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儀式

 夜闇に沈んだ太陽はいつ帰って来るだろう。果てのない闇はどこに行ってもついて来て太陽の住む世界にはいつまでも追いつくことが叶わない。

 若葉 鈴香、小学四年生。歳の離れた高校三年生の兄である勇人にいつまでも追いつくことが出来ず、いつまでも憧れは憧れのまま空気感に味を付けていた。顔も声も幼くて優しそうな兄、そんな彼のことが遠い世界に、距離の壁に阻まれた大人の階に立っているように感じられて、背伸びしてみても届くことなく跳ねても走っても追いつくことは出来なかった。

「やっぱり…………時間って」

 人の気持ちも汲み取ってはくれない、自分の都合でしか流れてくれない。月と太陽の巡りで区切られたひとつの基準。そんなものに引き回されて追いかけ回されて流れ続ける日々、鈴香は時間を駆けるような力など持っていないのだと思い知らされて唇を嚙む想いで感情を噛み締めていた。

――はやく……大人に

 今を楽しむことなど知らず、空に憧れを抱くように大人に想い焦がれる。


 嗚呼、焦がれはこんな味なんだ


 幼い少女は輝く羨望と届かぬ現実に瞳を潤していた。

 そんな少女の休日がやって来た。まだ暗闇の中で日付という数字で打たれたくさびの実感などまるでなくて鈴香は眠気に閉ざされてしまいそうな瞳を擦りながら眠りに入る。

 勇人はどのように生きて行くのだろう、勇人と仲のいい同級生は今何をしているのだろう。切れ長の鋭い瞳が、全てを見通してしまいそうなはっきりとした目が特徴のあの男、鈴香は彼のことを避けていた。勇人と仲が良いのなら悪い人物ではないのだと信じていたい、しかし願望など所詮は弱い心でしかなかった。あの目で睨みつけられでもしたその時にはおぞましさに震え上がってしまうだろう。

「なんで……あんなに……怖い人と、仲いいんだろう」

 思い出しただけでも危機感を覚えてしまう。成長したら仲のいい理由も分かるのだろうか、鈴香には全くもって分かってあげられる気がしなかった。小さな身体をベッドの中で丸めて狭い空間の中に創り上げた狭い殻の中に納まり明日を元気に迎えるために眠りのセカイへと向かって行った。

 揺りかごから離れた寝所、今を歩んでいるという成長に当てる目など全く見当たらなくて、自分が既に始まりから随分遠くへと進んでいたのだと気付く余地など全くなくてそれがまた鈴香がまだまだ子どもなのだと静かに物語っていた。



  ☆



 開かれた目に差し込む光、世界は何食わぬ顔で朝を運んでいた。昨夜の恐怖は夜闇の中に置き去りにして、睡眠という膜の向こうで静かにしぼんで行ってくれたようで。

 鈴香は身体を起こしてカーテンから微かに零れて差し込む薄明りに心を洗って気を引き締める。

 顔を洗ってパンを頬張って特に予定のひとつもない今日という日を想う。

「……暇、かな」

 上の階へと上がろうとしたその時のことだった。呼び鈴の電子音が家じゅうに響いて来客を告げる。

 すぐさま階段を降りて来た少年、鈴香によく似た顔は女の子というより子どもの顔といったところだろうか。兄の勇人がドアを開いて来客を招き入れた。

「おう、今日も来たぜ。つってもやることはひとつ」

「ああ、そうだね」

 勇人ともうひとりの男の声が交互に響いてきて年の離れた兄弟のような雰囲気を味わい鈴香の頬は思わず緩んでしまう。そこからすぐさまリビングから廊下へと続く開かれたドアの向こう、視界を阻むものが何もない筒抜けの境界線の向こうに映った顔を見て鈴香は顔を曇らせた。

