第1話『旅の始まり』
この作品は『それでも俺は妹が一番可愛い。』(https://ncode.syosetu.com/n5485ii/)のアフターストーリーにあたる外伝作品です。
本編読むのが面倒くさいなって人は、社会人男性の魂を持ってTS転生したお嬢様と、そのお嬢様にクソデカ感情を抱いているラミア娘の百合モノだと思って読んでください。
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。女心に疎く、ベレノの情緒を狂わせる。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっている。取り扱い注意。
モニカ:モニカ・ネクター。年齢ひみつ。勇者パーティの回復担当。守銭奴狐獣人糸目腹黒シスター。メイの姉を自称している。お酒と儲け話が大好き。
ロリカ:ロリカ・スクァマータ。年齢73の竜人の女性。勇者パーティの頼れる盾。詳しい活躍は前作をどうぞ。
シャルム:シャルム・ラヴィーナ。12歳の鳥人の女の子。羽ふわふわのほっぺふにふに。詳しい活躍は前作をどうぞ。
第1話『旅の始まり』
浮遊城での歴史的大事件から、もうすぐ半年が経とうとしている。
あの後すぐに、魔界と地上の世界の間では勇者と魔王をそれぞれの代表として、不可侵条約が締結された。
そしてそれをきっかけに地獄門の自由解放に加え、互いの世界での技術的交友までもが成され始めている。
長らく敵対していた二つの世界は少しずつ、だが確実にそのあり方を変えようとしていた。
そんな変わりつつある世界に対し、私の方はと言えば──。
「っあぁ~~!疲れたぁ~~……っ!」
悲鳴にも似た声を上げながら、天蓋付きの大きなベッドへと勢いよく飛び込む黄色いドレスの少女。
件の事件にて、魔王と一騎打ちし勝利した後に対話によって事態を収めた、という事になっている噂の勇者様その人。
「お疲れ様です、メイ。……ドレスのまま寝転ぶと、またメイドさん達に怒られますよ?」
私はそんなメイの様子を見ながら、小さく笑って言う。
あの一件以来、メイは毎日のようにあちこち引っ張り回されては、会議やらパーティやらに出席させられていた。
かく言う私も今日もメイの付き添いで、一緒にパーティに出ていたのだが。
自分で言うのも何だが、やはりドレスのような綺羅びやかな格好は落ち着かない。
パーティに出るならという事で、メイとお揃いのデザインで色の違う紫のドレスをデソルゾロット家から半年ほど前にプレゼントされていた。
今日もパーティを終えて、今しがた屋敷のメイの部屋へと帰ってきた所だ。
「わかってるよ……わかってるけど……ちょっとだけ、休憩してからぁ……。」
むにゃむにゃ言いながら、メイはベッドの上で仰向けに脱力している。
ドレスが苦手なのはメイも同じようで、パーティの最中もかなり緊張している様子だった。
「そんな事言って……また寝てしまうでしょう?あなたは。」
メイのベッドへとそっと腰掛けると、半年前より少し伸びた綺麗な金の髪を撫でる。
くすぐったいのか、メイはもそもそと頭を動かして此方を向いた。
「……。」
「……。」
ふと互いに目があって、しばし見つめ合うような謎の沈黙が訪れる。
「……やっぱ綺麗だな、ベレノ。……ドレス、似合って……る。」
沈黙を破るようにしてメイから放たれた、眠たげな声での不意の一言。
「っ……そ、そうでしょうか……?……その、えと……あなたも──。」
突然の言葉にドキリとさせられてしまった私は、これ以上無いほどにわかりやすく動揺し視線を泳がせる。
それから何か言い返そうとした所で、メイが眠りに落ちてしまっている事に気がついた。
「……あぁ、もう……。」
なんだか言い逃げされたような気分になって、誰に対してでも無く声を漏らす。
本当にずるい人。
そのまましばらくメイの寝顔を見つめてから、ここ半年で半ば私室と化した客室へと戻ろうかと立ち上がった、その時。
「──おっにいっちゃーん!」
聞き覚えのある声と共に部屋へ魔法陣が出現し、その中から面倒なのが転がり出てくる。
紅眼銀髪に特徴的な氷の2本角、メイの妹の雪だ。
