鬼『子』の眼にナミダを 玖
玖
ねえやさしい恋人よ 私の惨めな運命をさすっておくれ
by 萩原朔太郎
「彼はね……どうしようもない奴だったの」
彼――言果たたら、という人物の名前を、何度も呟いた後、彼女――三石きこは、いつもの惚けて、やる気のない口調とは違う、滑舌の悪い喋り方とも違う――弱々しく思い出すように、儚く思い返すように、言葉を選ぶように、一語一語を大切にするように、そう言った――どうしようもない奴、と。
きっと、今から話す事は、僕の知っている事なのだろう。ななかから聞いた『三石きこに関する情報』の中に入っている情報なのだろう。しかし、いや、だからこそ――。
だからこそ僕は、ただ黙って、『鬼』になった少女の物語を――。
だからこそ僕は、耳を傾けて、『鬼』になる事は望んだ少女の物語を――。
三石きこの、発する言葉で、語る言葉で、聞きたいと願い、ただ黙って、耳を傾ける。
「そうだね――こんな、どうしようもないキコが言うんだもん。本当に、どうしようもない程に、どうしようもない奴だったの――たたらってさ。だって名前から変でしょ? 『たたら』だよ? 『たたら』って何さ? って感じだよね。知ってる? 『たたら』と読んで『鑪』って漢字があってさ、意味が、『砂鉄を、木炭を焚いた土炉で精錬する古式製鉄施設』だってさ。笑っちゃうよね、どうツッコメば良いのか分からないよ。そんな施設知らないしってツッコメば良いのかな。 たたらって何なのさ! ――にゃはは……たたらって何だったんだのさ…………」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「……君が言ったように、たたらとは病院で出会ったの。あっ、病院っていっても、もう経営していない病院――廃病院で、ね。キコって身体は丈夫だし、病院なんて、ほとんど行った時ないんだよ、スゴイでしょ? ――違うね、たたらの事だね、たたらの事だもんね……にゃはは。直ぐに、他の話に飛んじゃうなんて、やっぱキコは馬鹿だね。笑っちゃっていいんだよ? にゃははははは……本当に馬鹿なんだよね」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「えっと――それでね、その廃病院で、たたらに会ったの。『会った』っていうか『遭った』って言った方がイイかな。だって廃病院だよ? 最初、キコは「うわ、幽霊だ」って本気で思ったもん。その廃病院って、結構有名な心霊スポットなのは聞いてたからさ、そんな中で、肌が真っ白で、髪も目が隠れるくらい伸びてて、目を虚ろにして、ボーっとバック持ちながら、突っ立ってるんだもん。そりゃ幽霊だと思うよね――思っちゃったもん」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「それでね――何分くらいかな? 多分、三分くらい、たたらの事眺めてたら、たたらが、やっとこっちに気づいたの。それで開口一番に何て言ったと思う? 「君は日本人?」って言ったの。本当ビックリしちゃったよ、キコって見た目は日本人で……あっ、DNA的にって言うのかな? まず日本人のキコに向かって、「君は日本人?」って失礼しちゃうよ、今、思い返しても失礼な発言だよ――けど半分は当たってたんだけどね。」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「ムカッとしたから、言ってやったの、「君は人間?」って。すんごいカタコトの日本語で言ってやったの――そしたら、たたらは「失礼な事言うな。足が見える? 視力は大丈夫?」って言い返したの――普通に言い返してきてくれたの……。ムカッとしたけど、それ以上に、普通に言い返してくれた事、会話が――日本語の会話ができた事が嬉しくて、戸惑って、けどやっぱり嬉しくて……泣きたくなるくらい嬉しくて。だからまた言い返してやったの、すんごいカタコトの日本語で。たたらは、悩むことなく、その文句に対して、また言い返してきてくれて、それで、また、キコが言い返して、それに対して、また、たたらが言い返して……ずっと文句を言い合ってたよ、最後は、何を言えば良いのか分からなくて、意味の分からない事、言ってた気がする。今思い返すと、本当滑稽な、お馬鹿な会話だったのね」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「唇もカピカピに乾くくらい、口論っていうか罵倒し合って、もう、のどもカラカラになっちゃって、それでも何か言いたくて、少し考えていたら、たたらが、自分の持ってたバックの中から、お茶のペットボトル取り出して、一口飲んだの。