「あの人、なんで、勇人と……仲、いいんだろう」

 見つけ出すことの出来ない解答。それどころか回答すら探ることも出来ない。それ程までに仲良く笑い合う姿が不釣り合いなふたりだった。

 鈴香がどう思っていようとも構うことなく二人の言葉は交わり表情に色が見え隠れしていてどことなく楽しそうだった。

――いいなああんなに仲いい人いて

 ひとりぼっち、日頃からのんびりゆったりと過ごす鈴香では誰に追いつくことも出来なくて、この歳で寂しさという感情を立派に育て上げてしまっていた。

「とりあえず上あがろうぜ」

「はいはい、怜が引っ張る側なのか、俺の部屋に行くのに」

 なんてことないやり取り、ちょっとした笑顔から見て取れる分かりやすい明るさが心地よかった。

 鈴香は思い返す。親の言葉によれば勇人は家の仕事を継ぐため大学には進まないのだという。怜と呼ばれたあの男、恐ろしさを感じさせるあの目の持ち主もまた進学しないつもりなのだろうか。お揃いの学歴、お揃いの格。もしもそうなのだとしたらどれだけ残酷な見栄えだろう。外見や雰囲気だけでは見通すことの出来ない人生。

 鈴香は大学に進むように、そうした言葉を勇人から授かってはいたものの、勇人はどう思っているのだろう。

 心の奥が見てみたい。本音はどのような気持ちをどのような音色でどのようなメロディーを奏で上げているのか。大好きな兄の心が知りたくて仕方がなかった。

 鈴香が物思いに更けている間にも勇人と怜はその姿を部屋の中へと仕舞いこんでいた。

 それは鈴香をひとり置いて行くようで、鈴香だけをこの狭い世界の中へと残しているようで。

――私……ひとり、なんだね

 蔓延る虚しさは心の影を伸ばしてやがては闇となって鈴香の中に居座ろうとしていた。深く飲まれて脚が嵌ってうまく動くことも出来なくて。永遠の呪縛へと成りあがってしまいそうな感情の影を想い、思わずしゃがみ込んでしまう。閉じこもり、何もない日々の中で何もないことを不満に思って何かが起これば何もないことを求める我が儘な存在、それが鈴香の、人間そのものの本質だった。

 どれだけの間蹲っていたのだろう。いつまで動き出さずにいるのだろう。分からない。薄暗い思考の深みに身を沈め、昏い感情の霧を吸い上げていた。

 そうして過ごしたのは何分だろう何時間だろう。時計の針は休むことなく動いていて、いつでも静かな音を刻み込んでいた。それが今の鈴香にはあまりにも大きく感じられて肺を満たして空気が入る余裕さえ奪い去っていた。

「鈴香」

 突然届いた言葉に一度大きく震え、顔だけを上げて声のする方へと霞んだ瞳を向けてしまった。

 そこに立っていたのは勇人の姿、眉を顰めて腰を折って鈴香に顔を近付けていた。

「もしかして、ひとりぼっちなんだって気にしてるのかな」

 全て知られていた、本人にとっては大きくても他人には見えないほどの小さな悩みは身内の目にはしっかりと映ってしまっていた。

「……ごめん……なさい、心配、かけちゃった」

 最も心配させたくない人物、よりにもよって優しい兄に気付かれてしまった。優しいからこそなのだろうか、それとも勇人もまた通って来たことなのだろうか。

 勇人はいつも通りの子どものような声で優しく語りかけていた。

「大丈夫、何があっても鈴香はひとりぼっちじゃないから、ひとりにさせないから」

 それはひだまりのような言葉だった。心にすっと沁み込んで霧を晴らして想いを乾かしてくれる言葉。そうして得た心の渇きを潤すために、人らしい欲を、動き出す気持ちを身体の動きに変えてくれる。

 誰も相手してくれない、誰相手でもたどたどしくて途切れ途切れに話す鈴香と仲良くしてくれるような人は学校の何処にもいなかった。それでも誰かと一緒にいたい、誰かと仲よく話して楽しく過ごしたい。小さな身体には収まり切れない程の気持ちと上手く行かなくて苦しい気持ちを抱えながらもどうにか笑顔の花を咲かせながら立ち上がる。

「勇人、出かけるん……だよ、ね。私も……ついて行っていい、かな」

 勇人は困ったような顔を浮かべながらもそばに立って退屈そうに欠伸を噛み締める男に訊ねる。それから一瞬のことだった。男は、怜はすぐさま返事を兄妹の間に流れるほのぼのとした空気に注ぐ。

