第4章「錆び付いた対面」3
病室を出て、ナースステーションで看護師さんと合流してからゆっくりと病院内を歩いた。私は一番後ろから、俯き加減で看護師の足を見ながら歩いた。
県内では他の病院よりも大きいこの病院はまだ歩いていない場所も数多くあり、一人で帰るのが難しいほどの距離を歩くとなかなか不安な気持ちにもなった。
足音を積み重ねて、段々と対面する時間が近づけば近づくほど、霊的な不安感に苛まれた。
なんだろう……、この病院特有の薬剤の匂いだけでない、死の匂いのようなものは。
この後に何を見せられても動揺しない、後悔しない、そう覚悟を決めて来たのに、こうして病院内を歩くだけで不安感が襲ってくる。
薄ピンク色の制服に身を包んだ看護師の足が一つの部屋の前で止まった。
その後、扉を開けた後の光景は恐怖以外の何物でもなかった。
ストレッチャーの上に仰向けに寝かせられている二人。
血で赤く染まった白い布を剥がすと、本物の死体が目の前にあった。
子どもが見ていいものではないとすぐに分かった。
そして、そばまで近づいていくと、目の前で眠っている遺体が自分の両親であることがすぐ判断できた。
視界に映った現実を目の当たりにしながらも、涙が出てこないほどに、心の冷めた自分がいた。
何をどう感想を持てばよいのか分からなかった。
でも、思っていたよりもやっぱりその身体は生気を失っていて、動き出すことなくはっきりもう死んでいると理解せざる終えなかった。
式見先生も実物を目の当たりにするとさすがに言葉を失っているようで、ここにいる三人が皆無言だった。
そもそも私は声が出せないから、無反応に見えたことだろう。
それは冷たい人間のようで少し寂しかった。
声を出して別れを伝えられないことは、悲しいと思った。
いや、それ以前にもっと嫌なことを私は思い出した。
(……そっか、私、ずっと忘れてた……、私は震災発生の直後、大きな津波が町を飲み込んだ後で、二人を捜し歩いて、怖いくらいに死体を見て、クラスメイトまでが死んでいるのを見て、強いショックを受けたんだ……)
思い出してはいけなかったのかもしれない、気付いてはいけなかったのかもしれない……、でも、目の前の光景が閉ざしていた記憶を蘇られた。
私は確かに倒壊した町並みや海水に沈んだ町並み、火の手が上がって騒ぎになっている家屋や、がれきの下敷きになっている被災者を見てしまっていたのだ。
それが、生で見た光景かどうかなんて、判断のしようもないけど。被害妄想が生んだ妄想かもしれないけど。でも、それは私にとって、心の負担になっているんだと思う。
なぜ、わざわざそんなことをしたのか、たぶん衝動的なものだったのだろうと思う。
両親を捜したくて、きっとすぐに見つかるとそう信じ込んで、駆け出して行ったのだ、自分が取り返しのつかないほどに、傷つくことになるとも知らずに。
こうして両親を目の前にして浮かぶ、後悔の感情。
目の前にある死は、私にとってあまりにも生々しいものだった。
(あぁ……、ごめんなさい、助けてあげられなくて……、苦しかったよね、寂しかったよね、喉も乾いたよね……、分かるよ、少しだけ、どれだけ辛かったか。
だから、ごめんなさい。
お父さん、お母さん……。
いつも私を支えてくれて、美味しいものを食べさせてくれたお父さん。
ピアノを教えてくれて、たくさん素敵な演奏を聴かせてくれて、ピアノを演奏することを大好きにさせてくれたお母さん。
これまで育てて下さったご恩は忘れません。
二人で、天国でいつまでも穏やかに眠れますように。
心より、お祈り申し上げます)
伝えるべき最後の言葉はこれで合っているだろうか?
もう、考えるのも辛くてよく分からない。
それでも、一緒にここに連れて来てくれて、両親と対面させてくれた二人は、手を合わせ、祈りを捧げ続ける私を、気の済むまで黙ってずっと待ってくれていたのだった。
黙祷を捧げ終わった私はしばらく迷ったが、思い出したことを、出来る限り自分の心の中に留めておくことに決めた。寒気のようなものはしたが、最後まで涙がこぼれることはなかった。




