2 再会(2)
「サカール国のお姫様は?」
フィルの問いにロキが投げやりに答える。
「さっき王宮に戻ったぞ。シュリも早く戻った方がいいんじゃないか?」
「あら、本当ね。じゃあ私はこれで失礼するわね。ロキは学園に戻ってくるの?」
「ああ、さっき編入手続きをとった。あと少しだけれど卒業までいる」
「もちろん魔術科よね」
「ああ」
「じゃあ、エレーナと一緒ね。それでは、私は帰るわ。またちゃんとお話ししましょうね」
エレーナはシュリが教室の隅に待機していた護衛騎士と一緒に部屋を出ていくのをぼんやりと見送っていて、ロキがエレーナをじっと見つめていることに気がつかない。
シュリが投げかけた言葉がエレーナの頭の中でぐるぐると回っていた。
(卒業まで魔術科でロキと一緒……)
エレーナが通う王立高等学園は12才から3年間一般科目を学び、15才から3年間コースに別れて専門的な学問を学ぶ。
騎士科、魔術科、総合科の三つが選択できる。
政治や幅広い学問を学ぶ総合科にシュリとフィルは在籍している。
魔力が強いエレーナは魔術科を専攻していた。
「そういや、エレーナがサカール国王女の指導係だってな。ロキは王女様と一緒にきたんだろ。どんな方なんだい?」
フィルがロキに尋ねている。
「ああ、俺らの一個下の学年だ。ちょうど帰国のタイミングが合ったから、一緒にきたんだ」
「お前が女性と共に行動するなんて珍しいな」
フィルが訝しげに小声でつぶやいたのがエレーナへも聞こえた。
「………ああ、今回は特別だ」
ロキがそんな言葉に動揺することもなく、ため息混じりに答えている。
また一つ、エレーナの心に重石が投げ込まれた。
………やっぱり。
胸がぎゅっと掴まれたように痛い。
セシル王女はロキの特別なのね。
込み上げてくる渦巻くどす黒い感情に心が飲み込まれてしまいそうだった。
早くここから立ち去らなきゃ。
「そういえば、図書館に寄る用事があったの。閉館する前に行かなくてはいけないわ。ごめんね、またね」
逃げるように立ち去る私の背中にロキの視線を感じたのは気のせいだろうか。
今日何度目かのため息をつきながら、寄る予定もなかった図書館へと向かう。
「寄る」と言ってしまった手前、寄らずに帰ることが性格上できないのだ。
そんな私をシュリは「生真面目すぎる」とよく言う。
「黙っていれば」……これは、王女シュリの性格をよく知る身近な大人達がいつも常套句のようにつける言葉だった。王女なのに驚くほど活発でお転婆だったシュリに王宮の大人達は手を焼いていた。黙っていれば、妖精のように儚く可愛らしい容姿もつ銀髪碧眼のお姫様そのものだった。
反対に幼い頃から痩せ気味で背が高く、亜麻色の真っ直ぐ癖のない髪、くっきりとしたアーモンドアイの緑色の瞳をもっているエレーナは、なぜか出会ってすぐにシュリに気に入られ、事あるごとに引っ張り出され連れ回されている内に親友となった。
そこに幼少から魔術の天才と呼び声が高かった頭脳明晰なロキと、穏やかだけれど冷静なフィルが加わって、4人はほとんど毎日王宮で顔を合わせて遊ぶようになった。
姉御肌の王女シュリ、穏やかなフィル、生真面目な私、そして……生意気な天才ロキ。
性格がバラバラだったからこそ、幼馴染の4人の関係はうまくいったのかもしれない。
シュリの婚約が決まるまでは。
ロキは高度で緻密な魔術を扱える上に魔力量も突出している。
武術の名家の生まれだからか剣術も体術も強い。学問にも多才さを発揮し、教師達が舌を巻く天才だ。
幼い頃からロキの魔力量は桁違いに多かった。保有する魔力量が多いほど、魔術を使う際の魔力のコントロールが難しくなる。
天才と言われていたロキでも、完全に自分の魔力をコントロールして魔術を使うことができるようになるまでは時間がかかった。
エレーナも保有する魔力量が比較的多かったこともあり、ロキと一緒に魔力のコントロール訓練に取り組むようになった。
力を制御できるようになるまで魔力酔いをしたり、魔力を暴発させたりと訓練はなかなかに大変ではあったけれど、エレーナには大好きな時間だった。
