの頭に手を伸ばすと、優しく撫で始める。
いつもは同じくらいだったのに比べ、今は程よい身長差でとても撫でやすい。
もしかして今なら力比べでだって勝ててしまうのでは無いだろうかと、心地よさそうなメイの表情を見ていると思う。
「……ちょっと!お兄ちゃんから離れて!?私のお兄ちゃんにそんな表情させないで!!」
そこへ慌てた様子で魔王が割って入ってきて、私とメイは無理矢理に引き離されてしまう。
そんな魔王さえも、いつも以上に小さく感じるのはやはり私の背が伸びているからだろうか。
「ぐぬぬ……こんなはずじゃぁ……!ヘビ女にはちゃんと効いてるみたいなのに……っ!」
こちらを睨みつける魔王だがその様子さえ愛らしい小動物のようで、私はついついメイと同じように撫でようと手を伸ばす。
「っ!触らないで!ロン毛の不審者!」
「ロン毛の不審者……。」
手厳しく手を弾かれ、魔王に罵倒を浴びせられてしまった。
地味に傷つくが、確かにこの髪の長さの男性は少し怖いだろうか。
「だ、大丈夫だベレノ!何かロックバンドの人みたいでかっこいいと思うぞ!」
「……どうも?」
いまいち良くわからないフォローをメイから入れられながら、私は魔王を見下ろす。
最初にメイに放たれた分は何もメイに変化を与えなかったようだが、やはりあれは失敗だったのだろうか。
それとも何か別の要因でメイには効かなかったか。メイの特殊な出自を考えればあり得ない話ではない。
「ふむ……これが男性の身体なのですね。……不思議と肩が軽い気がします。」
「ふぇ、ふぇれの……?!」
全体的に大きくなっているような感じがして、私は何気なくメイの両頬へと手を伸ばしむにむにと揉み上げる。
自らの頭の上をあっさりと通過していく私の腕を見て、魔王はなんだか悔しそうだ。
「……可愛いですね、メイ。」
「えっ、あ……いや……その……。」
小さく笑ってそう囁くと、メイは満更でも無さそうな反応を見せる。ああ、可愛い。
「きぃぃっ!やめてやめて!お兄ちゃんに触らないで!ああもう戻れ戻れ戻れっ!!」
その光景を見ていられなくなったらしい魔王は、再びピンクの光を私の方へと向けて放つ。
先ほどとは逆に身体が圧縮されるような感覚と共に、私は見慣れた元の女性の身体へと戻された。
「……少し残念ですね。もう少しあの視点でメイを見ていたかったのですが。」
「い、いやぁ……やっぱ同じくらいが一番だと思うよ俺は……?」
高い視点を惜しむ私に苦笑するメイを見て微笑んでいると、魔王が地団駄を踏むように暴れまわる。
メイが私に触られ可愛い反応をするのは、自分の中のかっこいい兄のイメージを汚されるようで我慢ならないのだろう。
「はぁっはぁっ……どうしてお兄ちゃんは男に戻らないの!?」
「それは俺にもわかんないけど……でもな、雪。兄ちゃんそういうのは本人に許可なく勝手に変えちゃダメだと思うぞ?」
何も上手く行かず半狂乱な妹に対し、悪意と容赦のない正論を叩き込む兄。
結果として何故か効かなかったので良かったものの、もし効いていたら今頃魔王はメイを拉致くらいはしていただろうか。
「う、うぅ……!で、でもでも!お兄ちゃんは男に戻りたいよね!?そっちのほうが絶対良いよね!?」
「えぇ?うーん……そうだなぁ……。」
自らの行いをなんとか正当化したい様子の魔王が、メイへと半ば強引に同意を求めるような聞き方をする。
しかしメイは即座には回答できないようで、悩ましげな声を上げながら何度か首を傾げるばかり。
「別に……今のところ特別、身体が男じゃなくて困ってる事ってあんまり無いし……。」
「何で!?そんなのおかしいよ!?絶対おかしい!」
苦笑しながらそう答えるメイに、魔王は理解できない様子で反論する。
だが本人がそう言っているのであれば、そうなのだろう。
「っていうかお兄ちゃんが男に戻ってくれなきゃ私が困るの!ねぇだからお願い!お兄ちゃん!」
「……何故メイが男性でなければ困るのですか?」
