第11話『きらきらともふもふ』
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。身長はだいたい160cmくらい。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。ボディタッチ(尻尾巻き付け)は良くするくせに、言葉では言わないタイプのこじらせラミア。朝食はパン派。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。身長は162cm。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。天然たらしの側面があり、ベレノの情緒を狂わせる。しかしこっちはこっちでだいぶこじらせている。色々な好意を向けられている事には気づいているが、どう向き合って良いのかわからないでいる。朝食は米派。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。身長147cm(角を含まない)。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっているが、本人は魔王の座にはあまり執着が無い。今回は出番がない。朝食は食べない派。
レイラ&ライラ:レイヴィアの港町で営業している宿屋『ねこだまり』の看板娘達。灰色混じりのサバトラ柄のネコ系獣人。2人とも身長150cm足らずくらい。糸目のほうがレイラ、ジト目の方がライラ。食堂ではホール担当がレイラ、キッチン担当がライラ。朝食は魚派。
第11話『きらきらともふもふ』
昨晩遅くに2番目の目的地であるレイヴィアの港町へと到着した私達。
泊まれる宿を探し求めて寒い夜のレイヴィアを彷徨っていた所、とある宿屋の店主のご好意で幸運にも寝床を確保することができた。
宿屋の店主の孫であるという獣人族の双子姉妹レイラとライラの部屋を借りるという形になったのだが、私は双子のそのあまりの仲の良さに少々驚かされる事となった。
そんな私を置いて先に眠ってしまったメイをその胸に抱きしめながら、私はやや悶々とした気持ちで眠りについたのだった。
そして、今朝。
「……魚?」
どこからか漂ってくる魚を焼いているような良い匂いで、私は目を覚ました。
そんな私の腕の中には未だ眠りこけているメイの姿があり、そのあどけない寝顔を見ていると自然と心が安らぐ気がした。
私はメイを起こしてしまわないように気をつけながら、ゆっくりと身体を起こす。
双子の姿は既に部屋の中に無く、どうやら先に起きてどこかへ行ったらしい。
いや、むしろ私とメイが寝すぎただけかもしれないが。
「……、……。」
すぐ隣ですやすやと寝息を立てるメイの顔を静かに見つめながらも、私はメイを起こすべきかどうかと思案する。
とりあえずは無事にレイヴィアへと辿り着けたのだから、もう少しくらい寝かせておいても良いだろうか。
だってメイは、こんなにも良く眠って──。
気がつけば私の右手は無意識のうちにメイの頬へと伸ばされ、その滑らかな肌をそっと指先でなぞるように撫でる。
「ん……。」
頬を撫でられくすぐったさを感じたらしいメイが、小さく声を漏らしてもそもそと体勢を変える。
そのあまりに無邪気で無防備な寝顔に、私は小さく息を零す。
これではもし誰かに寝込みを襲われでもしたら、一溜まりもないだろうに。
今回は宿屋だから良いものの、今後馬車の中や野宿をする事になった時の事を思うと少し心配になってしまう。
単にお嬢様育ちのメイには元からそういう警戒心が無いのか、それとも私の前だから安心して眠ってくれているのか。
もしそうだとしたら、それ程嬉しいことは無いのだけれど。
「メイ……。」
私は静かにメイの名前を呟きながら頬から輪郭へと指を滑らせると、その下唇へと親指の腹でそっと触れる。
指先にかかる少し湿り気を帯びたようなメイの寝息が、くすぐったい。
こんな事をされても起きる気配の無いメイに、私の中の邪な感情が顔を覗かせる。
ふにふにとしたメイの柔らかな唇。もしこれを独り占めできたのなら。
