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”小説”震災のピアニスト  作者: shiori


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第8章「グラスレコード~君と過ごした最後の日~」4

「僕はたくさんのオーケストラとこの曲を演奏するのが夢なんだ。

 ラフマニノフはアメリカに行って、最後まで演奏家として生涯を送っていたしね。

 晶ちゃんは、この曲をオーケストラで演奏したいって思う夢はないの?」


 演奏し終えた隆ちゃんは汗をタオルで拭いながら言った。

 聴いている間、私はずっと胸のドキドキが止まらなかった。


 彼の夢、夢があるということは、それは彼の心の成長を意味していた。

 出会った頃の彼とは、もう見違えるように清々しい表情をしていたから。


 だから、私は私なりの、今の気持ちを正直に彼へ伝えることにした。

 それは、全然大した考えじゃないけど、私の生き方だから。


「私はあんまりないかな。


 私ね、思うの。今持ってる気持ちが何年も先も続いているってことってなかなかないのかなって。

 

 だって、ピアノがうまくなったり、新しい曲と出会ったり、そうして自分が変わっていってしまうことが見えているから。だから私は、その時、心惹かれる曲を精一杯心込めて演奏したいなって」

 

 それは、ピアノを上手くなりたい、いい演奏を聴かせたいと一心不乱に練習を続ける彼とはまるで違う行き当たりばったりの生き方だ。


「晶ちゃんらしいね」


「そうかな? 変じゃない?」


「変じゃないよ、晶ちゃんの感性はとても優しくて、その時の状況によって繊細に考えて、出来ることに応える形でやり遂げようとして、寄り添ってるんだなって思うんだ。

 どういえばいいのかな……、自分のためという以上に、相手のために何ができるのか、何を届ければ上手に伝えたい想いが伝わるのか。

 そういうのを感覚的に、音楽に乗せて演奏しようとしてるように思うんだ。

 全然、上手く言えないんだけど」


 この出会ってからの二年間、隆ちゃんは私の演奏を聴きながらそんな風に考えていたんだって不思議に思った。


 ”私が相手の気持ちを考えて演奏してる”なんて、そんな事考えたことなかった。


 ただ、私はその時々で、機嫌よく楽しくピアノを演奏出来ればいいとだけ思ってやってきたのに。


「嬉しい……ちょっと偉そうなこと言っちゃったかなって思ったけど、隆ちゃんがそんなにも私を見ててくれたんだって、よく分かった。


 ねぇ、私の演奏するカノンは寂しくなかった? 悲しくなかった? 別れを辛く感じなかった?」


 自分でもいけないと分かっていても、言葉が零れていた。


 私は段々と何か怖いものに支配されていくような恐怖感に包まれていた。


 まだ、桜はこんなに綺麗に咲いているのに、それなのに……、私は別れがあまりにも耐えがたいくらいに辛くなった。


「心地いい演奏で安らいだ気持ちになれたけど、でも、卒業式という場面で聞くと、どうしても別れを意識させられて寂しいよ、苦しいよ、ずっと一緒にいたいよ……。


 これでもう、お別れだなんて嘘であってほしいって思うよ」


「本当に……?」


 私は自然と足が動いて、隆ちゃんの座っている椅子に割り込むように一緒に座っていた。

 一つの椅子に二人で座ると自然と身体が密着して、子どもながら強い刺激を感じた。


「本当だよ」


 彼の手が私の背中に伸びて身体を抱きしめるように優しく添えられた。


「ねぇ……ちゃんと言ってくれないと分かんないよっっ。

 寂しいって、ずっと本当は一緒にいたいって、言ってくれないと分かんないよっ!!」


 触れ合ってしまうと、余計に伝えたい想いが溢れて感情が放流していた。


「ごめん……」


 苦しい表情を見せる隆ちゃん、そんな表情をされたら、私の方も悲しくなるじゃない……。


「謝らないで……私はただ、どうしようもないくらいに隆ちゃんのことが好きなだけなんだからっ!!」


 私は内から溢れる衝動のような感情を、言葉にして放流させた。

 抑えられない感情の高ぶりから出た、告白の言葉だった。


「うん、ありがとう、晶ちゃんっ!!」


 私たちは自分たちの幼さも忘れ、肩を寄せあい、潤んだ瞳で見つめ合いながら、ゆっくりと顔を近づけ、そのまま優しく口付けをした。



 ―――お互い、初めてのキスだった。


 

 訳が分からないくらいにまだロクに性知識もないのに、惹かれ合う意志に導かれ、柔らかい唇の感触と共に、心の奥深くまで染み渡るように愛情が満たされていく。


(そっか……これが自分の気持ちを伝えるってことなんだ)


 私は身をもって、キスの意味を理解した。


 好きという気持ちを、世界でただ一人あなただけを愛しているという気持ちを、私は行動として証明している。


 肉体同士で触れ合う行為、これは、誓いの行為なのだ。


 ほとんど唇を押し付けるだけのキスをして、私たちは名残惜しくも離した。

 

 私は唇を離すと同時、自分が自然と目を閉じていたのだと気づいた。


「僕も好きだよ、晶ちゃんのこと、ずっと好きだったよ。

 ずっと好きでいて、いいんだよね?」


「うん、好きでいてくれなきゃやだよ。

 私の事、忘れたりなんかしたら、もっとやだよ。

 だから、もっとキスをちょうだいっ!」


「うん、今日だけだから……。

 だから、もっと僕も晶ちゃんを感じていたい」


 どこで覚えたかも思い出せないような”恋人同士”がする言葉を言い合って、私たちは我慢できずにもう一度唇を重ねる。


「ううんっ、ちゅ……、ちゅっ……、はふぅ……、んっ……んんっ!」


「……好きだよっ、好き……、だから、ずっと忘れないでっっ」


 離れたくないという気持ちが。


 身体中から溢れてくる快感が。


 好きという言葉が。


 満たされれば満たされるだけ、溢れてくる。


 こんなにも人は無防備で、感情的な生き物なのだと、痛いくらいに分かった。



 私たちはそのまま、お別れをするその瞬間まで、好きという気持ちを伝えあいながら、ピアノの演奏を飽きることなく続けた。


 

 3月が終わりに近づいていく頃は、確かに別れの季節で、忘れることのない思い出でいっぱいだった。


 これが、身長も体格もあまり変わらない私たちが4年前に過ごした、最後の一日でした。



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