なんか分からないけど、それを見て「あぁ、もうお終いなのかな」って「もう話しも終わりかな」って思っちゃって……スンゴイ寂しくなったの。その時のキコって、日本語、ほとんど勉強してなかったから、言葉が思い付かなくてね。それが、スンゴイ寂しくて、スンゴイ悔しくて、スンゴイ辛くて――あぁ、何か喋らなきゃ。って焦って、戸惑って、けど何も言葉が出なくて、頭の中の、日本語、掻き集めても出てこなくて、何もなくて――泣きそうになったの。けどね……けどね? たたらはね、笑いながら待っててくれたの。ずっと、ずっと待っててくれたの。――キコの聞くに堪えない日本語を、キコの言葉を待っててくれたの。」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「だから、キコ言ったの。「キコの言葉が分かりますか?」って。そしたら――たたら「うん」って、一言だけ言ったの――。キコ、それ聞いて泣いちゃったよ。顔が涙でグチャグチャになりながら、嗚咽混じりで「キコの言ってる事分かりますか?」って聞いたら、たたらは、また「うん」って言ってくれたの。「キコが泣いてるの分かりますか?」――「うん」。「キコの声聞こえますか?」――「うん」。「キコはココにいますか?」――「うん」。「キコはココに居て良いですか?」――「うん」。「キコの友達になってくれますか?」――「うん」。って言ってくれたの。一言だけなのに……たった一言だけなのに…………それがスンゴイ嬉しくて、最後は大声上げながら泣いちゃったよ」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「ずっと泣いて、鼻も真っ赤になって、声も上げ過ぎてガラガラになって、やっと泣きやんだの。長い時間、泣いてたのに、たたらは、ずっと笑顔のまま、いてくれてたな。泣きやんだら、たたら、そっと飲みかけのお茶出してくれて、キコは、それを飲んだの。そしたら、たたら、なんて言ったと思う? 「うわ、間接キスしてやんの」だって。その時は意味が分からなくて、キョトンとしてたけど――今、思えば、一発引っ叩いとけば良かったよ。――その後は、二人で帰ったよ、「夜道は危険だから」って言って家の前まで送ってくれて――キコが「ありがとう」って言ったら「うん」って、また言ってくれたな、たたら。まぁ、その後は、ママとパパから、スンゴイ説教受けて、今日何してたか問い詰められたから、言ってやったの、「友達ができた」って。パパもママも、キョトンとしてたな」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「その日から、キコ、スンゴイ日本語を勉強したんだよ。事典とか、家に沢山あるんだよ? 日本作者の小説読んだり、漫画読んだり、ファッション雑誌も――間違ってエッチィ小説も読んじゃった時もあったな……全部見たけど。日本語に触れて、日本語と接して、それをたたらに聞かせたくて、たたらと話したくて、スンゴイ勉強したよ。そのお陰なのかな、学校にも行く事も、嫌じゃなくなって、自分から他の人に話しかけて――たたら以外の友達もできたの。あぁ、私、こんな簡単な事が出来なかったのか、馬鹿だな。って笑っちゃったよ。」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「その合間も、何回も、たたらに逢う為に、その廃病院に行ったの。そしたら、たたら絶対居てくれて、キコが来たら、いつもの笑顔で、「おはよう、こんにちわ、こんばんわ、だね。きこ」って言って、くだらない話ばかりしてたの。一番盛り上がったのは日本のおとぎ話の話かな、たたらそういう昔の物語が好きだった、「僕は過去よりも、昔を見たいんだ」って訳の分からない事、いつも言ってたもん。他にも、二人で街や、森や、それに心霊スポット――そう、たたらは心霊スポットが好きだったの。二人で近くの心霊スポット回ったなぁ、多分知らないと思うけど『四十四田ダム』とか『黒森山』とか、ちょっと離れた場所なら『慰霊の森』とか、私の自転車で二人乗りで行ったの――今、考えればデート……なんだよね、これ? 本当にロマンの欠片もないよね――楽しかったなぁ」
ただ黙って、耳を傾ける僕。
「けどね」
僕は――。
「そんな、幸せな日々は、幸福は、続くわけはなかったんだよ。当り前のことだったんだよ、当たり前すぎて忘れてたんだね……やっぱキコ、馬鹿なんだよ…………」
僕は、耳を塞ぎたくなった。
~続く~