「っ……。」
脳裏に不意に浮かんだ昨晩の双子の仲睦まじい姿に、危うく理性を溶かされそうになる。
いくらメイが無防備に寝ているからってそんな事は許されない、筈だ。
そう心に言い聞かせているのに、何故か私の頭は吸い寄せられるようにメイへと近づいていく。
唇は当然ダメだとしても、もしかして頬にくらいなら良いのでは無いか。だってほら前にも頬には一度しているわけだし。
そんな都合の良い言い訳で自分を正当化して、ゆっくりゆっくりとメイの頬へと自らの顔を近づけていった、その時。
「おっはよーにゃー!」
「ッ!?」
元気な挨拶と共に扉を勢いよく開けて登場したのは、昨晩部屋とベッドを貸してくれた双子の獣人姉妹の元気な方こと、レイラだ。
そしてその声に驚き咄嗟に誤魔化そうとした私の唇は、狙いが大きく逸れ思いも寄らない場所へと小さく音を立てて着弾する。
「……ひぁっ!?」
「あっ!?」
寝ているところに耳へと突然の刺激を受け、耳を押さえながら飛び起きたメイとそのメイに頭突きをされる私。
「なっ何!?何だ!?」
「っ……!」
「にゃにゃ……?!」
寝起きでパニック状態のメイをなだめようとするものの、思いのほか不意に食らった頭突きのダメージが大きく、私は顔を抑えたまますぐには動けない。
ダメだ、メイがボロを出す前に口を塞がないとレイラに怪しまれる。
「ッ……メイ……!」
私は混乱するメイの頭を両手で掴むと、そのまま引き寄せて力いっぱい抱き締める。
ちょうど私の胸に顔を埋めさせて、メイの口を塞ぐように。
「もがっ……!?」
ばたばたともがくように暴れるメイだったが、次第に落ち着いたのか魔力の切れた魔法人形のようにスンッと動かなくなる。
「……にゃは。お邪魔しちゃったかにゃ~?」
「……いえ、おはようございます。レイラ。」
やや気まずそうに苦笑するレイラに私は朝の挨拶を返しつつ、そっとメイの頭を撫でてから解放する。
流石にメイも、もう十分落ち着いただろう。
「お、おはようございますわ……。」
他の人の目がある事を理解したらしいメイがレイラへと取り繕った挨拶をするが、その顔は何故かやけに赤くなっている。
強く抱き締めすぎて、苦しかったのだろうか。
「にゃはは~。ふたりは朝からラブラブにゃ~?」
にやにやとした笑みを浮かべながらこちらを誂うように笑うレイラに、私とメイは一瞬顔を見合わせた後互いに目をそらす。
「……あ、そうにゃ。朝ごはんができたって教えにきたのにゃ!」
「焼き魚にゃ!冷めないうちに食べるのにゃ~!」
レイラはそれだけ伝えると、足早に去っていく。
どうやらさっき漂っていたのは、やはり焼き魚の匂いだったらしい。
しかしメイは焼き魚よりさっき不意打ちを受けた右耳が気になるようで、耳を触りながら私の方を見てゆっくりと口を開く。
「……なぁベレノ、さっき俺が寝てる時──」
「いいえ、何も?」
さっきの事を質問しようとするメイの言葉を遮るように私はやや早口で答えを返す。
「そ、そっか……じゃあいいけど……。」
そんな私に気圧されたらしいメイは、ただただ苦笑いを浮かべるのだった。
◆◆◆
レイラに呼ばれ宿屋の食堂へとやってきた私とメイは、所狭しと並べられたテーブルと椅子の1つを選んで席につく。
食堂の奥にあるらしいキッチンの方からは、先程よりもはっきりと焼き魚の香ばしい匂いが漂ってきていた。
「あー……腹減るな、この匂い……。」
焼き魚の匂いに空腹感を刺激されたらしいメイが、年季の入った木製テーブルに顔を伏せながら小声で呟く。
一応食堂では他にも何名かの宿泊客が朝食を食べているため、念の為に声量を落としているようだ。
それにしても何だか、やけに男性客が多いような気もするが。
「焼き魚……白飯……お味噌汁……くぅぅ……!」
伏せたままのメイが呪文のように何かの料理名を羅列する。
それ程までにその料理達は美味しい物なのだろうか。もし機会があれば食してみたい所だが。
そこへキッチンの方から大きなトレーを抱えたレイラが駆け足で飛び出してくる。
「はいにゃ!お待ちどうさまにゃ!骨に気をつけてたべるのにゃ~!」
