第12章「プリンスプログラム」4
僕が悩んだ末に選んだ本選のプログラムで演奏する曲はラフマニノフの『ピアノ協奏曲第三番』だった。
ファイナリストに選ばれた瞬間までは、チャイコフスキーなど他のピアノ協奏曲も頭の中にあったが、いざ、オーケストラと共に演奏する貴重な機会であること、晶ちゃんに聞いて欲しい曲を意識した時、ラフマニノフのピアノ協奏曲が頭にあった。
後はもう、決まったようなものだった。
晶ちゃんには第二番は再会した時に、しっかり聞かせられたから、次は”三番”だと自然に切り替えられた。
しかし、数あるピアノコンチェルトの中でも高難度を誇るラフマニノフの『ピアノ協奏曲第三番』に挑戦する時点で、ハードルはあまりにも高いことは自覚している。
僕にとって演奏をすることは山を登るようなものだと考えている。
少しずつ、曲を身体に沁み込ませ、演奏できるよう登っていく。身体づくりをするように。
長い道のりだが、それゆえに頂上に辿り着いたときには、他に一切変えようのない達成感を味わえる。
そういう意味で、この三番を奏で切ることは僕が生きる中の命題でもあった。
音符が約28000以上あると言われるこの高校生には難しい難曲に挑戦する、これほどロマンのある高みはないだろう。
ゆったりとした響きから始まる第一楽章、生で演奏されるオーケストラの音を聞きながら丁寧にテンポとリズムを合わせていく。
オーケストラ達と息を合わせ、僕の体と一体となって調律されたグランドピアノから紡がれる栄光へと登っていく旋律。
表現力が大事なピアノの演奏においてテンポやリズム感を揃えることは重要なことだ。
自分の演奏だけに集中するのではなく、オーケストラとのトータルバランスを考えながら力加減を決める。そうして理想的な音のハーモニーを追及していく。それがコンテスタントに求められるものでもある。
ロマン的な雰囲気の中に激情が秘められている曲調。進行と共に胸の高鳴りを感じさせるように徐々に加速度を増す旋律。
蝶のように舞う指さばきで、決して呼吸を乱すことなく演奏を続ける。
出来るだけ姿勢を維持しながら、上品に奏でることを意識しながら鍵盤を叩いていく。
柔らかさも、激しさも、どちらも美しさを持つ素晴らしさを体現しながら、演奏は続いていく。
第一楽章の終盤、カデンツァを穏やかなものと重厚な和音を含んだ派手なものの二種類をしっかりと演奏しながら第二楽章へと向かっていく。
全体として第三楽章まで約39分はかかるこの『ピアノ協奏曲第三番』を全て演奏するには、規定されている時間では出来ないこともあり、多少の省略を事前の打ち合わせの中でしながら、リハーサルをこなした。
その事で迷いなく間奏曲ともされる第二楽章へと進んでいき、美しい旋律を奏でていく。
会場の熱が高まる中、息つく間もなく第三楽章へ、ここからが正念場、本番ともいえる。
汗を滲ませ、疲労が蓄積されていく中で、さらなる高度な技巧が試される場面がふんだんに盛り込まれた第三楽章に僕は決死の覚悟で挑んでいく。
どれだけ練習を重ねてきたことか、高難度の展開部分は数えきれないくらい僕を苦しめて来た。
だが、僕は諦めずに理想を追い求め練習を繰り返してきた、この山を登ろうと必死に食らいついてきた。
目指す頂上に向けて、僕はもう一度身体に力を込めて、駆けあがっていく。
美しさと激しさを調和したような旋律の数々、クラシック音楽の名演。その一つ一つがラフマニノフによって考え抜かれた桃源郷のようであり、終止に向かってテンポを上げて一気に盛り上がっていく一連の流れは爽快そのものである。
2メートル近い身長と大きな手を持っていたラフマニノフ。
それに比べれば僕は小柄だ。
しかし、この曲は時代の経過と共に数多くのコンテスタントに愛され、多くのピアノコンクールでも選曲され、女性も演奏する有名なピアノ協奏曲となった。
困難であれ不可能なことではない、それが多くの人によって証明されている。
挑戦するものを魅了するだけの壮大かつ美しい旋律を持つピアニストの喜望峰。
だからこそ、僕もこの高みを目指したいと思った。
あのまだ小さく幼かった小学六年生の頃から、いつかやり遂げられればと思って練習を重ねてきたのだ。
完全に息を呑む聴衆の中で、今できるすべてを賭けて、僕は自身の集大成として最後の最後まで一心不乱に演奏を続けた。
突き抜けるような旋律の波がコンサートホールの中を包み込み、絶頂のままに終止を迎えた。
そして、鍵盤から手を離すと同時、割れんばかりの盛大な拍手が演奏者たちに向けられた。
僕は情熱的な演奏の後で、達成感のある汗を流しながら立ち上がり、聴衆に向けて清々しい心地でお辞儀をした。
観衆の笑顔を目の前にしながら、今回のピアノコンクールでの最後の演奏は、心が満たされるほどの充実感に包まれながら終わった。




