4 再会(3)
気を緩めてしまうと。ぐちゃぐちゃな感情が溢れ出しそうな心を押し込めたまま、足早にエレーナは図書室へ向かった。
折角だから本でも借りてから帰ろうと、魔術書の書棚へ向かう。
「あれ? エレーナ嬢、今日は遅かったね」
声をかけてきたのは、クロカン国からの留学生、クロカン国公爵子息のモーリス。
艶やかな黒髪を後ろに流し、日に焼けたような薄い褐色の肌のモーリスが瞳を柔らかく細めてエレーナを見つめている。
同じ魔術科のクラスメートでもあるモーリスとは図書館でよく会うことが多かった。顔を合わせるうちに、本や魔術の話をするようになり、段々と打ち解けて親しくなっていた。
男子生徒とあまり話さないエレーナにとって数少ない異性の友人の1人だ。
「こんにちは、モーリス様。教室で少しお友達とお話をしていたのです」
「そうなんだね。あ、そういえば、司書の方から新しい治癒魔術の本が入ったと聞いたよ。エレーナ嬢、興味あるんじゃない?」
「まぁ新しい本ですか? 是非読んでみたいわ!」
「君ならそういうと思った。…ああ、この本だ」
モーリスが書棚へ近づき、一冊の本を取り出してエレーナへと手渡す。
エレーナは、ありがとうございます、と受け取ると、パラパラとめくって中を見てみる。
「モーリス様の国の本ですね。初めて見る魔術が沢山載っているわね!」
先ほどまでの鬱々とした気持ちが少しずつ晴れていくようだった。
本の中に広がる魔術の世界に胸が高鳴る。
モーリスは、エレーナが瞳を輝かせながら文字を追っている姿を瞳を細めて眺めていた。
本の世界にどんどん入り込んでいってしまいそうなエレーナにモーリスがそっと声をかける。
「エレーナ嬢は治癒魔術に興味があるの?」
エレーナはモーリスの言葉でようやく本から視線を離した。
「ええ、そうですね。どんな魔術にも興味がありますが……一番学びたいのは治癒魔術ですね」
「実は僕の帰国に合わせて、この学園から研究生を一人連れていくことが国家間で話が決まりそうなんだよ。エレーナ嬢、留学に興味はない?」
「……私がクロカン国へ留学……?!」
治癒魔術の研究が一番盛んなのは、クロカン国だ。
魔獣の出る森が国土の5分の3を占めるクロカン国では魔獣討伐の機会がエレーナの国より多い。魔獣によって怪我を負った人のため、治癒魔術の研究に重きが置かれるようになったと聞いている。
「ふふ、興味はありそうかな。エレーナ嬢はもう卒業できる単位を十分に持っているでしょう。それなら、留学して知識を増やす選択肢もいいんじゃないかな? エレーナ嬢の成績であれば国内選考も問題ないだろうし」
「そうでしょうか……私よりも優秀な方はたくさんいらっしゃいますよ」
「留学先はクロカン国の国立研究所だよ」
「国立研究所?!」
「ああ、今、エレーナ嬢が手に持っている本に載っている治癒魔術を開発した部署だよ」
思わずエレーナが手元の本に目を落とし、そっと本を撫でる。
「こんなすごい魔術を開発しているところへ……?!」
エレーナの反応を嬉しそうにモーリスは見つめる。
「エレーナ嬢は、卒業後にこの国の国立魔術研究所に行きたいって言っていただろう? 留学しても帰国後に研究所に入れるように取り決めもできるはずだ。2国間で共同研究したりするくらいだから研究所同士で繋がりがあるんだ。しかも今回は公的な留学だしね」
………だから帰国後の心配はしなくても大丈夫だよ、とモーリスが微笑む。
卒業後、エレーナは国立魔術研究所で治癒魔術の研究職につきたいと考えていた。
高位貴族の娘であるエレーナが、卒業後にすぐ婚姻せず、治癒魔術の研究をしたいと言った時は両親の侯爵夫妻は驚いてはいたが、今はエレーナの意向を認めてくれている。
狭き門の国立魔術研究所の研究員になるために、エレーナは魔術科の首席を保持してきたのだ。
………卒業まで毎日学校でロキとセシル王女の姿を見るのは辛い。クロカン国へ行けば………
きっと、ロキもこんな気持ちで留学を決めたのだろうな……
「モーリス様、すごく魅力あるお話を教えてくださってありがとうございます。あまりに突然で驚いていますので、少し考えてみますね。でもすっかり退路を塞がれている気分ですわ」
「ははは、だって俺が推薦したいのはエレーナ嬢だからね。君にとって有利で魅力的な内容で留学内容を紹介しないと」
「まぁ、買い被りすぎていませんか?」
「いや、そんなことないよ。君が頑張り屋なのはよく知っているよ」
「ふふふ、お褒めいただきありがとうございます」
「君がクロカン国へ来てくれることを楽しみにしているよ」
モーリスへ微笑みかけた時、背中から地を這うような低い声が聞こえてきた。
「エレーナ、どこへいくつもりなの?」