ばっちりと私と目をあわせ、互いに露骨に嫌そうな顔をする事1秒。
「……メイは疲れて寝ています。お静かにお願いしますよ、魔王様。」
自分の唇の前に人差し指を立てて、しーっと魔王へと警告する。
「むう……せっかく会いに来たのに……で?貴女はお兄ちゃんの部屋で何してるわけ?えーと……ダレノさん?」
「ベレノです。……今しがたパーティを終えて帰ってきたばかりでして、少し話をしていた所です。……途中でメイは寝てしまいましたが。」
頬を膨らませ拗ねたような顔をする魔王に対し、少々の苛立ちを覚えつつも私は淡々と説明する。
メイは余程疲れていたらしい。
このままあと十分ほど寝かせてから、起こすのでもいいだろう。
「パーティ!?えー!私も行きたかった~!」
「……貴女だって、様々な関係各所での催し物などに呼ばれているのでは?」
こんなんでも一応は魔王であり、魔界という1つの世界の最高責任者だ。
勇者がそうだった様に、魔王だってそれなりに招待されているはずだ。
もちろん、魔王本人としてでは無いだろうが。
「……はぁ~。わかってないなぁ……ただのパーティじゃなくって、お兄ちゃんと一緒にパーティに行きたかったって言ってるの。」
やれやれと言うような大きなため息とともに言葉を返され、思わず右目の目尻がピクリと一瞬釣り上がる。
だがそう言った意味では、私の方に圧倒的なアドバンテージがある。
何故なら今日もまた一緒にパーティに出て、それもお揃いのドレスを着ていたのだから。
「ふっ……まぁそのうち機会がありますよ。」
私が余裕の笑みを浮かべてそう言葉を返すと、魔王の氷角がパキパキと音を立てて少し伸びた。
少し部屋の気温が下がったようにも感じる。
「……ま、いいや。今のゴタゴタが落ち着いたら後はお兄ちゃんとず~っと一緒だもんね~。」
魔王は上機嫌にその場でくるくると回る。
確かにそろそろこのパーティだらけの日常も、落ち着いてくる頃だろう。
だが、そうなれば次は私の番だ。
「残念ですが、催し物が落ち着いたら私とメイは2人でしばらく旅に出る予定ですので……。」
ちらりと横目で眠りこけるメイの横顔を確認する。
勇者パーティでの旅の最中で確かに約束したのだ、すべてが終わったらメイの時間を私が1年貰うと。
つまり魔王と一緒になるなんて事は──。
そう私が勝ち誇った顔で魔王の方へと視線を戻したその瞬間。
「……は?」
目を大きく見開きながら、部屋の床を満たす程の多量の冷気を溢れさせる魔王。
急激に室温が下がり、その影響からか部屋の照明が明滅する。
隠そうともしない鋭く冷たい殺意が、魔王から私へと真っ直ぐに向けられているのを感じる。
口が滑った、と少し自分の発言を後悔しそうになっていた時。
小さく唸り声を上げて、メイがもそもそと動く。
どうやら急に部屋が寒くなったのを感じて、目を覚ましたらしい。
「……ベレノ……?なんか部屋寒くなッい!?」
ゆっくりと身体を起こしながら寝ぼけ眼で私を見上げて、そんな呑気なことを口走るメイへと何かが凄まじい勢いで飛びかかった。
それはもちろん、魔王だ。
「お兄ちゃんおはよう!起きて!雪、会いに来たよ!」
状況を把握できていないメイへと、魔王はお構いなしに全力で抱きつき頬ずりなどし始める。
さっきまでこちらへ向けていた殺意はどこへ行ったのか、完全に猫を被っている。
それどころか床に満ちていた冷気も、いつのまにやら薄れていた。
「お、おお……雪。おはよう。3日ぶりか?変わりないか?」
そこでようやく状況を理解したメイは、優しく魔王を抱きしめ返しながら頭まで撫でたり。
そんな兄に対し、魔王は尻尾を揺らしながら上機嫌で甘えた声を出している。
私ではああは行かないだろう。そこだけは、少し悔しい。
「うん!でも私寂しかったよ~!お兄ちゃんに3日も会えないなんて……でも魔王としてのお仕事だから、我慢したの!えらい?」
淋しげな顔でそんな事を言いながらも、魔王が一瞬私の方を見て勝ち誇ったような顔をしたのを私は見逃さない。
やはりこの妹、信用ならない。
「そうか……雪はえらいな。立派な魔王様だ。」
「うぇへへ……。」
優しい声色でそう褒めながら、メイはまた魔王の頭を撫でる。
仲睦まじい二人の様子を見て、少しもやもやとした気持ちにならないでもない。
