鬼『子』の眼にナミダを 柒
柒
願いが一つ叶う……なんて言われたら、
僕はきっと、こう言うだろう。
――願いよりも、想いを叶えてください――。
家を出て一時間と二十分、ななかに指定された喫茶店に、僕は居た。
いつもは友人との溜まり場にしていた場所だが、現在、僕は独りである。
平日は学生服の男女が、他愛もない話に花を咲かせ――。
自愛に積もる話を押し付け――。
友愛を確認する会話に勤しんでいるのだが――本日は日曜日、人も疎らだ。
まぁ、確かに立地は良い方ではないよな。学校からもバスでは直ぐだが、徒歩で向かうと時間が掛かるし、自転車に関しては、駐輪場が近くに無い――よく考えたら、ドリンクやフードの種類の豊富さだけで、ここまで来るのはアホらしいな。
因みに、僕はバスで向かう――結構バス代がかさむのだが、友人との付き合いも大切だ。
いや、僕の日常なんかいいんだ。何故、そんな立地も悪く、友人との付き合いでもないのに、ブレンドコーヒーを片手に、ど真ん中のテーブルで、独りニヒルを演じているかというと――デートだからだ。
そう、デートである、ウキウキのワクワクさんでボロリのズボンもポロリだ――難点を言えば、デート相手が誰か分からないくらいで……痛手だな。
だがしかし、ななかが指定された時間から、もう五十分は過ぎている。寛容な僕でも少し気が滅入る。
彼女にするなら待ち合わせ二十分前に来ていて、僕が「待った?」なんて言ったら、彼女(妄想)が「べ、別に待ってないわ!」なんて言いながらも、寒さで頬を赤くしていてほしいものだ――あ、季節は冬ね。
そんな非現実的な夢を、頭に巡らせていると、喫茶店のドアが開いた。まぁ、喫茶店なのだから、人が来るのが当たり前なのだが、入店者は休日なのに制服であった。少し辺りを見回すと、待ち合わせ相手を見つけたのか歩き出す――そう、僕の方へ。
さも当然に、僕の座っているテーブルのイスに座る制服の『彼女』。
「やぁやぁ、お待たせぇしましたぁ」
身長は百四十五後半から百五十前半。
「しかしあれだねぇ、ここの喫茶店を探すのにねぇ、時間掛っちゃったのねぇ」
幼さを感じる肉付きのある頬。
「けどねぇ、家出たのはねぇ、結構早かったんだよぉ?」
真珠のように丸く大きな瞳。
「あれ? 何時だっけぇ?」
僕好みの大きなアヒル唇。
「まぁ、いいよねぇ。こうやって会えたんだしねぇ」
毛先にカールのかかった茶色いセミロングの髪。
「一期一会――てぇ、思ったんだけどねぇ」
気だるそうで、やる気のない口調。
「それでぇ? また、首絞められたいのかねぇ?」
鬼の子――三石きこが、僕の目の前で、ワザとらしく両手を頬に当てていた。
「馬鹿は治るけどねぇ、変態は直らないみたいだねぇ」
まぁ、予想してた事さ……望んではいなかったが。
数日前、僕は学校で――詳しく言うなら、学校の三階、図書倉庫前の廊下で殺されかけた。この平凡で単調で大衆たる一般高校生男子が何故、学校で殺されかけたのか――キッカケ。
そう、キッカケは前にも説明しているから省略するが、要は『秘密』を見てしまったのだ、偶然にも――無然だと思い望んだ日々は、ものの見事に崩壊されたのである。
僕は『異常』という被害に遭った、『非常』という暴力を行使させられた。
だがしかし、それは僕の視点からであり、加害者の視点は、違っていたのだろう。
『秘密』という漢字の『密』は『うかんむり』と『やまへん』の中に『心』を置く――つまり、心を隠す、心を遠ざける、心に触れさせない、心を見せない……。そこに『秘』を付け加えると――、
『人(私)には必ず、見せたくない心がある』。
そう考えてしまうのは、僕が、被害妄想の激しい人間だからと願いたい。
休日の喫茶店で、若い男女二人が、同じテーブルの席に着く。傍から見ればデートに見えなくもない。しかし、これはデートなんて甘いモノじゃなかった。
その理由に、テーブルの下――僕の卸し立ての白のスニーカーに、三石きこは、茶色い学校指定のローファーを置いた後、囁いた。
「動いたらぁ、君の足をねぇ、アリンコみたいに潰してねぇ、無理やり動けなくさせるからぁ。その後はぁ……聞かない方がいいねぇ」
こ、怖ぇー。
腕、もっというなら指で、あの力だ。足の力なんて、常人でも腕の倍以上の力、それが三石きこの――鬼の力なら……潰される、というか、本気で無くなるな。
しかし、僕は冷静だった。
「落ちつけ、三石。僕はお前を脅しに来たり、強請ったり、ましてや、服従させるために来たんじゃない。お前の足を潰すなんて脅しは、まったく無意味だ」
「そんじゃねぇ、男の子の大切な部分を潰すね」
「格好付けて御免なさい。一応、主人公なので、こういう場面で格好付けたくなりました。足がいいです、足を踏みつけてください。このド腐れ野郎の足を、三石様の美しい足で踏んでくださいませ。」
