7 回想(2)
学べば学ぶほどエレーナは治癒魔術にのめり込んでいった。
治癒魔術は万能ではない。
どんな病気でも完全に治せるわけではないし、術者本人には効かない。
怪我を治すのだって患者自身の体力や免疫に頼る部分が多い。
治療のために、不調や怪我の原因を特定するには医学知識だって必要だ。
合わせて、治癒魔術が効かない症状に対応できるようにするため、薬草学も学ばなければいけない。
学ぶことは多岐に渡るけれど、エレーナには全く以て苦ではなかった。
学園に入学前、ロキが卒業後に魔道士団の入団を目指すと教えてくれた時に真っ直ぐにエレーナの瞳を見て宣言した。
「俺は魔術で国もエレーナも救うし、すごい魔術を作り出すことも決めた」
「私を救う? どういうこと?」
「お前がもし治癒魔術士になって戦場に行く羽目になった時は、俺が守る。っていうより、行く必要がない状況にしてやる」
「行く必要のない状況?」
「ああ、エレーナを………危ないところに連れて行けない」
目を逸らしながら呟いたロキは髪の毛をガシガシと掻き乱す。
ロキが、エレーナのことを考えてくれたのが嬉しくて、つい顔を綻ばせてしまった。
「うふふ、ありがとう。でも私も攻撃魔術が前よりもだいぶ上達したよ。もっと強くなって私もロキを守るね。そしてたくさん本を読んで、治癒魔術の勉強ももっと頑張るわね」
「う〜ん……なんか伝わってない気がするけど、まぁいいや」
「ロキならきっとすごい魔道士になるね」
「当たり前だ。俺が本気になったんだからとことんやるよ」
「うふふ……楽しみだね。一緒に頑張ろうね」
「……ああ」
きっかけは不純だったけれど、少しでも治癒魔術の技術をあげて、ずっとロキの近くにいられたら……と、努力を重ねてきたつもりだった。なのに──
◆◇◆
図書館から寮の部屋までどうやって戻ってきたのか全く覚えていなかった。
気がついたら寮の部屋のテーブルに座り、侍女のメイサが淹れてくれたお茶が目の前に置かれていた。
「……お嬢様! エレーナ様!!」
メイサの何度目かの呼びかけでようやく気がついた。
「……あ、ごめんなさい、メイサ。どうしたの?」
「どうしたのじゃないですよ。学園からお戻りになって座ったきり全く反応がなくて……何かありましたか? 体調がすぐれませんか?」
心配そうにメイサがエレーナを見つめている。
学園では生徒は基本、寮生活になる。シュリ王女は護衛の都合上、王宮からの通学となるため寮生活を経験できないことを嘆いてはいるが……
高位貴族は侍女を1人連れてきて良いことになっているので、実家でずっと身の回りのことをしてくれていたメイサをエレーナは連れてきていた。
メイサは領地の裕福な商人の娘のため、情報通で物知りだ。1つ上のメイサはエレーナにとっていい話し相手でもあった。
エレーナが学校に行っている間は基本自由なので、メイサも本を読んだり市民向けの単発講座を受けたりと王都の生活を満喫しているようで、エレーナが知らない世界を教えてくれるのも楽しい。
「体調は問題ないわ。大丈夫よ、少し疲れてしまったの」
「お食事はどうなさいます? 消化のよさそうなものを作ってもらうよう厨房に頼んできましょうか?」
「いえ、普通の食事で大丈夫よ。でも……そうね、量はいつもより少し減らしてくれると嬉しいわ」
食欲は全く感じなかったけれど、メイサに心配もかけたくなかった。
「わかりました。それでは食事の用意をしてきますね」
食堂へ夕食を取りに行ったメイサを待つ間、借りてきた本でも読もうと手元に引き寄せる。
あんなに興味があったのに、今は本を開いても文字がちっとも頭に入ってこない。
学園長室で見たロキとセシル王女の仲睦まじそうに微笑みあっている姿。
エレーナをみるロキの感情が感じられない冷たい視線。
そして思い出のロキよりもずっと素敵な青年になった今のロキの姿。
それらが頭の中をぐるぐると回っている。
──どうしてこんなことになっているのだろう。
何回目かの答えの出ない問いを繰り返した。
「お嬢様、クマができてますよ。昨夜はよく眠れませんでしたか?」
登校前の身支度を整えてもらっていると、心配そうなメイサの声が聞こえてきた。
「昨日借りてきた本を読んでいたら、夜更かししてしまったの」
鏡越しに微笑んで伝えると、「夜更かしは美しさの大敵ですよ」とお小言を言いながらも化粧でクマを上手に隠してくれた。
本当はロキとセシル王女のことが頭から離れなくて、あまり眠れなかった。
学校へ行くのが気が重い……
メイサに悟られないようひっそりとため息をつく。
「さ、できましたよ。今日もお嬢様は美しいですわ」
顔をあげて鏡を見ると、手先の器用なメイサがエレーナの髪の毛を複雑に結い上げてくれていた。
「まぁ! 今日はいつもよりさらに気合が入っているのね」
「ふふふ、渾身のアレンジです。お嬢様が少しでも元気になれますように」
「……メイサ、とても素敵だわ。ありがとう」
エレーナが元気がない時や落ち込んでいる時、器用なメイサがエレーナの髪型を普段以上に華やかにしてくれる。
顔をしっかりと上げ、華やかな髪型に負けず凛とした佇まいができるように……というメイサなりの励ましでもあった。
落ち込んでいることを察してくれたメイサの優しさに感謝して、エレーナは背筋をしゃんと伸ばし学校へ向かった。