だが今このタイミングで二人の間に割って入るほど、私は子供ではない。
自分にそう言い聞かせながらも、私はその光景から目を背けるようにそっと二人へ背を向けた。
「……あ、そうだ雪。兄ちゃんもう少ししたら、ベレノと二人でちょっと旅に出ようかと思うんだけど。」
背後から聞こえたメイの一言によって、場の空気が再び物理的に凍りつきそうになる。
振り返らずとも私にはわかる、一気に魔王の機嫌が悪くなった事が。
下手をしたらこのまま背後から氷で刺されかねない、とさえ思う。
だが、背後から聞こえてきたのは意外にも涙ぐんだ声だった。
「ど、どうして……?」
予想外の状況に思わず振り返ると、そこにはメイをまっすぐ見つめたまま大粒の涙をぼろぼろと零す、小さな子供のような魔王の姿があった。
こぼれ落ちた涙が凍りつき、氷の粒となってベッドへと散らばる。
そんな姿に、私はちょっとした罪悪感を覚える。
聞けば二人は20年近くも離れ離れだったというのだから、もう二度と離れたくないという気持ちはわからないでもない。
何と説明をするか、それとも今私が口を挟むのは逆効果だろうかと躊躇していると、メイが小さく手を上げて私に何か合図する。
どうやらここはメイに任せたほうが良さそうだ。
「兄ちゃんな、雪を探す旅の途中でベレノと約束したんだ。全部終わったら、1年間俺の時間をベレノにあげるって。」
「い、いちね゛んも゛……っ!?」
優しく頭を撫でるメイの手でなんとかこらえているようだが、魔王は今にも泣きじゃくってしまいそうだ。
そう、私は確かに約束をした。
私の持てる技術を全てメイへ教える代わりに、この旅の後で1年間の時間をもらうと。
それは大婆様と先代の思い出の地を巡るという、本来私が想定していた形とは違うものになったが。
だけどそれは大婆様が最後に私に託した、大切な使命でもある。そう簡単に譲るわけには行かない。
「大丈夫。ちゃんと帰ってくるから、な?あ、それにほら……確かゴール地点は……」
メイが一瞬私の方へと視線を向けたのを見て、ハッと思い出す。
この旅の最終目的地は先代勇者が最期に訪れた場所、つまりは──。
「魔界、ですね。」
「そうそう。だから、雪。兄ちゃんの事、ゴール地点で待っててくれないか?」
ぐずる子をあやすように優しく、優しくメイは魔王の手を握って懇願する。
それでもすぐには納得できないようで、しばらくぐずっていた魔王だったのだが。
「……毎日10回連絡してくれる?」
「じゅ、10回かぁ……それはちょっと多くないか?そんなに連絡ばっかりしてたら、ゴールまでが遠くなっちゃわないか?」
魔王の無茶振りに、なんとか上手く言いくるめようと返すメイ。
連絡なんて1日1回もあれば十分だと言ってしまいたくなるのを我慢して、私は二人の交渉を見守る。
「じゃ、じゃあ8回……ううん、5回!5回でいいからぁっ!」
「う、うーん……朝起きた時と、夜寝る前の2回とかじゃダメか……?」
「やーだ!朝昼晩で3回!これ以上は譲れない!」
「くっ……わかった。じゃあ3回。朝起きた時と、昼過ぎと、夜寝る前で3回な?」
なんとか交渉がまとまったようで、10回から3回に抑えることに成功。
喜んで良いのか、それでもきっと無理やりついてこられるとかよりはずっと良いのだろう、と私は自分に言い聞かせる。
「ん、でもどうやって連絡するんだ?言霊魔法ってそんなに遠くまでは届かないだろ?」
一安心しかけていた所で、メイが率直な疑問を口にする。
確かに魔界との通信ともなれば、かなり大掛かりな魔法通信設備が必要になるだろう。
かといって旅の道中で常にそんな物を確保できる保証は無い。
「それは大丈夫!お兄ちゃんに私の一部を封じたお守りを渡しておくから……はい!私だと思って、大事にしてね?」
魔王は自分の尻尾からぷちっと氷の鱗を1枚剥ぎ取ると、それをメイへと手渡した。
「これって、前にも似たようなのを……確かジーニアさんからもらったような。」
「そう!これはそれの改良版!私の魂の一部が入ってるから、私とお兄ちゃん専用の電話にもなるんだよ?」
得意げに語る魔王の言葉の意味が、私には少しわからない。デンワ、とは?