素早い動きで私達の前へと焼き魚とちょっとしたサラダが乗ったお皿を置くと、一目散にキッチンへと戻っていくレイラ。
何とも忙しないがその小さな身体で元気に働く愛らしい姿を見ると、ほっこりとした気持ちになる。
「さぁメイ、顔を上げてください。冷めない内に食べましょう?」
頭をぽんぽんと優しく叩くと、メイがもそりと顔を上げる。
魚は先に開いてから調理されたようで、私の知る魚丸ごとの焼き魚の姿とは少し違っていた。
しかしこれはこれで骨の位置がわかりやすくて、食べやすいかも知れない。
「見た目も匂いもサバっぽい白身魚だが……とりあえず、いただきます!」
「いただきます。」
焼き魚を少し観察するようにしてから手を合わせるメイに、私も続いて手を合わせ食べ始める。
フォークを骨の隙間に差し込んで浮かせるように少し動かすと、簡単に骨が外れた。
魚といえば細かい骨が多く腸などの食べづらい部分もあって少々苦手意識があったのだが、これなら全然食べられる。
「フォークで焼き魚か……何かやっぱ違和感あるよなー……。」
「……?メイはナイフ派ですか?」
いまいち良くわからない事を口にするメイに、私は小さく首を傾げて問いかける。
ナイフかフォークかなら、フォークのほうが身を解しやすいと思うのだが。
「あーいや、前の世界……っていっても俺が住んでた国ではだけど、基本的に食事はこう……細長い2本の木の棒を使って食べてたんだよ。お箸、っていうんだけど。」
「2本の木の棒……オハシですか。」
何となく頭の中で想像をするが、それこそ魚丸ごとの焼き魚を調理するために手頃な木の棒を串代わりに使うようなイメージしか私にはできない。
メイの話を聞く限りでは結構食文化が栄えているような感じだったから、そこで誕生した独自の食器類だったりするのだろうか。
「そう、色んな使い方ができる結構万能なやつで、切ったりつまんだり……こういう魚なんかの骨とか除けるには最適なんだよ。」
「なるほど……メイの居た国では魚が主食だったのですか?」
「ああいや、主食……っていうとどちらかと言えばコメが主食なんだけど、昔から魚と米を一緒に食べる文化があったみたいだ。寿司とか。」
「スシ……?」
また知らない名前の料理が出てきたな、と思いながら私は解し終わった魚の身をサラダの葉物に包んで口へ運ぶ。
私にとっての主食と言えばやはりパンのイメージだが、パンと魚はあまり見る組み合わせではない気がする。
「こう……米をな、これくらいの大きさに丸めて、その上に魚を乗せるんだ。……で、そのまま一緒に食べる。」
そう言ってメイはサラダについていたマッシュポテトを少しより分けてコメに見立てた後、その上に魚の身を乗せて食べた。
今メイは器用にフォークに乗せて食べてみせたが、確かにメイの言うスシがそういった形状なのであればオハシでつまむ方が口に運びやすく、指でつまんで食べるより衛生的かも知れない。
「……どうですか?コメの代わりに芋を使ったスシのお味は?」
「……悪くはないけど、やっぱだいぶ違うな。」
◆◆◆
食堂での異世界の食文化談義を交えた朝食を終えた私達は、1日でこの広い街を調べ回るのは無理だろうという事で、今夜も同じ宿に泊まる事にした。
もちろん今晩はちゃんと客用の部屋を取れたので、双子からベッドを奪う心配は無い。
今はとりあえず海を見に行こうという事で、街の一番海側の通りを目指し移動している所だ。
魔王との朝の定期連絡も、さっき宿屋を出た直後に済ませたのでしばらく邪魔は入らない。
「そういえばあの宿屋、ねこだまりって名前の宿だったんだな。」
「そうですね。昨晩は暗くてよく見えていませんでしたが、看板もさっき見たらネコの形をしていました。」
従業員として働いている姉妹も店主のお婆さんも皆ネコ系の獣人族だったので、まさしくと言った名前だろう。
個人的には普通のネコが居なかったのが少し残念ではあったのだが。
「……メイはネコ派ですか?それともイヌ派ですか?」
「ん?そうだなぁ……うーん……ネコも嫌いじゃないけど、どっちかっていうと……イヌ派、かなー。ベレノは?」