「ッ……それは……えっと……。」
まるでお強請りでもするように胸の前で手を組んで、メイへと懇願する魔王に私は冷静に問いかける。
別に結婚するというだけならば私とメイのように肉体が同性同士でも何ら問題は無いはずだ。
にも関わらず、ここまで魔王がメイの身体を男性へと戻す事にこだわる理由は何だろうか。
魔王は聞かれたくない事を聞かれたような表情で、言葉を詰まらせる。
「……ッああもう!うるさいうるさい!だいたい女の子同士でくっついてどうするの!?」
「結婚したって意味ないのに!子供だって作れないしさぁ!」
随分と追い詰められたような余裕の無くなった様子で、魔王は叩きつけるように叫ぶ。
そこで私は初めて、彼女の結婚観や家庭という物の形の捉え方の狭さに気がついた。
ああ、彼女はメイが思っているよりは大人でも、私が思っているよりは子供なのか。
「……だからメイを男性にしたいんですね。メイと結婚して、子供を作りたいから。」
「子ど……ッ!?!?」
「……。」
ここまで来てようやく事の重大さに気がついたらしいメイと、図星を指され黙ってしまう魔王。
しかしその感情や感覚が、理解できないわけではない。そのための手段は別として、だが。
「……でもそれって、本当に幸せでしょうか?例え男性と女性でも子供を作れなければ、幸せと呼べないのでしょうか?」
「貴女は強大な力を持っている割に……随分と小さな事に拘るのですね。」
「ッ……!」
俯いたまま私の言葉に苛立ちを隠せない魔王の氷角が、パキパキと音を立てて伸びていく。
そんな中、私は静かにメイの方へと近づくとそっとメイの腰を抱き寄せる。
するとメイもまた私の腰を抱き寄せて、互いを支え合うような形で魔王を見つめる。
「……雪。ごめんな。雪の気持ちは痛いほど伝わったけど、兄ちゃんはそれには応えてやれない。」
「だって俺達……勇者とか魔王とか、男とか女とかの前に……たった2人の兄妹だろ……。」
「だから……。」
メイがそっと魔王の頭へと手を乗せると、それまで刺々しく伸びていた氷角にヒビが走り崩れていく。
そして崩れ落ちる氷角と一緒に、今度は偽りのない本物の雫が床へと零れ落ちた。
◆◆◆
あれからしばらくして、魔王もそろそろ落ち着いただろうかという頃。
一旦魔王の部屋から別室へと移動していた私達は、魔王の様子を見に再び彼女の元を訪れる。
「……雪、兄ちゃんだけど。入ってもいいか?」
「……いいよ。」
扉をノックするメイが静かに尋ねると、少しの間を置いて返事が返ってくる。
今彼女がどのような気持ちなのかは声だけでは判断できないが、少なくとももう泣いてはいないようだ。
恐る恐ると言った様子で僅かに開けた扉の隙間から部屋の中を覗こうとするメイの背中を、私はそっと押す。
「……さっさと入ってください。後がつかえてますので。」
「っご、ごめん……。」
苦笑しながらそう小さく謝罪するメイの気持ちは、もちろん理解しているつもりだ。
あんな事があった後なのだから、当然顔を合わせづらいのだろう。
「……お兄ちゃん。」
「雪……。」
大きなベッドに腰掛けたまま静かに扉の方へと顔を向ける彼女。
その顔には僅かに、涙が流れたであろう痕が白い筋となって残っている。
彼女の隣へとメイがそっと腰掛けるのを見て私は少し迷ってから、彼女を挟むように反対側へ腰掛けた。
その方がきっと、嫌いな私を視界に入れなくて済むだろうから。
「……もう大丈夫か?」
「うん……。」
優しく魔王の背を撫でながら問いかけるメイに、魔王は短く返事をして頷く。
涙こそ流しては居ないが、やはりその表情はどこか沈んでいる。
まだ彼女には報告しなければならない事があるというのに、この雰囲気ではとてもではないが言い出せない。
「……雪は、さ……何で兄ちゃんと結婚したいと思ったんだ?……もちろん、雪が兄ちゃんの事を大好きでいてくれてる事は知ってるつもりだけど……。」