しかしメイはそれでしっかり納得しているようで、察するに二人の元の世界で使われていた道具か何かなのだろう。
「し、か、も。何と魔除けにもなっちゃいまーす!弱い魔物とか、野生動物くらいならビビって逃げちゃうんだから!」
鱗1枚で魔界と通信ができる上に、魔除けの効果まで兼ね備えているとは。
言っている事は魔法的に考えればめちゃくちゃなのだが、恐らくそれでも魔王の力をもってすればできてしまうのだろう。
「……ふふっ。」
どうだ凄いだろうと言わんばかりに鼻高々な様子の魔王を見て、私はつい笑ってしまう。
決して馬鹿にしているわけでは無く、ただ単になんだか可愛らしく感じてしまって。
「……わ、笑われたぁ!あの女!お兄ちゃぁん!」
「あーはいはい……ふふ。もう泣き止んだみたいだな。」
私を指さしてメイに泣きつく魔王の手を、メイがやめなさいと下げさせる。
それから魔王の顔を覗き込めば、優しく笑うメイ。
「それから……あの女、じゃなくてベレノさん、な?年上には敬意を」
「お兄ちゃんだって呼び捨てじゃん!しかもなんなら私のほうが年上だよ?!」
「うん、まぁ……それはそう、かもしれないが……。」
ド正論で殴り返されたメイが、こちらへ助けを求めるように横目で視線を送ってくる。
そんな2人の兄妹喧嘩のような様子を見てまた、私はたまらず笑ってしまう。
「ふ、ふふっ……あなた達って本当、変な人達ですね。」
◆◆◆
魔王との一触即発の危機から数日後。
式典への出席やら、会合やらパーティやらと忙しかった日々もついに終わりを迎えた。
いよいよ明日、私とメイは二人旅へと出立する。
最終目的地である魔界に行くまでに、いくつか大婆様たちの思い出の地を巡りながらの旅の予定。
屋敷で過ごす最後の晩となる今夜、私はメイの部屋でメイと一緒に出発前の荷物のチェックなどしながら他愛のない会話を楽しんでいた。
「……それにしても、かなりの高齢だったとは言えクリノスさんの事は……なんていうか、残念だったな。」
ベッドの上で持って行く荷物を広げて吟味していたメイが突然、気重そうな表情でそんな事を口にする。
その言葉に私は一瞬何のことかと考えてから、意味を理解して笑い出す。
「ふっ、ふふ……大婆様はまだ亡くなっていませんよ?多分。」
「えっ?だって……最期のお願いって」
確かに私は大婆様からの最後に託された使命とは言ったが、別に遺言というわけでは無い。
二週間程前にこの屋敷へと届けられた、大婆様の古い手記と私への手紙に記されていたのだ。
「隠居する前の最後の我儘、として託されたんですよ。」
「な、なんだ……そういう事か。早とちりしちゃったよ俺。」
手紙によるとあの一件の後、少しして大婆様は隠居を宣言してラミアの里から出たようだ。
とはいえ、今もまだ大婆様が生きているという確証は無いのだけれど。
「でももしかしたら、今こうしている所も覗かれているかもしれませんね……幽霊として。」
「……変なこと言うなよ。ありえなくもないのが一番怖いんだって!」
身震いするメイを見てクスクスと笑いながら、私は荷物のチェックを終える。
路銀は何も心配はいらない。帝都からの莫大な報奨金もまだまだ使い切れないほど残っている。
問題があるとしたら、それはきっと……まだ私の心の整理ができていない事かもしれない。
明日からの旅で、私はあなたの中でどんな存在になれるだろうか。
「……さて、荷物のチェックも済みましたし、そろそろ寝ましょうか。」
そう言って自分の部屋へと戻ろうとした私の左手を、不意にメイが掴んで引き止める。
突然の事に、自分の胸がドキリと高鳴る音がした。
それでもあくまで平静を装いながら、私はゆっくりとメイの方を振り返る。
「……メイ?」
私が静かにメイの名前を呼ぶと、メイはどこか気恥ずかしそうな様子で目を泳がせている。