私の何気ない質問にも真剣な様子で答えてくれるメイに、私は小さく笑う。
「私は断然ネコ派ですね……気まぐれな所が可愛いです。」
「あー、わかるかも……。」
などと他愛もない会話をしながら移動していた私達の視界が、通りの角を曲がった途端に一気に明るくなる。
「うわっ!眩し……っ!」
メイと同じように咄嗟に手を顔の前に翳し、私はその光を遮る。
少ししてその明るさに目が慣れて来て、やがて遮った自らの指越しに向こう側の景色を認識する。
「……これが、海。」
燦々と降り注ぐ朝の日差しを揺れる水面が天然の鏡のように反射して、通りに面した建物や行き交う人々を明るく照らしていた。
なんとも綺羅びやかで眩い光景だろうか。海岸線と呼ぶには少し人の手が入りすぎているようだが、これでも十分私には新鮮だ。
「うおー……海だ……!……ん。ベレノ!あっちの方に何かたくさん船が並んでるぞ!行ってみよう!」
「ちょ、ちょっとメイ……!?もう……ふふっ……。」
もう少しくらい海を眺めていたかった気もするが、何かを見つけたらしいメイが私の手を引いて駆け出してしまう。
子供のようにはしゃぐメイの後ろ姿に、私はついつい笑みを浮かべる。
「……凄いですね、船がこんなに……。」
引っ張られてついた先は、どうやら地元の漁師達や他所から来た船を停めるための波止場のようだった。
形や大きさも様々で如何にも漁船と言った感じの程よいサイズ感の船もあれば建物と見紛うような巨大な船まで、かなりバラエティに富んだ船が並んでいる
各船の側にはその乗組員らしき人々がおり、重そうな荷を船に積み込んだり逆に下ろしたりと忙しそうに働いているようだ。
今まで船といえば湖に浮かべる手漕ぎボートくらいしか見たことの無かった私は、言葉というか語彙を失ってそのままの感想しか口にできない。
ここには海岸線を見に来たつもりだったが、正直な所それどころでは無いような慌ただしさだ。
「すっげぇ……何かの映画で見た海賊船みたいな船だ……。」
メイはメイで何処か独特な感想を漏らしながらも、大きな船に見とれている。
あの大型船は何だろうか、やけにたくさん十字の柱のような物が船上から伸びているようだが。
「メイは、ああいった船を見たことがあるんですね。」
「ん、そうだな。俺の居た世界でも昔はあんな感じの船が使われてたらしいし……まぁ本物は見たこと無いけど。」
昔は、という事は今はもっと違う形の船が主流になっているのだろうか。
流石にボートと比べるのはあれだが、あの船も私には十分立派に見えるのだけど。
「あれは確か……帆船って部類の船だったか。あの十字になっている所に風を受けるための大きな布を張って、その力で進むんだってさ。」
「風で……?」
メイの言っている原理は何となく理解できるものの、あれほど大きな船が風の力だけで海を進むなんてにわかには信じがたい。
あんな大きな物を自在に操るには、きっと馬車の操縦などとは比べ物にならないような激しい訓練が必要なのだろう。
先程から船に出入りしている船員らしき男達が誰も皆、屈強な身体つきをしている事からも良く分かる。
「……んっ!?あれってまさか……!」
「えっ?メイ……!?」
しばらく呆然と船を眺めていると、メイが突然何かに気がついたように走り出す。
そんなメイに驚きながらも、私は慌ててメイの後を追いかける。
一体何を見つけたと言うのだろうか。
「……すみません!ちょっと良いですか!」
そう言ってメイが声をかけたのは今しがた船から降りてきたらしい、あまり見慣れない服装をしている男性。
その肩にはどこかで見たような形をした枯れ草色の荷物が担がれている。
「ん?何だい異人さん。今忙しいんだが……。」
「そ、それってもしかして……お米っ!ですか!?」
重そうな荷物を軽く担ぎ直しながら返事をする男性に、メイが興奮気味に問いかける。
オコメ?この大きく重そうな荷物が?前にエヴァーレンスで手に入れたものよりも何倍も大きいように思うけれど。
「ん、ああそうだが……。」
「っ!やっぱり!あの、それっ──!」
男性が肩に担いでいるそれがコメである事を肯定すると、メイの表情が一気に明るくなる。