ロキから魔術を教えてもらったり、一緒に魔術の本を読み漁ったり。
大好きな魔術を一緒に学べるからか、ロキと過ごす時間が好きで魔術が好きになったのか………鶏が先か卵が先か、と言ったところだけれど、多くの時間を過ごすうちにロキへの想いを自覚するようになった。
でもある日、ロキがシュリに向ける照れたような柔らかな眼差しを見たエレーナは、ロキの想いに気づいてしまった。
端正なロキと妖精のようなシュリが並ぶ姿は、絵本の中に出てくる王子様とお姫様のようだった。
2人の姿を見るたびにズキンとする心の痛みに気づかないふりをしていた。
不変だと思っていた幼馴染4人の関係がある日突然終わりを告げる。
14歳の王女シュリと、ロキの兄である近衛騎士のデインが18歳で成人したタイミングで婚約が決まったのだ。
シュリがデインをずっと想っていることを知っていたエレーナは二人を応援していた。政治的にも王女の婚約への動向は注視される。婚約が決まるまで無用な噂が立たないよう、エレーナはシュリとデインとのお茶の時間に、お邪魔虫として参加していた。
「シュリ、婚約おめでとう!!」
婚約発表後、幼馴染4人のお茶会を開いて婚約を祝った。
「ありがとう。この婚約が上手くいったのはエレーナのおかげよ。感謝しているわ」
「エレーナのおかげって?」
ロキの問いかけに、普段はお転婆なシュリが頬を染めながら微笑んで答える姿は妖精が舞い降りてきたかのように美しかった。
「婚約までは他の家に気づかれたくなかったのよ。だからエレーナにデイン様とお会いする時は一緒にいてもらったの。次はエレーナの番ね。エレーナを狙っている人は多いから。今度は私がエレーナの婚約が上手くいくよう応援するわね」
「私のことを想ってくれている人なんていないわよ。学園でも男子生徒とはほとんど会話もないし。だから、婚約なんてまだまだ遠い話だわ。きっとフィルやロキの方が決まるのが早いわよ」
容姿も家柄も良い、ロキとフィルは女生徒から人気がある。
かたやエレーナは、男子生徒から話しかけられることはほとんどない。
「何を言っているのよ、エレーナ。あなたは魅力的すぎるくらいだわ。どれだけあなたを狙っている人を牽制………」
シュリがロキの顔を見て口をつぐんだ。
エレーナも視線を向けると、顔色の悪いロキが唖然とした表情でシュリを見ていることに気がついた。
ロキはシュリとデイン様の婚約のこと知らなかったのかしら。
お茶会が開かれたその夜に、ロキは公爵夫妻にサカール国への留学を打診し承諾をもらったと聞いた。
突然の話に、シュリへの思いを断ち切るための留学なんだとエレーナは思った。
それから、ロキは以前のようにエレーナの目を見て微笑んでくれなくなった。声をかけても、砕けた親しげな反応を示さなくなり、何となしにエレーナを避けるような言動をするようになった。
ロキの恋路を邪魔した裏切り者だもの。私に微笑んでくれなくなるのは当たり前だわ。
シュリへのロキの気持ちを知っていたのに、シュリの恋が成就することを望んだ意地悪な私に罰が降ったんだ。
それなのに、そんな私が、ロキの特別な人である、セシル王女の指導係になるなんて。
ふわふわしたピンクの髪、大きなくりくりとした瞳のセシル王女は庇護欲をそそられる容姿で、絵本の中から出てきたようなお姫様そのものだ。
きっとロキは正統派のお姫様のような女の子が好きなのだろう。
シュリとはまた違ったお姫様だけれど、端正なロキと並んだ二人の姿は素敵だった。
ロキはぶっきらぼうな物言いだったけれど、ちゃんとセシル王女の瞳を見て話していた。
瞳に映してもらえない私とは大違いだ。
帰国してから、一度もロキは私の瞳を見て話してくれない。
まだ私はロキから許されていないのだろう。
またロキの恋路の邪魔をするだろうと警戒もしているのかもしれない。
もう二度と邪魔なんてするつもりなんてないのに。
そもそもお姫様にはなれない私がロキに選ばれるなんてことは絶対にないって自分が一番嫌ってほど分かっている。