これは、いやそんなまさか……メイに限って有り得ない。
頭ではそう理解しつつも、邪な期待が僅かに心に現れている。
「あの……さ、ベレノ。……もし良かったら、今夜は一緒に俺の部屋で寝ないか?」
こちらの顔色を伺うように、ちらりと上目遣いで私を見上げるメイの姿に、私の中で何かの衝動が沸き起こる。
そんな衝動を押さえつけるように、私は尻尾の先端でぴしゃんと強く床を打った。
突然の私の行動に、メイは少し驚いた顔をしている。
「……一応、理由を聞きましょうか?」
ふうと一呼吸置いて、私はメイの頬へとそっと右手を添えながら、改めてその理由を尋ねる。
私が望むような答えはきっと帰ってこないと、わかっていながら。
「っいや、その……明日からはテントで二人で寝たりするわけだろ?だから、少しでも慣れておこうかな、なんて──。」
「嘘。」
誰が見ても分かるほどに目を泳がせながらの明らかな嘘の言葉に、私はじとりとした目をメイへと向ける。
それからその整った顔立ちの輪郭を頬から下へと指でなぞり、親指で軽くメイの顎先を持ち上げた。
先程まで泳いでいた青い瞳が、こちらへと向けられる。
「ベ、ベレノ……さん?」
困惑気味に、メイの瞳が揺れる。
ああ、なんて綺麗で宝石のような瞳だろうか。
もしかしたら大婆様も、先代のこの瞳に焦がれたのかもしれない。
だけどその瞳を見て、私はメイが恥ずかしがって言いたがらない本当の理由がなんとなくわかってしまった。
「ふっ……まさか、大婆様の幽霊が怖いから一人で寝られない、なんて言いませんよね?」
「ぐっ……!……だってベレノが変な事言うから……!」
見透かしたように笑う私に、まさしく図星といった反応を示すメイ。
まぁ、知ってましたけど。本当に、本当に。
私はベッドへと腰掛けると、ゆっくりとメイの隣へ身を寄せる。
そしてしっかりと腕を取って、指を絡め深く手を繋ぎ直した。
「可視化でもします?そうすればはっきりするかもしれませんね。」
「……やめとくよ。それでもし本当に居たら、今度は気まずくて眠れなくなる。」
大真面目にそう答えるメイの姿に、私はついつい誂いたくなってしまう。
「魔王には勝てても、やっぱりおばけは怖いんですね。勇者様?」
「あ、あんまり誂うなよ……。」
不服そうな顔でそっぽを向くメイの横顔を見つめながら、私はそっとメイの腰へ尻尾を巻き付ける。
「仕方ありませんね……。あなたがおばけに連れて行かれないように、朝までこうして私が捕まえておいてあげますね。」
「ぐっ……はぁ……わかったよ。……ありがとう、ベレノ。……おやすみ。」
そう言ってメイは、自分の腰に巻かれた私の尻尾を苦笑しながらそっと撫でて、布団をかぶる。
できる事なら朝までなんて言わず、ずっとこうして捕まえていたいけれど。
「おやすみなさい、メイ。」
◆◆◆
明朝。夜の寒さがまだ少し尾を引くような時間。
デソルゾロット家の屋敷の前では、私達の旅の出発を見送るために色んな人々が集まっていた。
メイの家族や屋敷の従者たちはもちろん、共に旅をした勇者パーティの面々も。
……それからもちろん、木に隠れているつもりの魔王も。
「皆さん私達の為にこんなに朝早くからお集まり頂いて、本当にありがとうございます。」
「本日より私、メイ・デソルゾロットは……デソルゾロット家の始祖にして先代の勇者、サン・デソルゾロットの足跡を辿る旅へと赴く事となりました。つきましては──。」
私の隣でメイが挨拶をしていると、見送りに来ていた修道服姿の獣人……モニカが何やら手招きをしている事に気がつく。
出発の3日前から一生懸命に考えていたらしいメイのスピーチはもう少し続きそうなので、私は一旦モニカの方へと移動した。
「いやぁ、ベレちゃん久しぶりやな~。元気してた?」