そしてその興奮冷めやらぬままにメイが何かを口にしようとした、その時。
「こりゃーっ!そこ!サボるでないぞ!」
「……うぉっと、いっけね!悪いね異人さん!」
どこからか子供のような声が鳴り響いたかと思うと、男性は慌てた様子で荷物を再度担ぎ直して走り去ってしまう。
今の声は一体どこから。それにしても随分と子供っぽい声だったような。
しばらく周囲をキョロキョロと見回して、やがて私は先程の男性が降りてきた船の、先端部分に小さな人影を発見する。
「……!メイ!あそこを見てください!」
「え?どこだ……?って、あ!」
私がメイにそう伝えながら指差したその先には、大きな船の先端部分に器用に立つ白髮の小さな少女の姿があった。
さっきの声はあの少女の物だったのだろうか。それよりもあんな所に立って、危険ではないだろうか。
「あの子も船の乗組員でしょうか……さっきの男性と似た雰囲気の服装ですね。」
「そうだな……着物というか和服っぽいような……。」
メイの呟いた聞き慣れない単語に私が小さく首を傾げていると、指差すこちらに気がついたらしいその少女が船の先端からこちらをじーっと見つめ返してくる。
「……み、見られてますよメイ。」
「ど、どうしようベレノ?挨拶したほうが良いか……?」
二人して謎の少女の視線におろおろと取り乱していると、何を思ったのか一瞬目を離した隙に少女が突如として船の先端から飛び降りてしまう。
「えっ!?」
「ちょっ……!?」
突然の出来事に完全に固まって動けない私に対し、メイは落下する少女をキャッチしようと即座に駆け出す。
しかし流石のメイでも、あの距離では間に合わない。私がそう思って咄嗟に目を逸らしかけた、次の瞬間。
「ァオーン!」
「んぇっ!?」
獣が吠えるような声と共に白くて大きな謎の影が現れ地面と少女の間へと滑り込むと、その背で落下してきた少女を受け止める。
そして必死に走っていたメイは急には止まることができず、突然現れたその白い謎の影へと勢いよく突っ込んでしまう。
「メイ!?」
程なくしてそのやけに弾力のある影に押し返され尻もちをついたメイを見て、私は慌てて駆け寄る。
次から次へと一体何だというのか。
メイに手を差し伸べながら改めてその少女と謎の影の方を確認すると、それはあまりに大きな──犬だった。
「……何をしておる。そこの異人の女達。」
謎の影改め巨大な白い犬の背中に跨ったあの少女が、どこか冷ややかな赤い目で私とメイを見下ろして居た。
見た目10歳前後くらいだろうか。眉の上でぱつりと横に真っ直ぐ切り揃えられた前髪が特徴的なその少女は、じろじろと怪しむような視線を私達へと向けてくる。
「何って……貴女が急に船から飛び降りたから、メイはそれを助けようと……!」
「……はぁん?誰がそんな事を頼んだ。」
少女はどこか鼻につくような尊大な態度で、嘲笑するように肩を竦める。
ああ、少し私が苦手なタイプかもしれない。
「……いや、びっくりしたけど……まぁとにかく無事だったら良いんだ、で、すわ?」
そんな態度の少女にもメイは腹を立てることもなく、少女の無事を喜ぶように安堵の息を漏らす。
ちょっとそれはお人好しすぎるのでは無いかとも思うが、メイも怪我などはしていないようなのでここはぐっと堪える。
「……それよりも見ていたぞ、貴様ら。先ほど妾の船の者に、何かいらぬちょっかいをかけていたな?」
どこからか取り出した扇のような物を広げて自らの口元を隠すようにしながら、少女は目を細めてメイを責めるように見つめる。
それと同時に少女が跨るその大きな白い犬が、のしのしと数歩その前足を進めてこちらへ迫る。
「ちょ、ちょっかいだなんて……ちょっと質問をしてただけです、ことよ?」
「……ほーう?それはどのような質問じゃ?」
釈明を図るメイだが、以前として少女の懐疑的な目は変わらず。
眼前に迫る大きな犬の嫌に生暖かい鼻息が、私とメイの前髪を揺らす。
下手に動くとこのまま頭をかじられてしまいそうだとさえ思う。
「……お、お米を持っているように見えたので……もしかしてと、思い、ましてぇ……。」