「それは……、っ……。」
メイは優しく背を撫で続けながら魔王へと問いかけるが、そう簡単に答えられるような物でも無いようで、彼女は再び沈黙する。
そもそも彼女はいつから兄をそういう対象として意識していたのだろうか。
この感じからすると、前の世界で離れ離れになるより前にはそうだったのかもしれないが。
だからこそ、なのだろうか。
「……小さい頃からずっとお兄ちゃんが好きだったの……優しくて、かっこよくて……私だけのお兄ちゃん……。」
「でも私……わかっちゃったから……この気持ちは出しちゃいけないんだって……。」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ彼女の目に、再び涙が浮かび始める。
今と違って前の世界では文字通りの血の繋がった兄妹であり、それが決して叶えられない願いである事を彼女自身も理解していたらしい。
「だから……一度は諦めようとしたんだけど……なのに、急にこっちに喚ばれて……もうお兄ちゃんと会えないって思ったら、私……っ。」
「もっと……もっとちゃんとお兄ちゃんに、自分の気持ちを伝えておけばよかったなぁ……ってすっごく後悔して……。」
膝の上で小さく握られた震える拳にメイがそっと自らの手を重ね、包み込むように握る。
途端、そのメイの手の甲へと大粒の涙が数滴、ぽたぽたと落ちていく。
「……お兄ちゃんともう1度会えるかもしれない、ってなった時……もし会えたら次は絶対後悔しないように……ちゃんと自分の気持ちを伝えよう、って思ったの……でもね。」
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだから……私が勇気を出して伝えたって、きっと私の思うようにはならないって分かってたから……。」
そこまでの彼女の気持ちを聞いて、私は軽く手で額を抑える。
それはつまり兄という存在をずっと昔から理解しているが故に起こった、選択の誤りだからだ。
私がメイに行動で示せと言ったように、彼女は自らの行動によってメイに気持ちを伝えようとしたのだろう。
少々それは、強引な方法だったかも知れないが。
「……キセージジツを作っちゃえば、いくら鈍感なお兄ちゃんでも……分かってくれるかな、ってさ。」
「っ……。」
最愛の妹にそこまで言わせてしまったという後悔なのか、メイは自らの口を強く押さえつけながら何とも言い難い表情で床を見つめ始める。
要するに彼女は最初からメイの合意など求めるつもりは無く、メイを男性へと変えた後は強引な手段を使ってでも引き止めるつもりだったのだろう。
「でも、もういいんだ……。結局お兄ちゃんにはあの魔法も効かなかったみたいだし。はーぁ……いい考えだと思ったんだけどなぁ……。」
「私の計画、なんにも上手く行かないねっ……。」
無理矢理にでも明るい調子を作って笑って見せる彼女の目からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ続ける。
そのあまりに健気で痛ましい姿に、やめておけばいいのに私は思わず口を開いた。
「……私は貴女が羨ましいですよ……生まれた時からメイと家族だなんて。」
「もっと誇るべきではないですか?メイの妹という唯一無二の立場を。」
自分でも憎まれ口だと理解した上で、彼女へと私の本音をぶつけていく。
もちろん彼女は突然口を挟んできた私に対し、手で涙を拭って少し睨みつけるような表情を向けてくる。
とりあえずこれで泣き止ませる事はできそうだ、となればもう一押し。
「ですが残念ですねアルシエラ……私はメイの妹にはなれませんが、貴女の姉にはなれます。」
「……え?」
言葉の意味が理解できなかった様子の魔王が、怪訝そうな表情で私をじっと見る。
彼女とメイは兄妹。そして私が彼女の姉になると言うのはつまり──。
「……私、この度メイと結婚する事になりましたので。」