そう、僕は冷静だった――過去形だ。
「にゃっはは。君ってぇ、やっぱおもろいねぇ。けど、浅はかだねぇ、てか滑稽? 鶏さんもビックリだねぇ」
『滑稽』で『鳥骨鶏』て事か? なんて振りだ。
「楽しんでいただけて光栄だよ――けどさ、こんな公共の場所で、一高校生男子の足が潰された、って事件が起きたら、お前も困るんじゃないのか?」
この田舎町だ、話はすぐに広まる。
三石は少し顔を顰めながら、僕を睨みつける――そして、いつもの惚けて、やる気のない顔に戻る
「そうだねぇ、それは困るねぇ。浅はかだったねぇ、おバカだねぇ。キコは」
そう言うと、自分の足を僕の足から離し、床に置いた。
「それじゃねぇ、なんでキコを呼んだんだのかねぇ? 秘密を守ればねぇ、無視してればねぇ、害は与えないのにさぁ?」
そうなんだろうな。無視してれば、秘密を守れば、お前は『何』もしてこない――その『何』かを強制できる力を持っているのに。
だから、僕は来たのだ。会話をしに、対話をしに――鬼救出に。
僕は対話を試みる。
「その力、いつから持ち始めたんだ?」
三石は眉を顰め、無言になる。そして腕を組み、如何にも不機嫌である、とアピールしているようだ。しかし、そんなアピールは無視だ。
恋のアピールなら、地べた這いずり回ってでも掻き集めるが。
「もっと詳しく言うなら、何時、何処で、どのようにして、何故……そして、その代償はなんなのか。だ」
5W2H。ビジネス用語――しかし、これは利益なんて皆無の対話だ。
三石は、無言のまま、僕を睨みつけている。冷や汗が出てくるね――しかし、僕は話を続ける。
「――お前ってさ、地元はこっちじゃないんだよな。高校一年の時に引っ越してきたらしいじゃないか」
三石の眼が、瞳孔が開いた。やはり、ここか――ここが三石の秘密か。
「それにだ。高校一年の時に、こっちに引っ越して来た前に、お前はもう一度引っ越してる――あぁ『もう一度引っ越してる』は日本語がオカシイな、だってそっちが最初の引っ越しなんだから」
三石の制服にシワできる、組んでる腕の力が強まってるようだ。
「まぁ、その『最初の引っ越しをする前の場所』――出身地は、僕にはあまり関係ない事なんだ。僕は自分に降り掛かる火の粉……お前が『鬼になった場所』。そこにしか興味がないから、安心してくれよ」
ここで、やっと三石は口を開く。弱々しく、憎々しく。
「……人権侵害だ。」
「人権? 最初に侵害させたのは、お前の方だろ? 平凡であり単調であり大衆である一般高校生男子たる僕を侵害させた――自業自得だ」
言葉は返って来ない。しかし、睨まれる視線の強さは一層増した。
「話しを戻すぞ……そう、『鬼になった場所』だ。これは一回目の引っ越した場所、土地、地域で正解だろ?」
三石は、僕の質問に、体を強張らせる――言葉は返ってこない。
「日本の地名ってさ、昔の物語、伝奇、おとぎ話から名づけられた場所もあるんだよ。流石、言霊の国って感じだな」
そう、同じ読み方でも、全く違う字、全く逆のベクトルの意味を持つ言葉、それが『日本語』だ。
「それでだ。鬼が深く関わる土地もあるって訳。例えば、京都府大江町にある大江山、これは有名だよな? 酒呑童子が住んでた、とされている場所だ。他にも、鳥取県伯耆町の鬼住山,笹苞山。大分県中津市。そして……東北にある、岩手県とか」
その時、今まで鬼のような形相で睨んでた三石の顔が、恐怖に飲み込まれるのを感じた――やはり、此処か。
「――昔々、その土地に、悪さばかりする鬼がいたそうだ。鬼の悪行、苦行に頭を悩ませた住民たちは祈りを捧げたんだ、岩に。それが『三ツ石さま』、『三ツ石の神』って言われてた大岩だ――ここはあれだ、『八百万の神』なんだろうな。日本って何でもかんでも神格化させてたらしいぞ? 良い事なのか、悪い事なのか」
三石――三ツ石。言霊の国……か。
「そして、祈りは叶い、鬼は罰せられた。その時、大岩の神様は、鬼に対して制約を、確約を強要したんだ――この土地には、もう近付くな。ってさ」
「だ、だから……なにさ……?」
弱々しかった。いや、弱かったのだろう。僕は無視する形で話を続ける。
「そんな話しから、岩手って名前になったらしいんだ、この地域は。因みに、この岩は今も『三ツ石神社』という場所に残ってるらしいんだよ」
無言――いや、諦め。
「その確約の時に、三ツ石様は、その証拠に、大岩に鬼の手形を残させたそうだ。今でいう印鑑とかだな、契約の際の印鑑。まったく、神様も抜け目ないよな――それを踏まえて、三石きこ」
三ツ石の鬼――三石鬼――三石きこ。
「お前は、その石に何を祈った? その石に、どんな意思を重ねた? お前の、その力は、その手は……鬼の手と重ねたから、そんな風になっちまったんだろ?」
~続く~