第11章「二人きりの海へいこう」4
すっかり日が傾きかけて、薄っすらと白い月が顔を覗かせ始めた頃、僕らは防波堤に座って話しをしていた。
防波堤からユリカモメの姿も見え、広大な青い海の景色は自然と自分たちが暮らしていた海辺の町の懐かしい風景を思い出させる。
僕にとっては懐かしいものとなってしまったが、晶ちゃんにとっては今も慣れ親しんだ日常の一部だろう。
だから、大事な本選前に見ておきたかったのかもしれないと僕は思った。
「隆ちゃんは、明日のプログラムは組んである?」
晶ちゃんはさすがに口話で伝えるのは疲れたのか、タブレット端末を使った。
僕もこの方が会話は慣れているから、疑問に思わなかった。
「うん、決まってるよ、晶ちゃんは?」
「私はね、もう予選の前から決めてたよ」
「えっ?! 本当?!」
「本当だよ、だって、自分の好きな演奏をオーケストラと出来る大切な機会だもん。
しっかり考えてあるよ。隆ちゃんも楽しんでもらえるといいな。
”私のリサイタルとは違うオーケストラを携えた演奏”」
「リサイタルか……それも聞いてみたいな、でも、晶ちゃんと一緒にオーケストラに参加できる人たちは幸せだろうな、ちょっと嫉妬してしまうけど、本当に楽しみだよ。どんな演奏が聴けるのか」
「ふふふっ、ありがとう。
私の出番は最後だけど、寝ちゃったらダメだよ?」
「大丈夫大丈夫、一番の楽しみを聞かずにいられるわけないよっ!」
「もう……隆ちゃんったら、また恥ずかしくなるようなこと言って……」
言いたいことを言った後だったからか、気持ちを確かめ合った後だったからか、言葉が自然と弾んだ。
「ねぇ、帰る前に伝えておきたいことがあるの。大切なお願い」
そう言うと、彼女はいつになく真剣な表情で僕を見つめた。
僕は彼女のその美しさにドキっとさせられながらも、何を言われるのだろうと怖くなった。
「聞いてくれる?」
「いいよ、今日はせっかく晶ちゃんと海に来られたんだから。
ちゃんと最後まで聞くよ」
僕は頷いて、彼女の言葉を待った。
ゆっくりと慎重に言葉を選びながら、入力しているのがタブレット端末の画面を見なくても晶ちゃんの表情を見ていれば分かった。
何を言われるんだろうと思い、緊張する時間が続いた。
そして、入力を終えて、決心がついたのか、彼女は音声を再生させた。
「隆ちゃん、このコンクールが終わったら…ウィーンに帰っちゃうんでしょ?
分かってるの……隆ちゃんがまた私の前からいなくなるって。
だから、明日のコンクールが終わったら、私を抱いてください。
私を隆ちゃんのものにしてください。
私は4年間ずっと不安だった。
会えない時間が長くて、長過ぎて気が狂いそうになったことが何度もありました。
でも、その度に隆ちゃんの成長した姿を思い浮かべました。
また、会えたら、今まで我慢した分、きっと幸せな気持ちを味わえるからって。
それまでの辛抱だからって。
そう、何とか堪えながら自分に言い聞かせてきたの。
それでね、再会できた今も不安で堪らないの。
こんなにたくさん新しい思い出ができたのに、それでもね、不安は消えないの。
また離れ離れになるんだって思うと、同じように苦しいの。
だから、お願いします。
私たちは恋人同士だよね? 付き合ってるんだよね?
だから遠慮なく、私の初めてをもらってください。
いつまで私が待てるか、もう分からないから……。
忘れることのないように、今ここに生きていることを全部身体に刻み込んでください。
ずっと、先の未来まで一緒にいられる、繋がっていられるって信じられるように」
会話しているというより、言葉を伝えられているような心地だった。
手紙に近いかもしれない、表面的な何かより、遥かに内面的な気持ちが込められていて、彼女の決意を込めた言葉は、恥ずかしさよりも、切ない気持ちの方が僕の中に澄み渡ってくるようだった。
「うん、わかった。晶ちゃんがそれを望むなら。
その気持ちに精一杯応えるよ、約束する。
だから、明日は頑張ろう。
お互い、最高の演奏をしよう。
そうしたら、僕らにとって素敵な夜になるよね」
頬を赤く染めた彼女は僕の言葉にゆっくりと頷いた。
4年間の時を経て、色気のある女性に変わった彼女の気持ちを聞いて、理性を保つ方が困難な事だろう。
僕は自分ではまだ早いと思いながらも、彼女の内なる本心を聞いて拒絶することは出来なかった。
こういうタイミングで相手から言われてしまった時点で、最初から断る選択肢はなかったけど、もしも断ってしまったらどうなっていたのだろう。
自分でも想像できなかった。
だから、後悔はない、きっとこれで良かったのだと思う。
少なくても、明日、晶ちゃんが笑顔で本選の舞台の上に立てるのなら。