流石の犬派もここまで巨大な犬が相手だと怖さのほうが勝つようで、背中を仰け反らせるように犬の鼻先から逃げる。
だがその時メイの口からオコメという単語を聞いた少女の表情に、ほんの少しだけ変化が表れる。
「……ふん。何じゃ、派手な髪色をした異人の女だと思ったが……米を知っているという事は、多少は妾達の文化について知っておるようじゃな。」
少女がそう言って手にしていた扇をぱちんと折り畳むと、犬が顔の向きを変えてゆっくりと地面へ伏せる。
それから少女がようやく犬の上から降りて来たかと思うと、その木製らしい不思議な靴をカラコロ響かせながら近づいてきて、メイを見上げるように立ち止まる。
さっきは船の上だったり犬の上に乗っていたりでわからなかったがこの少女、私とメイに比べても随分と小さい。
頭一つか二つ分くらいは低いくらいの背丈のようだ。いや、直ぐ側にあまりに大きな犬が居るのでそれも感覚が麻痺しているかもしれないが。
「派手髪の女。名はなんと言う。」
犬から降りても尊大な態度は変わらず、折りたたまれて棒状になった扇でメイを指しながら少女は名前を尋ねる。
見た目は完全に年端も行かぬ少女なのだが、その纏っている雰囲気というか態度からは明らかに只者では無さそうな事がこちらにもひしひしと伝わってくる。
「メ、メイ……メイ・デソルゾロット、です、わ?」
その少女の雰囲気にすっかりと呑まれてしまったらしいメイが、緊張気味な上ずった声で正直に聞かれた名を答える。
すると少女はまた目を細めて、どこか疑るような目でメイの表情を観察している。
緊張できゅっと自らの唇を喰んでいるメイが私へ助けを求めるように、ちらりと目線を送ってくる。
「っ……そちらの名前を教えていただいても、よろしいですか?」
メイからの救援要請に応えるべく、私は勇気を出して少女へと問い返す。
こちらに名乗らせたのだから、そちらも名乗るべきだ。何も間違ったことは言っていない。
「誰が勝手に喋って良いと言った?妾は発言を許可した覚えはないが……まぁ良かろう。では心して聞くが良い、異人の女達よ。」
鋭く突き刺さるような冷たい声と視線がこちらへと向けられ、私は少し硬直する。
一体この少女は何様だと言うのか。あの魔王だってもう少しまともなコミュニケーションを取る気がするが。
「妾こそは天下に轟く天鐘院家が当主、天鐘院 燦光の娘にして、天鐘院家始まって以来の才女!」
「天鐘院 輝晶なるぞ!……我が名をしかと頭に刻め?異人の者らよ!二度は言わぬからなっ!」
ばっと勢いよく扇を開きカグラと名乗る少女が高らかに名乗りを上げると同時に、後ろで伏せていた大きな犬が合いの手のようにワオンと吠える。
そんな自らを才女と自信満々に言うカグラの姿に、私はいつかのメイの自己紹介を思い出していた。
もしかして私が知らないだけでお嬢様ってどこも本来はこんな感じなのかと、雰囲気に呑まれて謎の拍手をしているメイを見ながら少し考える。
「……して、メイよ。お主は米が欲しいのか?うちの米はそう安い物ではないが……金はあるのじゃろうな?」
「え、ええ……!はい、多少は……。」
得意げな顔から、すっと済まし顔へと表情を戻したカグラが、相変わらずの高圧的な態度でメイへと問いかける。
コメがこちらでは希少な物で、驚くような値段がするのは私も知っている。
以前に見たあの小さなサイズであの価格だったのだから、先程船員の男が担いでいたあの大きさとなると……考えたくもない。
「良かろう。それで、どのくらい欲しいのじゃ?1俵か?2俵か?それとももっとたくさんか?」
「え……えーと……?」
聞き慣れない単位が飛び出してきて、どうやらメイもそれがどのくらいの量を指しているのかが良くわからないらしい。
さっき担がれていたあの重そうなのが1つ分だとすると、1個で十分では無いだろうか。
コメを買うにしても量がわからないのであれば迂闊な事は言えない。
ここは怒られるのを覚悟でカグラに直接聞くことにする。
「……その、1ピョウ?というのはどのくらいなのですか?」
「まぁ……そうじゃな、だいたい1俵あれば大人1人が1年喰うには足りるじゃろう。」