「いいんじゃね。勇人の洋子はなんて言うかわかんねえけど大丈夫だろ……多分」

「なんで最後自信なくすんだよ」

 勇人と怜の仲の良さに少しばかりの嫉妬を覚えていた。仲良く遊ぶ姿があまりにも輝かしくて、届かないその手を伸ばしてしまう程に。

 それに怜の口から語られた洋子とはどのような人なのだろう。分からないものの「勇人の洋子」などと怜が呼ぶほどの人、もしかすると彼女なのだろうか。


 それからすぐに準備を済ませて外へと身を置いて、歩き続ける。ふたりの歩幅は鈴香に劣等感を呼び起こすもので、ペースを合わせてくれているのもまた、日なたの影に心を縫い付けたくなるような衝動を引っ張り込んで来る。

「焦らなくても大丈夫、そんなに遠くないよ」

 そこそこの距離のショッピングモール、そこを目指しているのだという。

「バス使ったが早かったんじゃねえの」

 怜が放った言葉はもっともだと思わせるものの勇人は顔を左右にゆっくりと振って答える。

「目的地に行く便がないんだよ、どういう配分なんだろうね」

 怜は頭を抱えつつ鈴香の手を取り柔らかで小さな手のひらの上にキャラメルを乗せて歩き続ける。

「怜って何だかんだいつもお菓子持ってるよね」

「まあな、戦いの中で集中力切らさないようにな」

 戦いとは何か、受験のことだろうか。未だ五月とは言えども意識しているのだろうか。それにしては休日の半分近くは勇人と出かけているように感じられる。鈴香の目には勉強を頑張る人物のようには見えなかった。

 たどり着いた場所、ショッピングモール。様々な店の集合体で中に人々を飲み込んでは金を食うための誘惑を様々な色や形で行っていた。

 エスカレーターの脇のベンチ、そこに座る少女は晴れ空の笑顔を魅せ付けながら大きく手を振っていた。

「おはあ、待ってたよー」

「こんにちはの時間だよ、洋子」

 勇人はその明るさについて行くことが出来ないのだろうか。優しい微笑みには洋子のようなキラキラとした輝きは乗っていなかった。

 洋子は大きな目と小さな口に薄桃に色付いた頬を備えた可愛らしさで鈴香に顔を寄せる。

「キミが妹の鈴香ちゃんだね、分かるよ。私の彼に凄く似てるんだもの」

 途端に勇人は貌を曇らせて洋子に目を向ける。その表情から汲み取れる感情は洋子の言葉を素直に喜んで受け取れない男ならではのものだったのかも知れない。

「勇人は、その……とても、凄く、可愛くて」

「分かる。兄妹揃って天使だよね」

 勇人は肩を落としてうなだれていた。その目の奥に薄っすらとかかる影はなに故だろう。そんな彼の反応に構いもしないままにふたりの会話は別の話題の花へと移って行った。

「鈴香ちゃんは小学生なんだね、いいね」

「えへへ……でもね」

 悩みを放り込むべきなのだろうか、心の表層に留まることなく染み込む想いは表情の曇りを成していたのだろうか、洋子は首を傾げて鈴香の目を覗き込む。

「どうしたの、暗いよ、似合わない顔して」

「その……」

 やめておくべきだろうか、口を滑らせてしまたことを後悔して無理やり明るみを被せ笑顔を作る。

「何でも……ない、よ」

 洋子が両手を伸ばし、鈴香の頬を包み込み、ひんやりとした柔らかさを伝えていた。

「笑顔が可愛いよ、キミは」

 ネコでも扱うかのような表情に鈴香はどこか癒しを覚えていた。微笑ましくて暖かな今日を抱き締めて、洋子に腕を伸ばした。しがみつくように抱き締めて、洋子の顔を更に明るく照らして。