はっきりと彼女へと私がそう告げた、瞬間。
室温が一気下がったような、猛烈な冷気が彼女を中心に発生する。
「えっちょベレノ……冷たぁッ!?」
背中に手を置いていたメイが思わず離してしまうほどの冷気を身に纏い、先程まで泣いていた筈の彼女は全てを凍らせるような冷たい目で私の方を見る。
そしてその頭部に伸びる氷柱のような鋭い角は、これまで見た中で一番殺意に満ちた形状をしていた。
「……お兄ちゃん?どういう事?」
私に対し嘘だと疑うよりも先に、彼女はメイの方をゆっくりと振り向いて問い詰める。
それはある意味では兄への信頼の現れだろうか。
「い、いやーその……この間、ちょっと……な?」
「な?じゃないよお兄ちゃん!私とは結婚できないって言ったくせに!このヘビ女とは結婚するの!?何で!?おかしいじゃん!」
「ヘビ女に何か唆されたの!?そうなの!?そうだよね!?お兄ちゃん!?」
凄まじい剣幕でメイの両肩を掴みながら激しく前後へと揺らす魔王と、困り果てた表情で目を泳がせるばかりのメイ。
完全にヘイトを押し付けてしまったが、メイならもうしばらくは大丈夫だろうか。
「……元はと言えば、貴女が見知らぬ魔族と結婚すると言ったのが原因ですよ。」
「えっ……。」
投げっぱなしでは流石に可哀想なので、せめてものフォローとしてメイが私へと求婚するに至った要因の一つを彼女へ教える。
もちろんそれが直接的な理由ではないだろうが、メイの考えを改めさせる要因になった事は確かだ。
「じゃっじゃ、じゃあ!私魔族のヒトと結婚するのやめるから!今からでも私と結婚しよ!?女同士でもいいから!!ね!?お兄ちゃんっ!!」
「そういう問題じゃぁ……。」
あまりに必死な様子の妹に強く言い返せず、メイは困ったような苦笑いを浮かべるばかり。
そこへまたも隣の部屋からジーニアが現れて、軽く咳払いをする。
「……少々身勝手が過ぎますぞ、アルシエラ様。……もう既にアルシエラ様との婚約と新たな魔王の座を求めて、魔界中から腕に自信のある魔族達が武道会へ集まってきているのです。」
「例え結婚を取りやめるとしても、彼らに対して一体どのようにご説明なさるおつもりですかな……?」
「そっ、それは……えっと……。」
いつもならば味方をしてくれるはずの側近にまでそう苦言を呈されてしまって、魔王は完全に行き詰まる。
そういえば魔界一武道会なる謎の大会が開催されているのだったか。
目的は恐らく新たな魔王となる者の実力を知らしめる事によって、件の魔族のような無用な襲撃者を防ぐ狙いがあるのだろうが。
「お゛、お゛兄ちゃん……っ!!」
「あーもう……うーん、そうだなぁ……素直にごめんなさいして、許してもらえそうな感じ?」
「まぁ無理でしょうね。最悪、大会参加者が全員反逆者に変わるでしょう。」
「それらを力でねじ伏せることはアルシエラ様なら可能でしょうが、その後しばらくは魔界が荒れるでしょうなぁ……。」
再び泣きそうな声でメイへと泣きつく魔王の頭をメイは優しく撫でながら、私とジーニアへと意見を求める。
ここまで大々的に開催されてしまっている大会を、魔王の都合で無かったことになどすれば不満が噴出するのは当然だろう。
やはりここは魔王としての責任を取って、彼女には魔族と結婚してもらうしか無いのだろうか。
「……とはいえ、メイとしても可愛い妹がどこの馬の骨とも知れない魔族と結婚するのは嫌なのでしょう?」
「そ、それはもちろん、嫌だけど……!」
「お兄ちゃん……!」
兄が自らの結婚話に実は反対だったという真実を耳にして少し嬉しそうな反応を見せる妹と、どこか恥ずかしそうな兄。
初めて話を聞いた時には食事が喉を通らなくなるほど意気消沈して、この世の終わりのような表情をしていたくせに。
「だったら……優勝するしか無いんじゃないですか?あなたが、大会に出て。」
「お、俺が……!?」
