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墜ちたる少女

 そもそも、ハリス女子の転落事故とはいったい何なのか。それについて触れておく必要がある。

 僕と麻里さんの住まいがある新潟県の県庁所在地・新潟市には、橋でつながった新潟島と呼ばれる場所がある。そこを本州からまたぐJR越後線の関屋せきや白山はくさん駅間には大学や中学校、高校が点在していて、小さな駅は朝と夕方になると学生で一杯になってしまうのだが、そんな学園地帯の一角、関屋の駅から少し歩いたところに、およそ日本らしからぬチャペル仕立ての校舎がある。これがせんに述べた私立の女子校・聖ハリス女子学園の校舎なのだが、つい四日前、そこで奇妙な事故があった。

 放課後、十年来封鎖されていたはずの西校舎の屋上から、高等部の生徒・蓮見由衣が腐った手すりと一緒に中庭に転落したのである。

 幸い、落下した先に園芸部の作ったビニール製の温室があったおかげで一命は取り留めたものの、転落のショックが強かったのか意識が戻らず、肉親や学友、教師陣が彼女の容態を気にかけている――というニュースが各所で伝えられていた。

 さて、彼女が昏々と眠っている間、学園は県警から管理責任をツメられ、殺人事件顔負けの執拗な現場検証などを受けていたが、その過程で奇妙な事実が浮上した。それは、屋上へ出る扉の鍵がかなり前から壊されていたことと、雪で湿った土ぼこりの上に、蓮見が誰かと争ったらしい、入り乱れた二人分の靴跡が残されていたのである。

 もしこれが転落の直前につけられたものであり、なおかつ殺意を持った人物の手による凶行であれば、この一件は事故ではなく事件、しかも殺人未遂という扱いになってくる。

 これがもし世間にもれれば、学園そのものを通り越し、在校生や卒業生の評判にも響いてくる。どうか穏便に、一刻も早い事実の究明を頼みたい――という教師陣の懇願から、所轄警察の万代署は、市内在住の私立探偵である麻里さんへ協力を打診したのだが、

「名誉が第一、などというような連中の依頼を引き受けるつもりはないね。ほかをあたりたまえよ」

 と、にべもなく要請をはねつけたのだった。

 だが、同じ学校の、しかも同じ委員会に籍を置く大森瞳子が、妙な調子で麻里さんの元へ現れてから、すっかり事情が変わってしまった。

「屋上からの転落というのは、ニュースで知らされているから誰でもわかる。だが問題は、学校側も公表をしていなかった侵入箇所を、彼女がなぜか知っていたところにあるのだ。大森くんはこう言っていたよ。

『――どうして蓮見さんが西棟から落ちたのか、みんなで話題にしているんです』とね。

 転落があったのはすっかり日も暮れた午後の五時過ぎ。ほとんど人目はなかった時刻で、第一発見者は用務員。

 しかも、事件直後から両方の棟は、屋上への階段を厳重にトラロープで囲んでるから、どちらから落ちたかはなおさらわからない。そのことはきみが教えてくれたことじゃないかね、矢口くん」

 すっかり灰になった吸いさしを灰皿でひねると、麻里さんはホルダーをテーブルの上に置いて、ルージュを引いた唇で直にオランダ葉巻を吸いながら、抱いた疑問を矢口刑事と僕へ語ってみせた。

「――わたしはああいう、自分のところの評判ばかり気にする連中の依頼は引き受けない主義だったがね。悪いことに、こういう奇妙な事件を前にして何もしないというのはもっと嫌なんだ。移り気でずいぶん迷惑をかけたが、この事件、引き受けさせてもらおうじゃないか」

「ありがたいっ、大沢部長オヤジサンも喜びますよ。――薫くん、きみにも色々手間をかけると思うが、ひとつよろしく頼むよっ。じゃあ……」

 紅茶の残りを飲み干し、お給仕に現れた亜紀さんからコートや帽子を受け取ると、矢口刑事はパトカーへ飛び乗り、そのまま本署へと戻っていった。

「まったく、事件となると目のない人だね」

 窓を上げきり、パトカーの煤煙が掻き消える様子を眺めていた麻里さんは、カップを片付ける亜紀さんへ背中越しにつぶやく。手にしたオランダ葉巻の甘い香りが夜風に交じって窓の外へと流れてゆくのが、ソファに座ったままの僕からもよく見える。

「さようでございますね。――麻里様、よろしければホットワインでもお持ちしましょうか」

「ありがとう、書斎の方へお願いね。あ、薫くん、きみも何かとるかい」

 提案にのってオレンジエードの熱いところを頼むと、承知いたしましたといって、亜紀さんが茶器を下げて出ていった。と同時に、麻里さんが踵を返して僕の方を向いた。

「さあて、薫くん。せっかくの春休みを邪魔するようで申し訳ないが、きみにも一つ、活躍してもらわないといけないようだ。明日は早いよ、オレンジエードとホットワインを飲んだら、お互いベッドに入るとしよう――」

 そのまま流れるように、応接間の戸を開いて書斎の方へと消えてしまった。あとには、部屋いっぱいにまいあがった紫煙と、香水の残り香が一緒にただよっていた。


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