「えぇ……まぁ。」
以前と変わらない様子ながらも、メイのスピーチの邪魔にならないように控えめな声量で語りかけてくるモニカに、私は適当な相槌を打つ。
そういえばここ半年の間に様々な場所でのパーティに皆それぞれ呼ばれていた筈だが、会場でモニカを見た記憶がない。
竜人のスクァマータさんは何度か見かけたし、鳥人のシャルムは人が多い所は苦手との事で欠席だった筈だ。
「どやった?あれからのここ半年くらい。メイちゃんと一緒に色んなとこに引っ張りだこやったんやろ?」
「はい……でも、貴女もそうだったのでは?」
「それがなぁ、聞いてやベレちゃん。ウチ、パーティなんか出たら酒飲みすぎてボロが出るぅ言われて、神父様にパーティ行くの禁止されててん……ひどい話やろ?」
わざとらしく泣き真似などしながら、私に縋り付くように語り始めたモニカ。
確かに勇者パーティの一員とは言え、モニカは一応世間的には聖職者だ。
そんな聖職者がパーティという多数の人の目に着く場所でベロベロに酔っ払っていたら、教会という場所の品位等が問われかねないだろう。
実に正しい判断だと思いつつも、少しかわいそうにも思えた。
もし私もメイと出会って勇者パーティの一員になどなっていなければ、一生関わることも無かったであろう綺羅びやかな世界。
慣れないうちは疲れるばかりだったが、思い返してみれば結構楽しかったのかもしれない。
……メイとおそろいのドレスも着せてもらえたし。
「……元を辿れば、あなたの酒癖の悪さが原因なのでは?」
「あぁん、辛辣ぅ……。で、そんな事よりや、ベレちゃん……。」
モニカが突然声のトーンを変えて、より一層囁くような声で私の耳元へと語りかけ始める。
「自分ら……ウチらと別れた後も、今までずっと一緒やったんやろ?」
「まぁ……そうですが?」
浮遊城での一件の後、報告のために帝都エヴァーレンスへと戻った私達勇者パーティは、一旦解散となっていた。
モニカは教会、シャルムは実家へ、そしてスクァマータさんは闘技場復帰のための鍛錬、とそれぞれ別行動を取ることに。
もちろん私も大婆様への報告を兼ねて里帰りをするつもりだったのだが、そこでメイと一緒に屋敷へと寄ったのが運の尽き。
大歓迎されたのも束の間、あれよあれよという間に部屋を用意され採寸されメイと揃いのドレスを作られて、気がつけば何故かメイと一緒に様々なパーティに出席することが決定してしまっていた。
後からメイに聞いた所によると、お偉いさん達の前で独りでお嬢様のフリを続けるのはとても精神が持たないという事で、半ば無理矢理に私を足止めしたかったらしい。
そんな事を言われたら、私には叱るに叱れなくなってしまう。
なんて思い返していると、いつのまにかモニカのマズルの鼻先が私の眼の前に来ていた。
「そんで下世話な話……自分ら、ぶっちゃけどこまでいったん?」
「なんっ……!?」
ニヤニヤとした下品な笑みを浮かべながら、とんでもない質問をしてくるモニカに、私は思わず声を荒げそうになる。
周囲の人々の視線が一瞬だけこちらに向けられたのを感じ、私は慌てて声量を落とす。
「……何を言ってるんですか貴女は……?!」
「何ってそら、ナニよ。まぁ女の子同士やと難しいとこもあるやろさかい……これくらい?」
慌てる私を見て誂う様に笑いながら、モニカは両手の指を犬の頭のような形にして、その鼻先同士を何度もくっつけて見せる。
誰かとは違って、それが何を表しているのかが分からない程私は鈍感ではない。
「や、やめなさい……。」
私は何故か自分の顔がじわりと熱くなるのを感じながら、モニカにその手を下げさせる。
ここ半年でできた事なんて、正直言って昨晩の添い寝くらいの物だ。
「あららぁ……その様子やと、まだ手ぇも繋げてへんみたいやね?」