本当はこんな事を提案したくはないのだが、魔王にとって今考えうる最善の策があるとしたらこれなのだろう。
メイが大会に出て優勝し、その上で魔王との結婚と魔王の座を貰う権利を放棄する。
もっとも、強者揃いの魔族だらけの大会に出てメイが優勝できるかどうかは別の問題なのだが。
「そちらも……魔王はアルシエラのままで、何も問題は無いのですよね?」
「ええ、もちろんでございます。魔界の原則は弱肉強食。頂点に君臨する者が最も強ければ、それだけで世は安定するのです。」
「ま、もしご参加なさるのであれば、特別シード枠として今からでもテンセイ殿の参加枠を作ることくらいは可能でしょうな……。」
魔王の側近であるジーニアの方へと顔を向け、魔界側としても彼女が魔王であり続けるほうが都合が良い事を再確認する。
どう転んでも彼女にとっては少々可哀想な結果になるかもしれないが、元はと言えば彼女自身が蒔いた種だ。
「……そういう事ですので。どうしますか?あなた達は。」
私は小さくため息をついてから兄妹へ向けての意思確認をする。
なんとかして妹の結婚を阻止したいどうしようもないシスコンの兄と、どうにかして各方面から怒られるのを回避したい妹。
取れる選択肢は、そう多くは無いだろう。
「……俺、大会に出るよ。それで優勝して、雪を誰にも渡さないようにする!」
「ええ、頑張ってください。……そちらは?」
「私は……う、うぅぅ……っ!」
案の定大会へ出て妹の結婚を阻止することを選んだメイに対し、魔王はぐずる子供のように頭を抱えて唸る。
実際の所メイが優勝した場合は最愛の兄に再び結婚を断られる事になり、メイが優勝できなかった場合はどこぞの魔族と結婚する羽目になる。
そしてそれらを拒否して知らぬ存ぜぬを押し通せば、兄や側近に叱られる上に魔族全体からの反発が強くなる、という実質的な詰み状態なのだ。
「……お兄ちゃんが優勝できるように……応援、する……。」
深い深い溜め息を吐いた後、物凄く不満そうな声で魔王はそう宣言した。
優勝しても断られると分かっていてする応援程、不毛な応援も無いだろう。
「……では、決まりましたね。メイは大会に出て優勝を狙い、私達はそれの支援や応援を行います。」
「予定では明後日には準決勝が行われるようですから……差し込むとしたらそこになるでしょうなぁ。」
うんうんと頷きながらメイは立ち上がり両拳を固めてやる気に満ち溢れたようなポーズを取っている。
しかし途中で何かに気がついたようで、一旦座り直した。
「……そういえば、その元々雪と結婚予定だった例の魔族って……?」
「もちろん大会に出場なされてますよ。既に明後日の準決勝への進出も決まっておられるようですし……実力は確かかと。」
最初に魔王が結婚するという話を聞いた時に、その結婚相手として上がっていた筈の謎の魔族についてメイが尋ねる。
どうやらその魔族も魔界一武道会に参加しているらしい。実力を示すための大会なのだから必然ではあるのだが。
「そっちはシード枠では無いのですね……?」
「こちらからご提案もさせていただいたのですが……自らの力で勝ち上がらねば意味が無い、とお断りになられましてな。ふぇっふぇっ。」
どこか楽しそうに笑いながら説明するジーニアの表情は、まるで戦いを楽しんでいるようにさえ見えた。
わざわざシード枠を蹴ってまで挑むのだから、その謎の魔族には余程の自信と実力があると見て良いだろう。
「結構強そうだな……勝てるかなぁ。」
「頑張ってお兄ちゃん……!お願い!私の為に……っ!」
「っ!そうだよな!兄ちゃん頑張るからな!うおおーっ!」
不安げな様子で弱音を吐くメイを、魔王は手を組んで懇願するように応援する。
するとメイは一瞬でやる気に満ち溢れた表情へと切り替わり、雄叫びを上げた。
かくして我らが勇者様は魔王である妹の結婚を阻止すべく、魔族だらけの大会へと緊急参戦する事になったのだった。
まったく、本当に変な兄妹だ。