また勝手に発言した私へと何か言いたげな目を向けるカグラだったが、今度は私の質問に答えてくれる。
あの大きな包みにぎっしりとコメが詰まっているのだとしたら、そのくらいにはなるのだろうか。
「じゃ、じゃあ1俵……!お願いします、わ!」
「良いじゃろう。……おい!誰ぞおらぬか!」
指を1本だけ立てて注文をするメイへ小さく頷くと、後ろの船へ向かってその身体に見合わぬほどの大きな声で呼びかける。
すると程なくして、最初に見た男性と似たような格好をした船員の男が慌てた様子でどたどたと船から降りてくる。
「へ、へい!お嬢!どうしやした?」
「遅いぞたわけ!米の在庫はまだあるか?1俵分で良いのじゃが。」
十分早かったと思うのだが、カグラはそれでも腹を立てて男の太い腕を畳んだ扇でぺしんと叩く。
屈強な身体つきをした大男が、年端もいかぬような小さな少女に腰を低くしているという奇妙な光景。
先ほど当主の娘と言っていた事やその偉そうな振る舞いから察するに、カグラは結構なお嬢様のようだ。
「米ですかい?米ならさっき下ろした分で最後で……後はあっしらが食う分しか残ってませんぜ。」
「なんじゃとぉ……?妾に恥をかかせるつもりか!?」
「す、すいやせん……。」
売るためのコメはもう残っていないという報告に、カグラは少し眉をひそめて私とメイの方をちらりと確認する。
自分たちが食べる分、という事はこの船員達は日常的にコメを主食として食べているという事だろうか。
国や文化が変われば主食も変わってくるというのは納得できる話だが、我々からするととても贅沢に感じてしまう。
「……仕方あるまい。……というわけじゃメイよ、今お主に売れる分の米は残っておらん!」
「そ、そんなぁ……。」
カグラは小さくため息をつくと、きっぱりとコメの在庫が無い事をメイへと告げる。
これがもしどこかの守銭奴だったなら自分が食べる分まで売りに出していただろうが、流石に船旅で食糧難に陥っては命に関わるのだろう。
手に入ると思った念願のコメがあと一歩の所で手に入らず、すっかりと落胆してしまうメイ。
私はそんなメイの背に手を伸ばして、そっと励ますようにぽんぽんと叩く。
「妾達が次に来るのは2週間ほど後になるが……その時で良ければ改めてお主に売ってやろう。」
「は、はい!是非!……そういえば、さっき運んでいた分のお米はどこかに持って行かれるのですわ?」
次は2週間後だと言うカグラの言葉に、ぱあっと明るい顔をして即答するメイ。
だが私達はまだ旅の途中故に、2週間もここに滞在していられないと思うのだが。
「む。あれか?あれはー……どこに下ろした?」
「あそこですお嬢。ほらあの、料理研究家とか言う変な爺さんの……。」
「ああ!あの偏屈なジジイか。」
船員の男が小声でカグラに耳打ちすると、カグラは思い出したと言うように掌を拳で軽く叩く。
料理研究家の偏屈なお爺さん?その人はコメ料理でも研究しているのだろうか。
「数ヶ月前から下ろしていてな、思い出の米料理を再現するのだと息巻いておったが……結局どうなったのやら。」
「ま、妾としては米が売れるなら後は家畜の餌にしようが構わんがの!くっふっふ!」
折りたたんだ扇をまた開いて、扇ぐようにしながらカグラは高らかに笑う。
その様子から察するに、カグラ自体は別にコメを作っている農家というわけでも無いのだろうか。
まぁ確かに畑作業をしているような感じには見られない。その扇を握る手だって、色白で随分と華奢だ。
その時、カグラの言葉を聞いたメイに電流が走る。
「……もしかしてそのお爺さんの所に行けばすぐにお米が食べられる……?」
真剣な顔つきでぼそりと呟いたメイの声を私は聞き漏らさなかった。
ああまた余計な寄り道が増えそうな予感が。
「あの!その研究家の場所、教えてもらえませんか!?」
「む……それは別に構わんが、妾はどうなっても知らぬぞ……?」
ニヤリとした不敵な笑みを浮かべながらも、カグラは研究家の所在を私達に教えてくれた。
そして私達はカグラに教えてもらったその料理研究家が住んでいるという、レイヴィアの外れへと向かうのだった。