「っ……き、昨日はメイに誘われて一緒のベッドで寝ましたけど……?!」
嘲笑するようなモニカの態度にカチンと来て、謎の対抗意識からつい余計なことを口走ってしまう。
モニカは少し驚いたような顔をした後、にまにまとしたいやらしい笑みを向けて来る。
「せやけど別に付き合うてるわけや無いんやろ?」
「それは……まぁ、はい……まだ……。」
「はぁ~……ウチには理解できへんわ、その距離感。さっさとくっついてしまいーや。」
呆れたような声でため息をつくモニカに、少し悔しさが滲む。
関係を進めたいとは、もちろん私だってそう思ってはいるし、それができれば苦労はしない。
だがそうするためには、何かと……何かと障害が多いのだ。
そこの木の影から、ずっとこっちを睨んでいる魔王とか。
「……そういう貴女は、もう諦めたんですか?メイの事は。」
言われっぱなしというのも癪なので、私は反撃のつもりでモニカへと質問を投げ返す。
思えば旅の道中、モニカは何かとメイを巡って私とぶつかっていた。
私ほどでは無いにしろ、メイに対してそれなりの感情を持っていたはずだ。
「んー?せやなぁ……まぁ、ウチはメイちゃんのお姉ちゃんやさかい。」
「……はっ?」
そう言って腹の立つ程のドヤ顔で謎のマウントを取ってくるモニカに、私は言葉が詰まる。
何だその余裕ぶった笑みは。メイのお姉ちゃん?
年齢で言えば私だってメイより年上のお姉ちゃんですけど?
「せやから安心しいや。他人が狙てる獲物横取りするほど、ウチは狡う無いから、なぁ?」
「どの口で……っ!」
あいも変わらずの馬鹿にしたような笑みで、おもむろに私の頭を撫でようとするモニカの手を払いのける。
魔王とはまた別の意味で、この自称姉も信用ならない。
「酷いなぁ……せやけど、旅から戻ってきてもその調子やったら……ウチも気が変わってしまうかもしれへんなぁ。」
口元を手で隠しながらくすくすと笑う挑発的なモニカのその態度に、私はつい冷静さを忘れてしまう。
「っ……心配しなくても、必ずやり遂げてみせますよ!せいぜい旅の終わりを楽しみにしている事ですね!」
カッとなって、モニカに対し私が少し大きな声を出したその直後。
「っ!?」
突然鳴り響いた大きな拍手の音に、私は驚き身構える。
どうやらちょうどメイのスピーチが終わった所だったようだ。
「おーこわ。ほな、せいぜい楽しみに待たせてもらおかな。……メイちゃ~ん!モニカお姉ちゃんやで~!」
そんな捨て台詞を残し、モニカは無事挨拶の終わったメイの下へと駆け寄っていく。
モニカに何か言われなくても、私は最初からこの旅で勝負をかけるつもりだった。
だけどモニカと話して、その決意がより一層強くなったかもしれない。
後は私とメイ次第。邪魔する者は魔王を除いて居ないはず。
その魔王だって、私とメイの旅に直接割り込んでくるような無茶はしない……はずだ。
だからと言ってゆっくりはしていられない。なるべく早くもう一度思いを伝えて、メイに真剣に向き合ってもらわないと。
「……別れの挨拶は済みましたか?」
少ししてから、未だ皆と何か話しているメイへと近づいて、そっと声を掛ける。
「あ、ええ。いつでも出られ……ますわよ?」
やはりどこかぎこちないお嬢様言葉でそう返事をするメイに、私は手を差し伸ばす。
するとメイは一瞬考えてから、私の右手を自分の右手で握り返してくる。まるで握手のように。
「っ……違いますよ、ほら!こっちの手です!……行きますよ、メイ!」
「え、あ、ああ……じゃあ皆、行ってきます!」
どこまでも鈍いメイの左手を強引に掴んで、私は皆の前から奪い去るようにメイの手を引いて前へと進む。
見送りの言葉を背中に受けても、私は振り返らず前だけ見て進んでいく。
きっとそのくらい強引でなければ、私の一番欲しい物は手に入らないと思うから。