「将来、洋子さん……みたいに、みたいに…………なりたい」

 鈴香からすればどこまでも整ったスタイルと快晴の笑みが似合う少女、そんな彼女に憧れを持った。


 それから四人でショッピングモールを巡り回り、彼らの計らい通りに商品に手を伸ばして財布を開いていた。

 やがて鈴香はひとり歩き本屋へと足を向けていた、その時のこと。

 人々の通行の中にひとつの違和感を見た。何がどうなのか述べることも出来ないものの、気が付いてしまえば更に大きくなって鈴香の心に忍び込んで支配を始める。

 その違和感の正体、背の高い人物がふと呟いた。

「そうか、あなたがそうなのか」

 人々を惹き付けて取り込んで離さない不思議な三白眼に透き通る声、その人物は明らかな女。

「さて、私の出番か」

 出番とは何だろう、ショーでも始めるのだろうか、気が付けば身の周りに流れていた人だかりは消え去っていた。不自然な状況の中、女は薄く灰色がかった白いローブを広げて鈴香に手を伸ばそうとする。

「ダメだ」

 突然聞こえて来た声は見知らぬ女性のもの。駆け寄って来る人物はこれまた見覚えのない人物で、ひとつに纏めた赤みがかった茶色の髪の房を左肩に垂らした女だった。

「やらせないぞ。ほら、若葉家の娘ちゃん、受け取って」

 そう叫んで投げられたそれは小さな杖。先に石の球が付いていてそこから伸びる翼が特徴的なもので、更に二匹の蛇が絡みついたデザイン。それを受け取ることは出来ずに鈴香の身体に当たってしまう、かと思ったその時。鈴香に痛みも衝撃もなかった。ただ杖が鈴香の中に入り込むだけだった。

「よし、カドゥケウスは入り込んだ。通行のシンボル。希望への通行を、光の導きを」

 鈴香は目を見開いた。何故だか一連の固まったセリフが頭の中に住み着いていた。

「あの女に光を与えるんだ、若葉家の娘ちゃん」

 鈴香は手を掲げた。そこにはいつの間にか先ほどの杖が握られていた。杖の先から石は剥がれ落ちて黄金に輝く宝珠が姿を見せ、翼も景色に透ける純粋さを露わにしていた。絡み合う蛇は澄んだリボンへと姿を変えて鈴香の中に秘められた術は自然と口から零れ落ちた。

『神聖なる道しるべよ 私に仲間に人々に 正しき導きを与えたまえ』

 宝珠より放たれた光は鈴香の姿を変えた。髪の左端に結び付けられたリボン、純白のドレスは胸元を交差する対の輝きのリボンに彩られていた。仄かにくびれた身体に巻き付くように結ばれたリボンはベルトの代わりだろうか。それは左の端に留まる大きくて可憐な輝きの蝶となる。

 膝から足まで覆うソックスは純白で穢れを知らず、小さな足を包む皮の靴は薄く桃色がかっていた。

「光のチカラ、この世の四つの構成の外側だと語るか、五つ目の輝きの物質によく似ているがそれとも異なるとは」

「じゃあ、私たちの平和は、希望は六つ目の物質だね」

 鈴香の声はいつもよりもはっきりとしていた。守らなければならないのは日常。守りたいのはみんなで過ごす日々。目の前の女がその手で潰そうとしていたものはひとりの少女のものには留まらない。

 鈴香は杖を向けて相手を睨みつけ光のチカラを放つための言葉をこぼす。

『光の導きは 正しき道へ 希望への道しるべを示したまえ LIGHT READ RIGHT LOAD』

 それは鈴香の心の中を飛び続けていた秘術。唱えられた術は輝きを集め、杖の宝珠は更に輝きを増す。

 やがて輝きは最頂点へ、この世の何よりも純粋な姿を示して目の前の女に向けてかすれた浄化の日差しとなって撃ち込まれた。

 女はローブを脱ぎ光を防いでみせる。それでもこの輝きは打ち消すことが出来ずにすり抜けこぼれ女の身を希望で照らしていた。

 やがて光が収まり、そこに残された女は余裕を失った目で鈴香を睨みつけていた。

「これが人間の心の力。どの魔法とも異なる忌々しくも美しき罪の力」

 それだけ残して姿は消え去り、鈴香と茶髪の女のふたりだけがその場に残された。

「ふう、ギリギリ間に合った」

「……その」

 鈴香が口を開くと共にその言葉は女性の言の葉によって塞がれた。

「私の名前は伊万里 刹菜。危なかったね、でもこれで終わりじゃないんだ」

 果たすことは別にある。それだけ言い残して刹菜もまたその場を立ち去って、変身が解けた鈴香は日常へと一旦引き返すことが出来たのだった。

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