第12章「プリンスプログラム」2
朝食を終えて、一旦客室に戻ってから、ロビーで再び待ち合わせしてから一緒に会場に行くことになり、僕は早々に準備を済ませてホテルのロビーにあるソファーで晶ちゃんが準備を済ませてやって来るのを待っていた。
一人でいるときの方が考え事もできるので、昔から僕は一人でいることも好きだ。苦ではないと言った方がいいか、こうして一人、考える時間も大切なことだと思えるくらいには少しは大人になれたと思う。
晶ちゃんのことで一つ気付いたことがあった。
本選に近づくにつれて、彼女は僕とコミュニケーションを取る時に段々とタブレット端末に頼らなくなっていた。
一緒にいる機会が多く、お互いのスケジュールなどはメールで済ませているから、必要な会話がそれほど多くないからかもしれないが、気にはなっていた。
先程の朝食の時間は持ってきてすらいなかった。
心境の変化ということだと僕は思っているけど、仕草で伝達し合うことが明らかに増えた。
それは、凄く大きな変化かもしれないと、僕は思考を巡らせながら思った。
恋人同士であるから理解者としてより負担にならずに安心して一緒にいられるようになった、そう思ってくれているなら、それに越したことはないと思う。
しかし、こうして前向きに考えを巡らせられるのは、今日の自分の演奏に関して、出来る準備は成し遂げた感覚があるからかもしれない。
晶ちゃんの事を考える方が気が紛れるし、気持ちもポカポカとした温かい気持ちになれた。
今ある実力をしっかり出し切れさえすれば、自分でも満足で、それで結果が伴わなくても納得だって出来る。それだけ今回のピアノコンクールに関して、今日まで努力を重ねてきたし、本選に残ることができただけでも上出来だと思えた。それは他のコンテスタントの実力に関してしっかりと自分の中でも客観的に認められているからで、本当に実力は拮抗していて、目を見張る演奏を数多く体験することができたからだった。
「晶ちゃんはどこに向かおうとしているのだろうか……」
少し怖く感じるときがある、それは彼女が演奏している時、遥か先の方を見ているのではと感じるからだ。
僕は……今の晶ちゃんといられる時間がたまらなく愛おしく思っている。
でも、こうした時間もピアノコンクールと共に”もうすぐ終わる”
晶ちゃんの昨日の言葉も、それを指していることは分かり切っていて、この先のことを考えようとすると胸が苦しくなった。
だから、改めて僕に出来ることは何なのか、そんなことを自分なりに考え始めていた。
そうこう考え事に耽っていると、黒いワンピースの上にベージュのブルゾン姿に着替えた晶ちゃんの姿がエレベーターから降りて、こちらにゆっくりと向かってくるのが肉眼で見えた。
今日は珍しく落ち着いた服装をしている、本番ではドレスを着ることになるからというのもあるのかもしれないと思った。
「晶ちゃん、こっちだよ」
僕は優しく呼びかけた、それに気づいた彼女は柔らかい笑顔を浮かべて僕のそばにやって来た。ピアノを演奏する彼女を特別非日常とも思わないが、こうして見ると普通の女子高生なんだよなと思った。
「行こうか」
自然と手を繋ぎ、僕らはビジネスホテルを後にした。
今日の演奏を終え、宿泊して、明日には宮城に帰らなければならない。
この夢のようなお祭りも今日で終わる、恋人らしく寄り添えばその分だけその事を強く感じさせられた。
それに、今日ここに帰って来たときは、昨日した彼女との約束を果たすことになる。
できれば、どちらかが良い結果を迎えることができると、もっと幸せな夜になるだろうなと僕は思った。
彼女も望んでいるようなロマンチックな夜にするために、演奏に集中する、僕はそう決意した。
メールや筆談でも彼女の言葉はたくさん貰っていたから、道中で僕しか話さなくても気にすることはなかった。
それに、電車に乗っている時でもメールを送ってくれることはよくあるので、それも大きかったと思う。
目を合わせるだけで伝わることがある、それが僕ららしいと思う。
そういう風にいつしか自分でも気持ちの整理を付けることができた。
でも、昨日のように突然驚かせられるような話しをされることがあるのもちゃんと理解してあげなければならないのだと自覚している。
”本当に、今日演奏する曲、まだ見てない?”
会場までの道中で、晶ちゃんはそう僕にメールで伝えて来た。
「見てないよ」
僕がそう小声で返答すると、彼女は表情で”本当?”と聞き返してきた。その様子を見て、僕はもう一度”本当だって”と言葉を繰り返した。
彼女からの提案だった。
今日の本選で演奏するプログラムをお互い知らないまま本番を迎えようと提案したのは。パンフレットにも曲目は全員分載っているが自分たちで見ないようにしてきた。
どうも、僕が思うには彼女は驚かせたいらしい、事前に知っていると確かに先に頭の中でイメージ像を作り上げてしまうから、それを嫌ったのだろうと思う。
だから、お互いのリハーサル練習も聞いてないし、オーケストラとどんな打ち合わせをしたのかも詳細をお互い知らないのだった。
本番のお楽しみ、そういうこと自体は僕も悪くないと思ったので承諾した。
僕の方はバレている気がしているが、僕は彼女の演奏するプログラムついてなかなか予想は進んでいなかった。
ショパンやモーツァルトだって普段から弾いている姿も見るし、もしかしたらプロコフィエフやバルトークのピアノ協奏曲を選んでくるかもしれないとも思っていた。
しかし、なんとなく僕の前でまだ演奏したことのない曲を選んでくるのではという予想もあり、こういう賭け事でするような予想というものが残念ながら苦手な僕は、それ以上は思考が回らなかった。
そうこうしている内に会場に辿り着き、僕らは控室の方へと向かった。




