第7章「届けたい想い」1
私は隆ちゃんと再会を果たしてからも数週間の間、我慢の中入院生活を送り、ようやく退院の日を迎え、仙台市内にある式見先生の家にしばらくお邪魔することになった。
入院中もずっと私に寄り添ってくれた式見先生は遠慮しなくていいと言ってくれたけど、近い将来、ちゃんと先生の好意に報いる形で、自分と向き合わなければならないだろう。
余震も段々と減っていき、徐々に心の平穏を保てるようになったが、今もまだ依然として片耳は聞こえないし、声も出せない状態だった。
原因をこれ以上追及したところで身体が良くなるかどうかは分からないから、当面は式見先生の家で暮らしながら様子を見るのが最善だろうということになった。
声が出せない症状としては失声症という診断で、精神的ストレスが原因であることが多い精神疾患の一つだそうだ。
器官自体の損傷は見られないそうで、きっかけ次第で回復することはあるのだけど、色々と手を尽くしてもらっても未だに回復の兆しが見えないことが余計に心の負担にもなっていた。
私としては焦って無理に声を出そうしても自分を傷つけるだけだと分かった。退院できただけでもいいこととして、今は過度な期待をしないのが賢明だろう。
こんな状態でピアノに触るのは怖い。
入院していたこともあり、一度触らなくなるとその傾向は顕著に感じるようになった。
ピアノと真剣に向き合っても思うように演奏出来なければ出来ないほど、きっと私はピアノを嫌いになってしまう。そんな事を考えると不安になってしまって触れることが出来なかった。
こんなにピアノが私を苦しめるのは今まで生きてきた中で初めての経験だった。
ピアノはいつもそばにいてくれた友達のようであり、母から教わった心の支えだったのに。
「必要なものがあったら気兼ねなく言いなさい。今日から晶子の家でもあるからね」
私が暮らす新しい家、式見先生のピアノ教室でもあるこの場所に来るのは慣れ親しんだものだが、入院した後では気持ちもかなり変わっていた。
広いリビングには電子ピアノがあり、階段を昇った二階に私の部屋もある。
生活に不自由がないのは分かっているが、ピアノを弾けない私がこれからどう過ごせばいいのか、まだ見えてこなかった。
「この部屋は自由に使って、一人で暮らすには広すぎる家だから、晶子が来てくれるのは、むしろ私にとっては歓迎するところだから、遠慮しないで」
式見先生の家はピアノ教室も兼ねているので広くて綺麗だ。
幼い頃よく訪れて、お泊りもさせてもらったこともある。
これからしばらく私はこの家にお世話になる。
仮設住宅で暮らすよりはずっと快適だろうことは改めてよく分かった。
私は与えられた部屋で荷物整理を始めて、少しずつ気持ちを落ち着かせることが出来た。
(……ここが私の場所…か……)
天井を仰ぎながら心の中で呟いた。
こうして落ち着ける家にいるのもいいが、早く散歩に出掛けるのも気分転換になるだろうと思った。
入院生活というのは退屈で不便で憂鬱で、ロクなことがないとつくづく思い知ったから、私はこれでよかったのだと思うことにした。




